本当に、仕事と介護、両立できますか――。
仕事をしながら家族の介護を担う「ビジネスケアラー」や「ワーキングケアラー」と呼ばれる人たちが増えています。2025年4月には従業員が介護休暇・休業を取りやすくなる改正育児・介護休業法が施行され、企業には仕事と介護の両立支援制度を事前周知することなどが義務化されます。一方、単に制度を説明するだけでは逆効果になりかねないと警鐘を鳴らしているのが、NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さんです。介護の「当たり前」を変える必要性とは。人事には何ができるのか。川内さんにうかがいました。

- 川内 潤さん
- NPO法人「となりのかいご」代表理事
1980年生まれ。上智大学文学部社会福祉学科卒業。老人ホーム紹介事業、外資系コンサル会社、在宅・施設介護職員を経て、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。2014年に「となりのかいご」をNPO法人化、代表理事に就任。厚労省「令和2年度仕事と介護の両立支援カリキュラム事業」委員、育児・介護休業法改正では国会に参考人として出席。
「親孝行の呪い」―介護が“家族の義務”になる時―
4月に改正育児・介護休業法が施行されます。どのような点が変わるのでしょうか。
企業は、従業員が介護に直面する前の段階で、 介護休暇や休業など、仕事と介護の両立支援制度に関する情報を提供することが義務となりました。具体的には、従業員が40歳になる年度か、40歳になってから1年以内に、制度を周知しなければなりません。介護に直面した従業員に対しては、情報提供に加えて、個別に制度利用の意向を確認する必要もあります。このほか、介護休暇を取得できる要件が緩和され、研修の実施や相談窓口設置といった、介護離職防止に向けた環境整備も義務付けられます。
働く介護者の現状をどのようにご覧になっていますか。
年明け以降、「となりのかいご」への介護に関する相談が急増しています。人は、自分の親に介護が必要な状況に直面するまで、できるだけ「大丈夫」と思いたいもの。いざ介護と向き合うと、十分な準備ができておらず、動揺してしまう人が多いと感じます。
「家族が近くにいて身の回りの世話をするべき」という考えに、多くの人が疑問を感じていないことが大きな課題です。家族が近くにいると、要介護者は家族のサポートに頼り切ってしまい、余計に要介護状態が進んでしまいます。ヘルパーやデイサービスの利用を勧めても、「子どもがやってくれるから」と、外部サービスを利用したがらない人も多い。家族が細やかに介護に取り組めば取り組むほど、介護度は重くなります。また外部の助けを得られないと、家族は疲弊してしまいます。
子どもが近くにいて介護をすべきという「親孝行の呪い」という言葉もありますね。
介護休暇や介護休業を活用して献身的に介護をすることが、本当に親孝行だとは限らないと思います。
親の介護は、介護のプロにとっても難しい。私も自分の親だけは介護できないと感じています。親が元気だった頃を知っているからです。元気だった頃を知っていると、できないことを「かわいそう」と思い、「もっとやってあげなきゃ」と考えてしまう。そして、本来なら親が自分でできるはずのことまで、先回りしてサポートしてしまうのです。すると、親はすべてを子どもに依存するようになります。
例えば、健脚で長年山登りをしていた父親が、90歳になって山に登れなくなってしまったら、家族は「こんなに弱ってしまった」とショックを受けるでしょう。しかし、私たち外部の人間からすると「90歳でも自分で歩けているんですか! すごいですね!」となる。その人の「今ある強み」に焦点を当てて接することができます。
以前、遠方に一人で住んでいる母親を、都心に住む自分の家に引き取りたいという相談を受けました。よく話を聞くと、その母親を慕う地域の方々がよく家を訪ねていて、おしゃべりしているとのこと。そんな方を家族以外に知り合いもいない、気候も風土も違う都心に引っ越しさせるべきでしょうか。
このことを理解できていると、「家族が介護をすることが親にとっての幸せ」という呪縛からは逃れやすくなると思います。
多くの人はこの道筋を理解していません。当事者も人事も、管理職も役員も、家族がそばにいて介護をすることは良いことであり、当たり前だと思っています。実際、当事者である従業員自身が、休みやテレワーク、異動などにより「付きっ切りの介護」がしやすい状況を会社に求めています。しかし、介護休暇・休業を活用する従業員ほど、会社を辞めてしまう傾向があります。つまり、従業員の要望に真摯に応えている会社ほど、本当の両立支援から遠ざかっている可能性があるのです。
