“止める”文化を育てる心理的安全性 │ 安全教育の落とし穴

「止めろ」が届かない理由
~止められない現場”に潜む心理の壁~
「危ないと思ったら止めろ」
「不安があればすぐ声を出せ」
こうした言葉は、どの企業の安全衛生方針にも掲げられていると思います。
事故防止、ヒヤリハットの撲滅、リスクアセスメントの徹底。
いずれも、組織としては当然の取り組みです。
しかし、現場のリアルといったら・・・・
事故が発生した際に、「あの時、止めればよかった」と語る作業者が、後を絶たないのではないでしょうか?
「自分も危ないとは思ったんですけど……」
「忙しい時間だったから、空気を壊したくなくて……」
私自身も、このような声を何度も耳にしてきました。
私が、多くの企業で安全セミナーを行う中で実感するのは、「止められない」のは意識や勇気の問題ではないということ。
むしろ、“人間の認知”の特性として、ストップワーク(作業を中断し安全策を講じること)を阻む怖さが、隠れています。
「わかっていたけど止められなかった」は、なぜ起こるのか?
私たち人間の脳は、すべての情報を正確に処理して判断しているわけではありません。
限られた注意力と判断スピードの中で、脳は「過去の経験」や「周囲の空気」からパターン認識をして、自動的に動こうとします。
このときに働いているのが、「認知バイアス」です。
ここで問題なのは、“危険を察知したときにこそ働いてしまう”という点です。
本来であれば、「あれ?」と思った瞬間に止めなければならない。
でも、脳は過去の経験や空気に引きずられ、「まあ大丈夫」と判断してしまう。
これが、ストップワークが機能しなくなる一番の要因なのです。
“止められる職場”には、学び方からの変革が必要
「止められないのは、本人の責任ではない」
そう捉え直すところから、安全文化の醸成は始まります。
そのためには、教育や訓練のあり方を変える必要があるのです。
言葉で伝えるだけではなく、自分自身の思考のクセに“気づく”仕掛けを実体験から理解させるべきです。
たとえば
・バイアスを自己診断するチェックワーク
・物語を使った擬似体験で、判断のズレを見つけるゲーム
・チームで「自分ならどうするか?」を考え合うディスカッション
こうした体験を通してこそ、現場のメンバーは初めて、
「これ、自分にもあるかも…」
「次からは、もう少し注意してみよう」
という前向きな“気づき”と行動意欲を、手にすることができるのです。
「止めろ」が届かないのは、届くように設計されていないから
現場で「止めろ」が届かないのは、その言葉が悪いのでありません。
むしろ、届くように“設計”されていないだけなのです。
人間の脳と心の仕組みに基づいて、“言葉”を“気づき”へ、“知識”を“判断力”へと変える教育。
それこそが、これからのストップワーク教育には求められています。
続いて、ストップワークを阻む6つの主要なバイアスについて、その具体例とともに詳しく掘り下げてきましょう。
「止められなかった理由」は、認知バイアスの中にあります。
ストップワークを妨げる6つの“見えない壁”
みなさんの職場では、こんな声を聞いたことはありませんか?
