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ジョブ型人事指針における誤解とジョブに基づく人事制度のあり方

本年8月28日内閣官房・経済産業省・厚生労働省連名による「ジョブ型人事指針」なるものが発表された。これはその前の6月21日に発表された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2024年改定版」に基づくものであり、その中の「III.三位一体の労働市場改革の早期実行」に次のように記載されている。「ジョブ型人事の導入、労働移動の円滑化、リ・スキリングによる能力向上支援からなる三位一体の労働市場改革を進めることで、同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を国ごとの経済事情の差を勘案しつつ縮小することを目指す」。

 

目指すところは従来からの主張の流れに沿ったものではあるが、次の段落から始まる具体的な記述「(1)個々の企業の実態に応じたジョブ型人事の導入」を読んで驚いてしまった。「ジョブに基づく人事制度」に対する基本的な誤解があり、このような指針に基づく「ジョブ型人事」では、「同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を縮小する」という目標には到底行きつかないであろうと思わざるを得ない。その誤解とはどのようなものか説明していきたい。

 

まず「(1)個々の企業の実態に応じたジョブ型人事の導入」の最初の説明に「職務(ジョブ)毎に要求されるスキルを明らかにすることで、労働者が自分の意思でリ・スキリングを行い、職務を選択できる制度に移行していくことが重要である」と書かれている。比重は明らかにスキルにあり、その基となる「職務(ジョブ)」の意味・位置づけが不明確である。そもそも日本的な雇用慣行に内在する問題はジョブの定義が曖昧な点であったはずである。そのジョブに関する議論を素通りして、「ジョブに要求されるスキルを明らかにする」と簡単に言えるのか?

 

ジョブに基づく人事制度とは社員を公平・公正に処遇するための仕組みとして、その基盤をジョブとし、その基盤の上に構築された人事制度のことを指している。歴史的にみると企業の社員を処遇する制度は、その基盤を人種・出自・年齢・性別・学歴等々の属人的な要素を重視して来た初期の段階から、社会的な環境変化(人種差別禁止等)・市場の拡大(グローバル化等)による企業規模の拡大の中で、より客観的な基準・基盤としてジョブを選択することにより発展して来た制度と言える。

 

残念ながら日本の戦後の人事制度の歴史を振り返ると、高度経済成長下で属人的な要素を基盤とした人事があまりにもうまく機能したため、社員の公平・公正な処遇のための基盤転換が行われなかった。その後の低成長経済の中でも、職能資格制度に見られる疑似ジョブ型人事でやり過ごして来てしまったと言える。結果として日本の人事の中にジョブを人事制度の体系の中に位置付けるための基本的な技術が蓄積されないまま現在に至っているという状況である。従って指針の中にある各社の例を見ても、ジョブと属人的な要素を混同しているケースが多々見受けられる。ジョブの定義から属人的な要素を極力排除し、公平・公正な処遇のための基盤とする努力がなされているとは言い難い。これでは職能資格制度と何ら変わることはない。

 

「同じ職務であるにもかかわらず日本企業と外国企業との間に存在する賃金格差」と触れられているが、ジョブの定義が基本的に異なる以上、その間に存在する賃金格差を縮小することに意味は無い。海外の賃金統計の多くがジョブベースで公表されており、それぞれの企業は職務内容を比較検討して、処遇レベルを調整することが可能となる。日本では相変わらず性別・年代別・学歴別の賃金データがまかり通っているのでは、ジョブに基づいた賃金レベルの比較など不可能である。一般的に言われるのは課長・部長などの役職名で賃金比較をするケースが多いが、それが妥当かどうかはそれぞれの役職の実際のジョブがどのような内容かによるのである。こんなスキルがある、こんなことが出来るという、職能資格型の能力説明は、ジョブの内容を示していないのである。

 

こんな基本的なことが理解できていない。スキル・能力(あるいは知識・経験等含め属人的な要素)は当該ジョブが何を求められているかで異なるのである。指針に例示されている多くの企業のジョブの定義は、おおむね一般的な職務定義の借り物であり、結果としてはスキル・能力定義も一般的なものになりがちである。そんなものを使っていれば、結果としてはその社員の能力レベルを処遇の基準に使っていることと同じことであり、ジョブに基づく公平・公正な処遇とは言い難い。「ノウハウのある労働者が高い賃金を得られる構造を作りあげる」(三位一体の労働市場改革の早期実行)と書いてあるが、ノウハウのある労働者が高い賃金を得られるのは決してジョブに基づく人事ではない。そのノウハウを使い会社の求める結果を出すことが、ジョブに基づく人事の基本的な姿である。ひょっとしたら全く別のスキル・ノウハウあるいは能力を持つ社員が、同じ仕事でもっと高い成果を上げることが可能かもしれない。その場合はその社員が持っているスキル・ノウハウ・能力が会社が求めるものであるべきだ。最初からスキル・ノウハウがある訳ではない。

 

同じく指針の中で「ジョブごとに要求されるスキルを明らかにすることで、労働者が自分の意思でリ・スキリングを行え、職務を選択出来る制度に移行していくことが重要である」とある。これも型通りの一般的なスキルを持つことがその職務を選択できる条件のように書かれているが、そんなお仕着せのスキルを持った労働者が本当にその会社の業績向上に貢献できる社員となると考えているのであろうか?益々競争の厳しくなる市場の中で、会社が求める人材は、当たり前のスキルを持った人材ではなく、会社の求めるジョブを期待以上の成果をもって遂行でき、会社の業績向上に貢献できる社員であろう。そのためにはその会社が提供できるジョブがいかに挑戦的で、社員の意欲をそそるようなものであるかが重要であり、スキル・ノウハウとか過去の経験とか後ろ向きの要求ばかり出すような会社に興味を持つような社員ではダメなのである。労働者が自分の意思で選択するのは、スキルではなくジョブなのである。自立的なキャリア形成とは、どのようなジョブを選択するかということであって、出来合いのスキルを身に着けることがキャリア形成とは言えない。

 

「ジョブ型人事指針」というようなものを出すのであれば、まず(1)社員の公平公正な処遇のための人事制度とは何かに関する理解を深め、(2)日本の企業があるべき人事制度の基盤としての「ジョブ」を真剣に考え・設計できるように、その定義の仕方のガイドラインを明確にし、(3)賃金の市場データもそれに合わせジョブに基づくデータとすべく、政府として注力していくことであろう。同一労働・同一賃金問題もこうすれば解決への道筋が見えてくると思われる。「指針」と称して各社の事例を羅列するのはとても政府がやるべき仕事とは思えない。

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秋山 健一郎(アキヤマ ケンイチロウ) 株式会社みのり経営研究所 代表取締役

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