アナログな介護領域にITを持ち込み、ブルーオーシャンを切りひらいた――異色のキャリアで挑む、「仕事と介護の両立支援」
株式会社インターネットインフィニティー 代表取締役社長
別宮 圭一さん

「将来は社長になりたい」。小学生の頃からの漠然とした、しかし強烈な夢を胸に、実社会へ飛び込んだ一人の若者がいました。生産管理で学んだ「工程」、人材派遣営業で叩き込まれた「量と仕組み」、企画営業で培った「質」。一見ばらばらに見えるキャリアの点と点は、やがて「IT×ヘルスケア」という線で結ばれ、超高齢社会の課題解決という大きな絵を描き出します。数々の修羅場と成功体験を経て、マザーズ(当時)上場を果たした株式会社インターネットインフィニティーの別宮圭一さん。現在は、国難とも言える「ビジネスケアラー問題」に挑んでいます。別宮さんに、若手ビジネスパーソンが持つべきマインドセットと、これからのHR業界の展望をうかがいました。
- 別宮 圭一さん
- 株式会社インターネットインフィニティー 代表取締役社長
べっく・けいいち/1972年愛媛県生まれ。高校卒業後、91年に東芝系コンピューターメーカーに入社し生産管理に従事。その後、人材派遣会社での新規開拓営業、アスキーでの法人企画営業、ソフトウエアベンチャーを経て、2001年に株式会社インターネットインフィニティーを設立。リアルな介護事業とWebソリューションを融合させた独自のビジネスモデルを構築し、2017年に東証マザーズ(現・グロース)上場を果たす。現在は「仕事と介護の両立支援」を掲げ、企業向けソリューション「わかるかいごBiz」などを展開している。
「社長になりたい」一心で選んだ、たたき上げキャリア
別宮さんは愛媛県のご出身で、高校卒業後に就職されています。当時から明確なキャリアプランをお持ちだったのでしょうか。
いえ、明確なプランと呼べるようなものはありませんでした。ただ、小学生くらいの頃から「将来は会社を作って社長になりたい」という思いだけは強く持っていました。なぜそう思ったのか、今振り返っても不思議なのですが、子どものころに接していた近所のお兄さんのように、リーダーシップを発揮する存在への憧れが強かったのかもしれません。
父は会社員で、愛媛県から千葉県への転勤も経験しましたが、長男である私を非常に厳しく教育してくれました。父からは「大学に行って勉強しなさい」と口酸っぱく言われていましたが、私は勉強が本当に苦手で、嫌いだったのです。それよりも一日も早く社会に出て働きたい、自分でお金を稼いでみたい。早くから「社長になるための経験を積みたい」という思いが強かったのです。
91年、東芝系のコンピューターメーカーに入社されます。なぜIT業界を選ばれたのですか。
当時はまだ、インターネットが普及していない時代です。しかし、世の中では「これからはコンピューターの時代だ」と言われ始めていて、どうせならこれからの時代を担うコンピューターメーカーに入りたいと考えました。東芝系と言っても、パソコンベンチャーのような会社でした。そこで私が配属されたのは生産管理の部署でした。
製造部の生産管理課で、パソコンを製造するための部品調達や生産計画、工程管理を担当しました。当時は「営業を経験して将来の独立に備えたいのに、こんな細かい管理業務で社長になれるのだろうか」と不安に思うこともありました。しかし、今振り返ると、この経験が経営にものすごく役立っています。
パソコン一台を作るには、マザーボード、CPU、メモリ、筐体など、膨大な点数の部品が必要です。たった一個のネジが欠品しただけでラインが止まってしまい、製品が出荷できなくなります。一方で、欠品を恐れて過剰に在庫を持てば、コストになり、利益を圧迫します。適正在庫を維持しながら、納期から逆算して調達計画を立て、仕入れのリードタイムと生産のリードタイムをパズルのように組み合わせる。いわゆるプロジェクトマネジメントの基礎はこの時期に徹底的に叩き込まれました。最適解を導き出すプロセスは、今の経営判断のベースになっています。ただ、当時の私は若く、「もっと営業の経験を積んで、稼ぐ力をつけたい」という焦りがありました。
人生を変えた「気合いと根性」×「科学的仕組み」
その後、人材派遣会社へ転職されています。
生産管理の仕事は勉強になりましたが、独立するためには営業の経験が必要だと考え、当時急成長していた人材派遣会社に転職しました。これが私にとって、人生が変わるほどの大きな経験となりました。