「気づいてたんですけど、止められなかったんですよね」
「何か変だとは思ったけど、空気を壊したくなくて……」
私は多くの現場で、事故やヒヤリハットのあとに、こうした言葉を耳にしてきました。
そして思うのです。
「なぜ止められなかったのか?」
この問いの答えは、意識の低さや勇気の欠如ではありません。
実はそこには、“認知バイアス”という人間の脳の働きが、深く関係しているのです。
バイアスとは「脳の自動運転」
私たち人間の脳は、毎秒(ミリ秒単位)のように、膨大な情報を処理しています。
しかし、そのすべてを、丁寧に考えて判断しているわけではありません。
脳はエネルギーを節約するために、「過去の経験」や「周囲の空気」に頼って、ある程度“自動的に”判断を下しているのです。
このときに生じる偏りや思い込みが、認知バイアスと呼ばれるものです。
一見、便利な機能のように思えますが、これが現場では“止める判断”の妨げとなってしまうことがあります。
ここからは、現場で特によく見られる6つの代表的なバイアスについてご紹介していきます。
「これ、うちの職場でもあるな」
「自分にも思い当たるかも」
そんなふうに感じていただけたら、それが最初の気づきになります。
1.正常性バイアス
「これは“普通”の範囲だろう」
異常を“異常”として捉えることは、意外と難しいものです。
たとえば、機械から少し音が出ている、煙がうっすら立っている、表示が普段よりも少し遅れている……。
こういった“ほんの少しの違和感”を、「まあ、こんなもんだろう」「いつも通り」と見過ごしてしまう。これが、正常性バイアスです。
繰り返し同じ環境で働いていると、小さな変化に慣れてしまい、危険への感度が鈍っていくんですね。
2.同調バイアス
「周りも何も言ってないから、自分も言わないでおこう」
現場では、ときに“空気”がすべてを支配します。
たとえ内心で「ちょっと変だな」と思っていても、周りの先輩や上司が黙っていると、自分も声を出しづらくなる。
このように、多数派の沈黙に合わせて、自分の判断を引っ込めてしまうのが、同調バイアスです。
「KY活動では言えるのに、現場になると黙ってしまう」
これも、このバイアスが背景にあることが多いのです。
3.権威バイアス
「上司が言ってるから、従うしかないと思った」
権威や立場のある人の言葉は、重みがありますよね。
それは、職場において必要なことでもありますが、ときにそれが“自分の考えを止めてしまう原因”にもなり得ます。
たとえば、班長が「続けよう」と言った。
課長が「大丈夫だ」と言っていた。
そんな場面では、「自分が違うことを言ってはいけない」と思い込んでしまうんですね。
このバイアスは、特に年功序列の強い職場や、縦の関係が厳しい現場で起こりやすいです。
4.楽観バイアス
「自分だけは大丈夫」
このバイアスは、「根拠のない自信」のような形で現れます。
「今まで事故が起きたことがないから、大丈夫だろう」
「他の人はともかく、自分はやれる」
こういった考えは、前向きなようでいて、危険を軽視する原因になります。
特に、慣れた作業や時間に追われているときに、発生しやすいバイアスです。
5.確証バイアス
「自分の考えに合う情報しか見なくなる」
これは、最初に「やる」と決めてしまった判断を、あとから都合のいい情報だけで正当化してしまうバイアスです。
「急ぎの仕事だから、このまま進めたほうがいい」と考えると、「大丈夫そうな根拠」ばかりを集めて、「やめたほうがいい理由」には目が向かなくなる。
ある意味、情報の取捨選択が偏ることで、リスクを正しく評価できなくなる状態です。
6.経験則バイアス
「前もこうだったから、今回も大丈夫」
過去の成功体験は、自信を持つ上で大事です。
でも、それが「いつもこうしてきたから」で判断してしまうと、状況が少し変わったときに危険を見逃してしまうんですね。
たとえば、「この工程は10年間トラブルがない」と言って、異常に気づいた若手の声を軽視してしまう。
これは、経験のある人ほど、気をつけたいバイアスです。
気づくことが、第一歩です
これら6つのバイアス、いかがでしょうか?
「これ、あるかもしれないな……」と感じていただけたら、それが最初の気づきです。
物語で気づく、行動が変わる
バイアスを発見する「インバスケット型クイズ」の力
バイアスの原理や種類について学ぶと、「そうか、自分にもそういう傾向があるかもしれないな」と、受講者の中に気づきの芽が出始めます。
でも、そこから先が大切なんです。
その“気づき”を、どうやって現場の判断や行動に結びつけるか?
