顧客企業の経営指標の改善にコミットする
定量分析をベースとした科学的人事コンサルティング
株式会社トランストラクチャ 代表取締役 シニアパートナー
林明文さん
時代が要請した再就職支援ビジネスで独立を果たす
1990年代は人事コンサルティングに求められるものが変化してきた時代だった、ということですね。具体的にはどのようなサービスを提供されたのでしょうか。
リストラというとネガティブなイメージが先に立ちますが、本来は企業組織を再構築すること。まず、その企業にとって望ましい人的リソースのあり方を明確にし、それに向けて人事制度を改革したり雇用調整を行ったりすることが必要です。それがしっかりできなければ、企業は生き返りません。しかし当時、日本で制度改革や雇用調整のコンサルティングができる会社はほとんどありませんでした。
特に重要なのは、必要でないとされた人材の「再就職支援」です。景気の良し悪しに関係なく、人材の流動性が常に高いアメリカでは、再就職支援(アウトプレースメント)が一つの大きなビジネスとして確立されていますが、当時の日本で再就職支援を手がけていたのは一部の外資系企業に限られていました。しかし、日本では長期雇用を前提とした雇用責任があるので、再就職支援を行わないと雇用調整が完結しません。不況が深刻化してきた90年代の日本でも、ニーズが急速に拡大していることが実感できたので、これは大きなビジネスになる、と考えたわけです。
「再就職支援を事業として立ち上げたい」と社内に提案したところ、当時は会社側も慎重だったので、すんなりとは通りませんでした。結果別の人材会社と提携する形でのスタートとなりました。その別会社が、後に私が代表取締役を務めることになる「株式会社ウェイ・ステーション」の前身です。
いよいよ独立して経営者への道を歩まれるわけですね。
当初、私自身はトーマツコンサルティングで人事コンサルティングを続け、雇用調整や再就職支援の案件があった時には、ウェイ・ステーションに外注していました。ところが、多くの大手企業のリストラに取り組むようになると、そちらのビジネスのほうが急速に伸びてくるわけです。「やはり自社で本格的にやったほうがいい」と考えましたが、いろいろな経緯の結果、「これは自分でやるしかない」と考えてやむなく退職し、設立に参画した経緯もあるウェイ・ステーションに合流しました。これが31歳の時です。
当時のウェイ・ステーションは、まだ数人の陣容。しかし、時代の追い風がありますから、どんどん伸びましたね。私が加わって3年後にはスタッフが150人に、5年後には300人になりました。合流した時のポジションは副社長でしたが、2年目からは社長に就任しました。
大きな成功を収められたウェイ・ステーションですが、そこから現在のトランストラクチャ設立までの経緯をお教えください。
再就職支援は、社会的意義の高い仕事です。リストラの対象になった方々の役に立つだけでなく、大企業の経験豊富な人材を、採用で悩んでいる中堅・中小企業に移動させる役割があります。ハローワークが機能していない部分を担っているので、一種の社会貢献とも言えます。ただ、アメリカのように転職が日常的な社会なら常にニーズがあるのですが、日本では、不況期だけにビジネスとして伸びていた実情がありました。90年代最初には非常に小さな市場規模でしたが、バブル崩壊後のピーク時には急速に拡大しました。しかし大手企業のリストラが一巡したところで限界がきて、その後はまた不況期になるまで市場が急速に縮小することが予想されました。
いろいろと考えたのですが、最終的には、外資系企業に事業そのものを売却することにしました。売却が完了したのは2000年です。完全にウェイ・ステーションから離れて、しばらくは本の執筆活動などをしていたのですが、当時はまだ30代ですから、やはり第一線でコンサルティングをやりたい、という思いが強くなってきました。そこで2002年に設立したのが、現在のトランストラクチャです。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。