開示が義務化されたことで注目を集める「人的資本経営」。その実践のためには現状の数値化と適切な分析、公開が求められる。そのための指標となるのが、国際規格であるISO30414だ。社内や投資先企業、顧客向けに人的資本経営の促進に取り組んできた日本生命保険相互会社は、今年、株式会社HCプロデュース主催の国際会議であるISO/TC260年次総会のメインスポンサーを務めるなど、日本におけるより良い人的資本経営の実現に向けて貢献している。10月末に本社で開かれたISO/TC260年次総会に合わせて、人事担当者向けの人的資本経営セミナーを開き、識者によるISO30414の改訂状況を含めた現状の説明や、識者と先進企業によるパネルディスカッションなどを行った。
機関投資家、保険サービス提供者の立場から人的資本経営を促進
欧米で先行して始まっていた人的資本の情報開示。日本では2023年に、上場企業等に人的資本の情報開示が義務化された。
そのような中、三つの立場から日本の人的資本経営を推進しているのが日本生命保険相互会社(以下日本生命)だ。
一つ目は、自社の人的資本経営を推進する立場。人材戦略として目指す姿として「多様な人材の共創を通じた、全国のお客様・社会への価値創造」を掲げ、2015年にスタートした「人財価値向上プロジェクト」を「人財価値向上”アクション”プロジェクト」にバージョンアップし、一人ひとりの主体的な挑戦・成長を推進している。
二つ目は、機関投資家としての立場だ。人的資本経営は業種を問わず企業価値向上につながる。投資先企業と人的資本経営の進捗や課題について対話し、経営戦略と連動した人材戦略の策定や開示を求めるなど、人的資本経営を後押しする役割を担っている。
三つ目は、生命保険などの商品・サービス提供者としての立場。人的資本を高めるためには、企業ごとに多様な課題があり、多面的なアプローチが必要になる。そこで日本生命では、福利厚生やDE&I、健康経営、エンゲージメントといったさまざまな分野の課題解決をサポートする商品・サービスを体系化し、人的資本経営のさまざまな課題をワンストップで支援している。2024年には、顧客企業の人的資本経営を支援する専門部署「人的資本経営支援室」も立ち上げた。
そのほかにも、今年は人的資本報告の指針となるISO30414(人的資本報告のガイドライン)を策定した「ISO/TC 260」の年次総会においてメインスポンサーを務めた。ISO/TC 260は、ISO(国際標準化機構)が人的資本マネジメントについてグローバルで議論するために開く委員会だ。2011年に創設され、2018年にはISO30414をとりまとめるなど、影響力のある国際規格を開発している。これまで日本はOメンバー(Observer member)だったが、2023年2月から投票権を持つPメンバー(Participating member)となり、国際規格開発に参加している。
「人」の重要性は万国共通。共通のモノサシを
10月31日に日本生命丸の内ビルで開かれた「ISO/TC 260年次総会」には、世界15ヵ国から人的資本経営の有識者が集まり、人的資本経営のルールづくりについて議論した。オープニングでは、メインスポンサーである日本生命の清水博社長が英語であいさつ。国際規格について議論し、人的資本経営を推進する世界の識者に敬意を示した。
「企業の持続的な成長と中長期的な企業価値向上を目指す上で、中核となる人的資本について、グローバルな議論をリードするこの会を、メインスポンサーとしてサポートできることを大変うれしく思います。共通のモノサシで人的資本経営への取り組みが確認できるようになるという点で、TC 260における『人的資本』に関する議論は大変意義深いものです。
私は社長就任以来、企業経営において『人は力、人が全て』というメッセージを常に発信しており、『人』の重要性は万国共通であると考えています。近年は日本においても人的資本を意識した経営が広がっていることを肌で感じているところです」
日本生命による人的資本経営の実践と投資家としての後押し、生命保険の商品・サービス提供者としての支援について紹介したほか、日本生命が創業来135年間、社会のサステナビリティと企業のサステナビリティの両立に取組んできたことを説明。「グループが長期的に目指す企業像は『生命保険を中心にアセットマネジメント・ヘルスケア・介護・保育などのさまざまな安心を提供する“安心の多面体”となること』。グループ一丸となった取り組みを通じて『誰もが、ずっと、安心して暮らせる社会』の実現に貢献していきたい」と締めくくった。
2024年度は「人的資本経営“実践”元年」
「ISO/TC 260年次総会」開催と同日の10月31日、日本生命丸の内ビルで第15回目となる「ニッセイ人的資本経営セミナー」が開催され、人事責任者や担当者約150人が参加した。セミナーの様子は英語の同時通訳で中継され、「ISO/TC 260年次総会」で視聴された。
ニッセイ人的資本経営セミナーの冒頭では、日本生命の大野英樹専務が開会のあいさつを行った。
