HR World Summit 2026で見えた、AI時代の組織変革とHRの再定義【第2回】
AI時代、カルチャーは“雰囲気”ではなく成果を生むための戦略となる
HumanDriven株式会社 代表取締役 CEO
佐藤 邦彦さん

2026年5月、ポルトガル・ポルトにて、世界各国のCHROや組織開発・タレントマネジメントのリーダーが集う国際カンファレンス「HR World Summit 2026」が開催されました。
今年の中心テーマは「AI時代におけるHRの再定義」。AI活用が急速に進むなか、人事は何を担い、組織と人をどう捉え直すべきか。会場では、AI導入や生産性向上の議論以上に、Humanity(人間性)、組織文化、そしてHRの役割そのものについて数多くの実践知が共有され、活発な議論が交わされました。
本連載では、現地で得た知見をもとに、世界のHRリーダーたちが見据える組織と人の未来について、日本企業への示唆とともに全3回にわたってお届けします。
AI活用が広がるいま、多くの企業がまず目を向けるのは、どのツールを導入するか、どう生産性を上げるかという論点です。しかし、HR World Summit 2026で繰り返し語られたのは、変革の成否を分けるのは技術そのものではなく、それを組織の中でどう根づかせ、どう動かすかということでした。
前回は、その出発点として「Humanity(人間性)」、すなわち「人間理解」の重要性を取り上げました。では、その理解をどう組織の力に変えていくのか。今回考えたいのは、組織文化を結果論としての“雰囲気”ではなく、成果を生む戦略として捉える視点です。カンファレンスで繰り返し語られていた、Culture as Strategy(戦略としてのカルチャー)の意味をひもときます。
なぜ今、カルチャーを戦略として捉えるのか
これまでのHRは、事業戦略を前提に必要な人材像を描き、採用・育成・配置・評価を設計する人事戦略が一般的でした。その順序が間違っていたわけではありませんが、AIの登場により、仕事の構造そのものが変わりつつあります。役割分担が変わり、意思決定のプロセスが変わり、現場に求められる能力も変わる。つまり、変化が前提となるビジネス環境において、事業戦略を実行できる組織能力の重要性が、これまで以上に問われているのです。
言い換えれば、変化に対応できる組織能力をどう設計するか、先の見えない時代のリーダーシップをどう育むか、どこまでの判断を現場に委ねるかといった人事・組織戦略は、事業戦略の後工程ではなく、並行して設計する必要があります。同じような戦略を掲げ、同じようなAIツールを導入しても、成果に差が出る。差を分けるのは、技術の有無よりも、それを使って組織を動かし切れるかどうかです。
ここでカルチャーは、価値観の掲示や社内の空気感ではなく、戦略実装の要諦として浮かび上がります。では、組織文化を戦略的に実装するとは、具体的にどういうことか。ここでは、組織の「意味・判断・行動」をそろえるという三つの視点から整理します。
変革の「意味」を定める

Solvay社の事例を語る、同社Chief People Officer & Member of the Executive Committee Mark van Bijsterveld氏
最初の視点は「意味」です。ここでいう意味とは、単なる経営目標ではありません。自分たちは何者で、何のために変わるのか。これを言語化し、共有することです。AI時代の事業計画は、常に変化の渦中にあります。だからこそ組織には、状況が変わっても立ち戻れる軸が要る。カルチャー設計の出発点は、この意味を編み出すことにあります。
その好例が、ベルギー発の化学大手・Solvay社です。2023年の事業分割後、同社は変革の起点を経営陣のトップダウンに頼りませんでした。約3000人の社員をサーベイや対話に巻き込み、「私たちは何者か」を問い直すところから始めたのです。当時約9000人規模だった同社が、それだけの労力と時間をかけて、変革の目的と自社のアイデンティティーに向き合う時間に投資したことは、「意味」のもつ重要性を物語っています。
Solvayは、このプロセスで出てきた多様な意見を、「Planet Progress」「Better Life」という二つの言葉に集約しています。自分たちは社会に何をもたらす存在なのか、そして、そのためにどう変わるべきかを、組織の共通言語として示したのです。
