ますます加速する技術革新。高まる地政学的リスク――。もはや事業ドメインやビジネスモデルは旧態依然ではいられません。ダイナミックに変えていく覚悟が企業に問われています。人材育成への取り組みも同様で、横並びの研修が通用する時代ではありません。社員一人ひとりが自律的に学ぶ仕組みを設計していく必要がありますが、人事はどのように対応すれば良いのでしょうか。導入社数3700社以上、日経平均銘柄企業で約8割が導入する、動画学習サービス「GLOBIS 学び放題」を提供するグロービスのディレクター、越田愛佳さんに日本企業の人材育成における現状と対策についてうかがいました。
- 越田 愛佳さん
- 株式会社グロービス グロービス・デジタル・プラットフォーム
GLOBIS 学び放題 国内事業 ディレクター 兼 GLOBIS 学び放題 編集長
こしだ・あいか/大学卒業後、一部上場総合人材系企業で営業、営業マネジメントを経験後、新規事業の推進、出版・WEB サイト企画、コンサルティング、代理店統括などを経験。 2017 年より株式会社グロービスのデジタル系新規事業部門に参画。 現在は動画学習サービス・グロービス学び放題の国内事業の責任者及び動画コンテンツ開発のマネジメント、そのほかデジタル系プロダクトの統括を兼務。思考、創造、テクノロジー系科目などの研修講師、科目開発も行う。 グロービス経営大学院経営研究科経営専攻修了(MBA)。
学ばない日本人、学ばせない日本企業から脱却を
日本の社会人の「学び」の実態を貴社はどのように捉えていらっしゃいますか。
2019年に日本人の社会人がアジア・欧米の18ヵ国・地域国と比べても社外学習や自己啓発で学んでいない、最下位であるという、衝撃的な調査結果が報告されました(パーソル総合研究所「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)」)。
今回我々があらためて社会人における学習実態のリサーチを行ったところ、学習習慣がない社会人の割合は62%でした。驚くことに10年以上が経過しても、日本人が積極的に学んでいない状況は変わっていなかったのです。
ただ、当社がお手伝いしている企業は、「社員が自分のキャリアを考え、自律的に学ぶことが自社の力となる」という考えのもと、創意工夫を凝らして学習風土の醸成に取り組み成果を出しています。これまでは個人が自律的に学ぶのではなく、企業が学ばせようとしていました。今、その潮目が変わってきたことの現れが、リスキリングの波だと言って良いでしょう。
日本企業の人事部門が社員に学んでほしいことと、社員が学びたいことでは、違いがあるのでしょうか。
以前から「日本人は学ばない」ことはわかっていたのですが、今回のリサーチでは「学ぶべき内容」をどう捉えているかを調べるため、人事と社員の方々の双方にアンケートを取ってみました。
人事が社員に学んでほしい項目として割合が高かったのは、「部下とのコミュニケーション」「チームマネジメント」など、組織を良くするためのスキルでした。
一方、社員は「ExcelやWord、PowerPointなどでの資料作成・分析」を学びたがっていました。自分の業務遂行のため、という傾向が顕著です。以前からこのような傾向はあったのですが、昨今ではより強くなっていると思います。VUCAの時代と言われていますが、コロナ禍での経験や、社会の多様な働き方の受容を経て、日本人も会社に頼らず、個人で立脚していていくところに目を向けた結果、個人のスキルを伸ばしたいと考えるようになったのでしょう。
キャリア自律・自律的な学び・リスキリングがトレンドとなっている背景をお聞かせください。
今までの日本企業は、新卒一括採用や年功序列、終身雇用を維持してきました。離職率も非常に低かった。それが時代と共に変わってきて、テクノロジーやビジネスのスピーディな進化・変化に対応するため「自分のキャリアは自分で見つけてほしい」という企業が増えています。働く側を見ても、「この会社で定年まで長い間勤めるべきか」と悩む人々が増えています。
