「戦略的人事」とは、経営戦略と人事(人材)マネジメントを連動させることによって、自社の競争優位の実現を目指そうとするもの。これまでのオペレーションを中心とした人事部門のあり方に対して、変化の速いこれからの時代に求められる人事部門の新たな役割であると、アメリカの経済学者デイブ・ウルリッチが1990年代に提唱した考え方です。
社会・経済を取り巻く環境変化のスピードが一段と速くなっている現代では、経営戦略も変化に対応するため、常に見直しが求められています。そうしたときに、人事戦略だけが“蚊帳の外”にいるわけにはいきません。
法的対応が求められ、ルーチンの安定的なオペレーション業務が多いのは人事部門の特徴です。しかし一方で、大胆かつ適切な人材マネジメントを行うことにより戦略的人事として経営戦略に連動し、その目標を実現する“要”の役割を果たさなければならないのも事実です。変化の時代にあっては、経営戦略に合わせた人材の採用と適正配置、プロジェクト管理、人材開発などを通じて、経営戦略の実現を支援する「ビジネスパートナー」としての役割が、人事部門に求められています。
「戦略的人事」に対する関心が高まっている中、「日本の人事部 人事白書2018」では、企業の人事部に対して、戦略的人事に関する調査を行っています。「戦略的人事をどのように定義しているか」を聞いた質問への回答を見ると、一部には「明確な定義はない」とする企業もありますが、「経営戦略と人事機能の連携・連動」「経営戦略に沿った人事方針」「個人の成長、達成欲求と組織の成長、存続欲求を高次元で両立させる施策」「人で勝てる組織を構築すること」「人材の見える化」「コスト構造の改善」「主張できる個」といったように、各社が置かれた状況や抱えている課題によって、実に多様な定義を行っています。この結果からも分かるように、戦略的人事は一律で語られるものではありません。まさに、各社各様の戦略的人事が存在する、ということです。
また、業績が市況よりも良い企業の定義を見ると、「地域ナンバー1処遇」「10年後の弊社をデザインできる人を作る」など将来に向けてのビジョンを明確に打ち出し、それを具現化するのが戦略的人事であるといったように、確固たる定義を持っているケースが多くなっています。それに対して、業績が市況よりも悪い企業では、「会社業績向上のための人材の登用や組織作り」に代表されるように、まずは業績を回復させるための対応として、戦略的人事を定義しているケースが見受けられます。
しかし、実態を見ると、「戦略的人事」の導入は必ずしもうまくいっているわけではないようです。「日本の人事部 人事白書2018」の調査結果を見ると、そのことがよく分かります。「戦略的人事は重要である」という質問に対して、「当てはまる」(59.5%)、「どちらかというと当てはまる」(29.5%)の回答は合わせて89.0%と、実に9割近くが戦略的人事の重要性を認識しています。
ところが、「人事部門が戦略的人事として機能している」に対する回答は、「当てはまる」が5.5%と少なく、「どちらかというと当てはまる」(26.1%)を合わせても31.6%にとどまっています。つまり、戦略的人事の重要性は強く感じていても、現実には機能していない企業が多いということです。戦略的人事がうまく実践されていない実態が浮き彫りとなっています。
なぜ、日本企業では「戦略的人事」が機能していないのでしょうか。引き続き「日本の人事部 人事白書2018」の調査結果を見ると、戦略的人事が機能していない理由で最も多かったのは「人事部門のリソースの問題」で、54.6%と過半数を占めています。その後は「経営陣の問題」(45.4%)、「人事部門の位置づけの問題」(43.8%)、「人事部門のメンバーの能力の問題」(43.6%)、「人事部門の経営視点欠如の問題」(35.3%)、「人事部門の意識の問題」(31.2%)、「コミュニケーションの問題」(23.6%)となっています。
戦略的人事を展開するために必要な機能を考えた場合、多分に「経営陣の問題」もありますが、その多くはリソースや位置づけ、メンバーの能力など、人事部門自体が抱える問題を指摘する声が多いことがわかります。まず、これらの人事部門に関連する問題を早期にクリアしなければ、戦略的人事を展開していくのは難しいと言えそうです。
【戦略人事が機能していない理由】
ここからは、経営人事の実現・実践に関係するキーワードを中心に、解説します。