重要なのは、この自己定義が額縁に入ったスローガンで終わっていないことです。化学系メーカーとして「ゼロ事故」を掲げ、過酷な環境で働く従業員に対して「全員が安全に家に帰れること」を重点指標につなげています。そうすることで、変革の目的と現場の指標が結びつく。「意味」が現場で理解されるところまで設計してはじめて、カルチャーは組織を動かす原動力となるのです。
日本では、この指標設計が、企業理念・事業・人事という三つのレイヤーで見たときに、うまくアラインしていないことが少なくありません。変革による揺らぎにしなやかに対応できる組織文化とは、この三つのレイヤーがストーリーとして語られて初めて、意味をもつのではないでしょうか。
「判断」の軸をそろえる
意味が定まっても、それだけでは組織は動きません。次に必要なのは、何を基準に判断するのかをそろえることです。変革期の組織で本当に難しいのは、価値観を掲げることではありません。その価値観に照らして、何を守り、何を変えてよいのかを、現場が迷わず判断できる状態をつくることです。
その点で印象的だったのが、世界最大級の消費財メーカー・P&G社によるドイツ工場の再生です。この工場は当時、閉鎖寸前の状態にありました。こうした現場は保守的になり、変革より延命が優先してしまいがちです。通常なら、コスト削減や制度の見直しから着手するでしょう。
ところが彼らが最初に手をつけたのは、そうした対症療法ではありませんでした。リーダーシップチーム、従業員、労働組合が一体となって新しいビジョンとミッションを描き、「この工場は何のために存在し、どう生まれ変わるのか」を社員と共有したのです。
この行動がなぜ可能だったのか。その背景には、P&Gが事業運営に関する「判断基準」を明確に定めていたという事実があります。「Purpose、そしてValues and Principlesは変えない。しかし、それ以外は変えていい。」という明確な線引きです。この判断基準があったからこそ、閉鎖予定の工場の関係者たちは大胆なアクションに踏み切ることができました。AIを活用した無人夜間シフトを導入し、週4日勤務制度などを実現した結果、この工場は「Lighthouse plant」と呼ばれる、欧州のモデル工場へと再生を果たしました。
とてもきれいな成功例のように聞こえたのは、私だけではないと思います。しかし、同社のVice President Human ResourcesであるJochen Brenner氏は、次の点に言及していました。
「明確な判断基準を提示し、社員に裁量を渡すからこそ、採用基準は厳格です。新入社員にすらDay Oneから責任を持たせ、上級リーダーの99%は社内で育成されています。そのための投資と評価システムの構築にも、グローバルレベルでこだわっています」
ここに、人事・組織戦略の一貫性を見ることができます。AI時代だからといって、新たな何かを打ち出すこと自体が目的ではありません。AI時代を、変化が前提となる時代と定義したうえで、遠心力が強まるフェーズに生じる組織の揺らぎに対し、どのような求心力をHR施策全体で描くか。この視点で捉えることが人事リーダーには求められているのです。

P&GのVice President Human Resources Jochen Brenner氏
日常の「行動」に埋め込む
意味と判断が定まっても、それが日々の行動に落ちていなければ、カルチャーは人と組織を動かしません。三つ目の要諦は「行動」をデザインすることです。変革の意味や判断基準を、会議、マネジメント、1on1、仕事の進め方にまで落とし込めるかどうか。これを実装して初めて、組織文化が耕されるのです。
その好例が、Sanofiから独立したセルフケア企業・Opella社です。Sanofiからの分離は、単なる資本的独立ではありません。研究から上市までの長い時間軸を前提とした、薬品メーカーならではの重厚な事業特性から離れ、ユーザーに近いマーケットの肌感を踏まえたスピーディーな意思決定を実現するための経営判断でした。必要だったのは、組織文化の転換そのもの。そこで掲げられたのが「Challenger Mindset」でした。