「隣の会議室では当社がメインスポンサーの人的資本関連の国際会議であるISO/TC260の年次総会が開かれており、セミナーの様子を、同時通訳を介して中継しています。日本の企業、団体の取り組みを各国の識者に伝えられる機会をうれしく思っています。2023年度に人的資本の情報開示が義務化され、『人的資本元年』と言われましたが、本年度はまさに『人的資本実践元年』として、各社の取り組みへの注目度はますます高まるでしょう。本日のセミナーでは人的資本経営の最新の動向に知見がある皆さんにご登壇いただき、『人的資本経営の実践のために企業が今なすべきこと』をテーマとして、産官学それぞれの視点から人的資本経営のポイントや取り組み事例をお話しいただきます」
国際規格策定をリードする識者が語る、人的資本経営の現在地と未来
基調講演では、ISO/TC260の国内審議委員会委員長を務める、多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授の市川芳明氏が登壇。「人的資本経営の実践のために企業が今なすべきこと」をテーマに語った。
市川氏は自身の専門である「標準化の経営学」について、「標準化をどう経営するかではなく、経営のためにどう標準を生かすか。ルール形成という言葉があるが、経営戦略の一環として捉えた方が良い」と話した。また、人的資本経営に注目が集まる理由について以下のように説明した。
「インベスター(投資家)が人的資本の開示を求めているためです。アメリカではSEC(米国証券取引所)で人的資本に関連するいくつかの項目を開示することが義務付けられました。日本でも2023年に、有価証券報告書の中でいくつかの項目の開示が義務付けられましたが、基本的には公開先に投資家を想定しているような建付けです」
また、人材を「人的資本」と捉える考え方について解説。人的資本はいわゆる無形資産の一つであり、アメリカでは企業価値の9割を無形資産が占めている。企業価値を考える上で重要な要素だと言える。
「今まで人は『人材』であり、『材料』でした。材料だと製品をつくるとなくなってしまうので、人は原材料ではありません。企業の価値を生み出していくという意味で、人は『キャピタル(資本)』という定義がしっくりきます。キャピタルは富を生み出す源泉であり、人的資本の価値が高い会社は、もうかる会社ということです。投資家としては、人的資本が高い会社は安心できます」
ISO/TC260で議論されているISO30414の改定状況については、さまざまな規模の企業が利用しやすいように整備が進んでいる。
「情報公開するステークホルダー別に、内部向け、投資家向け、社会向けで開示すべき項目を整理した上で、大企業、中小企業といった企業規模別に開示する範囲を示す方向性で議論されています。指標にある全てを開示する必要はありませんが、一つのたたき台として活用されると良いでしょう」
また、ISO30414に関わる新しい国際規格である『ISO30201:人材マネジメントシステム』は、ホワイト企業の一つの勲章になると考えています。この認証がある企業には、優秀な人が安心して入社できるようになるでしょう」
日本は欧米と比べて取り組みの遅れが指摘されがちだが、市川氏によると「実は海外に比べて日本は進んでいる」という。
「ISO30414の認証企業が世界で22社あるうち、16社が日本。本日のISO/TC260年次総会に大勢の海外の方が来られているのも、今の日本の実績が評価されているということです。それだけわれわれの国際会議での発言力が強いともいえるでしょう」
最後に国際規格を活用することの展望を語り、講演を締めくくった。
「社会は企業から成り、企業は人を雇う。人的資本経営は投資家目線を意識することが多いものですが、ISO30414を活用して自社を改善することで、幸せに働く従業員を増やすことができます。国際規格やマネジメントシステムを使うことが、日本という国が新しい一歩を踏み出すきっかけになり、国際的にも認められることを期待しています。この規格を活用して、会社を幸せにし、生産性を上げましょう」
人的資本情報は『未来の財務情報』
パネルディスカッションでは最初に、モデレーターを務める慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任教授の岩本隆氏が「人的資本経営の国内外の動向」と題して、現状を整理した。
「金融庁による有価証券報告書におけるサステナビリティの法定開示について、『人材育成方針』と『社内環境整備方針』を開示できている会社は多い。一方で、インプット、アクティビティ、アウトプット、アウトカムの各段階において測定可能な指標と目標を設定し、進捗状況を開示することが求められていますが、まだ不十分な会社は少なくありません」
次に、サステナビリティ情報を開示するための国際的な基準を取りまとめるISSB(国際サステナビリティ基準審議会)における、人的資本開示基準研究プロジェクトのテーマ案には「ワーカーウェルビーイング」「ダイバーシティ、インクルージョン」「ワークフォース投資」「代替ワークフォース」「バリューチェーンにおける労働条件」の五つがあると説明。国際的にも重要なテーマだ。日本の開示に対する姿勢はどう変わってきているのだろうか。