「CHRO」とは、「Chief Human Resource Officer」の略称で、「人事統括役員」として取締役会に入り、経営幹部として人事機能を統括する人のことをいいます。会社によってはCHROと名乗らず、「取締役人事部長」などとしているケースもあります。
人事部長とCHROの違いはどこにあるのでしょうか。それは、経営陣として「経営に参画する権限」を持っているかどうか、という点にあります。人事部長は、人事労務の実務部門の責任者。人事異動や昇進・昇格、採用活動や教育研修、労務トラブルの対応など、社内の人材活用に対する責任を負う役割を担っています。人的資源を統括するという立場ですが、どちらかというと、これまで経営戦略の立案に積極的に関与することは多くありませんでした。
それに対してCHROは、経営者と同じ目線に立ち、企業の人・モノ・カネという経営資産を把握した上で、経営レベルで人事戦略を考え、実践していく役割を担います。人事部長が会社の損益計算書の数字に対して責任を取ることは基本的にはありませんが、CHROは取締役会のメンバーであるため、人事戦略を通じて売り上げの拡大や利益の向上といった数字に対する「成果」が求められます。当然、株主に対する責任も負います。
これからの時代、他社との差別化を図り、持続的な成長をしていくためには、「人」が最も重要な経営資源となります。だからこそCHROは、経営の最高責任者であるCEO(Chief Executive Officer)の“右腕的な存在”として、経営戦略を実現するための最適な人事戦略・人材マネジメントを実践していくことが求められます。
「HRビジネスパートナー」とは、経営層や各事業部門の責任者に対して、「戦略的人事」の担い手として、経営や事業運営上のビジネスパートナー(アドバイザー)としての位置付けの下、人と組織のマネジメント側面からの働きかけを行い、成果・実績を出す人事プロフェッショナルのことをいいます。
ミシガン大学のビジネススクール教授であるデイビッド・ウルリッチが1997年に発表した『MBAの人材戦略』の中で、戦略的人事を実践・成功させるために、人事の機能を四つに整理することが必要だと述べています(HRビジネスパートナー、チェンジエージェント、人材管理エキスパート、社員チャンピオン)。HRビジネスパートナーは、その中で紹介された一つの概念です。
これまでの人事は法的対応を重視し、労務管理を中心としたオペレーション業務が多く、経営や事業の現場から独立していることも少なくありませんでした。しかし、戦略的人事を実践するには、経営戦略と人事マネジメントを連動させる必要があります。経営や各事業部門と同じ視点に立ち、人材開発にも積極的に取り組まなくてはなりません。まさに経営目標を達成するために、従業員と経営をつなぐ役割が求められるのです。
このような役割が期待されているので、人事にはビジネスに対する深い理解や経営・事業部門との折衝能力が必要となります。ですから、実際のHRビジネスパートナーの例を見ると、必ずしも人事プロパーだけに限りません。事業部サイドから適性のある人材を見いだし、一定レベルの研修を行って人事面の知識・スキルを身に付けてもらった上で、登用するケースもあるようです。
「グローバル人事」とは、海外事業を展開する企業が、グローバル連結ベースで業績・成果を最大化することを目的に導入する人材マネジメントの取り組みのこと。またグローバル人事では、本社、地域、各事業所がそれぞれの役割や人事機能を明確にし、国境を越えた人材の登用や交流、育成、処遇の仕組みを構築することが求められます。さらに最近の例を見ると、海外に直接進出しなくても、M&Aなどによって、国内にいながらグローバル展開を行う企業が数多く存在します。事業のグローバル化にあわせて、グローバル人事実現に向けた対応が、喫緊の課題となっています。
このような状況の中、新たな問題も発生しています。M&Aした企業から、「人事の基本ポリシーがよく分からない」「評価・報酬は誰が決めるのか」「権限はどこまで与えられるのか」などの問い合わせやクレームが相次ぎ、経営層に対して不平・不満を訴えるケースが頻出しているのです。“自主性の尊重”という名の下、放任を許す人事マネジメントが一部で行われるなど、ガバナンスの面で看過できない問題も起きています。これでは、本来のグローバル人事の姿から、ほど遠くなってしまいます。海外とのM&Aを進める企業では、しっかりとグローバルでの人事ポリシーや人事制度の策定を行う必要があります。
