静かな農村で「民宿経営」に挑む女性たち
全国各地の農村で「農家民宿」など新しい試みに挑戦する動きが出てきた。その活動の中心になっているのは女性であることが多い。秋田県西木町の「星雪館」も農家の主婦と長女の2人で経営、オープン7年余で県外からの常連客が増えている。彼女たちが、ぎりぎりまで押し込められた日本の農業の可能性を少しずつ広げつつあるのかもしれない。静かで豊かな「星雪館」を訪ねた。
(取材・執筆=山田秋治)
東京から4時間、観光名所もない町で 農家の主婦が切り盛りする人気の民宿
東京からなら秋田新幹線「こまち」に乗り、3時間20分ほどで東北の小京都・角館に着く。枝垂れ桜の名所だが今回は素通りし、そのまま第3セクターの秋田内陸縦貫鉄道に乗り換える。名前通り秋田県を南北に貫いて走る単線のローカル電車だ。1時間に1本の電車に乗って約25分、4つ目の羽後長戸呂駅で下車する。
地元の利用者がわずかに乗り降りする駅で、観光客などまず下車することはない。これから訪ねる農家の主婦によれば「何もない」町だからである。町とはいっても、平成の大合併で昨年9月、角館などとともに仙北市に組み込まれ西木町になったばかりで、それまでは仙北郡西木村だった。行政機構は変わっても、にわかに何が変わるわけでもない。喫茶店もなければ著名な観光名所もない、相変わらずの何もない村。
駅を出て桧木内川(ひのきないがわ)を渡り、畑の脇をぶらぶら歩いていくと、やがて目的の農家、門脇家にたどり着く。ここを紹介してくれた人は、「着いたら『ただいま』と声をかけること。奥さんが『えぐ来てけだなあ』と迎えてくれるから」といっていたが、家族でもあるまいし「ただいま」とは言いにくい。「こんにちは」と声をかけると、この家の主婦、門脇昭子(しょうこ)さんが、笑顔で出迎えてくれた。
何もない村を訪ねたのは、農家見学が目的ではない。農業を営む門脇家が経営する農家民宿「星雪館」で、のんびり都会の垢を洗い落とそうと思ったからだ。母屋の隣に2階建ての宿泊施設を建て、昭子さんと長女の富士美さんの2人で切り盛りして7年余になる。
秋田県内では2番目にスタートした農家民宿 納屋を改造して2階建ての宿舎を建てた
グリーン・ツーリズムの浸透で、農家民宿、漁村民宿を営む農漁村が各地に増えているが、「星雪館」は同じ西木町の「泰山堂」に次いで秋田県内では2番目に農家民宿を始めた。この世界では先発組に入る。最近でこそ、規制緩和で農家民宿の営業許可を取りやすくした自治体もあるが、星雪館がオープンした1998年10月当時は、簡易宿所としてユースホステルやカプセルホテルと同じ厳格な営業許可が必要で、構造設備はもちろん換気、照明、防湿などの衛生基準をクリアしなければならなかった。食事を出すために飲食店営業の許可、食品衛生責任者の資格も必要だ。
それ以前に、民宿経営を始めるに際して取り付けなければならなかったのが夫の征志(せいじ)さんの承諾。農業一筋に生きてきた夫は簡単には首を縦に振らなかったが、なんとか口説き落として民宿の建築資金を借金することができた。その後は役所を走り回ってさまざまの許可を取り付け、納屋を改造して2階建ての宿舎を建ちあげた。1階は物置、作業場、加工所など、玄関からそそり立つ大きな階段を上がった2階には、居間のほか和室2つに洋室1つ、台所、浴室、トイレも供えて宿泊スペースとした。
門脇家は戦後、樺太から引き揚げてきた征志さんの両親が現在地を開拓して以来の農家。戦後60年、日本の農家がどんな目に遭ってきたかは、農家人口の推移が端的に示している。総人口に占める農家人口の割合は1970年の25.6%から2003年には7.6%にまで落ち込んでいる。人口の4分の1から10分の1以下にまで激減したのは、一言でいえば食っていけなかったからだろう。