仕事はひたすら新規開拓の飛び込み営業です。当時は、人材派遣業界が急拡大していた時期。今は派遣会社というと、働くスタッフの確保が課題ですが、当時は「派遣先企業の開拓」が最重要課題でした。私はエリア担当制で地図を渡され、担当エリアのビルの上から下まで、すべての企業を訪問する、いわゆる「ローラー作戦」を行いました。
相当に過酷な環境だったのではないでしょうか。
ええ、ご想像の通りです。毎月1日の朝礼では、10人以上の新入社員が「今日からお世話になります!」と元気に挨拶をするのですが、2週間もすると半分ぐらいが辞めていき、1ヵ月後には一人・二人しか残っていないような環境でした。しかし、私はまったく辞めたいとは思いませんでした。将来独立するための修業の場だと思っていましたから、むしろ「望むところだ」と楽しんでいました。度胸もつきましたし、何より営業の面白さに目覚めたのです。

そこで得た最大の学びは何だったのでしょうか。
「気合いと根性」の上に成り立つ「科学的なアプローチ」の重要性です。飛び込み営業ですから気合いと根性が必要なのは当然ですが、それだけではありません。会社として「何件訪問すれば、何件の問い合わせがあり、何件のアポイントにつながり、最終的に何件の受注になるか」というセールスプロセスが科学的に分析され、完全に仕組み化されていました。その仕組みに乗っ取って行動すれば、特別な才能がなくても一定の成果が出るようになっている。体育会系の根性論の集団に見えても、実は極めてロジカルで、データに基づいた組織運営がなされていたのです。
「気合いと根性」という個人の情熱を、「仕組み」というプラットフォームに乗せることで最大化する。この両輪がビジネスには不可欠なのだと肌で感じました。また、営業の身だしなみやトークスキルといった表面的なことよりも、「行動量」が成果を生むという事実は、その後の私の営業哲学のベースになっています。
「量」から「質」への転換、そして起業へ
その後、96年にアスキーへ転職されます。
次は、よりクリエイティブに企画を考え、提案によって価値を生み出す「質の高い営業」を身につけたいと考えました。ただ数をこなせば直線的に成果が上がる世界ではなく、企画や提案の内容によって成果がグッと跳ね上がるような世界に挑戦したかったのです。
アスキーを選んだのは、コンピューターやインターネットが好きだったから。Windows95が登場し、インターネットが爆発的に普及し始めたタイミングでした。配属された出版営業部では、法人向けに書籍だけでなくソフトウエアやハードウエアなど、何でも自由に組み合わせて提案することができました。ゲーム事業以外は何を売ってもいいという、非常に自由度の高い部署でした。
「量」の営業から「質」の営業へ、スタイルを転換されたわけですね。
はい。ここではお客さまの課題を深くヒアリングし、解決策を提案するソリューション営業を学びました。当時は、企業内でのサーバー構築需要が高まっていました。サーバーメーカーはハードウエアを売りたいわけですが、箱だけでは動きません。OSが必要ですし、何よりそれを構築・運用するエンジニアの知識が必要です。そこで、アスキーが出版しているエンジニア向けの専門的な技術書やマニュアルをOEMで提供し、サーバーメーカーの製品とセット(バンドル)で販売する企画を提案しました。大手メーカーに提案に行き、「アスキーの書籍をバンドルしませんか? そうすればサーバー購入後の構築もスムーズになりますよ」と。
これが非常に当たり、サーバーが売れれば自動的に本も売れる仕組みを作ることができました。自分で考えた企画が形になり、お客さまのビジネスに貢献できる。単にモノを売るのではなく、市場のニーズを捉えて「売り方」そのものを提案する面白さに目覚めました。当時の上司は、私のような若くてやんちゃな社員にも「自由にやってみろ」と任せてくれる懐の深い方でした。環境にも恵まれ、営業としての幅を広げることができた5年間でした。
2000年にはサイトデザインというベンチャー企業に転職され、その後すぐに起業されています。
アスキーの上司が転職した縁もあり、サイトデザインというEコマースパッケージのソフトウエアメーカーに移りました。ここでは、上場を目指すベンチャー企業の熱気を肌で感じることができました。2000年の12月に東証マザーズに上場を果たしたのですが、その瞬間の高揚感は今でも忘れられません。この経験が、「自分も会社を作ったら上場させたい」という強い動機になりました。しかし、上場後に会社の方針が変わってしまい、それなら自分で理想とする会社を作ろうと思い立ち、2001年にインターネットインフィニティーを設立しました。
偶然の出合いから「ブルーオーシャン」を発見
