中東における本当の雇用コストとは

中東市場が国際企業を惹きつけています。そして多くの企業がその声に応じて進出を進めています。しかし、情勢は刻々と変化しており、先を見越した準備をしている企業だけが、着実な成果を上げられるでしょう。
ドバイの摩天楼からリヤドの経済回廊に至るまで、この地域は今、グローバルな事業拡大の有力な候補地として注目されています。規制の先見性、デジタル分野での革新、過去最高レベルの海外直接投資といった要因により、中東はもはや単なる成長機会ではなく、「戦略的な選択肢」としての地位を確立しつつあります。
中でも、アラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビア王国(KSA)は象徴的な存在です。UAEは、圧倒的なスピードで人材と資本を惹きつけ、グローバルビジネスのハブとしての地位を築いています。一方のサウジアラビアは、「Vision 2030」に基づき労働市場を抜本的に改革し、活力ある民間セクターの育成に力を注いでいます。
ただし、注意すべき点があります。それは、「この地域における雇用コストは、単なる給与額をはるかに超えている」ということです。もし人事や財務部門が「支給総額(グロス給与)」のみを基準に予算を立てているのであれば、コストの全体像を見誤っている可能性があります。ビザの更新費用からナショナライゼーション(現地人雇用比率)要件まで、隠れたコストが利益率に大きな影響を与えることもあるのです。
本コラムでは、UAEおよびサウジアラビアにおける「実際の雇用コスト」の内訳を詳しく解説し、予期せぬ出費やコンプライアンス違反を未然に防ぐためのポイントをご紹介します。
“退職金”という名の時限爆弾:中東で見落とされがちな負債
中東での雇用において、最も誤解されやすい負債の一つが「退職金(End-of-Service Benefit:ESB)」です。
UAE(アラブ首長国連邦)
民間企業で働く従業員は、退職時に「最終給与」と「勤続年数」に基づいた一時金の支給を受ける権利があります。現在では、毎月拠出を行う政府支援型の新しい投資ファンドへ加入する選択肢もありますが、多くの企業はいまだに従来の一時金モデルの負債を抱えています。
KSA(サウジアラビア王国)
サウジアラビアでは、この負債がさらに大きくなります。従業員は以下の退職金を受け取る権利があります。
- 勤続5年まで:1年ごとに月給の半額
- 勤続6年目以降:1年ごとに月給の全額
以下は、具体的な例です:
- 月給:5,000ドル
- 勤続年数:8年
- 最初の5年間:2.5ヶ月分(=12,500ドル)
- 残りの3年間:3ヶ月分(=15,000ドル)
- 合計支給額:27,500ドル
このESB制度は、対象国で働くほぼすべての従業員に適用されるものであり、従業員一人あたりに換算すれば軽視できない額になります。これが従業員全体に広がると、単なる給与の話では済まず、貸借対照表に直接影響する重大な財務項目となります。
ビザスポンサー制度の落とし穴:繰り返し発生する見過ごせないコスト
中東において、ビザスポンサーは「一般的」なだけでなく、多くの場合「不可欠」な制度です。現地の労働力の多くが外国籍人材で構成されているため、多くの国際企業は従業員のビザを企業側でスポンサー(保証)する必要があります。
しかし、ビザスポンサー費用を「採用時だけの一度きりの手続き」と誤解してしまう企業も少なくありません。実際には、法的な責任は内定通知で終わるものではなく、継続的に発生する費用が企業のコスト構造に大きく影響してきます。
アラブ首長国連邦(UAE)
雇用主は、2年間有効な居住ビザの費用を負担する必要があります。費用は医療検査や保険の内容によって異なりますが、1人あたり7,000ディルハム(約25万円)を超えることもあります。
- HIV、B型肝炎、結核などの検査は義務であり、従業員の到着後14日以内に完了しなければなりません。
- その他の費用には、エミレーツID、民間健康保険、アウトソーシング業者やフリーゾーン当局に支払うPRO(パブリック・リレーションズ・オフィサー)手数料などが含まれます。
- UAE労働法および人材・首長国化省(MOHRE)の指針では、雇用主が採用と雇用に関わる全費用を負担することが義務付けられており、違反すれば罰金、営業ライセンスの停止、企業格付けの引き下げといった処分を受ける可能性があります。
サウジアラビア王国(KSA)