M&Aの急激な進展とともに、グローバル人事は新しいステージに到達しています。それを人材・組織の面から支える人事部門のグローバル化も、新たな課題となってきました。まずは海外拠点における人事関連の「業務」そのものを可視化(棚卸し)した上で、「グローバル人事部門」としての役割を再定義し、その機能性を十分に検証して対応していくことが求められます。
「デリバラブル」(deliverable)とは、英語の「deliver」(届ける・もたらす)と「able」(できる)の組み合わせによってできた言葉で、「提供できる」「もたらすことができる」という意味です。人事(人材)マネジメントの領域では、個人や組織が誰かに何かを提供して役に立つこと、あるいは提供する価値そのものを、デリバラブルといいます。
これからの人事マネジメントはどの方向に向かうのか、またそのけん引役を担う人事部はどうあるべきかを考えるとき、デリバラブルというアプローチは非常に重要です。従来の人事部は採用や育成、評価、処遇といった「個別の活動」(制度・施策)を重要視してきました。しかし、デリバラブルの志向を持った人事部は、そういった個別の活動よりも、会社に対して果たすべき「役割」や提供するべき「価値」は何なのかという観点から、人事部のあり方を構想します。つまり、「戦略的人事」を実現するための考え方(アプローチ)が、まさにデリバラブルなのです。
これからの人事部の果たす役割を考えるとき、まず人事部はコストセンターであり、プロフィットセンターではないことを強く認識する必要があります。人事部には、経営や事業部などのプロフィットセンターに対してどれだけ貢献し、価値を提供できるかが問われています。また、制度や仕組み・施策を作ることが人事部の主要な目的ではありません。ビジネスの現場で起こる人材の問題を解決するのが、人事部の重要な仕事であり、そのために何ができるのかを考えるのが「デリバラブル思考」です。
「BPR」は、「ビジネスプロセス・リエンジニアリング」(Business Process Re-engineering)の略称。そして「リエンジニアリング」は、業務・組織・戦略を根本的に再構築することをいいます。つまり、BPRとは、企業の目標(売上・収益)を達成するために、既存のビジネスの事業内容や業務フロー、組織構造、ルールなどを再構築することです。
このようなBPRの概念は1993年に、元MIT教授のマイケル・ハマー、経営コンサルタントのジェイムス・チャンピ―が発表した『リエンジニアリング革命』の中で提唱されたものです。当時、長期的な不況にあえぐアメリカ企業では、かつてのような成長戦略を描くために、これまでの方法論とは異なる抜本的な対策が求められていました。そうした状況下にあって、BPRのアプローチは広く受け入れられると同時に、世界中に普及していきました。そして、バブル経済が崩壊した後の日本でも、大いに歓迎されました。日本的経営が行き詰まり、組織のあり方や仕事の進め方の改革を模索する多くの日本企業で、異常なまでのBPRブームが訪れたのです。
しかし、日本で行われたBPRは既存の組織構造の破壊に力点が置かれたこともあり、結果として、リストラ・人員整理を招くことになり、経営に混乱をもたらすことになりました。また、経営者、人事責任者の間でも、経営手法としての有効性を疑問視する声が上がりました。BPRを推進する場合、高度な情報システムの導入が不可欠となりますが、IT投資の費用対効果が上がらず、BPRの導入に二の足を踏む企業も出てきました。現在では、こうした業務改革を単発で終わらせるのではなく、BPRをより良く継続的に実施していく仕組みとして、BPM(ビジネスプロセス・マネジメント)というアプローチが登場しています。
「アジリティ」(agility)とは、機敏さ、敏しょう性などの意味を持つ英単語で、「アジャイル」(agile)の名詞形です。ビジネスの分野では、事業環境や状況の変化に対応する素早さ、柔軟さのことをアジリティといいます。不確実性が高く、不透明な時代にあって、組織と個人が生き抜くためのキーワードとして近年、注目を集めています。