同社は、これをスローガンで終わらせませんでした。まず、分社後にどんな会社として戦うのかという「意味」を定め、その意味に沿って新たなバリュー(大切にする価値観・行動指針)を制定しました。秀逸だと思ったのは、これを社員が毎日使う言葉にまで落とし込んだことです。10週間のカルチャースプリントを通じて紡ぎ出されたのは、「Iメッセージ」と「Who is the D?」という二つの“口癖”だったそうです。
「Iメッセージ」は、常に「I(私は〜)で始める」という自分の考えや責任を、自分を主語にして語るための工夫です。「Who is the D?(D=Decision Maker)」は、その場の最終意思決定者を明確にする問いです。一見すると小さな言い回しに見えるかもしれません。しかし組織文化とは、こうした毎日使う言葉の反復によってしか、職場の日常に根づきません。主体性を曖昧にしないこと、意思決定の滞留を防ぐこと、そしてChallenger Mindsetにふさわしい行動を習慣化すること。そのすべてが、この二つの言葉に埋め込まれているのです。
同社は変革の「意味」や「判断」だけでなく、それを日々の会話やコミュニケーションなどの「行動」に落とすことで、カルチャーを醸成する仕掛けをデザインしました。日本でも、変革の目的を明確化し、組織としてのポリシーを定める”仕組み”をつくる企業が増えてきたように感じます。しかし、最後は現場で使われるかどうかです。従業員が日々の言葉として使い、行動が変わり、さらに組織としての意味づけが深みを増していく。このサイクルを生み出すことこそが、組織文化を戦略的に実装するという意味なのです。
AI時代の組織変革は、組織文化を耕すことが戦略になる
AI時代の組織変革で問われるのは、卓越した戦略や先進的なツールを持っていることだけではありません。問われているのは、人と組織が本当に変われるのか。そして、その差を生むのがカルチャーです。
ここまで見てきたように、カルチャーを戦略として捉えるとは、組織の「意味・判断・行動」を一貫して設計し、実装することに他なりません。Solvayは、何のために変わるのかという意味を定める重要性を示しました。P&Gは、何を守り何を変えるかという判断を先にそろえることの強さを示しました。Opellaは、それを日々の言葉と行動にまで落とし込んで初めて、文化が育まれることを示しました。カルチャーは結果論としての“雰囲気”ではありません。変革を前に進めるために不可欠な、組織のOSなのです。
カンファレンスを通じて見えてきた組織変革の要諦は、ある意味では目新しいものではありませんでした。しかし、「AI時代」という未曾有の変化への外圧によって、組織文化を戦略的にデザインしていくことが、より多くの企業で求められている。また、その具体策は企業の文脈によって各社各様のため、セオリーだけでは太刀打ちできない。そうした状況のなかで、欧州のCHROたちがチャレンジしてきたエピソードには、日本企業にとっても大いに学ぶべき点があると私は感じました。
さて次回は、この前提に立って、AI時代に「HRの役割」がどう変わるのかを考えます。人材を調達し、制度を整える機能としての人事から、事業と組織を設計・実装する存在へ。これからの人事に求められる役割の再定義を掘り下げていきます。

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佐藤 邦彦さん
代表取締役 CEO
HumanDriven株式会社
早稲田大学政治経済学部卒。2008年リクルートに新卒入社。HR領域で営業、企画、マネジメントを経験。2015年からはリクルートホールディングスにてシェアリングエコノミーの事業開発、働き方変革推進のプロジェクトリーダーを務める。2020年にココナラへ参画。CHROとしてグロース市場上場・事業多角化・人的資本開示などの人事組織戦略をリード。2024年6月にHuman Drivenを創業。「共振すれば人が芽吹く。」をパーパスに、“組織文化を耕す会社”として組織変革・組織開発の支援を行う。並行して、株式会社ビットキーの委任型CHROも務める。
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