Qiwa(キーワ)やMuqeem(ムキーム)などのデジタルプラットフォームにより、申請手続きの効率化は進んでいますが、費用や手間が軽くなるわけではありません。
- ビザ申請、更新、職種の変更、扶養家族用のビザなど、あらゆるステップで雇用主に費用負担義務があります。
- 転職、健康診断などのたびに、追加費用や書類提出義務が発生します。
中東におけるビザスポンサー制度は、一度の予算計上で済むものではなく、継続的なオペレーションコストです。更新、職務変更、扶養家族、健康診断などによって、企業のコストは周期的に発生し続けるため、綿密な計画と継続的な予算管理が不可欠です。
ナショナライゼーション・クオータ制度:企業を追い詰める“法令遵守の圧力釜”
中東各国では、外国人労働者への依存を減らし、現地国民の雇用促進を目的としたナショナライゼーション・クオータ制度(現地人雇用比率の義務化)が導入されています。
たとえば、UAEの「エミラティゼーション」やサウジアラビアの「ニタカート」は、民間企業に対して一定割合以上の自国民を雇用・維持することを求める仕組みです。
ここ中東では、雇用のクオータ制度を守るにはお金がかかります。守らなければ、高額な罰金が科されることもあります。
UAE:エミラティゼーション
アラブ首長国連邦(UAE)では、従業員数が50名以上の民間企業に対し、毎年2%ずつ自社のエミラティ(UAE国民)雇用比率を引き上げることが義務付けられています。
この目標を達成できなかった企業には、以下のような罰則が科されています。
- 2024年の未達成分については、不足したエミラティ雇用者1名あたり96,000ディルハムの罰金が発生しました。
- 2025年も未達の場合、罰金額は1名あたり108,000ディルハムに増額されます。
企業は、今後さらに強化される規制を見据え、戦略的な人材採用計画が求められています。
サウジアラビア:ニタカート
サウジアラビアでは、「ニタカート制度」により、業種や企業規模に応じたサウジ国民の雇用比率(サウダイゼーション)が義務付けられています。
- サウダイゼーションの上位区分に属する企業は、労働許可証の取得が円滑になるほか、一部の政府インセンティブを受ける資格も得られます。一方で、下位区分にとどまる企業は、採用面での制限や、主要な行政サービスへのアクセス遅延といった影響を受ける可能性があります。
- 2025年7月27日施行の新ルールではエンジニアを5名以上雇用する企業は、そのうち30%以上をサウジ国民としなければなりません。
- 現地人材の採用にあたっては、特に自国人材が不足している業界において、高い報酬水準(プレミアム報酬)が求められることが一般的です。
中東における社会保険制度:見落とせない法定負担
「社会保険は自国の話」と思っていませんか?
実は、中東でも無視できない義務が存在します。
中東地域では、社会保険の適用範囲や拠出義務は国籍によって大きく異なり、多くの海外企業がその仕組みを十分に理解できていないのが現状です。しかし、これらの拠出は任意ではなく、法定の義務です。現地国民・外国人のいずれを雇用する場合でも、企業はこれらの規定に準拠する必要があります。
遵守を怠ると、未払い分の遡及負担に加え、監査リスク、法的措置、さらには深刻な風評リスクにまで発展しかねません。
アラブ首長国連邦(UAE)
エミラティ(UAE国民)を雇用する企業は、GPSSA(一般年金・社会保障庁)への拠出が義務付けられています。拠出率は給与の20%(うち5%は従業員負担、15%は雇用主負担)。
※首長国によって若干のルール差がある場合があります。
自国民への社会保険拠出:GPSSA(給与の最大20%)
外国人への社会保険拠出:なし
サウジアラビア(KSA)
雇用主は、GOSI(一般社会保険機構)に対して拠出を行います。この制度は、年金、失業保険、労災補償などをカバーしています。
自国民への社会保険拠出:GOSI(サウジアラビア人の給与の約22%)
外国人への社会保険拠出:労災保険のみ(約2%)
結論:社会保険は、企業にとって重要なコンプライアンス義務です。見落としがちな項目ですが、雇用コストに大きく影響するため、予算計画にしっかりと織り込むことが不可欠です。法改正への対応力を高め、安心してビジネスを展開するためにも、早めの対策を心がけましょう。
人材定着:見過ごされがちな“隠れコスト”
ナショナライゼーション(国民雇用比率の義務化)と、変化し続ける労働者の期待が交差するこの地域では、高い離職率は例外ではなく、むしろ常態化しています。
