30代前半で経営のバトンを託されて取り組んだ“原点回帰”
人事や金融の経験を生かし、業界最高水準のピュアサーチを提供するTESCOを経営
東京エグゼクティブ・サーチ株式会社 代表取締役社長
福留拓人さん
1975年創業の東京エグゼクティブ・サーチ株式会社(略称:TESCO)は、日本の人材紹介ビジネスの草分けといえる老舗企業です。その得意分野は、社長・役員クラスに代表されるビジネスのプロフェッショナル、あるいは国内に数十人しか存在しないような特殊技能者など、マーケット・バリューの高いハイエンド人材。豊富な実績に加えて、最高水準の人材探索力でも知られています。そんな同社を2012年より率いるのが福留拓人さん。1979年生まれで、社長就任時にはまだ32歳でした。人材ビジネスに本格的に取り組んでからわずか3年で老舗企業の経営を任されるまでのキャリア、リーマン・ショック後の不振から立ち直るために取り組んだ改革、さらには人材を通して見た日本企業の人事・組織の課題、人材業界の将来ビジョンなど、幅広いテーマで語っていただきました。
- 福留 拓人さん
- 東京エグゼクティブ・サーチ株式会社 代表取締役社長
ふくどめ・たくと/東京エグゼクティブ・サーチ参画以前は米系コンサルティングファームにて米国・欧州進出企業のための進出支援プロジェクトに従事。日本へ帰国後はオリックス株式会社に勤務した後、教育系企業のCHO(最高人事責任者)を歴任。顧問企業での常駐型人事コンサルティング・プロジェクトにも従事。経営会議への定例出席、HR観点からの戦略的助言や経営レベルからの採用・教育・制度設計のコンサルティングもサーチと付随して手がける。2014年10月より現職。社団法人 日本人材紹介事業協会 常任委員。その他、顧問企業、取材・番組出演・講演・寄稿など多数。
投資銀行で直観した「人材の重要性」
高校卒業後、米国の大学に進まれましたが、海外にご興味があったのでしょうか。
私の父は自動車メーカーのホンダに勤めていたビジネスマンでした。役員として海外工場の立ち上げなどに関わっていたこともあります。そんな父の姿を見ているうちに、自分も海外でビジネスを学んでみたいと思うようになったのがきっかけですね。もうひとつつけ加えると、アメリカの大学の男声合唱サークルで歌を続けたかったこともあります(笑)。私は中学生時代から声楽を学んでいて、高校のときに親元を離れて日本有数の男声合唱団で有名な学校に進んでいました。ビジネスを学びながら音楽に本格的に取り組めるのも、米国留学の魅力でした。
大学で専攻したのは経営学です。在学中、ルームメイトだったギリシャ人の留学生がベンチャー企業を立ち上げるときに、手伝ったこともあります。実際にやってみると、0から1を生み出す起業には、ものすごい発想力とバイタリティーが必要だとわかりました。むしろ自分の適性ややりたいことは、すでにあるものを客観的に分析して発展させたり再生したりする仕事ではないか、という気づきもありましたね。
卒業後は現地のコンサルティングファームで、約7ヵ月のインターンシップを経験しました。ただ、当時は9.11の同時多発テロ直後。アメリカで就業ビザを取得するのは厳しい状況だったので、同時に日本での就職活動も進めていました。
帰国後は、どのようにキャリアをスタートされたのでしょうか。
2004年に、新卒としてオリックスに入社しました。その頃の日本ではIT企業の劇場型買収などが相次いで、投資銀行という存在が広く注目されるようになっていました。投資銀行というと「ハゲタカ」といわれるような、短期投資で利ザヤを狙う外資系企業のイメージが強いかもしれません。しかし、オリックスは自己資金を投資して長期的なパートナーシップを築いていくという経営方針。そういう企業風土にひかれたことと、ここなら将来経営全般に関わるために不可欠な最先端の金融の知識が学べるだろうと考え、最初のキャリアとしてオリックスを選びました。
配属されたのは、投資銀行部門の中にあった航空機や船舶のリースを管轄する部署です。50~70人ぐらいの少数精鋭のチームで、職種は主に営業。後に国際企画などにも携わりました。投資銀行部門なので、周囲はファイナンスに強い人たちばかり。当然、頭脳明晰で優秀です。最初は無我夢中で取り組んでいましたが、入社して1年くらい経つと、「彼らと同じフィールドで戦っていくのは大変なことだな」と感じるようになりました。
