営業の「つらい」「苦しい」イメージを変えたい
「営業を科学する」を合言葉に、
変革に取り組む企業を支援
ソフトブレーン・サービス株式会社 取締役会長 成長企業プロデューサー
小松弘明さん
国内30万人が実践する「営業プロセスマネジメント」のコンサルティングのパイオニアである、ソフトブレーン・サービス株式会社。7400社以上のコンサルティング実績に裏付けられた、成果につながる営業の仕組みづくりを強みに、企業の科学的組織営業への変革を支援しています。取締役会長の小松弘明さんに、銀行員から転職するまでの経緯や、ソフトブレーン・サービスの強み、人事や教育研修業界に対して感じる課題などをうかがいました。
- 小松弘明さん
- ソフトブレーン・サービス株式会社 取締役会長 成長企業プロデューサー
こまつ・ひろあき/三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行後、ソフトブレーンに入社し専務取締役に就任。東証マザーズに上場したソフトブレーンを、創業者で『やっぱり変だよ日本の営業』の著者である宋文洲とともに5年で東証一部上場企業に成長させた。銀行員時代を含め、2万社を超える企業経営者からの相談を受けるなど、営業プロセス構築に関するコンサルティングで中堅・中小ベンチャー企業の経営者からの支持も高い。
「40歳までには辞める」と思いながら就職活動
ご出身である高知県の土佐高校から、早稲田大学法学部へ入学されました。学生時代はどのように過ごされていましたか。
親に迷惑をかけたくないと考えていたので、高校生のころは現役で合格したい、大学は4年で卒業したい、という強い思いがありました。高校時代は“帰宅部”で、すべてのリソースを勉強に割いていました。高校2年生のとき、学校から帰宅後、夜中3時まで勉強し朝6時に起床して学校に行くという生活を続けていたところ、3ヵ月で体を壊してしまったんです。もともと第一志望は京都大学でしたが、以降、早慶志望に切り替えました。
早稲田大学に入学した後は「法学部だから弁護士を目指すべきだろう」と思い、司法試験の受験サークルに入りました。そこで2年間ほど弁護士を目指して真面目に勉強していました。しかし、サークルの友人は一流高校出身で頭がいい人ばかり。司法試験を突破するには平均で10年ぐらいかかると言われていて、勉強しているうちに「これは4年では無理だ」と思い、一般企業に就職することにしました。
法学部を選んだ理由は、「つぶしがきく」から。「何がなんでも法学部に行きたい!」と思っていたわけではないので、あとから振り返れば「そりゃ弁護士になれないだろうな」と思います。とはいえ、司法試験を諦めたからといってサークルから離れたわけではなく、3年生になってからは後輩たちに法律を教えていました。僕が教えた後輩で、弁護士になった人もいます。
3年生になってからは、奥島孝康教授のゼミに所属していました。奥島教授は、後に第14代総長になる方です。奥島ゼミには「汗をかけ、恥をかけ」というゼミ訓があるんです。軽井沢で自転車特訓をするなど、とてもユニークな活動をしていました。
就職活動はどのような方針で行っていましたか。
僕をかわいがってくれていた1年上の先輩が「就職するなら、英語を勉強しておくといいよ」とアドバイスをくれたんです。それで、3年生の終わりごろに、その先輩の紹介でイギリスに短期留学しました。就職活動が始まる頃に僕はイギリスにいて、「小松は就職すると言っていたのにイギリスに行ってしまった」とゼミが騒然としたとか。半分は親のスネをかじって、半分はアルバイトをしてお金を貯めて、約2ヵ月間ホームステイしました。
ホームステイ先にはもう一人、スイス人の男性のホームメイトがいました。ある日、ホームメイトと、その彼女と三人で話をしていたとき「大学を卒業したらどうするの」と彼女に聞かれたんです。その当時、僕は「ビジネスマンといえば商社マン」という短絡的な思考で商社志望でした。
「就職して商社に行く」と伝えると、彼女は「そんなのおかしいよ」という反応をしたんです。「どうしてそう思うの?」と聞くと、「一流の大学を卒業できるほど頭が良いのなら、起業するか、大学院に行くのがスタンダードだよ」と言われたんです。「商社? 何それ?」という反応をされたのがすごく悔しくて。そういったホームステイ先での経験が、就職活動の方向転換のきっかけになりました。
大学を卒業してきちんと自立しなければならない、そして40歳までには起業家か事業家になりたい、と思うようになりました。当初考えていた商社ではなく、銀行を中心に就職活動をしました。今後、独立するにしても事業を興すにしても、銀行ならいろいろな業界を見られると思ったからです。
面接で「将来は何になりたいですか」と聞かれたら「頭取を目指して頑張ります!」と答えていましたが、本心はイギリスでの経験から「40歳ぐらいで辞めたい」と思っていました。
