経済産業省 関東経済産業局では、地元の中小企業や商工会、金融機関、教育機関などが連携し、地域の人と組織の課題解決を図る「地域の人事部」という仕組みを、八つのモデル地域で進めてきました。初年度より兼業・副業人材マッチング事業を立ち上げ、「地域で働き一皮むける体験」の場を提示。2年目にあたる2023年度は「人的資本経営コンソーシアム」とも連携し、大手企業に属する社員の能力開発につなげてきました。今後企業が人的資本経営をより進める際に「地域の人事部」をどのように活かせるのか、経済産業省 関東経済産業局の石原優氏、株式会社パソナJOB HUBの加藤遼氏にお話をうかがいました。
- 石原 優さん
- 経済産業省 関東経済産業局
地域経済部 産業人材政策課長
いしはら・まさる/平成7年、関東通商産業局に入局。長くエネルギー政策や地球環境対策等に係る業務を担当した後、地方銀行、国立大学、地方自治体への出向も経験。直近では地域振興や成長産業支援に取り組む。令和5年4月より現職。
- 加藤 遼さん
- 株式会社パソナJOB HUB
ワークスタイルイノベーション本部 ソーシャルイノベーション部長
かとう・りょう/パソナにて、人材派遣、若者雇用、中小企業経営支援、東北復興、地域産業人材育成、観光振興、ローカルベンチャー事業開発、シェアリングエコノミー推進などに携わった後、現在はパソナJOB HUBにて、地域複業、ワーケーション、地方創生テレワークなど地域と都市を繋ぐ新しい働き方の創造や、企業の働き方変革・人材育成・人的資本経営推進に注力。
日本における人的資本経営の現状と課題
大手企業を中心に、人的資本経営が注目されています。現状をどのようにとらえていますか。
加藤:日本では上場企業を対象に、2023年3月期から有価証券報告書に人的資本に関する情報を記載することが義務付けられました。具体的な記載内容は、人材育成の方針やダイバーシティ&インクルージョン推進の考え方、組織における人の活かし方の方針と施策、また、これらにまつわる目標や指標などです。人的資本情報の開示は世界的な流れを受けたものであり、日本企業がグローバルで競争力を発揮するには、人的資本の強化は必須と言えます。
また「人材版伊藤レポート」で知られる、一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄先生の旗振りのもと、人的資本経営コンソーシアムが2022年に立ち上がりました。大手企業を含む550ほどの企業が会員となり、経済産業省もオブザーバーとして参加しています。
人的資本経営は、三つの立場で整理することができます。まずは、投資家たちです。投資家は、組織で働く人を大切にし、惜しみなく活躍を支援する企業に、中長期的な成長の可能性を期待します。また、人への投資はサスティナブル経営には外せない要素として認識されています。
次は経営者です。人材不足のため、激しい人材獲得競争が行われる中、投資家を含めた社内外の人々に、自社を魅力的に見せる必要があるからです。
最後は働き手です。メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への転換など、組織と従業員との関係が変化。自分らしい人生やキャリアビジョンの実現が、働くうえで最大の関心事になりつつあります。会社選びの際は、成長や活躍の機会が重視されています。
人的資本経営が進まない企業の状況を教えてください。
石原:特に地方の中小企業は、人的資本経営まで手が回らないのが正直なところです。仕事柄、各地に出向くことが多いのですが、どこに行っても、とにかく人手不足です。
求人を出しても応募がない、条件に見合う人材が見つからない。採用できたとしても、すぐに辞めてしまう。人口流出に加えて生産年齢人口の減少が、こうした状況に拍車をかけています。人がいないため、やりたいことがあっても事業が進展しません。そうした事態が経営を近視眼的にさせ、人に対する中長期的な投資が後回しになってしまうのです。
また、構造的な問題も見逃せません。中小企業では人事を管理部門の機能の一部と捉え、人事専任者を配置していないところが多い。経産省が選定している地域未来牽引企業でも、専任の人事・採用担当者がいない企業は4割を占めます。「経営戦略と人材戦略の連動」と言われても、スキルもマンパワーも不足しているので着手できないのです。
