定年制度はなぜ必要か―「45歳定年発言」にみる定年問題
リクルートワークス研究所 坂本貴志氏
事務職の仕事が見つからない
Aさん「私は都内の中堅企業で事務職として勤めあげてきました。私の経験を活かせる案件はありませんか。」
職員「60歳を過ぎて事務職員を募集している企業はほとんどありません。Aさんのご経験を活かせるような求人はなおのことです。いまAさんにご紹介できる案件は……こちらの○○警備保障の案件もしくは○○不動産でのマンション管理やタクシードライバーの仕事などはいかがでしょうか。」
Aさん「(しばらく考えた後)……こんな仕事しかないのでしょうか。もう少し真剣に探してもらえませんか。」
Aさんはこれまで都内の中堅メーカーで勤め、60歳の定年を経て現在65歳を迎えている。このたび、再雇用の期限も切れ、長く働き続けてきた会社を離れるときが来た。
子どもたちは既に独立していて長年頭を悩まされてきた子供の教育費からは解放されている。住宅ローンもわずかながら残っているがほとんどが返済を終えている。ただ、月20万円弱の年金がもらえるようになっているなか、手元の貯金は心もとないのでもう少し生活の余裕がほしい。そして何より、フルタイムの仕事はもう勘弁してほしいが、仕事が全くないとなると日々の生活が退屈である。
前職を退職してしばらくした後、Aさんはハローワークの門をたたく。これはその時に交わされた会話である。
……とこれは架空の話であるが、特殊なスキルを有する人を除き、多くの高年齢者はこれに類似したことを経験している。なぜこのような事態が発生してしまうのか。まずはその構造を分析してみよう。
ホワイトカラーの人余りが根本的な原因
一定年齢をすぎると事務職の求人が急減する。これが日本の労働市場で起きている現象である。中高年齢層の事務職の需給のマッチングは極めて難しいのである。その原因は、端的にいって事務職の需要がないからである。
なぜ事務職の需要がないのか。それはここ数十年で事務・管理職の労働生産性が急速に高まっているからではないか。20世紀にほぼ手作業で行われていた事務作業は、ここ数十年でパソコンが一気に普及し、相当の効率化が行われた。働かない中高年といった話しを聞くこともあるが、これは逆に言えば働かない人がいても企業活動が十分に成り立つことの証左でもある。他の人手不足の職種からすると、なんともぜいたくな話しである。
実際に職種別に有効求人倍率をみると、事務職の倍率はほかの職種と比べて著しく低い。それに比べて高いのは保安や建設、運転などの職種である。このような状況があるから、冒頭のようなやりとりが発生するわけだ。
さらに、企業側には従業員の年齢構成のバランスを取りたいというニーズもある。日本の人口が高齢化するなか、体力・気力にあふれ、役職にこだわらずに下積みの仕事をしてくれる若手の人材をどの企業も必要としている。こうした事情が、中高年の事務職の社員が行き場を失っている背景にあると思われる。
60歳までの雇用は企業が保証すべき
定年というのはすなわち解雇に関する取り決めである。企業は経済活動のためにパフォーマンスが低い従業員を自由に解雇したいという誘因を持つ。一方で、労働者としては雇用とはすなわち生活保障であり、本人が居続けたいと思う以上、企業は雇用を保証すべきだと考える。その折衷案として、定年より前には解雇はしないが、定年になれば解雇をしてもかまわないという暗黙の取り決めがなされているのだと考えることができる。
昨今話題に上っている「45歳定年」という話は、実質的には定年までは解雇せず雇い続けるという企業の責任を、45歳までに短縮したいということにほかならない。それはやはり労働者としては到底受け入れられないものである。
賃金は、雇用者のパフォーマンスによって決められるものである。しかし、それと同時に生活給としての側面も有していることも忘れてはならない。結婚して子どもをもてば教育費などに多大な支出が必要である。また住宅を取得すれば、20年から30年程度住宅ローンを支払い続けなければならない。
労働者がパフォーマンスをあげられないのであれば雇用はできない、という理屈は経済学の理論上はたしかに正しいかもしれない。しかし、そういった経済の合理性だけで労働市場は成立しているわけではない。仮に45歳で長年勤めた会社を離れなければならないということになると、人々の生活に多大な影響が生じてしまうだろう。やはり、生活給の側面を考えれば、少なくとも60歳までの雇用は企業が保証すべきではないか。これが、現状で60歳が定年、65歳が再雇用の年齢と定めている企業が多い大きな理由になっているものと考えられる。
しかし、その一方で、労働側の要請に基づいて定年制度を廃止し、雇用を保証する期間を無制限に伸ばしてしまえば、経済活動に過度なゆがみが生じてしまうだろう。企業の経済活動という観点を考えれば、義務的雇用の出口はどこかで用意すべきだ。そういった意味では、現状多くの企業で行われている60歳定年というのは一つの均衡点だと考えるべきである。
逆に言えば、60歳以降の雇用は60歳以前の雇用とは違ってよいと私は思う。つまり、60歳以降は、会社に与えられる役職とは関係なしに、自ら仕事を作り出すことでパフォーマンスを上げられる人は現役時代と変わらない給与を払い、パフォーマンスが出せない人の給与は大きく下げる。その結果として、高年齢者の平均賃金が下がったとしてもそれは社会として容認すべきである。こうした運用が現実的な落としどころになるだろう。
事務職至上主義の弊害
さて、改めて冒頭のやりとりにさかのぼってみよう。この対話を見て、あなたはどのように感じただろうか。社員に対して定年退職を迫り、中高年に対して事務職の仕事を提供しない企業に対して憤りを感じる人は多いと思う。そして、警備やマンション管理などの仕事しかない未来に失望する人もいると思う。しかし、こうした状況は社会の悪意によって生み出されているものではなく、現実の経済のニーズによるものであり、簡単には解決しない問題でもある。
こうした中、一つ考えてもらいたいことがある。それは、警備やマンション管理といった求人に対して「こんな仕事しかない」と考えるのか、そうではなく「人の役に立つ仕事がある」と考えるのかという点である。これはつまり、事務職以外の現業の仕事をそこまで悪く見る必要があるのかということである。
若いころにはアルバイトとして居酒屋での接客業や個人指導塾の先生などをやり、働き盛りの頃は事務職の企業戦士として活躍し、年をとったときには警備やマンション管理、販売員などの仕事で緩く社会に貢献する。こうしたライフサイクルをその人の能力の高低にかかわらず経験する。そういった社会はあってはならないものなのだろうか。社会的に良しとされるホワイトカラーで成長し続けるキャリアを、なぜみなが追い求めなければならないのか。それを考えてほしいのである。事務職至上主義を是正しないと、この問題は解決しないような気がしている。
リクルートワークス研究所は、「一人ひとりが生き生きと働ける次世代社会の創造」を使命に掲げる(株)リクルート内の研究機関です。労働市場・組織人事・個人のキャリア・労働政策等について、独自の調査・研究を行っています。
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