38歳でソフトブレーン創業者の宋文洲と出会い、運命だと思った
最初から「40歳で辞める」と思い描きながら、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行されたんですね。
実は、銀行に入行後、辞めようと思ったタイミングは何回かあったんです。例えば、配属1年目のこと。「札勘」という紙幣の枚数を数える業務をやっていたときに異様に腹が立ってしまって、当時の支店長に「大学を出たのに、こんな仕事をするために銀行に入ったわけじゃありません。辞めます!」と言ったんです。結局、引き止められて残りましたが、「つまらないことやキャリアにならないことをやらされるのは気に食わない」という、今の若い人たちの気持ちには共感できます。
とはいえ、やりがいもとてもありました。1店舗目のときにはトップ営業になりました。上司から言われた「下町で鉄くずを集めて事業を成したオーナーさんがいるような地域に行ったら、日経新聞を見ながら、相場がわからなくても『上がりましたね』『下がりましたね』と軽い会話でいいから業界の話をしなさい。若いからかわいがってもらえるよ」というアドバイスに従ったこともあって、順調に成績を上げていったんです。
そうこうしているところに、ある日電話がかかってきました。相手は、いつも会いにいっても話してくれない頑固なお客さん。その方が「小松くん、まとまったお金ができたから定期預金したい。いらない株を売ったから4億4000万円入るけど、どうだ?」と。
その当時は、預金を集めることが評価される時代です。毎朝、営業担当者が集まり「今日の定期預金の獲得目標」を発表する場で、「50万取って来ます!」「200万です!」と他の営業担当者が言う中、僕は「4億4000万円です!」と言って周りを驚かせました。そのようなことが立て続けにありましたね。
そのような大きな仕事もしながら、約16年間三和銀行にお勤めになったあと、2000年にソフトブレーンに入社されます。転職のきっかけは何だったのでしょうか。
転職する直前は、本社の直接金融部門の上場支援グループにいました。そのときに、営業先の1社としてソフトブレーンがあり、同社の創業者の宋文洲に出会いました。宋に会ったその日のうちに「これから上場するので、うちに来ないか」と言われました。そのとき僕は38歳。もともと40歳で辞めようと思っていたけれど、何度も辞めるタイミングを逃していました。それも「この人に会うためだったんだ」「これは運命だ」と感じて、ソフトブレーンへの転職を即決しました。
2年間は赤字。5年目で東証一部上場を果たす
1999年に宋文洲さんに誘われてソフトブレーンに入社した後、5年間で東証一部上場まで成長させます。この5年間の軌跡についてお聞かせください。
転職した当初は、営業担当の取締役でした。主力商品の営業支援パッケージソフトは、僕自身が銀行員時代に紙の日報を書くのが大嫌いでしたし、これがあれば営業パーソンが苦しみから解放される、絶対に売れると思いました。
しかし、最初は全然売れませんでした。当時のソフトブレーンの業績は、2000年は2億1900万円の赤字、2001年は1億9800万円の赤字です。営業支援のソフトウエアなんて日本人は誰も知らないし、見向きもされない。この2年間はかなり苦しみました。
3年目を迎えるころ、宋が『やっぱり変だよ 日本の営業』という本を書きました。それを基に、「ブックマーケティング」の営業プロセスマネジメントを行うことを取締役会で決めました。ブックマーケティングとは、本をダイレクトメールの代わりに各企業の社長に送付し、そのあと営業部隊が電話をしてアポを取る、という仕組みです。
それを実践していたところ、トヨタ自動車の張富士夫社長(当時)が、ご自身で40冊ほど購入され営業系の役員に読ませたと話題になったんです。「営業プロセスマネジメント」という考え方とソフトが認められ、赤字脱却のきっかけになりました。そして、2005年に東証一部上場を果たしました。宋の書籍は、12万部に迫るベストセラー、ロングセラーになりました。
宋さんの著書を基にした営業プロセスマネジメントが原点になっているんですね。本を使った営業プロセスマネジメントも、小松さんがやり方を教え込んでいたのでしょうか。
社内の営業パーソン向けの教育として、プロセスマネジメントは「パン工場」に例えて話しています。おいしいパンを作るためには、「配合する」「こねる」「発酵させる」「焼く」という四つのプロセスを経なければなりません。
「配合」であれば「素材の配合比」、「発酵させる」場面では「時間」、「焼く」場面であれば「温度」など、決まりごとがあります。それらを忠実に守ることによって、パン工場ではおいしいパンを大量に生産することができます。営業活動でもこのようなプロセスを設計することが必要なのです。
