【後編】目標管理制度は、なぜ『評価の道具』になったのか
――「検算装置」としてのMBOを取り戻すために
後編のはじめに――前編の振り返りと後編の主題
前編では、ドラッカーが構想したMBOの原意、五十嵐英憲氏が指摘する日本的職場の構造的特性、そして田中堅一郎日本大学教授の実証研究を通じて、なぜ日本で目標管理制度が「評価の道具」へと変質し、機能不全に陥ったのかを検証しました。
本来「検算装置」であったMBOは「採点機」となり、相互補完的な日本の職場文化を損ない、従業員の個人化と組織市民行動の減退をもたらしてきました。理論(ドラッカー)、文脈(五十嵐)、実証(田中)という三つの視点から見えてきたのは、問題が単なる「運用の失敗」だけではなく、より根源的な「思想の欠如」にあるという事実でした。
後編では、この問題をどう乗り越えるべきかを考えます。まず、ドラッカーと五十嵐氏が共有していた本質的な問題意識を確認します。そのうえで、働く側の視点から、いま日本の職場で回復すべき目標管理の具体的な姿を提言します。(以下、敬称略)
4.ドラッカーと五十嵐英憲が共有していた問題意識
――MBOは人を管理する技法ではない
一見すると、ドラッカーと五十嵐は異なる立場に見えるかもしれません。しかし、両者の議論を丁寧に読み比べていくと、共通する問題意識が浮かび上がってきます。
それは、目標管理を「人を管理する技法」にしてはならない、という点です。目標は、管理のための管理を生むためのものではなく、仕事の意味や方向性を共有するための言語であるべきだという認識は、両者に共通しています。
ドラッカーが強調した自律性と、五十嵐が重視する対話や関係性は、決して対立する概念ではありません。どちらも、「目標を通じて、仕事を考える力を回復させる」ことを目指している点で一致しています。
日本でMBOが行き詰まった背景には、この思想の部分が制度化の過程で抜け落ちてしまったことがあるのではないでしょうか。日本に導入された目標管理制度は、制度設計としては精緻であったが、自律と対話という点睛を欠いていたということです。
5.いま回復すべき「目標管理」の姿
――評価と育成を分け、対話を取り戻す
私は、人事制度を設計する側でも、それを理論化する側でもありません。制度の下で働き、評価され、違和感を飲み込んできた側の人間です。
目標管理が機能しない理由について、「制度そのものではなく、運用の問題だ」と説明されることがあります。実際、前回稿等において私自身も、そのように指摘しました。
もちろん、運用が重要であることは、いまも否定していません。ただし、書き進めるうちに、運用の工夫だけでは吸収しきれない違和感が、現場に蓄積しているのではないかという思いが、より強くなってきました。
「運用」という言葉は、ときに、そこで立ち止まるための便利なラベルにもなり得ます。
私自身、かつての職場のバックオフィス業務において、目標管理が形骸化している場面に直面した経験があります。当時、数値目標の設定が求められましたが、業務内容を適切に数値化することは難しく、その違和感をうまく言葉にすることもできませんでした。かといって、目標難易度のアリバイ的誇張は論外です。たいへん苦慮しました。その結果、上司から一方的に数値を押し付けられる羽目になりました。
後になって振り返ると、そこでは目標管理が本来意図されている「学習や対話のための仕組み」ではなく、「評価点を確保するための制度」として機能していたのだと気づきました。この経験が、評価と育成は切り分けて考える必要があるのではないかと、私が強く意識するようになった原点です。
一般に、目標管理が対話を生まない背景には、複数の構造的要因が重なっていると考えられます。
- 「交渉」ではなく「査定」の場になっている:制度が評価(給与・賞与)と直結しすぎているため、目標設定が本来の「どう動くか」を話し合う場ではなく、自己防衛的な「査定の交渉」に終始してしまっている。
- 「成果」の定義が曖昧なまま数値化を強いている:とくにバックオフィス業務など、数値化しにくい「関係性の中で生まれる成果」に対し、無理に数字を当てはめようとして、仕事の本質がこぼれ落ちている。
- 対話のためのトレーニング不足:マネジャー自身が、MBOにつき部下をコントロールする道具と捉えてしまい、「対話のツール」として使いこなすためのマインドセットやスキルを習得していない。
- 日本的職場の特性と制度のミスマッチ:チームによる相互補完が前提の日本的職場において、欧米型の「個人目標」を基盤とした制度設計が噛み合っていない。
では、いま日本の職場で回復すべき目標管理とはどのような姿か。
私は以下の三点を提言します。
(1)「評価」と「育成」を分離する