この状況は日本の経済に、どのような影響を与えると考えられますか。
加藤:つい最近も日本のGDPがドイツに抜かれ、世界第4位になったという報道が話題となりました。日本のGDPのおよそ7割は地方圏によるものです。さらに国内企業の99.7%は中小企業であり、日本人の7割が中小企業で働いています。
石原:注目されやすい大企業だけでなく、中小企業も積極的に人的資本経営に取り組んでいく必要があります。中小企業庁は、昨年『中小企業・小規模事業者人材活用ガイドライン』を公表しました。従来の『中小企業・小規模事業者人手不足対応ガイドライン』をリニューアルしたものです。中小企業に向けて、経営戦略と人材戦略の連動を図ることの重要性、すなわち人的資本経営の実践を説く内容となっています。単に「人が足りないから補充しよう」ではなく、「雇用だけではない人の活用も選択肢に含め、経営課題の解決を図ろう」というメッセージなのです。
加藤:ギャラップ社が2021年に発表した「世界の職場状況」レポートによると、日本の労働者のうち、高いエンゲージメントのもと働けているのはわずか5%に過ぎません。この数字は他国に比べても著しく低い水準です。韓国の12%、台湾の8%と比べても低く、20%を超える欧米圏には遠く及びません。
しかしこの状況を逆説的に捉えると、日本人のワークエンゲージメントが上昇すれば、生産性が格段に上がる可能性があると言えます。従来の経営では、事業成長に直接つながる資本への投資が中心でした。それを人の投資へとピボットさせる。大きなポテンシャルを秘めているのです。
地方の中小企業は、どのように人的資本経営に取り組めばよいのでしょうか。
加藤:例えば、都市部で働く大手企業の社員に、「プロフェッショナル人材として地方の中小企業のプロジェクトに参画してもらう」という方法があります。大手企業にとっても、社員の能力開発につながるので、メリットといえるでしょう。
詳しく説明すると、メリットは大きく三つあります。一つ目は、経営者視点の醸成。所属している大きな組織では、働き手と経営との間に距離があり、どうしても狭いスコープで事業を捉えがちです。一方、中小企業にプロジェクトとして参画する場合は、社長直下につくケースが多く、否が応でも包括的な見方が求められます。二つ目は、普段とは毛色の異なるコミュニティとの交流。価値観や仕事の進め方、議論の観点など、新たな気づきをもたらしてくれます。そして三つ目は、多様な人たちとのやり取りを経て導かれる、新たなアイデアやイノベーションの創発です。
石原:大手企業のプロフェッショナル人材、すなわち外部人材を受け入れる中小企業側にも化学変化が生じます。たとえば都市部の外部人材と自社の経営課題に取り組む際、中小企業側は若手幹部候補をプロジェクトメンバーに抜てきするケースがよく見られます。社内プロジェクトの顔ぶれがいつも同じという中小企業で、外部人材との協業は大きな意味を持つのです。
また経営者も自身が経営課題だと考えていたことが、外部人材からの指摘によって見方が変わる場合もあります。同じ地域の経営者同士では、置かれた環境や抱えている悩みが近く、どうしても視野狭窄(しやきょうさく)になりがちです。まったく異なる知見からのアプローチがあることで、課題の本質が浮き上がるのです。
しかし中小企業の経営者の多くは、まだ外部人材の活用というやり方があることに気づかず、雇用に縛られているのが現状です。必要な人を雇うだけの体力がないため、自社が抱える課題を解決できないと思い込んでいるのです。
加藤:社会の課題が複雑化し、変革のスピードも増す中、大手であっても自社で事業課題や組織課題のすべてを完結することは、難しくなってきています。さらに、ポテンシャルの高い優秀な人材がそろっていても、成長機会が限られているという問題もあります。自社事業やプロジェクトだけでは、一皮むける体験を十分に提供できません。社外環境の活用は、大企業の人的資本経営推進においても有用だと言えるのではないでしょうか。
人的資本経営コンソーシアムとの連携による兼業・副業人材マッチング事例
人的資本経営を推進する、経済産業省関東経済産業局の「地域の人事部」は、取り組みから2年たちました。手応えはいかがですか。
