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【後編】人事は「中立」という幻想を捨てられるか

――現場のジレンマへの処方箋

後編のはじめに――前編の振り返りと後編の主題

 

前編では、人事が陥る「中立の罠」を問い直しました。「中立」という名のもとに判断を保留し沈黙することは、専門職性の放棄ではないか。人事の役割は、法と倫理に基づいて判断を引き受け、情報の非対称性を是正し、手続的公正性を擁護する「一般的教示義務」を果たすことにあると論じました。

しかし、理念だけでは現場は動きません。「経営に異を唱えれば居場所を失うのでは」「判例をフォローする時間がない」――こうした切実なジレンマに、人事はどう向き合うべきか。 本稿では、判断責任を引き受けるための具体的な処方箋を、Q&A形式で提示します。

 

【Q&A:現場のジレンマに向き合う】

Q1. 「経営陣に逆らえば、人事としての居場所を失うのではないか?」

A: たしかに、孤立無援で経営に異議を唱えることにはリスクが伴います。しかし、経営層に直結し、経営活動に対する助言機能を担うスタッフ部門としての人事専門職が、経営の暴走を止められず、結果として法的紛争や組織の深刻な毀損を招いた場合、その専門性こそが厳しく問われることになります。

 

人事の役割は、経営への「従順」ではありません。リスクを可視化し、代替案を提示しながら、パートナーとして経営と対峙することです。社内多数の意思や経営判断は、意思決定としては「まとも」であっても、常に「正しい」とは限らないからです。とりわけ、法令理解が不十分なまま労働者の権利を害したり、違法行為に踏み込んだりすれば、企業も経営者も重大な代償を払うことになります。

 

経営陣に異を唱えることは、居場所を失う行為ではなく、むしろ経営の意思決定の精度を高める貢献です。たとえば、配転や処遇の判断に対し、人事が「経営判断ですから」と無批判に追認するのは、最悪のパートナーシップでしょう。後に裁判で否定されたり、社会的批判を浴びたりしたとき、最終的に責任を負うのは経営者自身だからです。

 

「この判断は、現行法理に照らすと敗訴リスクが3割あります。代案として、この条件を検討してはどうでしょうか」

 


――このように、リスクを数値化・言語化し、経営が適切なリスクテイクを行えるよう支えること。沈黙するYESマンよりも、土際で踏みとどまらせる異論を唱えるパートナーこそが、長期的には経営から最も信頼され、替えの利かない存在となるのです。

 

Q2. 「労働者に寄り添いすぎると、経営から『労働組合の味方か』と疑われないか?」

A: 重要なのは「寄り添う」ことではなく「情報を正しく開示し、手続きの公正性を担保する」ことです。私の唱える「(人事専門職の)一般的教示義務」とは情に流されることではなく、専門家としての最低限の説明責任を果たすことです。

 

また、根拠が判例や制度趣旨に基づいている限り、それは偏向ではなく「専門職としての誠実さ」として説明可能です。そのうえで権利濫用法理、公序、信義則といった法的な一般条項に留意して対応せよ、ということです。

 

Q3. 「具体的に、どのタイミングで経営に異議を唱えるべきか?」

A:「意思決定が固まる前」、これに尽きます。具体的には以下の3つの局面です。

第一に、制度設計や方針策定の段階。評価制度や配置ルールが経営会議に上程される前に、法的リスクや制度趣旨との整合性を検証し、懸念があれば代替案とともに提示します。

 

第二に、個別の人事発令の起案段階。配転命令書に押印する前、降格処分の稟議が回る前の時点で、「この配転は育児や介護の状況を考慮したか」「この処分は適正手続を踏んでいるか」と自問し、疑義があれば起案者や決裁者に確認・助言を行います。

 

第三に、労働者からの相談を受けた瞬間。「異動は受け入れるしかないのでしょうか」と尋ねられたとき、配転命令権の限界や異議申立ての手続について情報提供することが「一般的教示義務」の実践です。

 

異議を唱えることは経営への反発ではなく、法的紛争や組織崩壊という最悪の事態を予防する専門職としての責務です。「後で問題になりそうだと思いながら黙っていた」という状態こそ、専門職性の放棄にほかなりません。

 

Q4. 「判例をフォローする時間がない。最低限何をすべきか?」

A: 「時間がない」という声はよく聞きますが、ここで問うべきは「判例をフォローしないことのコスト」です。配転命令が無効となり訴訟に発展したとき、「知りませんでした」は専門職の弁明として通用しません。

 

現実的なアプローチを三つ示します。

 

第一に、「自社に関わる可能性の高い領域」に絞る。すべての判例を網羅する必要はありません。自社で頻繁に行われる人事施策——配転、評価、懲戒、非正規雇用管理など——に関連する判例を重点的にフォローします。

 

第二に、「信頼できる解説を活用する」。『労働判例』などの専門誌や、信頼できる労働法研究者・弁護士の発信を定期的にチェックします。月に1時間、判例解説記事を数本読むだけでも、法的感覚は大きく変わります。

 

第三に、「疑義が生じたときに調べる習慣」をつける。「この配転、法的に大丈夫だろうか」と危惧したとき、そのまま流さず類似の判例や解説を検索する。この「問題意識」やそこで「立ち止まる習慣」こそが、専門職と事務担当者を分かつ分水嶺です。

 

判例フォローは知識のコレクションではなく、経営と労働者の双方を予見可能なリスクから守るための予防法学の実践です。

 

私自身、実務の限界を感じたときに学び直しの場に身を置き、その後も毎年、異なる科目や視点に触れながら、自らの判断を更新し続けています。

 

【結びに――判断を引き受ける覚悟】

人事専門職は、誰の味方でもなく、誰の敵でもありません。しかし同時に、経営にも労働者にも、そして自らの専門職性にも責任を負っています。

 

「中立」という言葉に隠れて沈黙することは、専門職としての自殺行為です。たしかに声を上げることには勇気が要ります。しかし、専門職とは本来、緊張関係の中でこそ価値を発揮する存在です。あなたが今日、違和感を覚えた人事施策があるなら、その一歩手前で立ち止まってください。

 

「この判断は、本当に法と倫理に適っているか」 「沈黙することで、誰がどんな不利益を被るのか」 その問いを発することが、人事専門職としての第一歩です。

 

Whose Side Are We On? ――私たちは誰の側に立つのか。

 

その答えは、「法と倫理、そして組織の持続可能性の側に立つ」ことです。 それは経営の恣意でもなく、労働者の個別利益でもありません。専門知に基づいて判断を引き受け、 経営には法的リスクを可視化し、労働者には手続的公正性を担保する。

 

その明確な立場こそが、人事専門職の「立ち位置」なのです。 事務屋として一生を終えるか、判断の責任を背負うプロフェッショナルとして生きるか。選ぶのは、あなたご自身です。そうした「人徳ある人間」から「社徳ある企業」が生まれ、「徳のある国家」(有徳国家)が誕生します。

その選択は、今日、この瞬間から始まっています。

 

【前編・後編 完】

 

このコラムを書いたプロフェッショナル

及川 勝洋

及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

得意分野 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO
対応エリア 全国
所在地 志木市
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