WHO憲章の前文やSDGsなどにもテーマとして取り上げられている「ウェルビーイング」。多くの企業が注目している、働き方改革や健康経営などにも通じる概念だ。心身ともに健康で自らのウェルビーイングを実感している社員は、創造的で業務のパフォーマンスが高く、組織に好影響をもたらすと言われており、企業が取り組むべきキーワードとなっている。
今回は、ウェルビーイングの現状と将来的な展望について解説する。有識者や企業のウェルビーイング推進を支援するパーソルワークスイッチコンサルティングの見解、2月2日に開催された「HRカンファレンス2024-冬-」リーダーズミーティングでの議論なども併せて紹介し、ウェルビーイングの可能性を掘り下げていきたい。
ウェルビーイングとは
「持続的に良好であること」を指すウェルビーイング
ウェルビーイング(well-being)とは、身体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを意味する概念だ。シンプルに「幸福」と翻訳されることが多い言葉だが、瞬間的な気持ちを表すニュアンスの「Happiness」とは異なり、持続的に良好な状態が続くことを意味している。
ウェルビーイングという言葉は、世界保健機関(WHO)憲章の前文に記載されている。日本WHO協会では、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます」と訳している。
世界幸福度ランキングにも影響
ウェルビーイングに関する調査として有名なものに、ギャラップ社(アメリカ)の「Gallup World Poll(GWP)」がある。世界の160を超える国や地域で行われる大規模な幸福度調査だ。
この調査は、国連の持続的な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が発表する「世界幸福度ランキング」でも活用されている。「世界幸福度ランキング」は、国内総生産(GDP)とは異なる視点で、生活の豊かさやそこから生まれる幸福度を測る指標だ。日本のGDPは2022年時点で世界3位だが、幸福度ランキングは高くない。2023年は47位となっていることから、ウェルビーイングの向上が課題とされている。
国の豊かさを測る新しい指標、GDW
GDPだけでは捉えきれない「社会に生きる人々の満足度や幸福度」を測る新たな視点として、「国内総充実(GDW:Gross Domestic Well-being)」も着目されている。2021年には、国内企業18社が参画し、日本版Well-being Initiativeが創設された。ウェルビーイングをSDGsに続くグローバルアジェンダに掲げることを目指し、取り組みが進められている。
ウェルビーイングが注目される背景
国連機関や日本政府からの要望
ウェルビーイングへの関心が高まった理由の一つとして、国連や日本の官公庁による要請が挙げられる。2015年に国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)では17のゴールと169のターゲットが定められており、その目標の一つに「GOOD HEALTH AND WELL-BEING」が掲げられた。また、2021年には日本政府が「成長戦略実行計画」の中で「国民がWell-beingを実感できる社会の実現」と言及し、「Well-beingに関する関係省庁連絡会議」が設置されている。
コロナ禍がトリガーとなり、個人の働くことへの意識が変化
新型コロナウイルス感染症の拡大が人々の働き方、暮らし方などへの認識を大きく刺激したと言われている。また、価値観の多様化や働き手(人材)の不足、人材の流動性の高まり、働き方改革の推進などの影響も大きい。
そういった人々の変化について、ウェルビーイングを推進する“当事者”はどのように捉えているのだろうか。「日本版Well-being Initiative」にも参画しているパーソルホールディングス株式会社 はたらくWell-being推進室で室長を務める中山友希氏も、コロナ禍が大きなトリガーであったと話す。
「パーソルグループが今後10年ほどかけて変化していくと予測していた人々の働き方が、コロナ禍によって一気に加速しました。多くの人が『働き方の自由度』や『働き方の選択肢の多様さ』を感じたはずです。しかし、あらためて自分自身に合った働き方を考えたとき、『どのように働いていきたいか』という答えを持っている人は多くなかったと思います。そうした人の背中を押せるよう、働く人のウェルビーイング追求をお手伝いすることが私たちの役割です」
人的資本の情報開示義務化が企業の変化を後押し
事業改革や組織改革などのコンサルティングサービスを提供するパーソルワークスイッチコンサルティング株式会社で人的資本R&D部のゼネラルマネージャーを務める成瀬岳人氏は、企業の変化についてこう言及している。