ここからが、セミナーの本番とも言えます。
私はこのタイミングで、「インバスケット型・物語クイズ」を取り入れるようにしています。
物語の中で、判断を“体験”する
簡単に言うと、ある架空の現場を舞台にしたストーリーをチームで読みながら、「この中に、どんなバイアスが潜んでいるか?」を探し出してもらうワークです。
たとえば、こんな物語を用意します。
▽ストーリーの一部(例)
班長の田中さんは、午後の作業スケジュールが押していることに焦りを感じていた。
若手の佐藤くんが「部品が少し歪んでいる気がする」と言ったが、田中さんは「時間ないから、とりあえず進めてみよう」と返した。
他の作業員たちはそれを聞いていたが、誰も何も言わなかった。
こうした短い物語を、2〜3ページ程度にわたって読み進めていきます。
登場人物たちの会話や判断の中に、同調バイアス・正常性バイアス・権威バイアス・確証バイアスなどが、巧妙に隠されているのです。
また物語も、ストーリーテリング技法や、その他心理学や行動科学などの理論を盛り込みながら、脳内でリアル体験ができる物語を書き上げます。
擬似体験が、思考と対話を引き出す
この物語ワークの良さは、ただ「考える」だけでなく、チームで“対話する”時間があることです。
バイアスの存在に気づくだけでなく、
「どう声をかけたら止められただろう?」
「どういう言い方なら、班長も受け止めてくれたかな?」
といった“伝え方”や“空気の作り方”まで話が及んでいきます。
つまり、
思考力(バイアスに気づく)
対話力(止める技術を考える)
関係構築力(心理的安全性のある職場をつくる)
行動力(実際に声をかける勇気)
こうしたストップワークに必要な4つの力が、自然と引き出されていくのです。
「止められる職場」は、心理的安全性から生まれる
対話と関係性が、判断と行動を支える
バイアスに気づき、ストーリーの中で、止める判断を疑似体験する。
そのあと、参加者の表情がぐっと柔らかくなっていくのを、私は何度も見てきました。
けれど、ここでもう一つ、大切な問いが出てきます。
「自分一人が気づいても、現場で本当に声を出せるのだろうか?」
これに対する答えは、決して「はい」だけではありません。
なぜなら、現場での判断や発言は、個人の力だけでは成り立たないからです。
現場には“空気”があります。
その空気が、安全な判断を後押しもすれば、押しとどめもする。
そして、その空気の正体こそが、「心理的安全性」なのです。
心理的安全性とは「言っても大丈夫」と思える空気
皆さんは、「心理的安全性」という言葉を、耳にしたことがありますか?
これは、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が提唱した概念です。
職場において「自分の意見を出しても、否定されたり、責められたりしない」と感じられる状態のことを指します。
(彼女の本は、とても身近なことを例に科学を語ってくれるので、私は大好きです。)
簡単に言えば、「言っても大丈夫」「間違っても大丈夫」と思える安心感です。
この感覚があるチームでは、
・気づいたことをすぐに共有できる
・「止めよう」と言っても嫌な顔をされない
・役職や年齢に関係なく、建設的に話し合える
そんな雰囲気が生まれます。
逆に、心理的安全性が低い職場では、
・「これを言ったら、怒られるんじゃないか」
・「空気を読まないやつだと思われそう」
・「余計なこと言って面倒事に首を突っ込みたくない」
このような“自己防衛”が働き、結果として、沈黙が支配する現場になってしまいます。
“止める技術”の前に、“止められる空気”を育てる
私たちが、ストップワークを定着させたいと願うなら、止めるための技術を教える前に、止められる関係性・環境を育てる必要があります。
どれだけバイアスに気づけても、どれだけ判断力があっても、職場に「言いにくい」「聞いてもらえない」空気があるなら、声は出せません。
ですから私は、セミナーの後半で、こう問いかけることがあります。
「あなたの職場で、“止めても大丈夫”と思える空気、ありますか?」
一瞬、場が静かになります。
でも、そのあと、ポツリと誰かが答えるのです。
「……たぶん、今はないです」
「止めるって、やっぱり勇気がいりますよね」
それでいいのです。
大事なことは、まずその“空気”に目を向けること。
そこから、対話の文化づくりが始まります。
チーム全体で育てる「止められる風土」
もちろん、心理的安全性は、一朝一夕には生まれません。