石原:地域の人事部は、中小企業の人にまつわる課題を、地域で包括的に支援する仕組みです。具体的には商工会や商工会議所、金融機関、まちづくり会社などのNPOに大学、自治体の支援団体が、その地域の企業を単体ではなく群で捉え、経営者の意識変革を促す「人材戦略・組織変革支援」、地域単位で人材にアプローチする「人材採用支援」、地域単位でのキャリア開発などの「人材育成・定着支援」を行うものです。
関東経済産業局では管内の八つの地域をモデルに、3ヵ年計画でスキームの確立をめざしています。同時に「地域の人事部」は、その地域ならではの特色を生かすこと、その地域特有の課題に取り組むことを最も重視しています。したがって初年度の2022年度は「地域の人事部」の構成機関同士が課題やビジョンを共有し、目指すべき支援の在り方を議論することにより、ネットワークを強化することに注力しました。
加藤:初年度はどの地域も「何をすればいいのだろう」と、課題の存在を認識していてもぼんやりとした部分が多く、事務局側から働きかける場面が多く見られました。しかし2年目の2023年度になると、現場から具体的なアイデアが出るなど、主体性と取組解像度の高まりが感じられました。
石原:当初はモデル地域の経営者でも、人的資本経営に対する関心や理解は特別高かったわけではありませんが、2年目にエンゲージメントや人的資本経営をテーマにしたセミナーを開催すると、ニーズを確認できる場面が見られるようになりました。
2023年度は人的資本経営コンソーシアムとの連携による兼業・副業人材マッチングの取り組みも行われたそうですね。
石原:人的資本経営コンソーシアムでは、企業間連携の一環として、地域企業への副業派遣を進めるプロジェクトが立ち上がっていました。この取り組みと「地域の人事部」で行う兼業・副業人材マッチングは非常に親和性が高いことから、コラボレーションに至りました。会員企業向けの説明会には延べ50社が参加。事前アンケートでは、次世代マネジメント層・経営層の能力開発や、シニア人材の活用の観点で関心を寄せていることが分かりました。実際に新潟県の燕市と、長野県の塩尻市のプロジェクトに、会員企業の社員が派遣されました。
ナイフやフォークなどの洋食器製造で有名な燕市では、派遣された4名が市内の企業3社を訪問し、プロダクトの海外展開という経営課題に取り組みました。燕市の洋食器は、品質や技術力で世界的に高い評価を得ています。しかし、初めて海外に進出してから時間が経っていることもあり、ライフスタイルを含めた生活観の提案など今の市場に合った戦略を考えるのがテーマでした。
よく派遣元の企業から「経営に詳しくない社員が、派遣先で果たして役に立てるのか」といった相談を受けますが、気にすることはありません。もちろん高度な知見や経験があれば歓迎されますが、地域企業はどちらかといえば、“気づき”を求めています。自分たちが見向きもしなかった点に価値や強みが隠れていると指摘されたり、まったく発想しなかった観点で解決策を見出したりすることを期待しています。大きな組織では当たり前なことでも、地方の中小企業ではそうでないことがたくさんあるのです。
派遣された社員にも、気づきや学びがたくさんあるはずです。その会社の一員となり組織的に課題に取り組むと見え方や捉え方がまるで違います。個人として副業やプロボノに参画するのとはまた違った形で、能力開発を行えるのです。
大手企業が地域と関わることで期待される、人的資本経営の広がりと持続性
企業が関わることで、さらなる化学反応が起こるのですね。
加藤:個人が会社の外で活動する場合、本人の意志やキャリア志向が強く反映されます。一方、企業が兼業・副業派遣に参画すると、新たに「派遣元企業として、派遣先地域とどう関わるか」という新たな軸が生まれます。これは非常に興味深いことです。
地方にとって関係人口(移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のこと)の創出は、大きな関心事です。個人単位での関係構築も大切ですが、大手企業が特定の自治体と手を組むとなったときのインパクトは計り知れないものがあります。
従来の企業の地方展開といえば、営業所や支店、工場、倉庫などの事業所の開設くらいしか選択肢がありませんでした。基本的にその地域で収益を得る見込みがなければ、候補に上がらなかったのです。しかしデジタルの進化が、その常識を打ち破ろうとしています。ネットワーク社会によって、働く場所と時間の柔軟性が高まったからです。