なんとか自分の強みを作れないものか。そう考えたとき、経営には「人」というファクターがあることに気づきました。ファイナンスのスキームをどう作るかも重要ですが、投資した企業がうまくいくかどうかは結局、選定して送り込んだ経営者次第ではないかと考えたのです。実際、投資実績などを調べてもそうでした。ファイナンスとHRは密接に結びついていておもしろいし、金融の面でかなわない先輩たちにも、HRを勉強することで対抗できるようになるのではないかと思いました。そこで、入社1年半後くらいにはCHOの社外の勉強会に入るなど、オフの時間を使って人事の勉強をするようになったのです。
そこで人事や人材ビジネスとの接点が生まれたわけですね。実際にHR分野の仕事にシフトされたのは、どのような経緯だったのですか。
オリックスが投資したあるベンチャー企業が人事責任者(CHO)を探していることを知り、思い切って手をあげて出向させてもらう機会を得ました。ベンチャーに興味があったというよりも、従業員60人ほどの企業なら、大手のローテーションで10年かかるような人事全般の経験が一気にできるのではないかと考えたからです。経営者も人事領域を重視してくれる人だったので、そのまま転籍。約3年間、人事責任者を務めました。
人事の実務ははじめてでしたが、採用は最初からかなりうまくいきました。営業の延長のような感覚で取り組めたからでしょう。一方、教育・評価・労務などは専門的な知識、スキルが不可欠です。そういう分野では、専門性の高い人材の抜てきや育成が重要であることを学びました。また、CHOというポジションを通して、部門のトップには人間的な教育や倫理観などが強く求められることも感じました。人事が職権を乱用すると人をひどく傷つけることもありますし、会社全体を迷走させることにもつながりかねません。マネジャーの配置などに関しては、今でも意識しています。
TESCO入社1年目に役員、3年目で社長に就任
現職につながる貴社(TESCO)との出合いはどのようなものだったのですか。
CHO時代に幹部募集などでヘッドハンティング会社を利用したのが、この業界との最初の接点でした。一通り人事を経験して次のキャリアを考えていた時期でもあり、コンサルタントの人たちの動きを見て非常におもしろそうな仕事だなと感じました。裁量労働の比率が高くて自由に働けそうだし、外資系であれば成果に応じたインセンティブも大きい。私自身、採用実務は得意領域として自負がありましたので、そこにフォーカスすれば、より高成績をあげられるのではないかと思いました。また、人材業界には投資銀行の経験がある人はそう多くないはずなので、そこもアドバンテージになると考えました。
特に興味を持ったのが「エグゼクティブ・サーチ」といわれる分野。経営者などトップ人材と対峙する仕事なので、コンサルタントはかなりの社会経験を積んだ人が多く、人間的な魅力がずば抜けていました。そこでいろいろなサーチ会社と接触した中の一社がTESCOだったわけです。
有力な外資系企業も多い業界で転職の決め手になったのは何だったのでしょうか。
創業者の江島優会長(当時)との出会いですね。初対面のとき、喜寿に近い年齢だったと思いますが、その人間的な大きさに感銘を受けました。しかも、30分ほど話しただけで、いきなり「君に社長になってほしい」と言われたのです。そのときは本気かどうかわかりませんでしたが、リップサービスで誰にでもそういうことを言う人ではないことはわかりました。そのため、余計にインパクトがありました。
もちろん、入社を決めた理由はそれだけではありません。外資系よりも日本企業の風土のほうが自分には合っているように思えたこともあります。また、当時はリーマン・ショック直後で、人材業界全体が急速に冷え込んでいました。立て直すにはかなりの変革が必要でしたが、その担い手として、当時まだ20代だった私に期待してくれているのなら、これはチャンスだと思いました。私は大企業で激しい社内競争を勝ち抜くより、難しい局面にある会社に入って立て直したほうがリターンは大きくなると考えるタイプなんです。これはやるしかない、そう思って入社を決めました。
入社されたのが2009年。実際に仕事をはじめてみていかがでしたか。
当時、TESCOの従業員の平均年齢は高く、私のすぐ上の先輩がいきなり51歳。リーマン・ショックの影響で業績も下降していて、閉そく感のある重苦しい雰囲気が漂っていました。ポジションはコンサルタントの中でもいちばん下のジュニアでしたが、まず若い自分がやるべきなのは数字をつくること、売上を伸ばすことだと考えました。自分が頑張らないと会社が倒れるという感覚は、大企業では決して味わえません。小さな会社でしたが、その屋台骨を支えることの重責を感じていました。