場当たりの農政に振り回され、働き手の父ちゃんは出稼ぎ、田畑を守るのは爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんという"三ちゃん農業"が話題になったころ、門脇家では父ちゃんだけではなく、爺ちゃん、婆ちゃんまでが関東に出稼ぎに行き、昭子さんと2人の子供だけで留守を守る心細い時期もあったという。
それでも農業を断念しなかったのは、開拓者の意地だったろうか。相次ぐ減反で、米作りは3000坪ほどの田畑の半分にし、残りでほうれん草、小松菜、春菊などのハウス栽培を始め、ようやく生活が安定したのは、この10年ほどらしい。最近では征志さんの出稼ぎも日帰りのできる盛岡止まりで、ハウスだけでも年間500万~600万円の収入になり、食べるだけは困らなくなった。
部屋にはテレビも浴衣も洗面具も備えていない 不便な宿なのにリピーターの客が増えている
生活も落ち着いてきたのに、なぜ新たに借金までして農家民宿を始めたのか。昭子さんは「ハウスだけでは物足りなくなったのかな」という。暮らしが落ち着いたからこそ、このまま趣味もなしに年老いていくのだろうかと疑問が湧き、そんなとき、秋田県第1号の農家民宿「泰山堂」がオープンした。早速、農家民宿について調べるうちに、村から出て行ったものの「たまには西木に帰りたいけれど、親戚のところでは気兼ねをするし、ほかに泊まるところもないし」と嘆く人がいることを知った。故郷を出て行った人たちの受け入れ宿ならやり甲斐もある。そう考えて、星雪館建設に取り組み始めたのだという。
「何もないけど、それが魅力。おいしい空気と自然、静けさがご馳走」が星雪館の自慢であり、そのまま西木町のキャッチフレーズでもある。なかでも寒中の星空と雪景色の美しさは喩えようもなく、それを名前にしたのが「星雪館」だった。もっとも、この冬は予想外の豪雪が2メートルを超えて積もり、あやうくハウスまでつぶされるほどだった。おかげで雪かきなどに忙殺され、折角の予約を断らなければならなかったほどだという。
星雪館の宿泊人数は原則5人で、1日1組限定。1泊2食付きで6000円だが、冬期は暖房費として500円の割り増しになる。室内にテレビやラジオはなく、寝間着や洗面具、飲み物もお客が持参しなければならない。何もないうえに不便だが、それでもリピーターの宿泊客が少なくないのは、いかにも日本のふるさとといった西木町のたたずまいと、昭子さん母娘の素朴で暖かいもてなしのゆえだろう。
郷土料理や目の前のハウスで採れた旬の野菜をつかった料理が得意なだけに、昭子さん手作りの食事は舌の肥えた都会の客も十分に納得する。名物のきりたんぽ鍋や山の芋鍋、あるいは舞茸や豚肉も加えたほうれん草鍋、ときには西木町からさらに北に行ったマタギの里・阿仁町の知人から分けてもらったという熊鍋が供されることもある。
季節の山菜や鮎などの川魚も食膳を飾る。味のいい山菜を求めて、田沢湖に近い山まで採りに行くのだという。「いくらでもあるように見えるけど、年々、山の奥へ入らないとたくさんは採れなくなってきた」からだ。
評判を聞いて全国からの常連も増えてきた 野菜収穫や干し餅作りを手伝う人もある
星雪館の評判を聞いて、全国各地から訪れる常連も増えてきた。彼らが何よりも楽しみにしているのは、昭子さん一家のもてなしと主客同席しての団らんだが、土に親しみたいとハウスでの野菜収穫や干し餅作りなどを手伝う人もある。都会暮らしに疲れたからと終日ごろごろ、2階のベランダから目の前に広がる田園風景を眺めるのも、ストレス解消にはもってこいだろう。