当初はシステム開発会社としてスタートされたそうですが、なぜそこから「介護」の領域へ進出されたのですか。
本当に偶然の出合いでした。設立当初はITバブル崩壊直後でしたが、個人的な人脈のおかげで受託開発の仕事を順調にいただいていました。その中の一社が、たまたま介護事業者だったのです。2000年に介護保険法が施行され、民間企業が参入し始めた時期でした。システム開発の要件定義のために介護施設を見学させてもらったのですが、衝撃を受けました。パソコンは一台もなく、顧客管理はすべて紙の台帳。IT業界にいた私から見ると、あまりにもアナログで非効率な世界が広がっていました。そこにビジネスチャンスを見いだしたのです。
まさにブルーオーシャンに見えました。この業界にITを持ち込めば、現場の生産性を劇的に高められるはずだ。インターネットを活用して独自のビジネスモデルを作れば、大きな市場になると直感しました。ただ、私は介護の素人です。インターネットで調べようにも当時は情報も少なく、人脈もありません。まずは現場を知らなければ始まらないと考え、介護士の資格を取りにいきました。

別宮さん自ら資格を取得されたのですか。
そうです。現場を知らずにシステムは作れませんから。最も設備投資が少なく始められる、訪問介護事業からスタートしました。訪問介護は、ヘルパーをお客さまの自宅に派遣するビジネスです。つまり、私がかつて経験した「人材派遣業」とノウハウはまったく同じ。ここでも「気合いと根性」と「科学的仕組み」が生きました。
当時の介護業界には「営業」という概念がほとんどありませんでしたが、私はケアマネジャー(介護支援専門員)のいる居宅介護支援事業所をリスト化し、徹底的に営業に回りました。地元の介護事業者は役所からの紹介を待つのが当たり前でしたが、私は新参者として「空気読めない」ふりをしてガンガン営業したのです。その結果、面白いように仕事が取れ、事業は急成長していきました。ヘルパーが足りなくて、毎日のように採用面接をしていましたね。
現場を知る中で、新たなWebビジネスも生まれたそうですね。
営業でケアマネジャーの事業所を回る中で、ケアマネジャーが介護業界のキーパーソンでありながら、情報のハブとして機能することに忙殺されていることに気づきました。そこで、ケアマネジャーをネットワーク化し、業務支援や情報提供を行うポータルサイト「ケアマネジメント・オンライン」を立ち上げました。これが現在の当社のDX事業の基盤となっています。
その後、通所介護(デイサービス)事業にも参入しましたが、順風満帆とはいきませんでした。しかし、訪問介護の現場で多くの看取りを経験する中で、「介護が必要な状態になる前の段階、つまり『予防』にもっと力を入れるべきではないか」と考えるようになりました。健康寿命を延ばすことができれば、本人も家族も幸せですし、社会保障費の抑制にもつながります。形を変えてデイサービス事業に取り組もうと考え、2011年に立ち上げたのが、リハビリ型デイサービス「レコードブック」です。
当時のデイサービスは、みんなで童謡を歌ったり塗り絵をしたりするイメージが強く、元気な高齢者、特に男性は行きたがりませんでした。そこで、あえて介護業界ではタブーとされていた「赤」をブランドカラーに採用し、スポーツジムのようにスタイリッシュな空間を作ったところ、大ヒット。ケアマネジャーの皆さんからも「こういう施設を待っていた」と絶賛され、直営店をどんどん出店し、売上は急拡大しました。
しかし、そこで財務的な危機が訪れました。店舗ビジネスは、オープン初期にかかるコストを回収し、黒字化するまでに時間がかかります。出店すればするほど、一時的に赤字が積み重なり、キャッシュフローが悪化するのです。
銀行からは「2期連続赤字では融資できない。頼むから出店を止めてくれ」と通告されました。私は「こんなに絶好調なのに、アクセルとブレーキを同時に踏めというのか」と反発しましたが、銀行のルールは絶対です。非常に苦しい状況でしたが、発想を転換しました。「直営が無理なら、フランチャイズ(FC)にすればいいのではないか」と。
FC方式に切り替えたことで、外部資本を活用しながら店舗展開を続けることが可能になりました。これが功を奏し、店舗数は爆発的に増加。財務体質も劇的に改善しました。この成功が2017年のマザーズ上場への大きな原動力となりました。あのときのピンチがなければ、今の全国規模の展開はなかったかもしれません。
「人的資本経営」の時代、中小企業こそ意識変革を
現在は「仕事と介護の両立支援」に力を入れていますね。
