企業価値向上と自律的キャリアのための「スキルベース型人事」
1.はじめに
こんにちは。TIS株式会社の稲葉涼太です。ESGと人的資本経営のエキスパートです。
第1回目のコラムでは人的資本経営が求められる背景と意義について記載しました。
第2回目のコラムでは人的資本経営で向上させる「価値」の定義と可視化について、ESGとの関連も踏まえ記載しました。
そして前回第3回では従業員に視点を当てて自律的キャリアについて記載しました。
今回は、中動態のキャリアから、自律的で能動的なキャリアを構築し企業と従業員が双方とも自身の戦略を実現するために、人事制度にフォーカスしてジョブ型でもメンバーシップ型でもない「スキルベース型人事」について記載します。
2.人材版伊藤レポート2.0のポイント
第1回のコラムで「人材版伊藤レポート2.0」について触れました。
「人材版伊藤レポート2.0」には5つの要素「動的な人材ポートフォリオ」、「知と経験のダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」「リスキル・学び直し」「従業員エンゲージメント」「時間や場所にとらわれない働き方」がありました。
このうち、特に難しくかつ根幹となるのが「動的な人材ポートフォリオ」だと考えます。
「人材ポートフォリオ」とは経営戦略に基づいて配置された人的資本の配置・構成の考え方です。
例えば、弊社はIT企業ですが一口に「IT企業」と言っても、そこで働く人は営業の方、アプリケーションの開発者、デザイナー、ネットワークやデータベースなどのエンジニア、ITの全体構成を考えるアーキテクト、お客様のビジネスやITの課題を解決するコンサルタント、新規事業を企画するプロデューサなど様々な職種があり、職種ごとに求められるスキルのレベルがあります。
組織としてどのような経営課題の解決や経営目標の実現のために、まず現状を把握し、どのような人材がいつまでのどのくらい必要か、そのために何をするのかを考えるとともに、従業員のキャリア指向と一致するところに組織の将来像があります。
将来像と現状のギャップがわかるからこそ課題がわかり対策が打てます。これが「人材ポートフォリオ」の役割です。
さらに「動的」というキーワードも重要です。
いくらポートフォリオを基に将来像とその実現のための計画を策定しても、外部環境・内部環境は刻々と変わり、当初想定していた計画も変わります。
変化に強く対応できる「アジャイル」なマインドが重要です。
動的な人材ポートフォリオが実現できるからこそ、従業員の「知と経験のD&I」、つまり人的資本をどのように多様性を尊重しながら活かせるかを考え実践できますし、何が現状と将来像のギャップなのかがわかるからこそ、能動的な「リスキリング・学び」の方向性がわかります。
前回のコラムで提起した、自律的で能動的なキャリアを構築し企業と従業員が双方とも自身の戦略の実現の根幹として動的な人材ポートフォリオが重要です。
では、それを実現するにはどうするかを人事制度から考えていきます。
3.人事制度の考察(1)メンバーシップ型
まず、日本の多くの企業で取り入れられているのが「メンバーシップ型」の人事制度です。
本来、メンバーシップ型が目指すところは、従業員が所属企業の職務の大半を遂行する多様な「職能」を獲得することで安定的に雇用して企業の運営を遂行するジェネラリストの育成でした。
しかし、実際は「職能」を定義しきれないため「年功」が職能にすり替わることが多く、年功序列の温床になりました。
またジェネラリスト育成のため、本人の意思なき異動が多く、それが前回のコラムで取り上げた「中動態」の従業員を多く生む土壌になりました。
■メンバーシップ型の課題は以下のようなものがあります。
・長期雇用が前提のため、市場の変化に対する柔軟な人員調整が難しい
・長期雇用で複数の部署を経験するジェネラリスト育成型のため中途採用など人材の流動性への対応が弱い
・異動で職種が変わっても職能等級は変わらず専門性が育ちづらい
・昇進や昇給が年功序列に基づくため、若手のモチベーション低下を引き起こすことがある
・人員の最適配置が難しく、余剰人員が生じる
・異動が会社都合で本人の意思が反映されづらい
メンバーシップ型と「動的な人材ポートフォリオ」の実現の間にはハードルがあります。
4.人事制度の考察(2)ジョブ型
今、日本では何度目かのジョブ型の検討ブームです。
ジョブ型とは職務記述の定義に基づき、従業員に専門スキルや知識の内容とレベルに応じて社員の職務と役割を定義します。
人的資本経営の重要性が提唱される昨今、専門スキルや知識に応じた公平な評価と報酬を提供することで、キャリアパスを明確にする人事制度としてまた注目されています。
ジョブ型人事は「ジョブが不要になったら解雇されジョブが必要ならまた雇用」「実力主義のクビ切り社会」「ジョブに基づく専門雇用であり、職務をまたがる社内異動はない」というイメージが強いと思います。
しかし、実際は解雇したあと都合のよいタイミングで都合よく人を雇用できるわけではありません。
ジョブ型が主流と言われるアメリカでも近年はS&P500企業の開示情報もエンゲージメントや定着を強調するものも多く、また人的資本に関する情報開示の国際的ガイドラインであるISO30414も内部異動を評価項目にしており、イメージほど「ジョブ」に基づき解雇が頻繁に起きるわけでも配属が固定化されるわけでもないと考えます。
ただ、ジョブ型にも課題があります。
ジョブの職務定義を詳細に定義しようとするほど難しくなりますが、そこまでして職務定義を定義しても外部環境や内部環境の変化で職務定義は変わります。