車を駆って近くを遊び回る客もある。何もない農村とはいっても、毎年2月10日の夜、門脇家のある上桧木内地区で行われる「紙風船揚げ」はテレビなどでも紹介され、最近では各地から1万人近い観客が集まるにぎわいを見せている。内部から灯された数メートルから10メートルを超える大きな紙風船が、夜空にふわりふわりと上がっていく光景は幻想的だ。また町内の八津・鎌足地区には本州最大規模のカタクリの群生地があり、4月になるとピンクの花を咲かせる。町では1994年から群生地を一般公開し、以来毎年入場者は増える一方だという。
さらに夏場の天然鮎や蛍、一粒4センチ以上はある秋の西明寺栗など、季節ごとの自然の産物には事欠かない。また近くの田沢湖高原周辺には乳頭温泉や玉川温泉などがあり、温泉巡りを楽しむ客も少なくない。
門脇家では征志さんが米作りを主体にした農業の専従、昭子さんと富士美さんがハウス栽培と農家民宿経営に力を注いでいる。ハウスで採れる野菜は民宿の客にも出すが、産直の「気まぐれパック」と名付けて、米や手作りの餅菓子とともに都会のファンたちに送り届けている。最近では、門脇家の野菜に惚れた東京のスーパーにも、ハウスの産物を卸しているという。
親子3人で1500坪の田んぼでの米作りに加え、16棟のビニールハウスでの野菜栽培をこなしながらの民宿経営は、楽ではあるまい。しかもリピーターが増えつつあるとはいっても、特別に宣伝しているわけではないから、平均すればひと月の利用客は数組。仮に10人が泊まりに来たとしても6万円にすぎず、儲けにはほど遠い。
おまけに宿泊業だから、ときには思いがけない客に戸惑うこともある。運転手が疲れたから一晩泊めてくれと、埼玉ナンバーのタクシーでやってきた客があった。聞けば埼玉から阿仁町まで行く途中だという。金はあるというが、1カ月も仕事をしていないというし、多少不気味ではあったが、泊まってもらった。翌朝きちんと代金を払って再びタクシーを飛ばしていったが、事件にでも関係した人ではと、しばらくはニュースが気になったそうだ。
ままにならぬ自然を相手に苦闘してきた女性が いつのまにか身につけた不屈の闘志
かと思えば、村の駐在が宿泊代金を立て替えるからと、20代の青年を連れてきたこともあった。新潟で働いていたが、仕事先が倒産、秋田の実家に帰ろうと思ったが、旅費がなく、自転車に乗ってやってきたのだという。「どうぞ」といっても、青年は玄関先に立ったまま上がろうとしない。聞けば、長いこと風呂に入っていないので、部屋を汚してしまうという。タオルを差し出すと、足を洗って2階に上がり、久しぶりの寝床でぐっすり寝たようだった。
身元もしれぬ客でも、昭子さんは「なあも、なあも。なるようにしかなんないし」と動じない。「なあも、なあも」も昭子さんの口癖で、この地方の古くからの言い回しらしい。そういえば、北海道の人も、よく「なんも、なんもさぁ」と口にする。なんということはないといったニュアンスだ。ままにならぬ自然を相手に苦闘してきた人たちが、いつのまにか身につけた不屈の闘志を、軽く言って見せた言葉に違いない。
西木町はじめ全国の農村で、農家民宿など新しい試みに挑戦する動きが活発化しているが、さまざまな障害にもめげず、活動の中心になっているのは女性であることが多い。楽天的でこだわりの少ない女性たちが、ぎりぎりまで押し込められた日本農業の可能性を少しずつ広げつつあるのかもしれない。
「うちじゃあ、宣伝して大勢の人に来てもらって、農家民宿で食べていこうというわけじゃないんだ。基本はあくまで農家。自分のペースに合わせてのんびりやっていければいい。60歳になったらどうなるんだべと焦りもあったけど、星雪館を始めてからは、生活のハリができたね」
昭子さんは、自分で納得するように頷きながら、そう話してくれた。遠くの農道を走る車の音がかすかに聞こえるだけ。都会では体験のできない静けさである。