目標管理をそのまま査定に直結させると、自己防衛のために目標は低く、挑戦は消極的になります。目標設定の場を「査定の場」から、個人の成長を促す「内省と学習の場」へと一定の距離を置く必要があります。
具体的には、目標管理の結果を直接的な報酬決定に用いるのではなく、より長期的な育成やキャリア開発の文脈で活用する仕組みが求められます。短期的な達成度評価と、中長期的な成長支援を切り分けることで、目標設定の場に「対話」を取り戻すことができるはずです。
(2)数値目標に「限界線」を引く
数値は重要ですが、それが仕事のすべてではありません。とくに日本的職場では、数値化できない「調整」や「貢献」が組織を支えています。数値の向こう側にある「見えない貢献」を認める勇気が、制度運用には必須です。
前編で見た田中の研究が示すように、成果主義制度が組織市民行動を阻害したのは、まさに「明示的に報酬を受けない行動」への動機づけが失われたからです。数値化できる成果だけを追求する姿勢は、職場の相互補完性を損ない、結果として組織全体のパフォーマンスを低下させます。
数値目標は必要ですが、それはあくまで仕事の一側面を切り取ったものにすぎません。この認識をトップを含めた組織全体で共有し、数値化できない貢献を積極的に言語化し、評価する文化を育てる必要があります。
(3)「管理の道具」から「対話のフレーム」へ再定義する
MBOの本質は、上司が部下を管理することではなく、共通言語を持つことにあります。組織の目的と個人の仕事を対等の立場でよくすり合わせ、優先順位を合意する。この「十分な対話そのもの」をMBOの主目的に据え直すべきです。
ドラッカーが構想した「検算装置」としてのMBOとは、まさにこの対話のプロセスそのものでした。「この目標に向かうことは、組織の目的に適っているか?」という問いを、上司と部下が対等な立場で投げかけ合い、互いの理解を深めていく。そのプロセスこそが、MBOの核心です。
そのためには、トップやマネジャー自身が「対話のスキル」を習得する必要があります。目標設定を一方的な指示や数値の押し付けではなく、相互理解を深めるための機会として捉え直す。その姿勢の転換が、何よりも重要です。
おわりに――目標管理は制度ではなく、思想である
制度は輸入できます。しかし、思想は翻訳しなければなりません。理念は理解されうる。しかし、それが現場で生きた行為となるかどうかは、別の条件を要します。
目標管理制度が日本で混乱をきたしてきた背景には、ドラッカーが意図した思想の部分が十分に共有されないまま、制度だけが形式的に導入・運用されてきたことがあるのではないでしょうか。
この点は、田中による実証研究においても明らかにされています。成果主義制度は従業員の「個人化」を促し、組織市民行動を阻害することで、日本的職場が本来持っていた相互補完的な強みを損なってきました。理論的な問題は、現場において具体的な弊害として現れているのです。
だからこそ、いま必要なのは新しい制度を導入することではなく、目標管理をどのように使い、どのように語るのかという姿勢そのものを問い直すことなのだと、私は考えています。
働く側の視点から制度と現場のあいだを行き来する実務家(職業専門人)として、私が一貫して問い続けてきたのは、目標管理をいかに「対話を生み出す思想」として取り戻せるか、という点です。
目標管理を、個人を縛る「採点機」として使い続けるのか。それとも、ともに組織の目的を確かめ合う「検算装置」として取り戻すのか。今、問われているのは制度の良し悪しではなく、私たちの「思想」そのものなのです。
【前編・後編 完】
参考文献
- ピーター・F・ドラッカー『〔新訳〕現代の経営 上下』(1996、ダイヤモンド社)
- ピーター・F・ドラッカー『マネジメント【エッセンシャル版】』(2001、ダイヤモンド社)
- 五十嵐英憲『個人、チーム、組織を伸ばす目標管理の教科書』(2012、ダイヤモンド社)
- 田中堅一郎「日本の職場にとっての組織市民行動」『日本労働研究雑誌』(2012)
- 津崎克彦・倉田良樹・荒井千暁「成果主義的人事制度の導入とその課題」(2008)
このコラムを書いたプロフェッショナル
及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
| 得意分野 | 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO |
|---|---|
| 対応エリア | 全国 |
| 所在地 | 志木市 |
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