家族が付きっ切りで介護すればするほど、介護する人も、介護を受ける人も不幸になっていきます。会社が支援すべきなのは、従業員が今まで通り働けるようにすること。従業員が介護の問題に直面する前に、本当の両立とはどういうことかを伝え、「老いることで、これまでできていたことができなくなるのは当たり前。家族の責任ではない」と理解してもらわなくてはなりません。それができるのは、すでに介護で悩んでいる人が相談に来る私たちではなく、人事の皆さんです。今回の法改正による事前説明の義務化は、そのための機会を設けるチャンスです。
「付きっ切りの介護」が問題を引き起こした事例を教えていただけますか。

ある事業所で管理職を務めていた方は、ご両親と離れて暮らしていたのですが、認知症である母親の介護を担っていた父親が脳梗塞で倒れたため、「自分が母親と同居するしかない」と考えました。会社に相談して管理職を降り、実家の近くに異動して、休みを取りやすいポジションに。しかし、徐々に母親のそばにいる状態が当たり前となり、仕事中もずっと母親の様子が気になるようになりました。やがて気が休まる時間がなくなり、心身ともに疲れて、仕事上でミスを頻発。早期退職の対象になった段階で退職しました。
この人の場合、初手で「家族が休んで介護をする」状態を当たり前にしてしまいました。いくら休暇制度が充実している会社でも、すぐに休暇を使い切ってしまいます。介護休暇は休暇といっても、従業者自身が休むわけではいない。仕事のパフォーマンスに影響が出るのも当然です。
このケースでは一見、会社として何も間違ったことはしていません。できるだけ本人の希望に応えている「良い会社」です。しかし、この方は管理職だったとき、優秀なハイパフォーマーでした。一見正しい「両立支援」が、優秀な人材をローパフォーマーに変えてしまったのなら、大変残念なことです。
もう一つ実例を挙げます。ある従業員が、会社に事情を伝えず、親の身の回りの世話をしながら働いていました。そのことで時々遅刻し、業務時間中、頻繁に介護事業者からの電話を受けることもありました。様子がおかしいと気付いた上司が「何かあったなら相談にのるよ」「仕事を調整するから」と声を掛けたところ、従業員は「私は会社から必要がないと言われた」と感じてしまったのです。
上司の対応は親身で丁寧であり、間違っていなかったと思います。しかし、従業員はすでに親のことが常に気になる精神状態にあり、心身ともに疲弊して不健康な状態にありました。また、家庭のことで会社に迷惑をかけることに引け目を感じていました。そのような状態では、気遣いの言葉も否定的なものに聞こえてしまいます。疲弊している従業者を思って柔軟な働き方を提案することが、逆にその人を追い込んでしまう可能性もあるのです。
管理職や人事が、こういった状態の人とうまくコミュニケーションをとるためのスキルを身に着けることは、難しいと思います。そうではなく、従業員が心身ともに疲弊する前に、介護のことを上司に相談しやすい雰囲気、環境を整備することが大事です。会社が理想の介護の在り方について発信していくことは、追い詰められる従業員を減らすことにつながります。
制度だけでなく「理想の介護」も発信を
従業員の仕事と介護の両立のため、企業にはどのような対応が求められるのでしょうか。
改正法が定める事前告知義務に基づいて、介護休暇などの制度を周知するだけでは、「家族の介護が必要になれば休める」という認識のみが広がります。それでは、親の老いを直視する機会を増やし、「自分が近くにいなければ」というマインドを植え付けるだけです。むしろ離職を後押しすることになってしまいます。
会社や人事にとって重要なのは、休むことができる制度を周知することに加えて、「家族が付きっ切りでケアをするのではなく、プロに任せるべき」という認識を社員に共有することです。介護に直面する前の冷静な段階で「家族が直接介護することは、要介護者を苦しませかねない」「外部サービスを利用した方が質の高い介護を受けさせられる」と発信することで、誰もが仕事と介護の両立に向かうマインドに変わります。
理想の介護の在り方を伝えるのは、簡単ではないと思います。
確かに、この考え方を広めるのは難しいことです。伝え方を間違えると、「介護をせずに働きなさい」という誤ったメッセージになりかねません。介護に関する正しい知識と適切なマインドセットを広めるため、「となりのかいご」では社内で活用できる動画を4本制作しました。「こういった考え方だと離職につながってしまう」という例をドラマで紹介し、解説しています。人事の方や管理職向けに法改正の内容を説明したものと、これから介護に直面する従業員向けのものの両方が含まれています。視聴した人に「本当の両立とは何か」を問い、考えてもらえればうれしいですね。