近年クローズアップされている「ジョブ型雇用」も、大きな影響をもたらしています。完全にジョブ型雇用に移行できている会社はまだほとんどありませんが、ゆくゆくは日本でも広がるだろうという予想も、後押ししているように思います。
社員の学びには、組織からの必要な働きかけが不可欠
「キャリア自律・自律的な学び・リスキリング」の取り組みとして、代表的な企業事例がありましたら、お聞かせください。
二社の事例を紹介します。一社目は本田技研工業さまです。導入当時、同社では「自立性」を重視し、既存の階層別研修を、自己研さんを促す自己選択型学習中心へと置き換える大胆な人材開発改革を行っていらっしゃいます。その学びを生かす場として、4万人もの国内全社員に「GLOBIS 学び放題」の公募を展開していただきました。
もう一社はニトリさまです。2019年より「GLOBIS 学び放題」を全社員に導入していただいています。同社は社員がただ自律的に学ぶのではなく、現場と一緒に学んだ成果を発揮できるようにしっかりとサポート。社員の学習履歴データを分析して、その結果をジョブローテーションに活用するなど、タレントマネジメントをしっかりと実践できている良い例だと思います。
自律的な学びで成功している企業の要因、逆に苦戦している企業の要因として何が挙げられますか。
成功要因は、育成だけではない人事制度との連携が大きく関連しています。例えば、「これを学び身に付け、発揮することで昇格できる可能性が高い」と明示しておくと、社員の学ぶ目的や道筋がわかりやすく、学ぶ風土が醸成されます。「キャリアアップを目指して自分も頑張ろう」というイメージもできてきます。
一方、苦戦している企業でよく見られるのは、現場の社員や管理職が育成方針を納得していない、現場を巻き込めていないことです。例えば、人事が「これを学ぶ必要がある」と従業員に伝えても、現場の上司が「そんな時間があるなら仕事をしてほしい」と主張するなど。また、面談などで「キャリアに悩んでいます」とは言えても、さすがに「他の部署に行きたいです」と上司に申し出ることは難しいと思います。現場の学ぶ風土やキャリアに対して考える風土ができあがっていないと、うまくいきません。
また、成功要因の裏返しにもなるのですが、企業として学ばせたい方向と違う方向に従業員が学んでいく可能性もあるので、学びとキャリアをしっかりとひもづけておかなければ、事業成長や経営資源としての人材育成にはなりません。また、人事制度がうまく回らないでしょう。
産業構造が変わり、デジタル人材育成が急務に
「デジタル人材育成」がトレンドとなっている理由は何でしょうか。
日本の産業構造が変わったことが大きいですね。長年にわたり製造業が支えてきましたが、現在、世界ではGAFAのような巨大IT企業が席巻しています。もはや、日本が培ってきたビジネスの成功パターンは通用しなくなっているのです。その中で売上を拡大していくには、ITの活用が必須と言えます。
ITをビジネスにどう活用するのかを考えようとしても、大学で教えられてきたわけではありません。情報系の大学もありますが、理系のなかのニッチな位置づけです。社会に出てからでなければビジネスで使われるIT・システムを学べず、IT関連の研修を実施している会社も少ない。これまでは、そういう状況でした。
しかし近年は技術革新のスピードが速く、市場も大きく変わってきています。自分たちがどのようにキャリアをつくっていくべきなのかを考えるようになり、これまで必要ないと思っていたITを学習しなければならないと認識したのではないでしょうか。実際に、学ばなければならないことが次々と出ています。そこに拍車を掛けたのが、生成AIの登場です。人間の能力との掛け合わせで、できることをどこまで拡張できるのかが問われています。
デジタル人材育成の取り組みとして、代表的な企業事例があれば、お聞かせください。
二社の事例を紹介します。まずは、味の素さまです。同社ではまず、全社でデジタルリテラシーを高め、そのスキルを生かして経営課題や事業課題を解決できるビジネスDX人財を作ろうという大きな方針を掲げました。それに向けて、「DX人財検定」という社内の資格試験を設け、学ぶ文化を醸成しています。初級の認定要件が「GLOBIS 学び放題」での学習でした。さらに、中級や上級の基準も別途設定しています。