心がけたのは「人がやりたがらないことをやる」ということ。難航している案件、先輩で手をあげる人がいない案件を、率先して引き受けていきました。また、開拓した顧客は囲い込みたくなるのがこの業界ですが、わざとらしくないように先輩に回す、といったことも行いました。とにかく最初は、そういうことをコツコツやりながら数字をつくっていきました。その結果、2年目には社内トップの業績をあげることができるようになりました。最初は若僧扱いしてくる先輩もいましたが、この頃になると徐々に認めてもらえるようになりました。
会社の経営に関わるようになったのは、いつごろからですか。
入社9ヵ月後に役員に昇格。コンサルタントと並行して経営企画や管理業務などをこなしながら、TESCOを変革していく陣頭指揮を任されました。その意味では会長はまったくブレませんでしたね。そういったプロセスを経て、入社3年目の2012年に社長に就任しました。普通に考えるときわめて早い抜てきですが、入社当時から「次期社長候補」という根まわしがある程度されていたので、社内で意外に思われるということはなかったはずです。
トップに立ってまず掲げたのは「原点回帰」です。TESCOは伝統的にエグゼクティブ・サーチを手がけてきたわけですが、リーマン・ショック後の不況の影響で、そのノウハウを失いそうになっていました。不況になると、企業は採用コストを削減します。当然、着手金などが必要なエグゼクティブ・サーチは敬遠されます。そのため、TESCOも一般の人材紹介会社と同じやり方をするようになり、結果的に特色のない人材サービスを提供するようになっていました。しかし、少人数で資本も潤沢でないTESCOが、大手の人材紹介会社と張り合っても勝てる見込みはありません。生き残るには、エグゼクティブ・サーチという「本来の強み」をもっと磨くしかない。それを鮮明にすることが最初の仕事でした。
「人がやりたがらない仕事」が付加価値を生む
現在の貴社のサービスについてお教えください。
まずメインとなるのが「ピュアサーチ」です。いわゆるエグゼクティブ・サーチですが、この分野での人材の探索能力は、国内では最高水準だと自負しています。ただし、負荷がかかるため、多くの人数へのアプローチは難しいデメリットもあります。現代はさまざまなメディア、ネットサービスなどの発展によって、かつては人材紹介会社に頼らなければ出会えなかった人材にも、容易に企業自身でコンタクトできます。そういう時代に当社のようなピュアサーチの会社に求められるのは、さらに一層深いところにいる人材を探し出す能力です。転職をまったく考えていなくて、SNSに個人情報を一切出していない人。完全に水面下に隠れて出てこない、でも非常に優秀な人材。そこにアプローチできるノウハウを、当社は創業以来45年以上にわたって磨き続けてきました。これがTESCOのコアバリューです。
もうひとつは「コンサルティング」。これも、人材業界ではきわめて高いレベルにあると自負しています。たとえばマーケットサーベイ。こういう人材を探したいという依頼を受けたときに、顧客も把握していないような競合他社との力関係や人材マーケットの状況などから、その実現可能性や要する期間などを的確にレポーティングすることができます。また、世の中の企業がどのような処遇や評価を行っているのかという独自データベースの情報をもとに、どういう人材を採用すべきか、どのような人事戦略をとるべきか、といった分析・提案も行います。これもサーチのみにとどまらない、当社の大きな強みといえます。
福留社長の就任以降、原点回帰でピュアサーチをより強化されたとのことですが、コンサルティングはいつごろから取り組まれたサービスなのでしょうか。
サービスメニューとしてはありましたが、本格的に取り組んだのは2010年代からです。まだ駆け出しのサービスで一部ですが、サーチとは関係なく、顧客の次期CEOの人物像の明確化、社内候補者のエグゼクティブコーチング、指名委員会に対するアドバイスなどは、実際にコンサルティングフィーをいただいて行っています。近年、先進的な大企業はこういうところにもしっかり投資するようになってきていると感じます。
貴社では「私たちは常に社会に貢献する人材サーチの真のプロフェッショナルを目指します」という経営理念を掲げていますね。
私は「人がやりたがらないことをやろう」と意識して仕事に取り組んできましたが、当社のピュアサーチはまさにそういう仕事です。たとえば、SNSに自分の情報を出している人は、根底にキャリアアップ志向や承認欲求がありますから、すぐに転職しないかもしれませんが、コンタクトするのはそう難しくありません。しかし、私たちが対象とする人材は、そもそもどこにいるのかわからないし、探し出したとしてもまず会ってくれません。それでもあきらめずに電話をしたり手紙を書いたりして、最終的に企業に引きあわせるところまで持っていくのは大変な工程です。