「『自分たちの何かを変えなければならない』という企業の動きは、2010年代、20年代で加速してきました。今では働き方改革やDXなど、多くの企業が変革への取り組みに力を入れています。しかし、コロナ禍を経て感じているのは、取り組みの先にある目的や目指すものが変わり始めている点です。これまで働き方改革などで目指していたのは、残業時間の削減や業務効率化による人員の削減など、どちらかというと企業視点のものでした。しかし今は、多くの企業が『労働時間を削減した結果、社員は元気になっているのか』『自社で働くことにやりがいや満足感を得ているのか』といった社員個人の変化に着目するようになりました。
影響を与えているのは、SDGsや人的資本経営といった考え方です。企業価値を上げるためには、ISO30414によって定められた人的資本の情報開示に対応するのが良しとされ、投資家たちがその中身に注目するようになりました。そのため企業は人的資本経営に本気で向き合うことが求められており、その一つの指標として社員のウェルビーイングが注目され始めています」
企業がウェルビーイングに取り組むメリットとは
中山氏は、「今後は企業がウェルビーイング向上に取り組まないことによるデメリットが大きくなっていく」と話す。
「特に、採用で顕著に表れると思います。一例を挙げると『平均残業時間は〇時間です』とだけ言う企業よりも、『社員のウェルビーイングについてこう考えているから、残業時間は〇時間以下を目指します』という企業のほうが、求職者の目に魅力的に映るものです。
もちろん、明確なメリットもあります。とある研究では、社員のウェルビーイングと企業業績には正の関係が見られ、株式市場においては幸福度指数で企業業績を追うと、S&P500種指数より良いパフォーマンスが期待できるというデータがあります。別の研究では、幸福度の高い従業員は創造性が3倍、生産性は31%高いという結果も出ています」
参考:Workplace Wellbeing and Firm Performance(Jan-Emmanuel De Neve, Micah Kaats, and George Ward)
The Benefits of Frequent Positive Affect:Does Happiness Lead to Success? (Lyubomirsky, King, Diener)
課題は、ウェルビーイングが包括的だからこその「曖昧さ」
曖昧なウェルビーイングを一つの文脈に統合できるか
中山氏は、ウェルビーイングの難しさについても語っている。
「ウェルビーイングとは何か。その答えは社員一人ひとりの中にある主観に根差したものであるため、一つにまとまるものではありません。同じ人でも、ライフステージによって変化します。この前提を無視して進めようとすると、誰のためのウェルビーイングなのかがわからなくなってしまいます」
一方、曖昧であるがゆえに、これまで異なる目的やプロセスで取り組まれてきた人的資本経営、健康経営、働き方改革、DXなどを包括的に取り込み、それぞれの活動を「ウェルビーイング」でまとめられるという利点もある。
もう一つ配慮すべき点として、成瀬氏は、包括的に活用できる言葉なだけに、ウェルビーイングという言葉や取り組み内容だけが独り歩きしてしまう危険性について触れている。
「ウェルビーイングへの取り組みは大きな潮流となって動き始めています。それだけに、『トップダウンでウェルビーイングを掲げたが、とりあえず始めたので目的が見えない』『目的が曖昧なままウェルビーイングを高めることだけに注力し、やることが目的になっている』といったことが起こる懸念もあります。
こうした事態を避けるには、自社にとってウェルビーイングはどういう意味があるのかを見定め、ストーリーを作り、数字を根拠に必要な人材や投資まで考える必要があります。他社の成功例を単純に自社に当てはめても、うまくはいきません。社員一人ひとりにとって、主観的な満足は異なるからです。自社にとって適切な文脈を見つける必要があります」
「何のためのウェルビーイングか」を共通認識にできるか
2024年2月2日に行われた「HRカンファレンス2024-冬-」~リーダーズミーティング~のセッションに登壇した上智大学 経済学部 経営学科 教授の森永雄太氏は、ウェルビーイングを「2階建ての家」にたとえて説明している。
「1階には社員個人の心と体の健康が、2階には仕事のやりがいや良質な職場の関係性などが当てはまります。これまで企業が力を入れてきたことは、2階建ての2階部分の取り組みです。土台となる1階部分が不安定なのに、2階部分を充実させようとしてもうまくいきません。まずは1階部分を補強するアプローチが必要です。しかし、健康問題は非常にパーソナルな部分であり、自己管理も必要です。組織として、どのように社員個人に促すのかが課題と言えます。
働き方改革やそれに伴うDX、職場満足度の向上、各種研修などについては、担当部署が異なる点も社員の負担感を増加させています。それぞれの部署が自分たちの取り組みだけに注力するのではなく、互いに連携して、ウェルビーイングという一つの枠組みの中で進めているのだという実施意図の共有が不可欠です。そうすることで、すべての施策が『企業全体でまとまった目的に向かうためのもの』と認識されます。
この意図を『糸』に掛けるとわかりやすいでしょう。社員が納得できるビジョンを組織のトップから組織の隅々までへと浸透させていく経路を『縦の糸』とするならば、各部署や施策の連携は『横の糸』です。それらを織っていくことで、その企業ならではのウェルビーイングを形作っていくことが大切です」