「情報開示は上場企業等に対して義務化されましたが、任意で公開する企業も増えています。また、企業報告書は統合報告書、サステナビリティレポート、ヒューマンキャピタルレポートの三種類のうち、日本は統合報告書の開示が盛んで、2023年末で1000社以上が公表。企業において人的資本情報は『未来の財務情報』との認識が高まり、これまでの『非財務情報』という呼び方から『未財務情報』に変わってきています」
サステナビリティの文脈からも人的資本経営の重要性が高まっている。SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)では、社会的な持続性だけでなく、企業としても持続的な企業価値を創造することが求められているのだ。
「もうかり続ける力」示すのが人的資本の情報開示
続いて、パネリストの3者(日清食品ホールディングス、三井住友フィナンシャルグループ、経済産業省)がそれぞれ自社・自組織の取り組みを紹介した。
ISO30414認証を取得した日清食品ホールディングス株式会社CHROの正木 茂氏は、「財務情報は今の企業価値。もうかり続ける力を示すのが非財務情報」と説明。指標を数値化するためのデータが点在し収集から苦労したことや、集めたデータのうち自社にとって重要な情報は何であるかのコンセンサスづくりにも時間を要したことなどを共有した。一方、指標が多様なステークスホルダーとの対話をするためのツールとなり、投資家だけでなく、社員や採用候補者からも意見を聞くのに役立ったという。
株式会社三井住友フィナンシャルグループの執行役員かつ、ISO/TC260の国内審議委員を務める林 貴子氏は、2026年1月改定の予定で人事制度の抜本的な見直しに取り組んでいるとし、専門性評価の導入や勤務地選択、年代にかかわらず実力で処遇するといった構想を明かした。
経済産業省からは産業人材課長の今里和之氏が、デジタル化や脱炭素化等の社会変化に加え、「人材版伊藤レポート」を公表してから国内外で情報開示の機運が高まってきたと振り返った。人的資本経営実現には「実践」と「開示」の両輪が必要であり、それぞれ「伊藤レポート2.0」と「人的資本可視化指針」がその手段を示しているという。
先進企業が語る人的資本経営の実践 日本の良さを世界に広めるチャンス
その後、パネルディスカッションでこれからの人的資本経営について議論が交わされた。
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モデレーター
- 慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任教授 岩本 隆氏
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パネリスト
- 日清食品ホールディングス株式会社
執行役員 CHRO 正木 茂氏
人材開発部 次長 段村 典子氏 - 株式会社三井住友フィナンシャルグループ 執行役員グループCHRO補佐
三井住友カード株式会社 常務執行役員 林 貴子氏 - 経済産業省 経済産業政策局 産業人材課長 今里 和之氏
- 日清食品ホールディングス株式会社
岩本:大企業は人的資本経営や情報開示の重要性を理解していると思いますが、9000社の中堅企業はどうすべきか。経産省として今里さんはどうお考えですか。
今里:まさに今、経済産業省としても中堅企業を新しい政策のターゲットとして取り組んでいます。今までの施策は大企業と中小企業に主眼を置いていましたが、地域やグローバルでの活躍が期待される中堅企業は日本経済にとっても非常に重要なプレーヤーです。人的資本経営コンソーシアムについて申し上げると、これまでは主に東京に本社を有する大企業の方々にご参画いただいてきました。これからは、地域の中堅企業や中小企業にもリーチすべく、活動を広げていきたいですね。
岩本:確かに、広島県が全国で最も人的資本経営を進めていますから、経産省としても全国に行くのは良さそうですね。三井住友フィナンシャルグループの林さんはISO/TC260の国内審議委員としても貢献されていますが、ISO30414やISO30201の意義についてどうお考えですか。
林: 意義は三つあると考えています。多くの日本企業では従来同質性が高い組織の中で「あうんの呼吸」「暗黙知」と言われるようなエモーショナルな人事運営が基本でした。科学的、合理的な人材マネジメントは非常に不慣れなので、ISOのような基準を教科書とすることによって、日本企業が合理的・効率的な人材マネジメントを実践する、まさに人的資本経営そのものを促進できる点が一つ目です。
二つ目は、人材データ活用に慣れていない企業に、どういうデータをどう使っていくかを具体的に示すことで人材マネジメントの高度化が進むことです。バラバラのデータにどう串を通して、どんなリターンがあるのか、ストーリー性をもって説明できている企業は、今は少ないと思います。
