2社の実践事例に学ぶ人的資本経営
2社の実践事例に学ぶ人的資本経営
人的資本経営の実践事例から考察
人的資本経営の必要性は、近年、あらゆる場面で提言されている。人材を資本と捉え、人材の価値向上を実現することで、企業価値の向上を図る経営手法である。そこで今回は、2022年5月に経済産業省が発表した「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~人材版伊藤レポート2.0~実践事例集」(以降、人材版伊藤レポート2.0)に掲載された企業事例の中から、ソニーグループ、丸井グループの事例研究を通じて、人的資本経営の実践と、経営者が得られる教訓について述べる。
ソニーグループの取り組み
最初の事例はソニーグループ。同グループには、代表取締役会長兼社長CEOである吉田憲一郎氏がまとめた「Sony’s Purpose & Values」がある。「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」というPurpose(存在意義)と4つのValues(価値観)だ。
Valuesの1つに“Diversity(多様性)”が組み込まれており、「会社とその中で会社を動かす人がPurposeを中心に、相互成長作用を起こしていく」と考える同グループは、「Special You, Diverse Sony」という「Sony’s People Philosophy」(人事理念)を掲げている。これが同グループの人的資本経営の取り組みの原点となっている。
ソニーグループの人事施策の礎は、1946年の設立以来、脈々と受け継がれている企業文化である。同社の創業者・井深大氏が作成した設立趣意書には、会社創立の目的の1つに「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」としたためられており、これが「個」に着目する姿勢の原点となっている。
こうした創業者の理念をもとに、同グループの人事は、多様な個を軸とした人事戦略を立て、社員一人一人が力を伸ばし、最大限に発揮できる環境づくりに尽力している。
人材版伊藤レポート2.0によると、同社の人的資本経営実現のポイントは次の3点だ。
①事業・地域の多様性を踏まえ、グループ全体の成長には、個の多様性が不可欠と認識し、多様性が最大限に活かされるよう、体系的な人事戦略を構築・実行している。
②グループの成長を駆動する多様な事業が、それぞれの事業特性や課題に応じて迅速に人事運営を行えるよう、グループ各社の人事上の責任を各社CHRO(最高人事責任者)に委任している。
③併せて、グループ経営に必要な「求心力」を求めてパーパスを定義した。経営陣自身がその発信・浸透にコミットし、エンゲージメント指標の改善を経営陣報酬にも反映している。
①については、「Special You, Diverse Sony」を人事理念とし、多様な個(人・事業)の成長の総和をグループ全体の成長と認識して、「個を求む」「個を伸ばす」「個を活かす」の3つの軸で人事戦略を体系化している。
②については、CHROを各社に配置し、各社CHROがグループ間で頻繁に擦り合わせをしながら、人事施策を推進している。
③については、社員と会社の対等な関係を前提に、双方が互いに選ばれるために覚悟と緊張感をもって真剣に向き合い、相互の成長を実現するという。具体的には、年1回全社員にエンゲージメント調査を実施。経営陣の業績連動報酬KPI(重要業績評価指標)にエンゲージメントスコアの改善度、ダイバーシティなどへの取り組みの成果を含めることで、経営と人事戦略の連動を図っている。
丸井グループの取り組み
次に、丸井グループの事例を紹介したい。同グループでは、イノベーションの創出に向けた自律的な組織づくりを推進するため、10年以上の期間をかけ、社員一人一人の自主性を促す組織文化の醸成に取り組んできた。人材版伊藤レポート2.0では、同社における人的資本経営実現のポイントを次の3点に整理している。
①イノベーション創出に向け、「手挙げ」の文化を重視し、社員の自主性に基づいた配置・育成等の人事を実現している。
②グループ間の職種変更異動、スタートアップとの共創などを通じて、グループ内外で多様な知・経験を融合している。
③多様性が活かされる組織基盤として、心理的安全性を確保するため、対話のルールを明示、対話型の企業文化に向けて変革を進めてきた。
①については、その推進のために、企業理念に関する対話をはじめ、公認プロジェクトや研修などへの参加について、全て社員の自主性に基づく「手挙げ方式」に変更。スタートアップへの出向や新規事業への参画も手挙げを基盤とし、社員一人一人の成長を支援している。
②については、グループ会社横断の人事異動として「職種変更」を推進しており、社員の約8割が会社間の異動を経験。さまざまな会社や部署での経験が「個人の中の多様性」につながり、社員一人一人の成長を促している。さらに、スタートアップとの共創を目的とした大規模チームを組成。執行役員をチームリーダーとする「共創チーム」で、新規事業開発などを推進している。