人事の方が「GLOBIS 学び放題」でデータの分析スキルを身に付けることができたので、それを駆使して受講活性化に向けた施策に取り組んでいる点も特徴です。人事部自らが学び、DXに向けてできることを行っている点が良いと思います。
もう一社は、中外製薬さまです。同社では全社共通のコンピテンシー、スキルを定義付けるとともに、キャリア形成に向けたプラットフォームを構築しました。その一環として、3年前から「GLOBIS 学び放題」を導入し、タレントマネジメントを推進しています。「GLOBIS 学び放題」にデジタル系のコンテンツが増えていく中、同社でもそれらを活用してデジタル人材の育成に積極的に取り組みました。その育成力が評価され、経済産業省によって「DXグランプリ2022」に選出されています。
デジタルリテラシー習得への風土醸成が重要
デジタル人材育成が成功している企業の要因をお聞かせください。
三点あります。まず一点目は、デジタル人材育成の目的が明確であること。何となくではなく、何のためにデジタルに関する知識を身に付けるのかを設計できている企業は、人材育成がうまくいっています。
二点目は、全社員がデジタルリテラシー習得の必要性を認識していること。しかし、ほとんどの企業では認識されていません。社員も「会社から言われたから仕方なくやる」「取りあえずやってみる」ぐらいの気持ちしかなく、少し学んだ程度で終了してしまう。そうではなくて、やり切らせるために人事と現場の連携ができていることがポイントです。組織全体のデジタルリテラシーが低いと何をやったら良いのかがわからないし、業務改革もうまく進みません。
三点目は、学びの深掘りができていること。社内の幅広い層がデジタルリテラシーを高めるだけでなく、デジタルを学びたい人がさらに学べる体制、流れにあるかが重要です。デジタルリテラシーは1回学んだだけで身に付くものではありません。奥が深く、学び始めるとキリがないものです。学びをしっかりと後押しできる企業が成功しています。
逆に、デジタル人材育成に苦戦している企業に共通している点をお聞かせください。
既に述べた通り、「教育に関する現場の理解が低い」「社員に全く見当違いのことを学ばせている」といったことが挙げられます。さらにもう一点挙げるとすれば、学習を設計する側のデジタル知識が足りない場合、良い学習体験設計はできません。そのような状況では、失敗する確率がかなり高くなります。何のためにデジタルを学ぶのかがわかっていないからです。
育成人事の方にはデジタルのバックグラウンドをもつ方が少ないため、苦戦されるケースが非常に多く、外部のコンサルタントに依頼することもあるようです。しかし、可能であれば社内の有識者と一緒に組み立てたり、現場の方が組み立てたりするほうがうまくいくでしょう。
人材育成を設計する際に押さえておくべきポイントとは
日本の企業に向けて、「キャリア自律・自律的な学び・リスキリング」「デジタル人材育成」に関して何か提言がありましたらお聞かせください。
三点、提言したいと思います。まず一点目は、流行の言葉に踊らされずに本質を見極めることです。何となく学ばせるのではなく、「リスキリングとは何か」「何のためにやるのか」をしっかりと理解して、それらを社員全員に浸透させることができれば、社員は自ずと学ぶはずです。
二点目は、育成の設計者自身がDX推進に必要な全体像と知識を理解すること。「自社におけるDXはどうあるべきか」「そのために何を学ぶべきか」「リスキリングの風土をいかに醸成していくか」が不明確なままでは、デジタル人材の育成を進めることはできません。
三つ目は、先行例を他社から学ぶことです。リスキリングやデジタル人材育成は人的資本経営や自律型学習とも深く連動しています。それだけに、経営戦略に応じた柔軟な人事制度や育成計画の設計が重要です。他社の事例を見るときは、その会社が将来どうなりたいのか、そのためにどんな育成をしているのかに注目してください。
学び方にも秘訣がありますか。