三つ目ですが、人材マネジメントは欧米主体に進めてきたので欧米流です。日本の雇用法制や労働環境は国際的に見て特殊ですが、福利厚生や労務管理など優れているものはある。そういう良い点を反映した新しいグローバルスタンダードの整備という意義があります。
岩本:人的資本「経営」は人事のみで完結できる仕事ではありません。取締役会や経営会議で議論する必要がありますが、意外とCHRO(最高人事責任者)がおらず、経営会議で人材にまつわる議論をしていない企業もあります。日清食品ホールディングスや三井住友フィナンシャルグループはどのような体制で議論していますか。
正木:日清は既存事業の深耕と新規事業の探索といった両利きの経営を推進しています。創業家を含む経営陣が現在の経営・将来の種まき双方に深くコミットしていることが特徴です。その議論の中では、優秀な人材を既存事業か新規事業どちらに配置するかで意見が分かれる場面もありますが、非常に健全な議論ができていると感じています。
段村:CHROは週1回程度、CEOと議論しています。また月2回ある経営会議では組織・人材の議題でディスカッションすることが多いです。
岩本:先進的な企業は週1などの頻度でミーティングしている例もありますね。
林:CHRO報告会と年度末の経営会議、DE&I推進委員会という三つの場があり、社内外の取締役と議論します。活用しているのは人材ポートフォリオに関するデータ、従業員の成長とウェルビーイングに関するデータ、組織のパフォーマンスを最大化するためのデータの3種類でそれぞれに複数のKPIを設けています。人材データのダッシュボード化も進めており、将来的にそれぞれのキャリアやスキルを可視化して、従業員同士も見られるようにしたいと考えています。
今里:民間企業やコンソーシアムが行った調査によれば、データが把握できているのは5~6割で、タイムリーにデータを把握して経営陣に共有できているのは2割でした。経営に活用できているかが大きなポイントでしょう。
岩本:ぜひ、日本から世界に、日本モデルを発信できるように皆さんと頑張っていきたいと思います。
企業の人的資本経営を支える七色の「人本のくじゃく」
最後に日本生命 人的資本経営支援室 室長の森田 朋氏が、人的資本経営をサポートするサービス「人本のくじゃく」を紹介。人本のくじゃくは「企業保険・企業年金」という日本生命のメイン事業に「人事・労務関係」「情報開示」「企業保険付帯」「ヘルスケア」「DE&I」「従業員教育」の六つの分野のサービスを加えた包括的なパッケージだ。
「人事・労務」分野ではキャリア開発支援や人手不足・労働環境改善ソリューションを展開。具体的には、キャリア開発支援には中高年層を対象にキャリアプランやマネープランなどの学びを提供するeラーニング講座の「キャリア羅針盤」がある。「ヘルスケア」分野では、産業医の紹介や二次検診の費用保険、ストレスチェックのパッケージプランなど細やかなサービスが用意されている。今年3月には企業・団体向けのストレスチェック集団分析において、新たなアルゴリズムを活用したサービス「SAAGAS(サーガス)」の案内を開始した。当サービスでは、ストレスチェックデータを最大限活用し、企業・団体等の職場環境における実態把握から、課題の特定、施策の提示、評価・振り返りに至るまで幅広く支援し、勤労者のメンタルヘルスの改善・向上に役立てることが可能だ。
「DE&I」分野では、出会い・結婚、妊娠・出産、産後・育児、更年期といったライフイベントとキャリア形成の両立を支援する目的で、妊産婦向け医療保険「ママとこどもの1000daysほけん」や企業主導型保育所マッチングサービス「子育てみらいコンシェルジュ」等で構成される「ライフイベント・キャリア両立支援パッケージ」を提供している。こちらは8月に、JR東日本が運営するキャリア形成支援サービス「PeerCross(ピアクロス)」を追加し、ラインナップを更に充実させた。
そのほか、ISO30414の準備度を簡易的にチェックできるツールや、健康経営優良法人の認定に向けたアドバイスサービス、エンゲージメント調査ツールなど幅広く対応。さまざまな課題にワンストップで対応できるようになっている。
人的資本の情報開示義務化から約1年半。日本企業の人的資本経営”実践”に向けて、七色の「人本のくじゃく」を使って、日本生命がどのように支援の輪を拡げていくのか、その取組みには今後も目が離せない。
創業135年、従業員約7万人を抱え、全国展開で生命保険サービスやそれに付随するサービスを扱う相互会社です。
これまで当社では、法人のお客様の課題解決に向けて、団体保険・団体年金の分野において商品・サービスのご提供を行ってまいりました。
昨年の有価証券報告書での人的資本開示の義務化を受け、当社は、人的資本経営を目指す顧客企業を支援する為、福利厚生、ダイバーシティ、健康・安全、エンゲージメントなど人的資本経営に必要な要素を支援する商品サービスを体系化し、顧客企業のニーズに沿って提供してまいります。
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