③については、ダイバーシティ&インクルージョンの環境整備と対話の促進に取り組んでいる。同グループは、心理的安全性の高い職場づくりに向けて、対話の際には「安全な場所宣言」から始め、「目的を設けない」「結論を求めない」「傾聴する」「人の発言を受けて発言する」「人の意見を否定しない」「間隔を置いて熟成させること」を基本ルールとして浸透させてきた。また、全社的なダイバーシティへの意識醸成として、誰もが持ち合わせている「思い込み」や「偏見」を自覚するため、社長・役員・管理職から一般社員まで、外部講師によるアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)研修を受講している。
また、社内横断プロジェクトとして「ジェンダーイクオリティプロジェクト」を発足。性別に関係なく、全ての社員が自分の可能性にチャレンジできる企業文化実現に向けた取り組みを進めるとともに、性別役割分担意識の見直し度合いをはじめとした指標を設定・開示し、進捗の見える化と、施策への反映を行っている。
人的資本経営にはトップのリーダーシップとエンゲージメントが不可欠
事例2社の取り組み内容の共通点は2点ある。
第1に、いずれの企業も明確なトップメッセージが発信されていることである。単なる人材戦略ではなく、トップの強いリーダーシップの発揮により、人材戦略が経営そのものとして機能・連動している。人的資本経営を経営戦略として展開するためには、中長期ビジョンを描き、その実現に向けて戦略的かつ継続的に人事施策を展開していく必要がある。まさに「戦略人事」の思考である。
また、実施プロセスにおいては、試行錯誤を繰り返しつつも、正しい現状認識と経営者の強い意思決定が不可決となる。人的資本経営とは、何らかの施策を単発的に行うことではなく、経営技術そのものだからだ。
さらに、経営者の意思決定を現場で推進するには、経営者の意思を理解した戦略リーダー(次世代経営者)が必要である。経営と現場をつなぐ戦略リーダーをどれだけ輩出できるかという「経営人材育成力」が、今後の人的資本経営を左右するだろう。
第2に、エンゲージメント重視の姿勢である。事例2社はいずれも人材を資本として捉え、企業価値を向上させるためにエンゲージメントの調査結果をオープンにし、社内外のコミュニケーション(対話)に生かしている。
これまでは「社員満足度調査」で社員の声を把握する企業が多かった。しかし、エンゲージメントは満足度ではなく、自社のビジョンに共感し、主体的に取り組むエネルギー源である。個人のベクトルと組織のベクトルを一致させ、エンゲージメントを高めるには、経営者のトップメッセージ発信と現場の対話という双方向コミュニケーションが必要だ。これが「共感型リーダーシップ」である。
そして、双方向コミュニケーションを実現するには、経営者だけでなく現場にもエンゲージメントスコアをオープンにし、社員の声を吸い上げる必要がある。どうすればエンゲージメントが向上するのか、課題の解決策を共に考えることで、参画意識も高めていくことができる。
今回、人的資本経営について2社の事例を考察した。しかし、理念・パーパスが異なる以上、これらの手法・施策をまねしても、自社で同じ効果は得られない。どのような手法・施策を行うかは、自社の実態に応じて取捨選択すべきである。
【図表2】事例企業の取り組み内容と人的資本経営の3つの視点と5つの要素
出所:経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~人材版伊藤レポート2.0~実践事例集」よりタナベコンサルティング作成
ただ、まねることができる点もある。事例2社の共通点である「企業価値の向上に対する経営者の強い意思決定」と、「エンゲージメントを軸とした社内外の対話」だ。まずは、自社の理念・パーパスを明確にし、経営者のリーダーシップと社員との対話を通して人的資本経営を実現し、持続的な成長へとつなげる経営に期待したい。
※本コラムは古田が、タナベコンサルティングの経営者・人事部門のためのHR情報サイト、TCG reviewにて連載している記事を転載したものです。
【コンサルタント紹介】
株式会社タナベコンサルティング
エグゼクティブパートナー 九州本部 副本部長
古田 勝久
自動車部品メーカー、食品メーカーの人事部門にて採用・人材育成・人事労務業務を経て、当社へ入社。現場で培ったノウハウをもとに、戦略的な人事・組織の実現に向けて経営的視点からアプローチし、九州の上場企業・中堅企業の成長を数多く支援している。
主な実績
・上場企業におけるサクセッションプラン策定・運用支援
・中堅メーカーにおける人事制度再構築支援等、人事システム構築多数
・サービス業における組織風土改革プロジェクト推進
・上場企業の中期経営計画策定プロジェクト推進
著書:経営者のための『戦略人事』入門
- 経営戦略・経営管理
- モチベーション・組織活性化
- 人材採用
- 人事考課・目標管理
- キャリア開発
創業60年以上 約200業種 15,000社のコンサルティング実績
企業を救い、元気にする。皆様に提供する価値と貫き通す流儀をお伝えします。
強い組織を実現する最適な人づくりを。
企業において最も大切な人的資源。どのように育て、どのように活性化させていくべきなのか。
企業の特色や風土、文化に合わせ、組織における人材育成、人材活躍に関わる課題をトータルで解決します。
タナベコンサルティング HRコンサルティング事業部(タナベコンサルティング コンサルティングジギョウブ) コンサルタント
対応エリア | 全国 |
---|---|
所在地 | 大阪市淀川区 |