日本に数十人しかいないような特殊技術者を探す場合は、まずその基礎技術に実績のある大学の研究室から当たることもあります。教授にコンタクトするわけですが、手ぶらでは会ってもらえません。その教授の恩師や先輩に事情を話して紹介状を書いてもらうこともあれば、研究費の助成をしてくれそうな企業の経営者を探して、それを手土産に会うこともあります。当社の過去45年のデータベースの中から、何か接点はないかと探していくわけです。そういったプロセスを経ても、求める技術者の情報が手に入るか入らないかという状況。うまく情報を入手できたとしても、そこからまた会ってもらうための地道な作業がはじまります。
ピュアサーチには、フットワークの良さや人間関係をつくる高いコミュニケーションスキルが欠かせません。またそれ以上に、地道で確率の低い作業をこつこつとやる努力が必要です。「人材サーチの真のプロフェッショナル」とは、そういうことができる人だと思います。
ピュアサーチという仕事自体が相当に独自色の強いものだということですね。
ここまでできる会社が他にないからこそ、TESCOの存在意義があると考えています。また、手がける会社が少ないという意味では、「経営の再生・継承」に関する相談や依頼に積極的に取り組んでいるのも当社の大きな特色です。現在、日本の中堅・中小企業の68%で、後継者がいないことが大きな問題になっています。当社はいきなり「後継者探し」をするのではなく、それ以前の「人材を迎えて事業を継続するか、それとも今のうちに整理するか」という段階からコンサルティングしていきます。売却などの選択肢も含め、企業の将来について経営陣と一緒になって絵を描いていくわけです。ごく初期から関わりますので、かなり長いスパンで顧客と伴走していくサービスです。
日本の人事は欧米企業から真剣に学ぶべき
現在の日本企業の「人・組織」「人事」「人材採用」などに関してどのような課題があるとお考えでしょうか。
日本の人事に硬直化した部分があるのは間違いないと思います。雇用流動性は低く、古い法令で縛られていることも多い。コロナ禍のような事態に際して、必要な動きが十分にできているとは思えません。本来、人事はもっと柔軟であるべきです。そのためには一度、本気で欧米企業を見習ってみることも必要ではないでしょうか。
そのときに大切なのは「いいとこ取り」で学ぶ姿勢です。日本人は変化を極端に拒むかと思えば、変えるとなったら一気に180度ひっくり返そうとしがち。実は、最近のアメリカの研究では「日本企業のマイルドさを学ぶべきだ」という論調も出はじめています。行き過ぎたグローバル化で殺伐としてしまった反省から、もう少しウェットな部分があったほうが人はうまく回るのではないかという考え方です。海外でもそういう見方があるわけですから、日本企業の良いところは残しながら、足りないところを学んで補うというバランスが大事だと思います。
日本の人事を柔軟にするために、変えた方がいいこととは何でしょうか。
誤解を恐れずにいえば、まず「新卒一括採用」を廃止することでしょう。アメリカでは大学卒業後、インターンシップでいろいろな業界、職種を経験します。1社につき大体3ヵ月で、全部で10社くらい。その約3年間は職歴とはみなされず、キャリアにも傷がつきません。そうして25~26歳くらいまでに、自分に適性や志向性を感じ取れる職種や業界を絞り込んでいきます。ハイキャリアを志向される方は大学院へ進学し、自身の方向性に沿った本格的な学びを求める方も少なくありません。
しかし、日本でこれをやると経歴に傷がついて後々まで影響が出てくることが皆無ではありません。新卒で入社した人の3割が3年以内に辞めるというデータもあり、制度が時代とあわなくなってきているのに、それを改善しようとする柔軟性が社会にないのは、今後一層加速する少子高齢問題から捉えても大きな問題です。新卒採用を全廃しないまでも、一部、欧米の先進性を見習って、若いうちにさまざまなジョブなどを実務的に知り得る仕組みがあってほしいと思います。
同時に経営者も、もっと柔軟性を磨いていくべき時代なのかもしれません。日本は島国であるため、どうしても伝統的に経営者が多様性のある人たちをマネージするのが苦手で、面倒だと思っている部分もあります。そのため、柔軟な若者を一括採用して自分たちで教育して社風やカルチャーへのマッチを試みる傾向があります。それ自体は一つの手法ですが、グローバル化やデジタル化が否応なしに急速に進んでいる現代ではやはり多様性と柔軟性に欠けている印象が拭えません。海外では本当のリーダーシップ、つまり組織が進むべき方向性にリーダーがメッセージを発し、指導・誘導していく。そのリーダーシップのプロセスの途上においては言語、民族・宗教・価値観の違いなどは問題にならない、という考え方が至極当たり前になっていきていると感じます。