【経営者・人事部の方向け】法改正と企業の義務の解説動画はこちら
【従業員向け】研修動画はこちら
家族が親の近くにいて介護をすることは、従業員にとっても、会社にとっても、そして介護を受ける親にとっても幸せな選択肢とは限りません。そのことを理解してもらい、これまでの介護のイメージからのマインドチェンジを促す必要があります。
そうした考え方を事前に知り、マインドを変えたとして、当事者は実際にどういう行動をとるべきでしょうか。
まずは近くの地域包括支援センターに相談することです。センターや介護関係者は忙しいと考え、介護に直面する前に相談することをためらう人が多いのですが、実際は逆です。事前に相談せず、どうしようもなくなった段階で緊急通報すると、職員の負担は大きくなります。
例えば「認知症の母が勝手に出かけてしまう。自分は遠くに住んでいて行けないから、どうにかしてほしい」という緊急通報があったとしましょう。その段階になって初めて会う地域包括支援センター職員の言うことを、すんなりと聞いてくれるわけがありません。何とか施設に保護しても「家に帰せ」と暴れる人もいます。そうした状況が「おじいちゃん、おばあちゃんが好きで介護職に就いた」という若者が辞めていく一因になっているとも感じています。
職員のメンタルを守るためにも、早めに相談してほしい。余裕がある段階で相談をいただければ、いくらでもできることがあります。ただ、家族にしかできないこともあります。それは世話をすることでなく、楽しかった頃の思い出などを話し合う「会話」です。それだけは介護職員にはできないことですから。
これまで通り仕事を続ける「真の両立支援」
人事の方々にメッセージをお願いします。
人事の方は、制度を整えて運用することを重視し、介護休暇・休業制度の利用率をKPIに設定しがちです。ただ、そもそもそれが解決につながっているのかどうかを、改めて考えてほしい。「あなたと家族が幸せに生きるためには、こうした方が良いですよ」という情報を発信できれば、社員が会社を信頼し、ロイヤリティが上がるチャンスにもなります。
今回の法改正を受けて、介護休暇・休業を取りやすくなったことだけを説明すれば、マインドチェンジをしないまま親の介護を開始し、生活の質も仕事のパフォーマンスも下がって、離職者が増えていくことが予測されます。制度を周知するだけのリスクを正しく理解しなければなりません。
本当の「両立支援」とは、介護に直面した従業員がこれまで通り仕事を続けられるようにサポートすることです。介護休暇・休業は、そのための体制づくりに使うものであることを発信してほしいと思います。
ただ、このことをすでに介護に直面している人に伝えても、届かない可能性が高い。私も伝えてきましたが、「そんなにひどいことを言うなんて」と言われることがほとんどでした。だからこそ、事前の周知が必要なのです。気持ちに余裕があるうちに考えられるよう、そのきっかけを企業がつくるべきです。
多くの人が家族の介護はキャリアの邪魔だと考えているかもしれませんが、老いていく親と関わることは、自分自身がより良く生きるためのきっかけにもなります。世の中には「頑張っていないとダメ」という風潮がありますが、日々高齢者の方々と接していると、できないことが増えていくことによって「その人らしさ」を大切にした生活に収れんしていくことを感じます。健康に悪くてもタバコを吸いたい、甘いものを食べたい、という人だっています。
そういう親の生き方に向き合うと、子どもは「自分らしく生きるとは?」「自分のキャリアは今のままで良いのか?」と考えることになる。「より良く生きて満足して死ぬ」ことを目的に置けば、不要な努力を手放し、選択と集中で、仕事でも力を発揮できるようになるのではないでしょうか。
介護離職をしてほしくない、本当に会社をより良く成長させたいと思うなら、義務的な制度の運用ではなく、「介護はプロに任せるべき」「家族は適度な距離感で、家族にしかできない会話を」の認識を社員に共有するなどして、仕事と介護の両立支援に取り組むべきです。
繰り返しにはなりますが、社内で利用できる動画を公開していますので、ぜひご活用ください。

NPO法人となりのかいごは、介護の現場で生じる負担やストレスが虐待につながるリスクを防ぐため、企業向けの介護支援コンサルティングやセミナー、メディアを通じた情報発信という事業を行っています。
家族に求められる役割は、食事やトイレの介助といった実務的なケアではなく、家族だからこそできる愛情を注ぐことです。その人らしい生活を支えるために、制度やサービス、地域の力を活用しながら、プロの支援を上手に取り入れる「となりのかいご」の大切さを広めています。

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