アゲンストの風はイノベーションの予兆――
国内シェアNo.1の「奉行シリーズ」はなぜ生まれたのか
株式会社オービックビジネスコンサルタント代表取締役社長
和田成史さん
歌舞伎役者が奉行に扮して出演する、オービックビジネスコンサルタント(OBC)のテレビCMを、誰もが一度は見たことがあるのではないでしょうか。知名度抜群の会計ソフト「勘定奉行」をはじめとする、OBCの基幹業務パッケージソフト「奉行」シリーズは、現在までに累計55万社以上の企業に提供。中堅中小企業向けERP製品のシェアトップを誇ります。その成功への軌跡は、創業者の和田成史社長が従来のシステムの常識を疑い、覆そうと志したところから始まりました。公認会計士の資格を持ち、コンサルティングの実務経験もある異色のイノベーターは、なぜソフト開発の道を選んだのか。創業の経緯や成長戦略、事業に賭ける思いなど、経営思想の根幹に触れるところまでじっくりとうかがいました。
- 和田成史さん
- 株式会社オービックビジネスコンサルタント代表取締役社長
わだ・しげふみ/1952年東京生まれ。立教大学経済学部を卒業後、大原簿記学校勤務。1980年、公認会計士、税理士登録。同年、株式会社オービックビジネスコンサルタント(OBC)を設立し、現在に至る。一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)会長、経済産業省産業構造審議会ソフトウェア小委員会委員等も務める。
会計からITへ、原点は無から有を生むものづくり精神
OBCといえば「勘定奉行」。「ああ、あの歌舞伎の…」と思い出す読者も多いでしょう。ネーミングといい、CMといい、インパクト絶大で一度見たら忘れられません。
ありがとうございます。「勘定奉行」という製品名は社内公募で決めたのですが、単に親しみやすいとか人目を引くだけでなく、重視したのは漢字3、4文字ぐらいで「日本らしさ」や「日本の伝統」を簡潔に表現しているかどうか。ネーミングを始め、ブランディングはそこにこだわりました。なぜなら、日本のものづくりに対する私自身の思いを込めたかったからです。
その思いとはどのようなものなのでしょうか?
戦後、日本のものづくりは、自動車産業や電機産業を筆頭に飛躍的な発展を遂げ、世界市場を席巻するまでになりました。それは、ものづくりに不可欠な基礎技術の成熟に加え、顧客が求めるものをいかに効率的につくって安く売るか――トヨタ生産方式に代表される生産管理や品質管理、あるいはマーケティングや販売といった応用技術による勝利だと言っていいでしょう。そしてその優れた応用技術の根幹には、日本人らしい勤勉さや細やかな感性、顧客志向に通じるおもてなしの心が息づいている。もっと言えば、日本の伝統文化が息づいている。私はそう考えているのです。
だから、ソフトウェア業界はまだ欧米企業に押されているのが現状ですが、努力を重ねれば、いずれは自動車と同じように世界をリードできるに違いない。それだけの日本人らしい応用技術を我々も持っているはずだというプライドを込めて、日本文化の素晴らしさを象徴する和のブランドイメージを打ち出したのです。「勘定奉行」というネーミングを採用したのも、宣伝に本物の歌舞伎役者を起用したのも、それが一番の理由でした。
ユニークな製品名に、そこまでの深い思いが託されていたとは意外でした。ユニークといえば、和田社長のご経歴もそうですね。ソフトウェア開発で起業されるまでは、公認会計士として活動していらっしゃいました。
大学在学中に公認会計士の資格取得を目指し、卒業後1年で二次試験に合格しました。二次試験に合格すると、ほとんどの人が監査法人に勤めて会計士登録に必要な実務経験を積むのですが、中には昔からよく存じ上げているマイツグループの池田博義代表(前々回のインタビューに登場)のように、あえて別の道を行く人がごく少数ながらいます。私もそうでした。いろいろなことに挑戦したくて、いきなり“三足のわらじ”をはいたのですから。自分が通った簿記・会計の専門学校で受験指導をしながら、監査法人でのアルバイトをこなし、さらにもう一つ、頼まれて経営コンサルタントの仕事も引き受けていました。顧客は父の知人に紹介された自動車部品メーカー。当時は第一次オイルショックの直後で、製造業はどこも大変な逆風にさらされていた時代です。この頃、トヨタのカンバン方式に一躍注目が集まったのも、各企業がそれだけ厳しい経営効率化を迫られていたからです。どうやって在庫を圧縮し、コスト削減を進めるか。不況を機に、体質強化を支援するコンサルタントへの関心、ニーズも高まっていました。
とはいえ、コンサルタントは監査と違い、経営全般を見なければなりません。まして当時の和田社長は会計士試験に合格されたばかり。さすがに荷が重そうですが。
確かに私はまだ20代前半でしたが、訪問企業は500人規模の中堅メーカーで、会議に出てくる幹部はみんな50~60代。そんなベテランに何の経験もない若造が経営指導しようというのですから、プレッシャーがないわけがありません。ただ、口で言うだけではなくて、それまでに学んだ専門知識をフル活用しながら、自分も現場に入って一緒に経営改革に取り組んだのが功を奏したのかもしれません。コンピュータの導入やシステムの開発・設計も、ほとんど自分でやりました。たとえば在庫の圧縮には、コンピュータでストックとフローを常にチェックする、生産管理システムの構築が欠かせません。設計の根幹となるコンセプトを自分で考え、それを技術者に具体化してもらい、実際のシステムに落とし込む――今でいうITコーディネーターのような業務も、コンサルの一環として請け負っていたわけです。
その仕事を通じて出会ったのがシステムインテグレーターのオービック(OBCはオービックの関連会社)。先述の自動車部品メーカーにシステムを導入するとき、三菱電機を介してオービックのSEと組んだのが縁で、OBCを立ち上げることになったのです。もっとも、当初はソフト開発ではなく、ITコーディネートに特化したコンサルティングビジネスを想定していたのですが。1980年12月のことでした。
コンピュータに関する知識や技術は独力で身につけられたのですか。
はい。やる気さえあれば、何とかなるものです。コンサルとして顧客のニーズに応えるにはコンピュータのスキルがどうしても必要だったし、興味も強かったので、スムーズに入っていけました。大学では経済学部に進みましたが、もともと私は理系の人間。公認会計士の資格を目指したのも、数字に強かったからなのです。何よりも“無から有を生み出す”ものづくりの精神が、昔から旺盛でした。ものづくりには常に新しい発想があるし、誰もまだやっていないこと、やろうとしないことに挑戦するのが好きなのです。だから今でも、会社で特許に係わる案件は自分で率先してやるようにしています。
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