人材業界は、今後どのように変化していくとお考えですか。
人材紹介業に関していえば二極化すると思っています。ひとつの方向は、AIなどを使って自動的にマッチングしていく動きです。顧客に負担をかけずに機械的に運用されるサービスなので、雇用流動性が今後も高まれば、フィー(紹介料)の相場は現在の3分の1くらいまで低下していっても決しておかしくはないと思います。
もうひとつは、当社のように人材発掘や調査に膨大な時間と手間をかけるハイエンドなサービスです。優秀な人材に転職に踏み切る動機づけや説得までを行うには高度な人間力が必要であり、それが付加価値となります。こちらは高額なフィーが発生しますが、それにふさわしい高度な人材を求める企業の市場は、採用手法の多様化に伴いそのパイ自体は減少していくと思われますが、一定数ニッチなニーズとして残り続けるものと思われます。
人材ビジネスの提案にも経営の知識は不可欠
貴社の今後の展望をお聞かせください。
2020年はコロナ禍で大変な状況になりましたが、2012年の社長就任以降、基本的にリーマン・ショック後の不振を脱して、ここまでおかげ様でなんとかで黒字経営を続けてくることができました。「原点回帰」を掲げ、ピュアサーチという本来の強みに磨きをかけてきたことが、顧客からの信頼につながったと思っています。当社が扱うハイエンドな人材のオーダーは、多発するものではなく平均的に1社当たり大手企業でも数年に一度の頻度です。それに確実に応えていくには、常にコンサルタントの能力を維持し、ノウハウを継承していくことが欠かせません。今後も中長期的な視点で取り組んでいきます。
この1年では、コンサルタントとして東証一部上場企業の社長経験者2名、役員経験者1名に加わってもらいました。定年制も廃止して、シニアにも存分に活躍してもらえる体制を整えています。同時に若手の育成も進めています。60代の人と20代の人が机を並べてまったくフラットに上下関係なく同じ仕事をしているのは、当社の特色かもしれません。
さらに今後は、コアなサーチと事業承継などのコンサルティングをハイブリッドさせることで、より大きなバリューを生み出す方向も強化していきたいと考えています。私個人としては、サーチの現場を任せられる責任者を育てて、金融の経験も生かせるコンサルティング事業の強化により軸足を移していければと考えています。
最後に人材業界で働く若い読者の皆さんに、成功に向けてのアドバイスをいただけますでしょうか。
若いときから人材業界だけで仕事をしていると、自分がどのレベルにあるのかが意外とわからないものです。規制緩和で多くの企業が人材サービスに参入した結果、社数は増えましたが、正直あまりサービスの品質が高いとは思えない会社もあります。しかし、HR領域に関わる以上、さまざまなケースを知って、自分から勉強し、より高いレベルをめざしていくことは不可欠です。そのためにも高い視点、広い視野を持ってほしいですね。
特に人事は経営との関係が深く、その知識を持つことはとても重要です。経営者への提案も「HRは大事だから投資しましょう」では説得力がありません。原則だけなら、経営者はみんなわかっています。具体的に経営に関する問題点をあげて、「この問題を解決するには、HRへの投資が有効です」などと言えてはじめて、心に刺さるのではないでしょうか。経営者はさまざまな要素を総合的に考えて、数字で物事を判断します。経営の知識の一つとして、最低でも簿記2級ぐらいは取ってほしい。
さらにいえば、日本の人材業界はアメリカから10年から20年程度遅れているといわれます。エグゼクティブサーチの国際団体の会議などに出席して意見交換などをすると、よりその差を痛感することもあります。欧米のトップファームには、もっとハイレベルな会社がたくさん存在します。若い人にはぜひ、視野を広げ海外からも学び、その上で日本の良さも見つけ出し、ハイブリッドに良いサービスをどんどん生み出していってほしいと思います。人材コンサルティングにかかわる仕事する人は、一生、努力と研さんの毎日が続きます。苦労も多いと思いますが、やりがいも一生続けられる尊厳もあるビジネスだと思いますよ。
社名 | 東京エグゼクティブ・サーチ株式会社 |
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本社所在地 | 東京都千代田区飯田橋2-1-5 S-Glanz KUDAN BLD. 5階 |
事業内容 | 人材サーチ/顧問サービス/後継者紹介サービス/リファレンス |
設立 | 1975年 |
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。