ただ営業会議を行っているだけでは売上は上がらないため、僕を客だと思って説明させて他の役員たちに批評させたり、僕や宋が営業に行くところに同行させて「言葉を盗め」と言ったりしていました。
銀行員だった若いころは、営業は1日に何件も何十件もまわることが是とされていました。そのような根性論の世界は、本当に無駄で非効率です。
そうではなく、例えば宋の本に興味を持ってくれた人、またはセミナーに参加して当社のサービスに関心を持ってくれた人など、興味・関心が引き上がったお客さまにピンポイントで電話をしてアポイントを取り付ける。マーケティングと営業を融合することで、少ない人数でも最大の成果が出せるようにプロセス設計をしたおかげで、うまくいったのだと思います。
2004年、ソフトブレーン・サービスは、中小企業向けのサービス販売やサポートを行うことを目的として、ソフトブレーンのグループ会社として設立されます。小松さんは、2006年から取締役会長として、現在まで14年間経営に携わられています。「営業プロセスマネジメントのパイオニア」であるソフトブレーン・サービスの強みを教えてください。
ソフトブレーン・サービスは、営業特化型の専門コンサルティング会社です。「営業は科学だ」の合言葉のもと、7400社以上の営業組織のデータ分析に基づき、東京大学・筑波大学と共同研究を行っています。
「営業を科学する」の意味は、営業は精神論的なものではなく、トレーニングをすれば誰でも身につけられる、ということ。特殊な経験やスキル、ましてや根性は必要ありません。「普通の人が普通に努力したら普通以上に売れる」ための仕組みを、科学的なアプローチでわかりやすく言語化したメソッドを開発しました。
当社の強みの1点目は、お客さまの成果に妥協しないこと、2点目は、当社のプログラムにまずは全社員が取り組んだうえで、そのプログラムをお客さまに提供することです。巷のコンサル会社や研修会社の中には、社員たちが自分たちで取り組んだことがないプログラムを提供するところもありますよね。根拠を持って商品をおすすめできるのは、自社の社員で性能を試しているから。その信用性は、僕たちの本当の強みと言えます。
2012年度から毎年「プロセスマネジメントアワード」を開催し、営業のプロセスマネジメントを実践している各社の取り組みを発表する場を設けていますね。
営業はつらくて大変、というイメージがいまだに強い。僕たちは、「営業とはお客さまから褒められたり喜ばれたりする仕事で、成果が上がると本当に楽しくて仕方ない、エンターテインメントのようなものである」と知ってもらうために事業を展開しています。アワードは、そのような考え方に共感してくれた方々が、実際の成果を発表する場です。
ヒントになったのはリーブ21が行っている「発毛日本一コンテスト」のCM。そのようなアワードを開催して表彰しイベント化することで、いつかテレビ局からの取材も入り、注目度も高まるのではないかと思いました。
そもそも、小松さんが営業に着目したきっかけは何だったのでしょうか。
一つ目は、キャッシュを生み出しているのは営業だということ。二つ目は、コロナ禍でより明確になったことですが、日本に限らず、営業不振や販売不振は、企業の倒産理由に直結しているため、営業が企業の生存のために欠かせないこと。三つ目は、営業は絶対になくならない分野だということです。
もともとは、宋が日本に営業支援システムがないからと、営業など非製造部門の効率改善のためのソフト開発とコンサルティング事業を始めたことがきっかけです。当時、営業の人材育成やコンサルティングの分野は、マーケットがぽっかり空いていて、ライバル社も少ないブルーオーシャンでした。僕自身も、銀行員時代の経験から、営業は関わっている人数も多いからこそ、「つらい」というイメージを払拭して、楽しい仕事であることを広めたいという思いでした。
上司ではなく、お客さまに褒められることを目指せ
小松さんご自身が、営業パーソンとしてやりがいをもって働いた経験があり、非効率で大変な部分も体感してきたからこそですね。
営業はシンプルで、成果が上がればモチベーションが上がるんです。僕が社内で言っていることは、「僕に褒められようと考えるな、お客さまに褒められろ」「お客さまに『お前にやってもらって良かった』と言われることを目指せ」ということです。これは、営業の真髄だと思っています。
銀行員時代には数多くの上司と出会いましたが、運良く「お客さまが喜んでくれるから、結果的にいい成果が出る」というプロセスマネジメントの初期を教えてくれる上司に巡り会えました。しかし、それはマネジャーごとにバラバラで標準化していないことも多い。感覚ではなく科学的に営業パーソンのスキルと成長度合いを把握し、自分の会社の売り物に応じて標準化していくことで、営業のプロセス設計ができるのです。