2025年問題、2040年問題といった社会課題の根幹にあるのは「人材不足」です。特に、家族の介護のために働き盛りの社員が離職してしまう「介護離職」は、企業にとって致命的な損失です。そこで開発したのが、企業向けの仕事と介護の両立支援サービス「わかるかいごBiz」です。当社の持つケアマネジャーのネットワークや介護の知見を活用し、従業員の介護相談や情報提供を行うことで、仕事と介護の両立を支援します。おかげさまで大手企業を中心に導入が進んでいますが、最大の課題は中小企業への普及です。
これまで介護支援は「福利厚生」の文脈で語られることが多く、余裕のある大企業のものだと思われがちでした。しかし、今は違います。人材を資本として捉え、価値を最大化する「人的資本経営」の視点に立てば、従業員の離職を防ぐことは、経営の最優先事項のはずです。中小企業こそ、一人の離職が経営に与えるインパクトは甚大です。それなのに、中小企業の従業員には十分な支援が届いていないのが現状です。
経営者の方々には、「福利厚生」ではなく「経営戦略」として、仕事と介護の両立支援に取り組んでほしい。国や自治体の補助金活用なども含めて、社会全体で意識変革を進めていく必要があります。私たちは大企業だけでなく、日本企業の大多数を占める中小企業にもサービスを広げ、日本全体の生産性向上に寄与したいと考えています。
法人向けのヘルスケアサービス業界全体をどのようにご覧になっていますか。
間違いなく、これから成長が加速していく市場だと見ています。その理由は、繰り返しになりますが「人的資本経営」です。人を雇用する法人であればすべての企業が意識すべき、成長のための必須条件です。人的資本経営が企業の成長に不可欠なら、それを支える法人向けヘルスケアサービスもまた、成長しない理由がありません。
全ての出会いは「宝物」になる
最後に、HRソリューション業界で働く若手のビジネスパーソンに向けてメッセージをお願いします。
私が20代の頃に心がけていたのは、とにかく「ポジティブに行動する」ことでした。失敗を恐れず、前向きに物事に取り組み、好奇心を持って行動する。その姿勢があったからこそ、全くの異業種である介護業界にも飛び込むことができました。
若い人たちに伝えたいのは、「仕事を通じて出会う人々とのコミュニケーションを大切にしてほしい」ということです。私が新しいビジネスのアイデアを着想できたのは、天才的なひらめきがあったからではありません。お客さまであるメーカーの方や取引先の方との何気ない会話の中に、ヒントがたくさん隠れていたからです。「今、御社ではどんなことが課題ですか?」「将来のマーケットをどう見ていますか?」。そんな質問を投げかけ、お客さまの中長期的な戦略や思考法に触れる。そこから「自分たちなら何ができるか」「どう差別化できるか」を必死に考えた結果が、今の事業につながっています。
そのときは無関係に見える点も、意識して行動していれば、将来必ず線となってつながる瞬間が来ます。私のキャリアも、生産管理、派遣営業、企画営業、そして介護との出合い、すべてがつながって今があります。
ただ、最近になって思うのは、行動力だけでは不十分、ということです。経営者になって痛感するのは、「よく学び、よく考える」ことの重要性です。若いうちは失敗も経験のうちですが、経営における失敗は大きなコストになります。失敗のデータを分析し、成功確率を高めるためには、深い思考と知識のアップデートが欠かせません。
HRソリューション業界で働く皆さんは、日本の未来を左右する「人材」という最も重要なテーマを扱っています。企業の枠を超えて、日本の産業そのものを支えていると言っても過言ではありません。そのことに誇りを持ち、ぜひ楽しみながら仕事をしてください。お客さまとの出会い、仲間との出会い。一つひとつを大切にし、楽しみながら前向きに取り組めば、必ず道はひらけます。

(取材:2025年12月9日)
| 社名 | 株式会社インターネットインフィニティー |
|---|---|
| 本社所在地 | 東京都千代田区二番町11-19 興和二番町ビル2階 |
| 事業内容 | レコードブック事業/Webソリューション事業/システムソリューション事業/在宅サービス事業/アクティブライフ事業 |
| 設立 | 2001年5月7日 |

日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、これまでのキャリア、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。
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