でも、少しずつでも「言える雰囲気」「聞ける空気」「受け止める姿勢」が広がっていけば、それはやがて「止められる職場」へと育っていきます。
そして何より、そこには事故を未然に防げる力が宿ります。
“ストップワークができる”というのは、単に一人ひとりが勇気を出せる、という話ではなく「チーム全体の関係性の質の話」でもあるのです。
私のセミナーでは、バイアスに対抗するためには、心理的安全性を確保し、労働安全衛生文化の柱にすることが大切と、おはなししています。
すると、自分自身の判断のクセに気づき、他者と対話し、職場の空気のあり方に目を向けはじめます。
そして、最後に必要なのは、この気づきを“行動”に変えるための仕上げです。
続いては、セミナーを通じて参加者自身が決める、「行動宣言」についてご紹介します。
それは、“止める勇気”を持つための、自分自身へのコミットメントです。
「止める力」は、“止めようとする人”を支える文化から
ここまでのセミナーを通して、参加者たちは次のようなステップを経験しています。
1. 緊張を解くアイスブレイクで、安心して学ぶ空気をつくる
2. バイアスの原理原則を理解し、自分の思考のクセに気づく
3. 物語ワークを通して、実際の判断や声かけの難しさを体験する
4. 心理的安全性の重要性に気づき、チームの空気づくりを考える
5. 自分で行動を決め、それを言葉にすることで“やってみよう”と思えるようになる
この一連の流れの中で育っているのは、「止める力」ではなく、「止められる関係性と文化」なのだと思います。
こうして、受講者一人ひとりが自分の行動を宣言したとき、セミナー会場には静かであたたかな空気が流れます。
それはまるで、“職場を変えていこうとする人たちの小さな決意”が集まったような空気です。
このセミナーを通じて私が伝えたいことは、
「止めろ」が届かない現場をどう変えていくのか、そして、リーダーとしてその変化にどう関わっていくべきかを伝えたいのです。
止める人から、「止められる職場」をつくる人へ
その一歩を、共に踏み出しませんか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そして、もし今あなたが「うちの現場でも、似たようなことが起きているかもしれない」と感じていたら、その直感は、きっと間違っていません。
「止めろ」と何度言っても、止められない現場。
「分かっているのに、声が出ない」
「学ばせたはずなのに、行動に結びつかない」
そうしたお悩みは、今や多くの企業で共通しています。
特に中堅・中小企業では、少ない人数で多くを回さなければならず、現場の安全と生産性のバランスに、日々悩まれているのではないでしょうか。
だからこそ、私はお伝えしたいのです。
「止められない現場」を責めるのではなく、止められる“空気”を、仕組みとして育てていく方法があるのだと。
このコラムを書いたプロフェッショナル
坂田 和則
マネジメントコンサルティング2部 部長 改善ファシリテーター・マスタートレーナー
問題/課題解決を現場目線から見つめ、クライアントが気付いている原因はもちろん、その背景にある奥深い原因やメンタルモデルも意識させ、問題/課題改善モチベーションを高めます。
その先の未来には、改善レジリエンスの高い人材が活躍します。

坂田 和則
マネジメントコンサルティング2部 部長 改善ファシリテーター・マスタートレーナー
問題/課題解決を現場目線から見つめ、クライアントが気付いている原因はもちろん、その背景にある奥深い原因やメンタルモデルも意識させ、問題/課題改善モチベーションを高めます。
その先の未来には、改善レジリエンスの高い人材が活躍します。
問題/課題解決を現場目線から見つめ、クライアントが気付いている原因はもちろん、その背景にある奥深い原因やメンタルモデルも意識させ、問題/課題改善モチベーションを高めます。
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得意分野 | モチベーション・組織活性化、リーダーシップ、コーチング・ファシリテーション、コミュニケーション、ロジカルシンキング・課題解決 |
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対応エリア | 全国 |
所在地 | 港区 |
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