「戦略人事」のあり方が進化しています。神戸大学大学院経営学研究科准教授の服部泰宏さんは、「戦略人事を具体化するためには『人的資本経営』の考え方が必要」と話します。積極的に人材へ投資し、その価値を最大限に引き出す「人的資本経営」が、なぜいま求められているのでしょうか。戦略人事と人的資本経営の関係や人事の果たすべき役割について、服部さんにうかがいました。
- 服部 泰宏さん
- 神戸大学大学院 経営学研究科 准教授
日本企業における組織と個人の関わりあいをコアテーマに、経営学的な知識の普及の研究、日本、アメリカ、ドイツ企業の人材採用に関する研究などに従事。2018年以降は、企業内で圧倒的な成果をあげる「スター社員」に関する研究も行っている。
「戦略人事」達成に必要な「人的資本経営」
「戦略人事」の捉え方が変化してきています。
1990年代に入り、経営戦略に基づいて人材をマネジメントする「戦略人事」の重要性が提唱され始めました。戦略人事の実現に向けて、人事はこれまで以上の貢献を求められるようになりましたが、その一方で、貢献のあり方についてはあまり具体化されてきませんでした。
その後、個人の多様性の尊重が進むにつれて、人事は必然的に社員のミクロな要求に応えることを求められるようになりました。戦略人事への貢献のあり方として、現場で求められていることをより具体化するために重視されるようになったのが「人的資本経営」です。戦略人事を実現するために必要な視点が人的資本経営であると言えます。
では改めて、人的資本経営とはどういったものでしょうか。
人的資本経営にはさまざまな定義がありますが、私は五つの要素の組み合わせだと考えています。(1)個人が持つ制約と保有資本の多様性が前提になっていること、(2)全体性の許容、(3)自律的な働き方、(4)傾聴や対話を基軸としたリーダーシップ、(5)結果としての長期雇用の五つです。
まず、労働時間や勤務地などに「制約」がある社員は多く、会社に提供できる時間・労力の幅もさまざまです。「優秀さ」についても、地頭の良さだけではなく、人とのつながりや心理的な強さなど、多様になってきています。
社員は、ビジネスパーソンとしての顔以外にも、「父親」や「恋人」など複数の顔を持っています。能力を最大限に引き出すためには、そのような個人の「全体性」を許容した上でのマネジメントが必要です。
社員のあり方も変化しています。部下は上司が出した指示にただ従うのではなく、自ら判断し、動くことが求められています。そのような状況では、上司のリーダーシップもおのずと変化。リーダーシップの形に唯一の正解はありませんが、「傾聴」や「対話」ができることはすべての優秀なリーダーに共通しています。
これまで日本企業は、長期雇用を前提として社員の育成や配置を計画してきました。しかし、長期雇用は「結果」として生じた状況であるべきです。社員に自社を選んでもらい続けるためには、自社と社員の関係性を常にメンテナンスする必要があります。
この五つを意識しながら、積極的に人材へ投資していくことが人的資本経営です。企業ごとに大事にしているものは変わるため、すべての項目を完全に満たしている必要はありません。自社が人的資本経営を実践できているかを測るためのチェックリストとして、これらの要素に注目してほしいですね。
「自社にとっての優秀さ」を定義する
人事はまず何から始めるべきでしょうか。
戦略的な人事の遂行のためには、「経営戦略やビジョン・ミッションと人事戦略との連動性」と「自社の勝ちパターンにおいて必要な能力や優秀さとは何か」を考えなければなりません。どちらも行っていない場合には、後者から始めるべきですね。
どの現場にも、目の前の業務をおろそかにする人はいません。ただ育成など短期間で成果が見えない領域には、十分な資源を投入できていないケースが非常に多い。現場から情報を吸い上げ、長期的な視点で全体を俯瞰することは人事にしかできません。
人事が「いま成果を出す社員はいるが、このままでは将来的に新しいものを生み出すことはできない」と判断することもあるでしょう。その場合には自社が勝ち続けるために、短期的なパフォーマンスを多少犠牲にしてでも将来必要となる能力を育成したり、未来志向のアクションを評価したりする方向にシフトすることも重要です。
「自社に必要な能力や優秀さ」はどのように特定するといいのでしょうか。
まずは自社の仕事を構成している要素を分析することが必要です。ジョブ型雇用が中心の欧米では、仕事の内容やレベルを明確にする「ジョブアナリシス(職務分析)」を行っている企業が多いですが、日本に多いメンバーシップ型雇用の会社でも分析はできます。
たとえば営業であれば、どのようなタスクから仕事が構成されていて、中でもハイパフォーマーはどのようなタスクに注力しているのか。人事であれば、優れた面接官はどのような質問を行っているのか。このように一つずつ丁寧に分析していくことで、必要な能力やスキルをかなりの程度まで特定できます。
重要なのは自社と深く向き合うことですね。
「戦略人事」も「人的資本経営」も、一種のバズワードと言えます。HRの世界では次々に新しい単語が出てきますが、それはクリエイティビティの証しでもあるので、悪いことではありません。ただし、安易に飛びつくのではなく、その言葉の意味を正確に理解することが必要です。その上で「なぜいまこれがバズっているのか」を一歩引いて考え、自社に取り入れた場合にどういった影響をもたらすかを考えなければなりません。
重要なのは「みんなが大事だと思うこと」と「自社が大事にしていること」の二つの視点を持つことです。みんなが大事だと思っていることにはどの会社も注力しますが、意外と「他社にとっては重要ではないが、自社にとっては大事なこと」は見落とされがちです。結果的にこの部分が他社との差別化にもつながります。
たとえば採用シーンでは、三幸製菓が採用試験でおせんべいへの愛を語る「おせんべい採用」を行っています。社員に持っていてほしいスキルや能力はいろいろとありますが、おせんべいを売る会社としては、やはり根底におせんべいへの思いがなければいけないですよね。
人事はリテラシーを高める努力を
戦略的な人事を実現する上では、自社以外の資源を活用することも選択肢の一つとなるのでしょうか。
最近は、他企業や支援会社といった外部パートナーの重要性がますます増しています。たとえば他企業と説明会や研修を合同で行ったり、人事機能を複数企業でシェアしたりするケースが見られます。また、人事がより複雑な業務を求められるようになる中、人事コンサルなどの支援会社をうまく活用するのも有効な手段です。
人事コンサルは、自社の人事機能を高めてくれる会社を選ぶと良いですね。問題解決を一手に引き受けてくれるコンサル会社は、すぐに解決が必要な課題がある場合には有効です。ただし、自社の人事機能の向上にはつながらない場合があります。人事の能力を高めたいならば、一緒になって考えてくれるコンサル会社が良いでしょう。
サービスの効果を最大限に享受するために、人事が意識すべきことは何でしょうか。
支援会社には、企業ごとの事情に寄り添って、ある程度テーラーメイドな支援を行ってくれる会社と、自社の得意な手法を用いて画一的な支援を行う会社があります。前者の会社を選ぶべきですが、支援会社がどういう姿勢なのかを見極めるには人事側のリテラシーも必要です。
アメリカでは支援側と被支援側がともに勉強を重ねて、ときには深い議論に発展することもありますが、これこそが健全な形です。人事と支援会社がある種の緊張感を保ちながら、お互いに知識をアップデートさせていく関係を築き上げる。これにより、支援会社がしっかりと自社に向き合う状況をつくり出すことができます。