しかし、雇用契約の根本となる職務定義を速く簡単に変えるのは難しいため、アジリティある「動的な人材ポートフォリオ」になかなか対応できません。
また、そこまでして職務定義を厳密に定義しても、そこに該当する人材はすぐには見つかりません。
職務をまたがった社内の人材の育成や登用で対応しようとしても雇用が職務契約に基づくため、迅速なポートフォリオの変更も難しいです。
そして、職務定義は会社から所与のものとして提示されるものであり、従業員のキャリアパスに合致しない場合従業員はその組織で自律的なキャリアを歩むことが難しくなります。
■ジョブ型の課題は以下のようなものがあります。
・ビジネス要件の変化の速さに対応した詳細なジョブ定義が難しい
・人不足でジョブ定義に当てはまる人材が少ない
・会社ではなくジョブと人が紐づくため人材の定着が難しい
・職務定義に基づく雇用契約のため、環境変化の際の職務の異動やポートフォリオの変更が柔軟に行えない
・会社からお仕着せのジョブ定義のため、能動的なキャリア形成のニーズと合致しない
ジョブ型にしても「動的な人材ポートフォリオ」の実現の間にはハードルがあります。
5.人事制度に関する提言:スキルベース型
そこで提唱したいのが「スキルベース型」人事です。
まずここで言う「スキル」とは何かについて記載します。
・「スキル」とはハードスキルまたはテクニカルスキル(コーディング、データ分析、簿記・会計知識など)だけではありません。
・ヒューマンケイパビリティまたはヒューマンスキル(クリティカル ・シンキングや EQなど) やポテンシャル(潜在的な資質や能力、また将来の成功につながるような隣接スキル) 、今までの人生で歩んできた経験などもスキルです。
・つまり、「スキル」 という言葉は、働く人を唯一無二の個人として定義するための要素です。
では「スキルベース型」について記載します。
まず、筆者もPMI日本支部の理事を務めていますが、PMI(Project Management Institute:プロジェクトマネジメント協会)では、今後世の中の多くの働き方が「プロジェクト型」つまり価値実現のための目的を持ち期間を定めた活動になると考えています※。
PMIの試算によれば2030年まで世界で毎年230万人がプロジェクトマネジメントの仕事に就く必要があると言われ、プロジェクト人材の不足は世界のGDPに最大3,455億米ドルの損失をもたらす可能性があると言われています。
「プロジェクト」は外部環境と内部環境の変化に応じて次々と立ち上がり、または内容を変更します。
そのような環境下ではプロジェクトに適応できる人材の迅速かつ効果的な配置と育成が求められます。
「スキルベース型」とは、まず組織をスキルと意思の集合体と考え、従業員がどのような「スキル」を持ち、業務がどのような「スキル」を求めるかを明確に可視化します。
それによりスキルベース型の組織では、従業員が持つ人的資本である「スキル」が通貨のような意味を持ち、スキルを媒介にして組織と従業員の「意思」「スキル」による、可視化されて透明性あるマーケットプレイスが形成されます。
スキルベース型の実現により、組織と従業員はフェアで対等な関係になり、従業員としては中動態から自律的で能動的なキャリアの実現が見込まれ、キャリアプラン実現のための自律的なリスキリング・学び直しを行えることが見込まれます。
組織の戦略を実現する活動がプロジェクトであり、現実のプロジェクトで必要とされるスキルと、スキルを保有しプロジェクトで活用する従業員を可視化することで、より現実的かつ会社の経営に資する人材ポートフォリオがつくられます。
また、プロジェクトは価値を実現する目的の必要性があるから活動が存在します。
つまり、プロジェクトで必要なスキルを基にポートフォリオを更新することで、新たに求められるスキルや陳腐化したスキルが更新され、内部環境と外部環境の変化に迅速に対応した人員配置が期待でき、「動的な人材ポートフォリオ」が実現できると考えます。
終わりに
スキルベース型を実現するには、どのように組織として必要なスキルを定義し、どのように従業員の収集をするのか?そしていきなり全社展開は難しいと思われるし、いきなりスキルの定義も収集も万全の状態で実現するのも難しそうなど、いろいろなハードルがあります。
個社ごとに必要なスキルも組織と従業員の現状や目指す方向も違うため、一概には答えがなく試行錯誤で進めていくことになります。
次回、最終回ではスキル型実現のために素早く試行錯誤しながら進めるアジャイルな考え方について記載します。
出典:PMI Career Center Talent Gap:Ten-Year Employment Trends, and Global Implications
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社会と企業と従業員のサステナブルな成長を実現するための人的資本経営とIT利活用を支援します
人事業務改革、人事システム導入、キャリア支援、SDGs/ESGなど多くのコンサルティング実績を有するとともに、プロジェクトマネジメントやアジャイル型アプローチに深い知見とSDGs/ESG、人的資本などの講演経験を多数有します。
稲葉 涼太(イナバ リョウタ) エンタープライズサービス事業部 経営管理サービス第2部 エキスパート
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