能力開発を目的とした兼業・副業人材派遣でも、塩尻市では地域で特定のテーマを設定しませんでした。派遣元企業と受け入れ先が相談しながら、プロジェクトテーマを設計する方法をとったのです。塩尻の地域や企業が有する資源や課題を提供し、大手企業が抱える人の課題解決につなげようとしています。
こうした手法は派遣元企業と地域の関係を深め、継続的な提携につながる可能性を秘めています。兼業・副業人材派遣を入口にして、テストマーケティングを行う、新規事業のプロトタイプを実践するなどが考えられます。関係人口ならぬ“関係企業”の創出により、大手企業と地域に豊かさはもたらされます。人的資本経営の観点から見ても、メリットが期待できるでしょう。
大手企業の「地域の人事部」への参画が、日本全体の人的資本経営の波及につながるということでしょうか。
加藤:はい。私たちが強く期待するところです。しかしながら、まだまだ壁があるのが現状です。兼業・副業派遣について、大企業は社員を送り出したい思いがあり、地域も受け入れようと努力しているけれど、なかなか実践に結びつかない。
その背景には、経営レベルで人的資本の議論がなされておらず、人や組織の課題の抜本的変革が遅れていることがあります。これは企業規模や都市部、地方を問わずに言えることです。まずは経営者自身が、外部人材の登用や兼業・副業派遣によるダイナミズムを理解し、試してみることが大切です。
もう一つ、大企業は地域に派遣した社員に関して、活躍の道筋や活用の場を設けることも重要です。地域企業の経営課題に体当たりで臨み、多くの学びを得て戻って来ても、以前いた環境と何ら変わらなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。プロジェクトを通じて培ったリーダーシップや主体性を発揮できるように、戻ったあとに活躍できる環境や仕組みを整備することは、企業の責務といえます。
石原:地域の経営者も、意識変革が問われます。外部人材を、よそ者扱いしないことが重要です。自社のピンチを救うプロとして期待をかけ、現場の社員たちに新たな気づきと成長を促すパートナーとして、腹を割ってつき合っていくべきです。
同時に“関係企業”の創出を、地域の人的資本経営の原資と捉えることも必要です。「地域の人事部」は経済産業省が運用コストをバックアップしていますが、最終的にはそれぞれの地域が活動を自走できるようになる必要があります。
たとえば企業向け研修プログラムの一環として、兼業・副業人材を受け入れるのであれば、地域の受け皿として機能する地域の人事部がビジネスとして成り立つはずです。今動いている八つの地域の一部では、産業振興の観点で予算をつける自治体も出てきています。税金頼みの取り組みではなく、公共政策と民間事業のハイブリットという新たな方向を模索してほしいと考えています。
加藤:経済産業省が発表する「人材版伊藤レポート」では、人的資本経営を行うための三つの視点(経営戦略と人材戦略の連動/As is-To beギャップの定量把握/企業文化への定着)と、五つの共通要素(動的な人材ポートフォリオ/知・経験のダイバーシティ&インクルージョン/リスキル・学び直し/従業員エンゲージメント/時間や場所にとらわれない働き方)を提示しています。
特に「地域の人事部」では、五つの共通要素についての議論が始まっています。地域の中小企業においても、人的資本経営をどう進めていくかというフェーズに入り始めているのです。都市圏の大手企業と地方の中小企業が、伊藤レポートを共通言語にして人的資本経営についてフラットに議論し合える関係になれば、当事者が主体的かつ創造的に動く“人が活きる”経営がスタンダートになっていくでしょう。すなわち国全体で、エンゲージメント高く働ける素地を築くことになる。それは高齢化と人口減少が進み、課題先進国と呼ばれる日本において、とても重要なことです。
石原:日本の企業は、政府の方針を素直に受け止め、自社の経営に生かそうという勤勉さがあります。今後も「地域の人事部」を起点に、日本全体の人的資本経営をアップデートしていきます。
電話:048-600-0274
E-MAIL:bzl-kanto-jinzai@meti.go.jp