角界(1)
教員、落語家、ホテル経営……
力士の「第二の人生」の過ごし方。
日本の労働人口の約7割がサラリーマン。でも、サラリーマンになりたくてなったという人は、そんなに多くないでしょう。子供の頃に憧れた、あの職業――野球選手や作家や映画監督になっていたら、どんな人事や給与制度の中で生きることになったのか？ 会社組織とは違う業界のカネと人事を徹底調査します。第1回は、かつては「1年を10日で暮らすいい男」と言われた相撲取りの世界――「角界」から。 コラムニスト・石田修大
幕内力士42人のうち10人が外国人
飽食の日本で最も失われているのはハングリー精神だろう。ブラブラしていても食うに困らないからフリーターが蔓延し、仕事も勉強もしないニートなどという新種まで飛び出している。当然きつい仕事は担い手がなく、外国人労働者の受け入れが進められつつある。
労働者とは言わないが、いちはやく外国人を受け入れているのが実力主義のスポーツ界。とりわけハングリー精神あふれる若者を求めているのが角界である。国内では少子化で入門希望者が減っていることもあり、相撲部屋を運営する親方は、やる気と力のある外国人に希望を託す。
外国人力士は原則1部屋1人と決められており、2003年秋、元関脇舛田山が創設した、相撲部屋としては最新55番目の千賀ノ浦部屋も、さっそくハンガリー出身で相撲世界ジュニア選手権2位の18歳を入門させている。外国人力士は現在部屋数を上回る60人ほど。うち36人と半数を上回るモンゴル勢は、出身地別の力士数で東京、大阪、愛知、福岡に次ぐ5位という大勢力だ。
それでも700人を超える全力士の中で、外国人は1割以下にすぎない。ところが、前頭以上の幕内力士42人を見ると、横綱朝青龍、小結白鵬以下旭天鵬、旭鷲山、朝赤龍、安馬とモンゴル出身が6人、グルジア・黒海、ブルガリア・琴欧州、ロシア・露鵬、韓国・春日王と、外国人関取は計10人でほぼ4分の1。彼らがいかに活躍して上位に進出しているかは一目瞭然だ。
関取と幕下以下では天地の差
力士の世界は大ざっぱにいうと、2つに分かれる。横綱、大関、関脇、小結、前頭までの幕内と十両が関取と呼ばれる。十両より下の幕下、三段目、序二段、序ノ口は若い者と通称される力士養成員である。関取と幕下以下では、プロ野球の1軍と2軍以上に大きな開きがある。
社会人や大学相撲出身で幕下付け出しからスタートする力士を除いて、誰もが前相撲から一つずつ階段を上がっていく。新弟子は本場所の朝一番に行われる前相撲で、3勝をあげると出世披露され、翌場所から序ノ口に上がる。以後は1場所7日間の本場所で勝ち星を重ねて自らのランクを上げていく。
十両に上がるまでには高鉄山の6場所を筆頭に、琴欧州の9場所、朝青龍、露鵬の10場所など、1、2年のスピード出世組もあれば、実に15年、89場所もかかった力士もいる。この初場所から新十両の舞風も13年目、77場所をかけての悲願の関取。すでに28歳だが、「やっと、やっとです」と語り、同郷（青森）、同期の幕内力士・若の里との対戦を目標に掲げているという。
そこまでして十両を目指すのは、関取になれてこそ一人前の力士だからである。幕下以下の力士は関取の付け人であり、大部屋住まいの無理偏に拳骨の毎日。冬でも素足に下駄履きで、幕下でようやく足袋が履ける。それが関取になれば紋付き羽織・袴に外套、襟巻き、個室住まいで付け人を持ち、結婚もできる。
十両でも月給103万円、懸賞金は1本6万円
そんな扱いの差にもましてシビアなのが給与面だ。給料や日当、宿泊費、退職金は幕下以下には出ない。代わりに場所手当が序ノ口から幕下まで順に7、8、10、15万円与えられるだけ。ほかに勝ち星をあげたり、勝ち越せば奨励金がもらえ、優勝すれば10万円から50万円の賞金を手にできる。勝たなければ昇進もできないし、懐も暖まらない仕組みだ。もちろん三食昼寝に稽古つきで、暮らしには困らないが。
ところが関取となると給料制で、十両103万6000円、前頭130万9000円、横綱になれば282万円にもなる。さらに給金という名の褒賞金が十両で16万円、幕内で24万円をベースに与えられ、一つ勝ち越しで2000円、金星4万円などが加算される。また小結以上になると5万～20万円の本場所特別手当も出る。優勝賞金も十両で200万円、幕内は1000万円にはね上がり、殊勲・敢闘・技能の三賞は200万円。
ちなみに、勝ったほうがとる懸賞金は1本6万円だが、5000円は日本相撲協会に入り、力士の手取りは5万5000円。このうち2万5000円は税金支払いなどのため力士名義で積み立てられ、土俵上で手にするのは残り3万円。懸賞が10本かかれば55万円になる計算で、人気が高く懸賞の多い高見盛との対戦を喜ぶ力士が多いという。
サラリーマンなら出世はあきらめて、マイペースで勤め上げるのも一つの生き方。だが体が資本、勝ってなんぼの力士の世界では、出世以外に生き残る方法はない。しかも引退後も相撲協会に残るには年寄にならねばならず、年寄株を取得するには、(1)幕内で1場所全勤(2)十両で連続20場所全勤(3)十両で通算25場所全勤――のいずれかの条件をクリアしなければならない。幕内まであがるか、十両で4年以上務めねばならず、関取になれなければ角界を去る以外に道はないのだ。
その関取は現在、幕内、十両をあわせて約70人。全力士の1割弱にすぎない。しかも頂点に近い地位まで上っても、先場所4人いた大関のうち武双山は引退、栃東は関脇に陥落、千代大海は負け越してカド番、綱取りを目指すのは魁皇1人だ。年5場所優勝の横綱朝青龍1人が気を吐いているが、その横綱にして年収はようやく1億円超とかで、プロ野球やサッカーの人気選手の比ではない。
結局、圧倒的多数が力士を廃業して新しい道を歩き始めるが、行き先は多種多様。元関脇の鳳凰は間垣部屋のコーチに収まり、大韓山の金基柱は昨年ロッテに入団した韓国プロ野球の元ホームラン王イ・スンヨプの代理人。変わった方面では藤ノ川が教員、森武蔵が真打ち落語家三遊亭歌武蔵になっている。戦前活躍した若港は年寄株を取得、富士ヶ根親方として定年を迎え、第三の人生を両国の幼稚園園長として過ごした。
出世頭は大正期に幕下筆頭まで務めた大谷米太郎だろうか。廃業後、さまざまな事業に手を染め、大谷重工業を基盤に大谷グループの総帥に登り詰めている。ホテル業にも進出し、ホテルニューオータニを経営、蔵前国技館の建設にも協力した。
これだけ厳しい競争社会。リストラされたお父さんに代わってという健気な子ならいいが、コンビニ弁当や甘いものの食べ過ぎで太った子を相撲取りにしようなどと、冗談でも思わないほうがよさそうだ。それにしても、外国人力士と互角に戦う活きのいい日本の若者が、もっと出てこないものか。来年の今ごろ、三役（大関・関脇・小結）そろい踏みで土俵に上がる力士のほとんどが外国人、などということになっていなければいいが。
（数字や記録などは2004年末現在のものです）
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。
