企業社会を支えるソフトインフラへ――
“給与業務”から日本のアウトソーシングを変える
株式会社ペイロール
湯淺哲哉さん
日本の給与制度の特殊性と属人化の“壁”を崩す
ADPとの出合いが、記帳代行から給与業務のフルアウトソーシングへと事業主体を移す転機になったわけですね。
実際は給与計算のほうがはるかにノウハウを要しますが、かといって、帳簿をつける仕事と180度違うわけでもない。「これはいける」と直感しましたね。その場で、ツアーを主催していたコンサルタントの人に「自分は日本でこのビジネスをやりたいから、業務提携か資本参加してくれる可能性はないか、ADPに聞くだけ聞いてみてほしい」と無理やり頼み込んだんです。あきれられましたが、幸運なことに向こうも日本への進出を考えていたところだったようで、「日本の市場動向を調べてレポートを持ってきたら、話を聞いてもいい」と。チャンスと思って何度も通いました。すると行くたびに、新しいビジネスの仕組みやノウハウがわかってきて、すっかりその気になってしまいました。99年には記帳代行業から完全撤退。お客さまごとすべて営業譲渡して資金をつくり、「給与業務のフルアウトソーシング一本で行く」と商売替えを宣言しました。
周囲の反対はありませんでしたか?
それはすごかったですよ。当時はベンチャーキャピタルから投資を受けていましたし、他にも株主がいたので、何とか説得はしましたが、危うく資本を引き上げられそうになったこともありました。無理もありません。日本ではその頃、銀行系のいわゆる計算センターが給与計算代行をやってはいましたが、欧米と比べてマーケットは微々たるものでしたからね。そもそも米国は州ごとに税制が違い、給与計算が複雑。日本みたいに数万円のソフト一本で処理できる代物ではないんですよ。だから、人材や資金に余裕のない小さな規模の会社ほど、その部分はアウトソーシングしてコア業務に専念するという文化が根付いている。一方、わが国の給与業務では、実際に「計算」するプロセスは業務全体のごく一部に過ぎません。むしろ所得税の源泉徴収や年末調整、家族手当や通勤費といった独特の処理を要する周辺業務への対応が多いことから、社員に確認したり、問い合わせを受けて説明したり、システム化を進めてもなお“人が担う部分”が残ってしまう。そこは属人的な部分で、外に出しづらいんですね。銀行系の計算センターも、システム化できる「計算」部分を請け負っていただけで、それでは工数削減のメリットに乏しいから普及が進まなかったんです。弊社のサービスでは、社員の方からの問い合わせにも、弊社が直接対応するようになっていますから、人事部門の負担は大きく軽減されます。
日本企業に多い仕事の“属人化”は、給与計算代行にかぎらず、BPOサービス全般にとって大きな壁になっていますね。
おっしゃるとおりですね。簡単な定型業務に見えて、実は専門知識やノウハウが不可欠という仕事は意外に多くて、そこはどの企業でも職人的というか、プロフェッショナルな担当者の領分になっています。営業に行っても、その会社の給与業務がどれだけ特殊で難しいかを、延々1時間ほど拝聴して帰ってくるということがよくありますからね(笑)。人が担う部分までフルスコープで受けようとすればするほど、お客さまの中の属人化の壁とぶつかる。「誰々さんしか分からない」との戦いですよ。
社長は、その“人が担う部分”まで含めたフルサービスを、給与業務代行に専念した当初から提唱されていました。まったく新しいビジネスに不安はなかったのですか。
不安はありましたし、それが的中もしました。営業に回っても、最初はほとんど相手にしてもらえなかったんです。「会社や社員の一番大事な部分を、見ず知らずの業者に任せられるか」と。あの手この手で売り込みましたが、ダメでしたね。この時期は本当につらくて、自分でも正直、潰れるかもしれないと弱気になりました。でも、ありがたいことに、以前から懇意にしていた人材サービス会社が「企業社会のソフトインフラになりたい」というわれわれの理念に共感して、営業面のバックアップをしてくれることになったんです。そうしたら、彼らの持っていた外資系企業のネットワークがぴたりとはまりました。もともと外資系はアウトソーシングに抵抗がありませんし、むしろ日本にそういうベンダーがないことに不便を感じていたようで、そこが突破口になりました。始めてから数年間は、顧客は外資系ばかりでしたが、外資は効率やセキュリティーへの要求が非常に厳しいので、その意味でも鍛えられました。
先が見えないときでも、事業の将来性に対する確信は持っていらっしゃったわけですね。
もちろん持っていました。BPOが進んでいる米国や欧州などの状況を見て、日本でもいずれそうなるだろうと思っていました。まして日本の場合は労働力人口が減り、優秀な人材の確保が難しくなるわけですからね。今後、どの会社にも給与計算のプロがいるという状況は考えにくいし、企業がそういう人材を抱える負担も重くなる一方でしょう。アウトソーサーに任せたほうがより安定的で継続的なサービス提供が得られる、という考え方は必ず支持されると信じていましたし、今も信じています。
湯淺社長のように、それまで誰もやらなかったことに挑戦し、新しい分野を切り開くには何が必要でしょうか。イノベーターの資質についてお聞かせください。
起業家や経営者仲間からよく言われるのは「湯淺はしつこい」ということです。企業の人事部門が担っている給与業務を100%請け負うといっても、最初からサービスとして完璧だったわけではありません。お客さまである人事部門の方に教えていただきながら、粘り強く問題解決と改善を繰り返していくうちにサービスの特性が磨かれ、気がついたら「ここまでできるのか」と評価されるレベルに達していたのです。
月並みですが、私はこの仕事が大好きですし、この会社も、一緒に働いている社員も大好きです。やはりそういうところがベースなんだと思います。仕事が好きだから、今でも現場へどんどん出ていきます。先ほども言ったように、私はお客さまに教えられて、育てられてきました。自分の仕事の原点はそこにあると思っています。
イノベーションのヒントも、やはり現場でしか見つけられないということでしょうか。
生意気ですが、私は絶対にそうだと思います。だから弊社の社員にも、「お客さまには育てていただくつもりで“挑んで”いかないと、自分が成長しない」とよく言うんですよ。でも、今の若い人はすごく器用に世渡りができますよね。お客さまの前でも、深くつっこまないで、さらっと話をまとめてしまう。それでは伸びません。分からないものは分からないし、納得できないものはできない。ごまかさず、なぜ? どうして? と挑んでいった先にこそ、ヒントが見つかるんですけどね。
ペイロールという企業のトップとして、一番大切にされていることは何でしょうか。
給与計算という仕事に取り組む以上、間違えないということが最低限の要件になりますが、何十万人、何百万人もの給与データを扱っていると、絶対に間違わないとは言い切れないし、それが10円、1円単位の間違いなら、お客さまや給与を受け取られるご本人も気がつかないかもしれません。しかし「1円なら間違ってもいい」と思うようなら、この仕事は絶対にやってはいけないんです。もし間違いに気づいたら、隠したりごまかしたりせず、正直に「間違えた」と申告しなければいけない。正直こそが、弊社の最大のルールなんですよ。だから、私も正直でありたい。会社のことで社員に隠し事はしません。バランスシートも損益計算書も、社員に全部公開しています。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。