多くの現地人材は、民間企業での勤務を「キャリアの通過点」と捉えており、長期的な定着にはつながらないケースも少なくありません。
その結果、採用から定着までにかかるコストが積み重なり、投資に対するリターンが見込めなくなるリスクも生じています。
アラブ首長国連邦(UAE)
特にエミラティ(UAE国民)の間で、人材定着の難しさが顕在化しています。
多くの人が、依然として給与水準・安定性・福利厚生の面で優位な公的機関への就職を志向しており、民間企業は採用後の離職に直面しがちです。
こうした課題に対処すべく、政府は「Nafis」などの支援制度を導入。エミラティ人材の給与補助や研修機会を提供することで、民間企業でのキャリア定着を後押ししています。
それでもなお、早期離職が発生すれば、ビザの再取得コスト、研修時間の損失、退職金の一括支払いなど、企業側の負担は避けられません。
サウジアラビア(KSA)
現地人材は若年層が中心で、新卒者が多数を占めることから、民間企業に即戦力として適応するには相応のトレーニングが必要です。
この「育成投資」は、法令遵守という観点だけでなく、事業継続のための戦略的施策でもあります。
しかし、育成途中で人材が離職すれば、その投資が十分な成果につながらない可能性も。だからこそ、採用の初期段階から定着を見据えた設計が不可欠です。
この地域で持続的に成功するためには、人材定着戦略は単なる福利厚生や給与条件の強化では不十分です。真に機能する戦略とは、法令遵守、企業文化への適合、そしてキャリア開発支援を組み合わせたものです。
中東での人件費は基本給だけでは語れない:現実的な予算設計とは
多くの企業が、予算の策定を「基本給」を基準に行っています。しかし、それだけでは不十分です。
実際の人件費は、国ごと、さらには都市ごとに大きく異なるうえ、給与以外の法定・準法定コストが想定以上に重くのしかかります。以下は、中東地域における雇用コストの追加要素を概算で示したものです。

※上記数値は参考値であり、国・地域・業種・企業規模により異なります。
おすすめポイント:賢く採用し、確実にコンプライアンスを守るためのフレームワーク
中東で賢く人材を採用し、法令遵守を徹底するために押さえておきたいポイントをご紹介します。
- 基本給に25〜40%のバッファを見込むこと:想定給与額に加え、各種法定・準法定コストをあらかじめ予算に組み込みましょう。
- 退職金などの負債は早期に引き当てること:支払いが発生する前に計画的に準備し、資金繰りのリスクを回避します。
- 戦略的な採用を心がけること:国民雇用比率の達成は、一時的な慌てた採用ではなく、長期的な人材育成を通じて実現しましょう。
- 法的リスクを避けること:ビザ関連費用を従業員に転嫁することは法律違反です。企業の評判を損ね、信頼も失いますので絶対に避けてください。
- 離職に備えた対策を講じること:採用初日から定着支援に投資し、キャリアパスの設計やメンター制度、有意義な福利厚生を充実させることが重要です。
最後に:準備次第で中東市場は挑戦に見合う価値がある
中東は間違いなく、国際企業にとって成長のフロンティアです。しかし同時に、複雑なコンプライアンスの迷路でもあります。
急速に変わる規制、国民雇用率の義務、そして現地労働者の変化する期待。この地域で成功するためには、単なる意欲だけでは足りません。確かな実行力が求められます。
成功している企業は、現地の実情を熟知した専門家とパートナーシップを結び、ビザ管理、給与コンプライアンス、社会保険の拠出、人材戦略まで、トータルで対応しています。正しい知識と経験を持つパートナーがそばにいれば、不確実性に振り回されることなく、的確な判断で進めることが可能です。
チャンスは確かに存在します。しかし複雑さもまた現実です。
中東市場での成長を目指すなら、目を見開き、慎重に計画を立ててください。そして、初めから正しく進めるためのグローバルなビジネスソリューションパートナーと手を組むことが、成功への近道です。
本コラムで提供する内容は、一般的な情報提供のみを目的としたものであり、法的助言と見なすべきものではありません。今後規制が変更されることがあり、情報が古くなる可能性があります。GoGlobalおよびその関連会社は、本コラムに含まれる情報に基づいて取った行動または取らなかった行動に対する責任は負いかねます。
このコラムを書いたプロフェッショナル
沖室 晃平(オキムロ コウヘイ)
GoGlobal株式会社 代表取締役
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