近年は「健康経営」に取り組む企業が増えているが、いざアクションを起こしてみたものの、定着に課題を感じている企業も多いのではないだろうか。「企業の業績に即座に結び付きにくい」「従業員が自分ごととして捉えておらず、重要性が理解されづらい」といったことが、その要因として挙げられる。日常的に従業員の健康意識を高め、継続、定着させるためにはどのような取り組みが有効なのであろうか。健康経営の第一人者である健康経営研究会 理事長の岡田邦夫氏と、「健康経営銘柄」に3年連続選定されているブラザー工業株式会社の上原氏、中根氏がそのポイントを語った。
- 岡田 邦夫氏
- 特定非営利活動法人 健康経営研究会 理事長
健康長寿産業連合会理事、大阪ガス株式会社人事部Daigasグループ健康開発センター顧問、女子栄養大学大学院客員教授。大阪市立大学大学院医学研究科修了後、大阪ガス産業医・同健康開発センター健康管理医長、関西学院大学社会学部非常勤講師、大阪市立大学医学部非常勤講師、同志社大学スポーツ健康科学部嘱託講師、大阪市立大学医学部臨床教授、プール学院大学教育学部教授、大阪成蹊大学教育学部教授、日本陸上競技連盟医事委員会委員、大阪陸上競技協会理事・医事部長などの役職を務める。著書に『判例から学ぶ従業員の健康管理と訴訟対策ハンドブック』(法研)『産業医学実践講座』(南江堂)『行動変容を可能とする特定保健指導のすすめ方』(社会保険研究所)『「健康経営」推進ガイドブック』(経団連出版)、『なぜ「健康経営」で会社が変わるのか』(法研、共著)、ほか多数。
- 上原 正道氏
- ブラザー工業株式会社 健康管理センター 統括産業医
1997年、産業医科大学医学部卒。臨床研修終了後、松下産業衛生科学センター、松下電工(株)本社健康管理室、産業医科大学産業生態科学研究所環境疫学教室、厚生労働省労働衛生課を経て、2014年よりブラザー工業(株)統括産業医。ブラザーグループ全体の産業保健を統括し、健康経営の推進に注力。産業医科大学産業衛生准教授(非常勤)、日本産業衛生学会指導医、社会医学系指導医、労働衛生コンサルタント(保健衛生)。主な著書に、『産業医ストラテジー』(編集)バイオコミュニケーションズ 、『産業保健スタッフのためのISO45001-マネジメントシステムで進める産業保健活動 JIS Q45100』(共著)中央労働災害防止協会。
- 中根 弥枝氏
- ブラザー健康保険組合 保健推進センター センター長
平成元年 愛知県立看護総合専門学校卒業後、名古屋大学医学部附属病院、名古屋逓信病院の勤務を経て、平成6年ブラザー健康保険組合 保健推進センターに初の産業医療職として勤務。保健事業と産業保健に従事する保健師として勤務、平成29年保健推進センター センター長となり現在に至る。
新たな時代に向けた経営戦略といえる「健康経営」
今なぜ健康経営が注目されているのでしょうか。
理由は大きく四つあります。一つ目は、従業員の高齢化。労働力を確保するには、定年を延長するだけでなく、労働生活の中でしっかりと健康を考えていかなければいけません。二つ目は、従業員の心身の健康増進が経営戦略として重要性を増してきたこと。三つ目は、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代に象徴される、先行きが不透明な時代の到来。企業はいかにサスティナビリティ(持続可能性)を確保するかが重要な課題となり、その一つの方策として健康経営が注目されているのです。四つ目は、労働生産性向上の考え方の変化。人を資源と捉えるのではなく、人を資本として捉え直す新たな経営戦略の方向性が生まれてきています。
健康経営を導入している企業の現状をどのようにご覧になっていますか。
現在は、人を雇用しようと思ってもなかなか集まりにくくなっているのではないでしょうか。企業に求められるものも大きく変わってきており、健康経営を導入していることが必要になっています。また、社会変化を乗り越え、新しい時代において企業を活性化していくための手段の一つとして、健康経営を導入する経営者が増えています。