何がウェルビーイングにつながるかを可視化する
調査から、ウェルビーイングのメカニズムを分析
パーソルワークスイッチコンサルティングでは、事業改革や組織改革などのコンサルティングサービスを提供している。パーソルホールディングスが実施する“はたらくWell-being”に関する調査から、企業に共通するメカニズムなどを分析してコンサルティングを行っている。成瀬氏は以下のように語った。
「私たちが提供しているのは、新しい人事制度導入のお手伝いや、DX推進の支援、業務の効率化など、事業変革プロジェクトを伴走して支援するコンサルティングサービスです。現場では、変革の恩恵を受けるであろう現場で働く人たちの“はたらくWell-being”の変化を可視化させる必要性・重要性も伝え、共通認識を持ちながら変革を進めています」
人によって異なる“はたらくWell-being”を探る
パーソルグループが慶應義塾大学 教授の前野隆司氏、九州大学 教授の池田 浩氏と連携して行った、400名のBPO業務に従事する従業員を対象にした調査では、働く動機によって“はたらくWell-being”にどのような違いがあるかを分析した。働く幸せ/不幸せの実感値やエンゲージメント、ワークライフバランスなどには、従業員の「働く動機」によっていくつかの傾向があることがわかった。
働く動機を「収入のために働くか、誰かに貢献するためか、自身の成長のためか」など、複数の質問で調査。結果をクラスター分析したところ、はたらく動機づけクラスターが複数生成され、クラスターごとに働くことへの満足度・幸福度を高める因子がそれぞれ異なった。
「主たる生計者でない人の中には、たまたま職場が家から近いからその企業で働くことを選んだ人もいます。そのクラスタータイプでは自身のキャリアアップへの欲求が高くないため、研修や評価制度の見直しといった施策を用意しても“はたらくWell-being”に影響しません。ただし、『仕事で貢献したい』『一緒に働く仲間が大事』といった影響因子はあり、仕事への意義やチームや顧客への貢献度を高めることでウェルビーイングが向上する可能性があります」
ウェルビーイングに関する人事部門の役割
さまざまな施策をウェルビーイングで包括する」。そう言うのは簡単だが、働き方改革や人事評価制度、各種研修などは、すでに別々の部署で実施されているのが実態だろう。では、人事部門はどのようにウェルビーイングに向き合い、推進していけばよいのか。
「HRカンファレンス2024-冬-」~リーダーズミーティング~でも、参加した多くの人事責任者から「推進する難しさ」が語られた。中でも課題となっていたのが、「縦の糸」を紡ぐ作業においてマネジャーを動かすことだ。
ウェルビーイングの推進では、個人の意思を尊重しながら組織のバランスを考えていくアプローチが欠かせない。そのため現場のマネジャーの役割が重要だが、考え方を「社員の自由」に委ねると、現場の数字を預かるマネジャーたちが管理できなくなってしまうリスクがある。こうしたジレンマを解消するには、間接的なマネジメントを細やかにやっていくことが求められる。しかし、現場のマネジャーは他の施策でもキーマンであるため、そもそも時間的な余裕がないケースも多い。
森永氏も、「現場マネジャーへのアプローチが欠かせない」と言う。「横の糸」を紡ぐには、経営層や企業の意図を横断的につないでいく必要があるが、その役割を担うのが人事部と言えるだろう。
一方で成瀬氏は、必ずしも人事部門だけですべてを行うことはないと提案する。
「これまで、人材に関わることは人事が担当してきましたが、働く人々のウェルビーイングを考えるときは、現場の責任者、管理職との対話が欠かせません。人事がどこまで担当するのか、果たしてそれは人事の業務の範囲なのか。いま一度、見直す必要があります。
世の中や組織から求められる機能が変化している現在、『人に関するテーマはすべて人事』という思考から脱却し、現状に合わせた組織の再設計と再定義をすることが必要でしょう。とりわけ、ウェルビーイングはSDGsと同等のビジネス・テーマになっていくと想定されますので、経営の巻き込みが不可欠になるでしょう」
人事リーダーの視点からさらに学ぶ
企業成長を促すウェルビーイング。一人ひとり異なる幸せにどう向き合い、成果につなげるか
まとめ:ウェルビーイングの今後
ビジネスや人事の領域では、次々と新しい言葉が登場する。その中でも「ウェルビーイング」は特に注目度の高いキーワードだ。その反面、「何のためのウェルビーイングなのか」が見失われやすいとも言える。
「HRカンファレンス2024-冬-」~リーダーズミーティング~に登壇した森永氏は、はやり言葉のようなキーワードが出ては消えていく状況を、らせん階段にたとえた。
「人事の領域は、“人が大事”という時代と、“組織が大事”という時代が繰り返されています。言葉を換えて同じような概念が出てくることもあります。しかし、らせん階段を1歩1歩上るように、同じ場所にいるようでも上に向かって進んでいます。課題感は会社によって異なりますが、少しずつバージョンアップをして良い方向に向かっていけると良いでしょう」
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