落語家
入門10年も頑張れば最高位の「真打」昇進!
でも実力と人気がないと寄席にも上がれない。
終身雇用、定期昇給が保証されなくなった昨今のサラリーマン社会でも、入社10年目ともなれば係長くらいにはなっているでしょうか。それとも成果主義などが喧伝される時代ですから、いまだ主任、いや平社員のままでしょうか――そんな時代に、十数年も経てば最高位の「真打」に昇進し、師匠と呼ばれ、弟子も持てるのが「落語家」という商売です。真打になる基準や収入などについて、寄席ファンも知らない裏話を公開します。 コラムニスト・石田修大
前座→二ツ目→真打というシンプルな人事
五代目古今亭志ん生の次男、志ん朝は高校時代、外交官か歌舞伎俳優になろうと思っていたという。ところが大学受験に失敗、志ん生が「扇子一本で飯が食える」と勧めるので、父親の弟子になった。落語家は学歴も資本金もいらない商売なのである。
志ん朝は19歳で入門、前座生活を送り、わずか2年で二ツ目、さらに5年で落語協会最年少、24歳の真打に昇進している。兄も十代目金原亭馬生であり、落語家一家のサラブレッドだったが、83歳まで生きた父親に比べ、兄は55歳、志ん朝も63歳と早くに亡くなったのが惜しまれる。
ペーペーの新入社員からたったひとりの社長まで、何層にも分かれている会社組織と比べ、落語家の出世階段は至ってシンプルで、前座から始まり二ツ目、真打で上がり。前座は修業期間だが、寄席で高座の座布団を返し、出演者の着替えを手伝い、お茶を出しといった雑用から、太鼓を叩き、ワリ(ギャラ)を渡し、ネタ帳をつけ、出演者の出番調整など寄席の進行役までを務める。
いくつもの落語を覚え、力量がついてくると二ツ目に昇進、羽織着用が許され、楽屋の雑用からも解放される。さらに芸を磨き、師匠はじめ協会幹部や席亭などに認められれば、真打として一本立ち。寄席でトリをとる(最後に高座にあがる)ことができ、弟子も持てるようになる。
立川談志一門は都内の定席に出演できない
志ん朝のようなスピード出世は異例だが、落語協会所属の落語家を見ると、入門して前座3~4年で二ツ目、さらに9~10年で真打になるケースが多い。18歳で入門して順調にいけば、30歳そこそこで真打にたどり着ける計算だ。
現在、東京に落語協会(三遊亭圓歌会長)、落語芸術協会(桂歌丸会長)と圓楽一門会(三遊亭圓楽)、落語立川流(立川談志)があり、大阪に上方落語協会(桂三枝会長)がある。昭和54年、真打昇進基準をめぐって落語協会前会長の三遊亭圓生が会長柳家小さんと衝突、協会を脱退してつくったのが現圓楽一門会の三遊協会。落語協会は以来、真打昇進試験を採用、58年の試験で弟子が不合格とされたことなどから、今度は立川談志一門が抜け、家元制の落語立川流を創設した。
上方落語では真打制度がなく、実力主義と言われているが、東京の落語界では年功を経た二ツ目を実力不足でも大量に真打に昇進させるなど、昇進をめぐる議論はいまだに尽きない。落語協会はその後、昇進試験は廃止したが、立川流では二ツ目は落語50席と都々逸、長唄、かっぽれなどの歌舞音曲、真打は落語100席と歌舞音曲と条件を示し、家元の談志が直接噺を聞いて昇進を決めている。
真打は落語家ならだれでも目指す最高位ではあるが、落語協会160人、芸術協会70人ほどの真打がひしめいているのが実情。しかも年中寄席を開いている定席は都内で鈴本演芸場(上野)、末広亭(新宿)、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4カ所だけ。落語協会のみ出演の鈴本以外は10日ずつ両協会が交互に出演しているが、圓楽一門会や立川流は定席にも出られない。
真打に昇進してから正念場がやってくる
となれば、いくら真打でございと名乗ってみても、実力と人気がなければ高座に上がる機会は限られる。トリを取るどころか、滅多に寄席にも上がれない真打も出てくる。サラリーマンと違い、師匠と呼ばれても収入は保証されていないのが落語界である。
「どうも、すいません」「体を大事にしてください」などのギャグで爆笑王と言われた林家三平の長男、こぶ平は志ん朝同様24歳で真打に昇進している。その昇進披露の会で、当時落語協会理事だった志ん朝が口上を述べた。
「落語協会が世に送り出すスターの卵でございます。自分のくちばしで一生懸命殻をつついて破いて表へ出て、初めてスター誕生ということになる訳でございます」
真打といっても、まだ卵でしかない。あとは自分の努力で独自の落語世界を切りひらいていくしかないということだろう。着物に扇子と手拭いだけ、10年も頑張れば真打という、一見おいしそうな商売だが、真打になってからが正念場の、やはり厳しい世界のようだ。
46歳で噺家の道へ入った医学博士も
それでも落語家になりたいという人が絶えないのは、落語が好きだからだろう。平成5年、女性初の真打昇進を果たした古今亭菊千代は、大学で落語研究会に属し、広告代理店に勤めていた。偶然対談した柳家小さんの「(女性でも)要はうまけりゃいいんだ」の一言で退職願を出し、末広亭の楽屋口で古今亭圓菊師匠を待ち伏せ、弟子入りを直訴したという。
中学のころから落語ファンだった立川らく朝は、予防医学の臨床と研究を専門とする医学博士。落語への思い断ちがたく、立川志らく師匠の勉強会に入ったのがきっかけで、平成12年、46歳で入門、昨年立川流の二ツ目に昇進し、ドクターと噺家の二足のわらじを履いている。
真打という卵になってから18年、前座名のままだったこぶ平が殻をつつき破って今年3月、祖父の名跡を継ぎ九代目林家正蔵となる。タレント落語家のイメージが強いこぶ平が、平成の正蔵としてどう化けるか。師匠譲りの手話落語にも挑む菊千代が、どこまで客を唸らせる女性落語家になれるか。聴診器片手のらく朝は、現代のストレスをどれほど癒してくれるか。高座には興味津々の落語家が次々に上がってくる。三度の飯より好きというのでなければ、落語はやはり客席で楽しむに限るようだ。
(数字や記録などは2005年1月現在のものです)
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。