ブラザー工業のお二人にうかがいます。貴社は「健康経営銘柄」に3年連続選定されていますが、健康経営に取り組まれることになった理由とは何だったのでしょうか。
従業員がいきいきと働く職場を作っていきたいという想いが、一番大きな動機になっています。従来から疾病管理は、ブラザー記念病院でしっかり行っていたのですが、それだけでは企業として社会責任を果たすことができませんし、社会変化にも付いていけなくなっていました。サスティナビリティという観点からも不十分だったので、1998年に健康保険組合の中に保健推進センターを、2006年には社内に健康管理センターを作りました。
健康経営に取り組む理由は、持続的な企業の成長にとって不可欠なものであると考えているからです。もともと健康文化があった企業でしたが、さらに今の時代にマッチした新しい健康文化を作っていきたいと考え、健康経営に取り組んでいくことにしました。幸いなことに、健康経営が社会の一大ムーブメントとなった上に、当社が「健康経営銘柄」に認定されるなど高い評価をいただいたことで、従業員のヘルスリテラシーの向上につながっています。
最初に健康経営理念を掲げたのは2016年ですが、当社だけに留まらず、グループ会社や、労働組合や健康保険組合も一体となって取り組んでいます。グループを挙げて取り組んでいることが、大きな特徴と言えます。
貴社では健康経営について、日頃どのような取り組みをされているのでしょうか?
組織的なアプローチが重要だと考え、いろいろな対策を組み合わせて実施しています。ベースとなっているのは、健康スコアの分析です。また中長期的な目標として、「健康ブラザー2025」を掲げています。力を入れているのは、メンタルヘルス対策や喫煙対策、アクティブエイジング対策です。メンタルヘルス対策ではワーキングエンゲージメントやプレゼンティーイズム(疾病就業)を取り入れ、より攻めの対策としてポジティブメンタルヘルスを打ち出しています。
また、喫煙対策については、2023年4月の社内全面禁煙に向けて禁煙サポートに力を入れています。昨年は非喫煙者(サポーター)と喫煙者がペアとなって行う「サポーター禁煙」という取り組みを実施し、8割が成功を収めました。高齢化社会に向けては、60歳以上の男性に発症率が高いがんに対する両立支援や身体機能の衰えを予防するという観点に立ち、エイジマネジメントやアクティブエイジングという考え方で活動を進めています。これらは待ったなしの問題であるだけに、強い危機感を持って取り組んでいます。
厚生労働省が健康スコアを導入する3年前から、当社独自の健康スコアを作成しています。それらを基にグループ各社に健康計画を独自に考えてもらい、PDCAを回していくというやり方です。アクティブエイジングに向けた取り組みで面白いのは、Brother体操です。グループ従業員向けのオリジナル体操で、自宅や職場で気軽に体を動かしてもらおうという目的で作られました。
健康的な生活習慣を促すための仕組みづくり
健康経営を取り組むにあたって、課題や問題点はありましたか。
健康スコアの分析を通じて、さまざまな課題が浮きぼりとなりました。特に、「メタボリック対策」「がん対策」「喫煙対策」「健康的な生活習慣の定着」の四つを重点課題として捉えて中長期目標に取り入れています。ただし、これらは一朝一夕に達成できるものではなく、効果もなかなか出ず苦労しました。従業員の健康意識は他社と比べてある程度は高いと思っていたものの、実際にはなかなか上がらないとあって、もう一段階も二段階も高い健康意識を持っていただくこと、ヘルスリテラシーを高めていただくことが課題だと考えています。
私たち健康保険組合の場合、特定保健指導といってメタボの指導を国から義務化されています。そうした健康リスクを抱えた人をスクリーニングし、該当者に行動変容をうながすハイリスクアプローチ的なものの実施率は高いのですが、集団に対して働きかけるポピュレーションアプローチになると、健康意識の高い方しか参加しません。そうではない人たちの底上げが難しくなっています。