自分にとって身近な領域から学ぶことです。例えば、事務の方であればExcelだけでなく、Pythonを組むことができたり、SQLを書けたりするようになると、データ分析や作業効率化がものすごく楽になります。インプットしたものを実際に仕事に生かしてみて、効率を良くする。そんな良いサイクルが回ると思います。まずは、近いところから広げていくのがセオリーです。そうした機会を無理やりにでもつくることが大事です。例えば、勉強会を実施して講師役を務めてもらうのも、良いアイデアだと思います。
社員がデジタルリテラシーを習得するために、どんな工夫を講じれば良いのでしょうか。
まずは、人事制度に入れること、学ぶメリット・デメリットを明示することです。次はソフト、企業文化として盛り上げること。例えば学びのコミュニティーを使ってみたり、ビジネスコンテストを開催して学ぶ機会を作ったりすると有効です。ジョブローテーションを行う際のOJTで、使う場を設けるのもよいでしょう。
もう一つは、トップが強くコミットして設計することです。「このままでは当社のデジタルは大問題になる。本気で取り組まなければいけない」など、社員の危機感に火をつけるほどのメッセージが必要です。
社会人の学び方のプラットフォームとして進化を続ける「GLOBIS 学び放題」
貴社の「GLOBIS 学び放題」の内容や最近の取り組みを紹介していただけますか。
「GLOBIS 学び放題」は、経営大学院を運営するグロービスが「MBAの知識やビジネススキルをわかりやすく」というコンセプトでスタートした、定額制動画学習サービスです。近年はそれに加えて、デジタルリテラシーを高めるコンテンツも多数取りそろえています。グロービスはもともとエンジニアが在籍しない組織でしたが、雇い入れて自分たちもDXリテラシーを高めていった結果、学びの数年を経て驚異的に開発スピードを飛躍することができました。DXの成功例を体現できていると言っていいかもしれません。おかげで、この3年で動画が2000コースぐらい増え、今では3000コース近くになっています。
最近は、経済産業省が2022年末に公表・策定した「デジタルスキル標準」に準拠した合計250本あまりのコースをリリース、ラーニングパス(目的別にパッケージ化したコース群の総称)も17本リリースしました。併せてドリル問題も作成しており、受講者の学んだ知識の定着を測ることができます。法人向けでは、アセスメント機能を2023年10月30日にリリースしました。動画を視て学ぶだけでなく社員の知識・スキルの成長を可視化することができます。「測る→学ぶ→成長する」の学びのサイクルを1つのプラットフォームでご提供することが可能となりました。その他にも、動画だけでなく生成AI「ChatGPT」を活用したフィードバック機能を装備し、ゲームのように学べる機能も計画中です。
最後に、「GLOBIS 学び放題」の今後についてお聞かせください。
機能の面では、学びやすさをさらに工夫していく予定です。動画以外の学び方も予定しています。人事の方向けには、分析のダッシュボードの精度を一段と進化させます。また、アセスメント機能のバリエーションも増やしていきます。
多くの方が「GLOBIS 学び放題」で学ばれることで、日本社会がより良くなっていくとうれしいですね。これまで学ばないと言われてきた日本の社会人の方々が少しでも興味を持ち、楽しく学ぶことができるものを提供していきたい。それが企業の力になると信じています。
さらにはシニア世代や、ITパスポートの資格取得を目指す方など、学習者の裾野を広げることで、より多様な「学び」の機会を提供していきたいと考えています。
企業の経営課題に対し人材育成・組織開発の側面から解決をお手伝いします。累計受講者数約130万人、取引累計企業数約4300社の成長をサポートした経験から、「企業内集合研修(リアル/オンライン)」「通学型研修(リアル/オンライン)」「GLOBIS 学び放題」「GMAP(アセスメント・テスト)」など最適なプログラムを ご提案します。研修は日本語・英語・中国語のマルチ言語に対応し、国内外の希望地で実施が可能です。