コロナ禍を契機に、多くの企業が経営戦略や組織運営を変化させています。人事には、コロナ禍を乗り越えるための支援はもちろん、さらに先を見据えた人材育成や組織づくり、新しい働き方のモデルづくりが求められているといえるでしょう。そこでカギを握るのが「戦略人事」の視点です。法政大学大学院 政策創造研究科 教授の石山恒貴さんに、企業における戦略人事のあり方や、これからの時代の人事の役割についてうかがいました。
- 石山 恒貴さん
- 法政大学大学院 政策創造研究科 教授
いしやま・のぶたか/一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了、博士(政策学)。一橋大学卒業後、NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。越境的学習、キャリア形成、人的資源管理等が研究領域。日本労務学会副会長、人材育成学会常任理事、人事実践科学会議共同代表、NPO法人二枚目の名刺共同研究パートナー、フリーランス協会アドバイザリーボード。著書に、『日本企業のタレントマネジメント』(2020年、中央経済社)、『地域とゆるくつながろう』(編著、2019年、静岡新聞社)などがある。
人事に必要な「戦略人事」と「サステナブル人事」の視点
コロナ禍のように“先が見えない”時代において、企業経営をサポートする人事部門には、どのような働きが求められるのでしょうか。
コロナ禍という未曾有の事態においては、まず、変化についていけずに不安になっている社員の心の負担を軽減していくことが必要です。同時に、コロナ禍をきっかけに生まれた新しいワークスタイルやコミュニケーション施策を生かし、さらに進化させていく“変革リーダー”としての役割も求められるでしょう。
振り返ると、コロナ禍と前後するタイミングで、社会は大きな転換期を迎えました。2021年のダボス会議(年次総会自体はコロナ禍で中止)のテーマは「グレート・リセット」。短期的に株主の利益を上げることを目指した時代から、資本主義そのものの捉え方を変えた、社員や地域社会といった多様なステークホルダーの利益や幸せを追求する時代に変わりつつあります。日本でも、大手企業のトップが「社員の幸福」を語り始めたことは象徴的な出来事でした。企業が、社員を含めた周囲の幸せを追求し、ひいては社会をより良くしていく存在へと変わりつつある。この世界的な社会変化を、どう自社で実現していくのかは、人事にとって重要な課題です。
働き手の価値観も変わり、経営側の理論だけを重視した人事は通用しなくなっています。働き手と向き合う際に、人事はどのようなことを心に留めておくべきでしょうか。
学術的には近年、「戦略人事」に加えて「サステナブル人事」が大事だといわれています。また、サステナブル人事では「People(人)」「Planet(地球)」「Profit(利益)」という、三つの“P”が重要だとされています。ここでの利益とは、長期的に企業が発展していくための持続可能な利益を指します。
働く人の幸せや健康、熱意を高めていくことが人事の役割だとすれば、「戦略人事」と「サステナブル人事」の両方を実現することが重要です。経営の視点に立って、会社の意義や向かうべき先を社員に伝えるべきときもあれば、社員に寄り添い、現場の痛みや苦しみを経営者に進言しなければならないときもあるでしょう。「戦略人事」と「サステナブル人事」を二項対立的に捉えるのではなく、経営側と社員側の間に立って、この二つを両立させていくのがプロフェッショナルな人事です。
そのために必要なのが「社員との対話」です。とくに、事業部門と密接に関わり、人事施策を実行するHRBP(HRビジネスパートナー)には、社員と向き合い、対話をし、現場の実態をつかんでいることが求められます。人事は日々のタスクに追われて忙しくしていますから、社員とじっくり対話する時間を、案外取れていません。まずは社員と対話する時間を確保することが大切です。
戦略人事を推進する人事部門を増やすには
『日本の人事部 人事白書2021』の調査によると、人事の6割以上が「戦略人事として機能していない」と感じています。どうすれば、このような状況を脱却できるのでしょうか。
人事部門が戦略人事として機能できていない大きな要因として、経営陣が人事に対して「経営戦略に資する仕事を最優先でやってほしい」と心から思っていない、ということが挙げられるでしょう。同時に、人事側もまた「戦略人事の仕事が経営の最優先事項」だと捉えていないのが現実だと思います。
このような状況を脱却できた例には、大手企業の経営幹部が欧米の現地法人に出向した際に、戦略立案や推進を優先する人事を見て意識を変えた、というケースがあります。戦略人事を重視するCHROの入社をきっかけに、経営陣の意識が変化することもあります。
あるいは、人事が好業績を出す人の特性や能力を徹底的に分析し、それを採用や営業現場に生かしたら業績がグンと伸びた、という現場発のケースもあります。「人事には、こんな価値発揮ができるんだ」と周囲が驚いて、戦略人事を重視するようになる。まさに「鶏が先か、卵が先か」の話で、トップが変わるか、現場の実践から変えていくかのどちらかでしょう。
戦略人事の動き方はできているが経営への寄与をデータで実証できていない、という企業もあるのでしょうか。
まさにそれが、人的資本の開示という問題です。競争優位や持続的価値を決めているのは、人的資本のような「無形(intangible)」な資産なのではないかという考えが世界的に出てきました。人事には、人的資本や自分たちの成果を言語化し、説明する役割も求められています。
会社と個人の関係性が変わる時代における人事の醍醐味
人事領域において「ウェルビーイング」や「社員の自律的なキャリア形成」に注目が集まっていますが、どのようにご覧になっていますか。
幸せな人がいきいき働いている会社と、不幸せな社員だらけの会社があったら、どちらの生産性や利益が高いか、結果は明白ですよね。先ほどお話したサステナブル人事の観点からも、ウェルビーイング経営や健康経営が、現代の企業経営に欠かせないものであることは間違いありません。
また近年、キャリア自律という言葉をよく耳にするようになりました。「じりつ」には「自立」と「自律」がありますが、私は、自分を律すると書く「自律」を重視しています。自律とは“自身の価値観や興味・関心”を大切にする考え方だからです。
キャリア自律とは、自分の価値観や興味・関心をしっかりと理解しながら、それに沿って主体的にキャリアを築いていくこと。会社と個人の価値観を100%合わせるのではなく、両者が重なっている部分を自身で見つけられる人が、自律型人材だといえます。
しかし、長年同じ組織に属していると、自分の価値観を捉えることが難しくなります。「会社の考え=個人の考え」だと錯覚してしまう人も多いようです。私が「越境学習」を勧めているのは、アウェーの環境に身を置いて初めて、自分の価値観に気づくことができるからです。会社や組織の価値観を引きはがして、自分自身の価値観を見つめたうえで、あらためて会社を見ることが必要です。
最後に人事の方へのメッセージをお願いします。
人事の仕事は、ときに経営と社員の板挟みになることもある、難易度の高い仕事です。なかなか報われない大変さはありますが、その分、とてもやりがいのある仕事といえるでしょう。戦略人事として会社の業績や経営に貢献することができれば、サステナブル人事として社員の幸福を増やすこともできます。会社と個人の関係性が変わっていく時代において、組織を新しい方向に変革していく醍醐味もあります。これまでになく“創造性”が増しているのが人事の領域です。ぜひ、変革や創造を楽しみながら取り組んでほしいですね。