健康経営を定着させるために、どのようなことを行っているのでしょうか。
「ブラザー健康生活月間」という活動を長年続けています。食事・運動・睡眠・アルコールなどについて、2ヵ月間取り組んでいく運動です。参加率は年々上がっていて、従業員だけでなく、家族の参加も増えています。
貴社では、ヘルスケアサービス「SUNTORY +(サントリープラス)」を活用されているそうですね。導入に至った背景をお聞かせください。
今年7月から「SUNTORY +」を使った健康づくりを導入しました。このアプリには健康タスクが約60種類ほどあり、好きなものを選んで実行することができます。いずれもハードルが低く、取り組みやすいものです。
ただし、紹介するだけではなかなか導入が進まないので、サントリーさんのご協力を得てインセンティブを用意しました。健康飲料が何本かもらえるようにして、アプリのダウンロードを促しています。
会社や産業保健スタッフが一生懸命やっているからといって、健康経営が成り立つわけではありません。従業員が実践しなければいけません。従業員にどう落とし込んでいくのか、どうすれば楽しくやってもらえるのかなど、いろいろと思案を重ねていたところに、「SUNTORY +」のご提案をいただきました。これは本当に従業員が楽しく継続できるアプリだと、直感しましたね。しかも、我々が行っている他の活動ともうまく連動できるので、当社の健康経営に関する活動のプラットフォームになっていくと思います。
「SUNTORY +」を導入後の社内の反応はいかがですか。
もともと、当社の従業員は新しいものが好きなので、「ゲーム感覚で楽しくやれそう」という好意的な声が寄せられています。
「表示される健康づくりへのタスクが、いずれもハードルが低いからやりやすい」という声をいただいています。他には、抽選くじも喜ばれています。
まだスタートしたばかりですが、今秋以降導入をどんどん加速していき、従業員の参加を促していきたいです。
岡田先生は、「SUNTORY +」をどう評価されていますか。
インセンティブという視点は、極めて有効です。健康づくりにインセンティブを付けることは、従業員のモチベーション、つまり行動変容を起こす上で一つの重要なトリガーになるからです。こういう仕組みを作ると、従業員が企業の取り組みが変わったことを少しずつ理解し、自分の行動に結びつけていくことができます。
「SUNTORY +」が定着することによって、従業員の健康意識が知らず知らずのうちに変わって来ますし、自然に健康になっていきます。これは、我々のNPOの指針にも当てはまるものです。自然に健康になっていくような仕組みを会社が作っていくことは、これからの時代において大変重要だと思っています
健康経営の定着について、他の企業による同様のケースなどがありましたら教えてください。
多くの企業が健康アプリを使って、自分の健康をチェックできる仕組みを導入しようとしています。自然とそして段階的に健康への意識を高めるには、二つのポイントがあります。一つは、職場の環境をきちんと作ることです。オフィスや職場の環境をどう変えていくかは、実は健康行動に非常に結びついていることが分かっています。ブラザー工業さんの取り組みのように、職場の環境を変えつつ、健康意識を高めていくアクションは非常に有効です。
もう一つは「労務管理が健康管理に直結する」という考え方です。つまり、働き方を変えれば健康に対する意識が高くなっていく、ということ。この二つがうまくドッキングすることで、従業員の多くのヘルスリテラシー、すなわち知識の習得と実行力が備わってくると思います。
健康経営を企業風土に落とし込むことで、良い循環が生まれる
健康経営(行動)が定着することで、企業にどのような影響があると考えられますか。
日本の一時間当たりの労働生産性は、欧米と比べると三分の二しかありません。また睡眠時間が短くて、労働時間は長い。さらに、精神疾患や生活習慣病も大変多くなっています。かなりのお金を掛けて定期健康診断や健康づくりに取り組んでいるにもかかわらず、健康診断の有所見率がどんどん増えています。