そもそも、上司に「ああしろ、こうしろ」と言われても、半分以上聞いていないですよね。アセスメントでは、Webで受験することで自ら自分の弱みに気付いてトレーニングすることができます。そのように、自分で気付いて自分で動ける人が、最も成長率が高いこともわかっています。また、トップセールスパーソンたちを研究してきてわかったことは、営業で男女の能力差はありません。また、年齢も関係なく、年をとっても成長する人は成長します。
もう一つ、僕が若いころの体験談を話すと、結果の管理だけをする上司に当たったことがあって、毎晩毎晩「いくら売ってきた?」と聞かれて、半分うつ状態になったことがあるんです。その挙句、10日間ぐらい会社を休んだ末に、名古屋に左遷されてしまいました。
その話を宋文洲にしたら、「そんなふうに結果だけを管理するやり方はダメだ。営業にはプロセスというものがあるのだから」と教えてくれました。そんな僕自身の経験も、営業の教育やコンサルティングの仕事に携わるモチベーションになっていますね。
先ほどは「教育研修会社、コンサルティング会社の中には自分たちで試していないものを売っているところもある」という課題認識のお話もありました。教育研修業界、コンサルティング業界の課題をあらためてどうお考えですか。
知識を提供するだけの研修は先細りになっていくと思います。新型コロナウイルスの影響もあり、全世界でマーケットが一旦収縮していきますよね。そうすると、企業では自分で学んだりスキルを身につけたりできる人材しか必要とされなくなります。そのような人材を育成するために、研修会社の中には、実践に応じたトレーニングのメニュー開発に舵を切っているところもありますし、今後の研修はワークショップ型がメインになっていくのではないでしょうか。
人事に対しての課題は感じていますか。
今後は、人事部が戦略人事の方向に変わっていくことが求められると思います。僕がいた銀行には、人事部内に福利厚生部隊がありました。しかし、そういった業務はアウトソーシングすれば済みますよね。人事の本質は、自社の事業に合わせて、人材育成や採用のシナリオを描くことです。もうすでにその方向に進んでいる企業も多いと思いますが、今後ますます変革は進むのではないでしょうか。
営業は絶対になくならないから、絶対に捨てない
貴社と小松さんご自身の今後の展望を教えてください。
僕は取締役会長ではありますが、全体の経営戦略を決めるポジションではありません。社長の野部剛の参謀役です。僕と野部は「営業という分野は絶対になくならないから、絶対に捨てない」という考えです。
コロナ禍でやり方は当然変わってくるとは思います。例えば、リモートワークが進み、上司が部下を管理しにくい状況になってしまったとしても、「部下の〇〇さんは何が得意で何が得意じゃないか」がわかっていたら、指導はできるはずです。
僕たちが社員たちに徹底しているパン工場の説明のように、やるべきことが文字化されて共通言語化されていたら管理する必要はありません。もちろん、営業は運や縁がついてまわるものです。しかし、技術化したりデータとして分析したりすることで、80%の部分は科学できると思っています。
僕個人としては、アンドロイドをつくって大画面の中でアンドロイドAくん・Bくんをボタンで操作して営業させる。そんなことを南の島ですることが夢です(笑)。もしかしたら、すでにやっている人もいるかもしれませんよね。「時代に遅れているんじゃないか」とおびえつつもわくわくしながら、まだまだ挑戦していきたいと思います。
最後に、人材サービスなどに携わる読者の方々に、「ビジネスをする上でこういうことを若いうちにやっておいたほうが良い」「こういう心構えで仕事をしたら良い」など、メッセージをお願いします。
やったほうがいいことは、常に「なぜなんだろう」という問題意識を持つこと。言われたことをそのまま受け入れるのではなくて、一度立ち止まって「なぜなんだろう」と考えることを、若い頃から習慣化してください。
心構えとして伝えたいことは「会社のために働くな、自分の家族のために働け」です。「会社に貢献」なんてよく言われますが、「一体どれだけ貢献できるの?」と僕は思います。自分のために技術を磨いたり、自分のために仕事を活用したりすることが、結果的に会社のためになるんです。「会社のために働く」と言うと、やらされている感が出てしまいますからね。上司に褒められるのではなくて、お客さまに褒められることを目指してください。
社名 | ソフトブレーン・サービス株式会社 |
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本社所在地 | 東京都千代田区内神田3-2-8いちご内神田ビル10階 |
事業内容 | 営業コンサルティング事業/ビジネススクール運営事業/研修・セミナー事業/実行継続支援事業/アセスメント開発・販売 |
設立 | 2004年 |
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。