では、組織や個人にとって求められるアジリティとは、どういうものなのでしょうか。それは単に物事を進める速さ(スピード)ではなく、判断の速さ(的確性)を意味します。特にホワイトカラーの場合、決められたことを決められたルールの下で素早く行うといった、作業効率を上げるための速さよりも、いろいろな選択肢がある中で、どこへ進めばいいのかを的確に判断しなければならない状況下での速さが重要となります。これが、今求められているアジリティです。ちなみに、サッカーやバスケットボールなど球技系スポーツの世界でも、競り合いでの判断のスピードを求めるアジリティが、勝利のカギを握るキーワードとなっています。
組織や個人がアジリティという的確な判断を伴った行動を実践していくためには、会社として、判断や行動の軸となる「ミッション(使命)」を明確することが不可欠です。ミッションを達成するために、今、自分は何をすべきなのか。そのことを一人ひとりが自覚的に考え、刻々と変化する状況の中で適応しながら的確な判断を行い、実効性の高い行動へと移していく。このようなアプローチが、アジリティの高い人と組織を実現するためのポイントとなります。
戦略的人事を実現するには、自社が「求める人材像」を明確にすることが重要です。近年は若年労働力人口が減少する中、採用後のミスマッチ(職場不適合・早期離職)が顕在化していますが、こうした問題が起こるのも、採用活動をスタートする前に「求める人材像」を明確にできていないから。採用難の時代でも、良い採用(高い採用充足率)が実現できている企業は「求める人材像」が明確で、しかもそれを分かりやすく従業員や求職者に伝えています。
「求める人材像」を明確にする際に気をつけるべきなのは、優秀な人材が全ての企業にとって優秀であるとは限らないこと。自社に必要な人材と必要でない人材をはっきりとさせ、学生や求職者にも理解・納得できる「表現」で求人情報(人材要件)を記すことが、採用の成否を握る大きなポイントとなります。
ちなみに、「求める人材像」は、「スペック(学歴・経験・能力など)」と「タイプ(志向、性質、行動特性など)」の二つの要素から構成されます。スペックは比較的言語化しやすく、その有無や程度について、採用する側、求職する側の双方で客観的に判断することが十分可能です。
それに対してタイプは、抽象的で、言語化することが難しい面があります。しかし、未経験者のポテンシャル採用ではもちろんのこと、経験者のスキル採用の場合も、組織風土に合致した人材を採用するためにとても重要な要素となります。
以下にスペック・スキルの観点から、求める人材像に関する主要なキーワードを挙げます。良い採用を実現するには、これらをより具体的にして自社オリジナルの「求める人材像」を分かりやすく表現することが重要です。
「戦略的人事」の導入を阻害する要因としては、経営層の問題と人事部門の問題との両面があります。「日本の人事部 人事白書2018」では、戦略的人事が機能していない具体的な理由を聞いていますが、その回答を見ると、「経営幹部がワンマン」「代表が全てを決定しないと気が済まない」といった経営者の気質に関わるものと、「会社に戦略的人事の考え方が根付いていない」「人事といえば制度だと思っている」など、そもそも戦略的人事に対する認識不足が目立ちます。
一方、人事部門を見ると、「ルーチン業務対応で戦力の大半を消費」「管理業務が多く、そこに多くのリソースを懸けてしまっている」など、日常的な管理業務に追われてしまっている実態が理由としてあるようです。さらに、「人事部門のキャリアが不足している」「HRデータ解析等のスキル不足」など、メンバーの能力の問題を指摘する声も見られています。
このように戦略的人事の導入を阻害する要因は一様ではありません。そのためにもまずは、経営層と人事部門が戦略的人事の実践について、きちんと話し合う機会を持たなければなりません。そして、戦略的人事に対してのあるべき人事マネジメントの方向性を確認し、共有することが重要です。
「戦略的人事」を実現するため、人事部門には、以下のようなアプローチが求められます。
戦略的人事を実現するには、多様なアプローチが必要不可欠です。また、戦略的人事を実現するために自社が行う一つひとつの取り組みについて、人事部が当事者意識を持って丁寧に対応していくことが、戦略的人事の実現に向けての何よりの「近道」となるはずです。
会員として登録すると、多くの便利なサービスを利用することができます。
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