これらの問題を解決していくには、個人だけでは限界にあります。企業が経営戦略として掲げ、無理なく段階的に進めていく、抵抗もなく自然に健康になる仕組みを作る、行動変容論を用いながら静かに進める、といったことが重要です。そして、劇的な変化は、会社が働き方をどう変えるかにかかっているのです。
ただ、病気に関しては産業保健スタッフが支えられるのですが、従業員の健康を維持するためには、管理職の力も重要です。管理職が健康に関して率先垂範してやり出すと、部下の行動変容や意識変容につながっていきます。そうした風土をつくることができた企業が伸びて行くのではないかと考えます。
健康経営をより身近なものとして促進していくためには、どのようにすれば良いのでしょうか。
これまでは企業では、従業員が病気になってからアクションを起こすことが多かった。しかし、現在は5年後の糖尿病発症率や7年後の高血圧発症率が算出できるようになっています。また、γ-GTP(ガンマ-グルタミルトランスペプチダーゼ)をどれだけ減らせば将来の糖尿病発症率リスクが減少するのか、体重をどれだけ減らせば高血圧発症リスクを下げることができるのかを従業員に明確に提示することもできます。
ただ、体重を落とすのか、減塩するのか、アルコールを減らすのかは強制しません。あくまでも自分で選んでアクションを起こすことが重要です。自己責任の問題だからです。自分で進んでアクションを起こし、産業保健スタッフが全力でサポートする。そうしたやり方が非常に重要になってくると思います。また、そういう環境を作っていくことや、他人事ではなく自分自身のことだと呼びかけていくことも重要。産業保健スタッフが、労務管理や勤務管理の担当とスクラムを組んで進めていくのが、健康経営の本質だと思っています。
企業風土を健康企業風土に変えていかないといけません。健康経営を単なる一時的なブームではなく、定着させていくには、風土に落とし込んでいかなといけないからです。そういう風土になれば、従業員も意識せずに健康に取り組めますし、健康づくりも仕事の一部だという感覚が経営者や従業員に根付いていくと思います。
経営者が従業員の健康を考える姿勢を持つ必要があると思います。ありがたいことに当社の社長は、真摯に従業員の健康に関心を寄せており、最高健康責任者として健康を推進しています。そうしたトップの強い姿勢が根付くと、組織は良い方向へと動くのではないでしょうか。
最後に、企業が「SUNTORY +」のようなヘルスケアサービスを導入することの意義についてお聞かせください。
我々のNPOでは、経済産業省の考え方にもあります健康経営マッチング研究会を立ち上げました。ヘルスケアサービスを提供されている企業から、会員企業に向けて、導入メリットや導入していく上での課題などを説明していただき、サービスに対する理解を促していく場です。多くの企業に有益なヘルスケアサービスがあることをぜひ知ってもらおうと考え、取り組んでいます。
また、2021年からホワイト500に認定された企業は、自社の偏差値を公開することになっています。どんな取り組みを行っていて、どんな成果を導くことができたのかをオープンにしてもらうことが目的です。そうしたなかでも、今後は「SUNTORY +」の導入成果が発信されていくのではないでしょうか。我々としても、しっかりとしたエビデンスがあるヘルスケアサービスの効果を、多くの方にお伝えしていきたいと考えています。
SUNTORY+(サントリープラス)は、企業の健康経営をサポートする無料のヘルスケアサービスです。「朝起きて水を1杯飲む」などの日常生活の動線上で出来る超低ハードルな健康タスクを約60種類ご用意。好きなものを選んで実行するだけで、嬉しいご褒美がもらえます。「シンプル操作のスマホアプリ」「身近な接点である自販機」「手軽な健康飲料」の3つのサイクルが回ることで、無理なく楽しく続くサービス設計になっています。2020年グッドデザイン賞、2021年iFデザインアワード受賞。