常態化する地政学リスクへの対応~リスクインテリジェンス向上のすすめ~
三菱UFJリサーチ&コンサルティング コンサルティング事業本部 サステナビリティビジネスユニット GRCコンサルティング部
部長 プリンシパル 阿部 功治氏
アソシエイト 趙 秀彬氏

近年、世界各地でさまざまな紛争が相次ぎ、予期せぬマーケットの変動やサプライチェーンの断絶が日本企業にも大きな影響を与えています。こうした地政学リスクをはらんだ時代において、企業は単に無数の情報を組織的に収集するだけにとどまらず、それらの分析や評価を通じて、いかに戦略に反映させられるかが問われています。このような組織の能力は「リスクインテリジェンス」と呼ばれています。各企業が地政学リスクを先読みし、適切な備えを検討する一助となるよう、本コラムではリスクインテリジェンスの考え方と、それを有効に機能させる実践的なアプローチについて紹介します。
常態化する地政学リスク
現在の国際情勢を鑑みると、地政学リスクは一過性ではなく、常態化したと言うべき状況が続いています。2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、本稿執筆時点である2026年4月においてもいまだに終息していません。さらに、2023年にはパレスチナ・ガザ地区におけるイスラエルとハマス間の戦争が勃発し、2026年初頭はアメリカによるベネズエラへの攻撃が発生しました。さらにアメリカとイスラエルによるイランへの攻撃とそれに伴うホルムズ海峡封鎖・原油市場の混乱に関連したニュースが連日報道されています。こうした地政学リスクは、紛争などの発生地域における直接の人的・物的損失のみならず、マーケットの混乱やサプライチェーンの断絶などを通じて企業経営全体にも深刻な影響を及ぼしています。もはや企業にとって、地政学リスクは「起こるかもしれない」ではなく「常に起こり得るもの」であり、それゆえ、危機を先読み、適切に備えていくことが求められる時代になっているのです。
不確実性時代の企業戦略――リスクインテリジェンスの重要性
地政学リスクをはじめとした、企業を取り巻く環境の不確実性はますます高まっています。この困難な状況下において、企業が取り得る経営のスタンスは大きく2つに分かれます。1つは、発生した事象に対して個別に対処し、損失の回避や解消にフォーカスしていく「後追い型」の対応です。もう1つは、環境の不確実性を前提に、自社にとっての脅威と機会を先んじて見極める「先読み型」です。リスクインテリジェンスとは、まさにこうした「先読み型」の経営を支える組織能力です。
リスクインテリジェンスの本質は、単に「危険を避けるための知恵」を得ることではなく、「どのリスクを取り、どのリスクを避けるべきかを見極め、それを戦略に反映させる能力」にあります。多くの企業ですでに実践されているリスクマネジメントは、主に損失の未然防止や損失の最小化に焦点が置かれてきました。他方、リスクインテリジェンスは企業経営全体の観点から広範な情報の収集とシナリオ分析を行い、想定されうるリスクを洗い出した上で、それらを踏まえた包括的な戦略を検討していきます。
実際、シェル(Shell)やシーメンス(Siemens)のようにリスクインテリジェンスの高い組織が不確実な未来を見据え、原油価格の暴落や産業構造の変化を先取りし、大胆な事業ポートフォリオ転換に成功した事例はよく知られています。これらの事例から導き出される成功要因は、「唯一無二の未来像を正確に的中させる」という発想ではなく、考え得る複数の未来を描き出し、それぞれの未来像において自社のビジネスモデルや投資計画がどのように変わる可能性があるか、事前に徹底的な検証をしていた点にあります。
リスクインテリジェンス・サイクルで備える地政学リスク
地政学リスクへの対応においても同様に、複数の未来像に備える発想が求められます。本項執筆時点におけるイラン情勢を例に取れば、「関係各国間での緊張状態が今後どう推移するか」「制裁や輸出規制はどの程度強化されるか」「エネルギー価格の変動がどこまで続くか」といった問いに対して、単一の正確な答えを出すことは極めて困難です。むしろ、「緊張の長期化」「急激な沈静化」「他地域への波及」といった複数のパターンをあらかじめ想定し、それぞれのパターンにおいて、自社のサプライチェーンや収益構造、資本政策にどのような影響が出るか、短期的/中長期的に自社としての対応策などをシナリオとして描き出し、具体的にシミュレーションしておくことが重要です。
この際、どのシナリオでも有効な「共通戦略」と、特定のシナリオでのみ実行する「オプション戦略」を分類し、それらを組み合わせた「アクションポートフォリオ」を用意しておけば、状況の変化に応じた素早い対応が可能となります。危機が深刻化した時点でゼロから打ち手を考えるのではなく、「どの条件を満たしたら、どの施策をどの順番で実行するか」を前もって決めておくことで、発生した危機を単なる損失要因として終わらせるのではなく、競合との差を一気に広げるチャンスへと変えることも可能となります。
こうしたリスクインテリジェンスを有効に機能させるためには、単発のシナリオ策定やそのための情報収集・分析を単発のプロジェクトで終わらせるのではなく、「リスクインテリジェンス・サイクル」として日常的に回し続ける仕組みづくりが欠かせません。外部の膨大なニュースやデータの中から自社にとって意味のある「ローデータ」を選び取っていきます。次にそれらに分析・解釈を加え、意思決定に結びつく形で経営や事業部門に伝達していきます。この一連のプロセスを継続的に運用していくことで、組織としての「感度」と「打ち手の質」、すなわち組織のリスクインテリジェンスは着実に磨かれていきます【図表】。

(出所)ISO/TS 31050:2023 “Risk management — Guidelines for managing an emerging risk to enhance resilience” https://www.iso.org/standard/54224.htmlを参照し、三菱UFJリサーチ&コンサルティング作成
地政学リスクはもはや常態化し、今後も長期にわたって企業の経営に大きく影響を及ぼし続けるでしょう。これからの企業経営においては、各種リスクを「どう恐れるか」や「損失をいかに最小化するか」だけではなく、「どう使いこなすか」や「いかに組織としての機会に変えていくか」という積極的な発想も重要となります。事業環境の不確実性がますます高まる中、リスクインテリジェンスを不可欠な経営機能として位置付けていくことが、企業価値を守り、さらには向上させていくための有効な手段となるでしょう。
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三菱UFJリサーチ&コンサルティングは、三菱UFJフィナンシャル・グループのシンクタンク・コンサルティングファームです。HR領域では日系ファーム最大級の陣容を擁し、大企業から中堅中小企業まで幅広いお客さまの改革をご支援しています。調査研究・政策提言ではダイバーシティやWLB推進などの分野で豊富な研究実績を有しています。未来志向の発信を行い、企業・社会の持続的成長を牽引します。
https://www.murc.jp/

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