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「中立」という名の欺瞞

――人事のプロフェッショナルが守るべき「知的誠実さ」とは何か

 

本稿は、日々の現場で労使の板挟みに苦しみ、誠実に格闘している人事担当者を非難するものではけっしてありません。むしろ、人事プロフェッショナルの方々が構造的に置かれている「立ち位置の曖昧さ」という問題を、ご一緒に考えたいという思いから書かれています。

 

大学一年生のとき、私はある小さな本に出合いました。そこに記されていた一節――「哲学には唯物論か観念論かの二つの立場しかない。結局のところ、いずれかに帰着するのであって、第三の立場などというものはない」――は、その後の私の思考の基調音となりました。この命題が、今日に至るまでなお私の中で生き続けていることは間違いありません。

 

立場を引き受けることとしての知的誠実さ

私は現在、次のように考えています。 第一に、「第三の立場は存在しない」という哲学的命題は、現代の組織論においても有効であること。 第二に、したがって「中道」や「中立」と称される立場の多くは、実際にはいずれかの側に立ちながら、その帰属を明示しないための擬制にすぎないこと。 そして第三に、知的誠実さとは、自らの立場を自覚し、それを隠さずに示すことを意味するという点です。

 

こうした考えに至った背景には、労働法学と比較したとき、人事管理やキャリア開発の研究・実務領域において、立場の所在が曖昧なまま語られる言説が少なからず存在するという問題意識があります。

 

たとえば「キャリア自律」という言葉は、あたかも労働者の主体性を尊重する概念であるかのように用いられます。しかし、それが時にポスト不足や雇用調整の責任を個人に転嫁し、使用者側の利益向上に奉仕する装置として機能している側面を、私たちは見据えるべきではないでしょうか。労使の利害が本質的に対立する局面において、その非対称性を覆い隠す言説が「中立」を装って流通するのであれば、それはプロフェッショナルとして看過できるものではありません。

 

労働法における立場の明確さ

労働法の世界では、立場の区別はきわめて明快です。労働契約法上、「労働者」が確定すれば、その相手方は「使用者」となります。労働を提供する側と、人を使う側。両者は契約関係によって結ばれていますが、その利害は本質的に一致しません。

 

この構造は実務にも反映され、使用者側弁護士と労働者側弁護士は明確に区別されます。どちらの立場に立つかによって、問題の見え方や重視される価値が異なることは、むしろ自明の理とされてきました。しかし、現代の人的資源管理(HRM)の文脈においては、この「立ち位置」が意図的に混濁させられているように見えます。

 

「中道」という逃げ場

近年、人事施策において「中道」や「中立的な調整」という言葉を耳にする機会が増えました。しかし、「中道」とは左右の「極端」の存在を前提とした、きわめて相対的な概念にすぎません。

 

政治史を振り返れば、「中道」を標榜する勢力は、結局のところ既成権力や現状の構造を追認する方向へと傾斜していく運命を辿ってきました。現代の人事領域における「中立」もまた、既成の経営構造に正面から対峙する意思を持たないまま、現状をマイルドに肯定するためのレトリックに堕していないでしょうか。

 

決断を先送りする装置としての人事言説

なぜ、これほどまでに「中立」が求められるのか。それは、対立する二者択一の責任から逃れ、決断を先送りするためではないでしょうか。

 

その典型は、近年の「人的資本経営」を巡る議論にも見て取れます。個人の幸福と企業の利益は常に両立可能であると説かれますが、真にリソースが枯渇したとき、あるいは構造的な不利益が生じたとき、どちらを優先するのかという「立場」の表明は巧妙に避けられます。 あるいは、人員整理の現場で語られる「キャリア支援」も同様です。それは労働者の未来を思っての言葉なのか、それとも円滑な退職を促すための道具なのか。その立ち位置を曖昧にしたまま「中立」を装うことは、対等であるべき議論の土壌を損なう行為です。

 

誤解のないよう述べておきたいのは、多くの人事担当者がこの矛盾を痛感しているという事実です。リストラ面談で「あなたのキャリアのために」と語りながら、その言葉が会社都合の退職勧奨であることを自覚している担当者。従業員の声を経営に届けたいと願いながら、「人事は会社側の人間」と見做され、信頼を得られない苦しみ。こうした現場の葛藤こそが、私がこの問題を提起する動機なのです。

 

二元論的視座の意義

二元論的思考は、しばしば単純化の産物として批判されます。確かに現実は複雑です。しかし、複雑さを理由に立場を曖昧にすることと、複雑な現実を理解するために明確な視座を持つこととは、区別されるべきです。

 

むしろ二元論的な枠組みは、どの立場から問題を見ているのかを明示し、議論の前提を共有可能にするという点で、いまなお合理性を有しています。使用者側であれ、労働者側であれ、旗幟(きし)を鮮明にしたうえで議論が積み重ねられてきた労働法学の世界は、その意味で構造的に誠実であると私には映ります。

 

沈黙が作り出す虚構

さらに問題なのは、こうした構造が理解されていながら、あえて言葉にされず、沈黙のうちに放置されている点です。人事のプロフェッショナルが「中立」という心地よい毛布にくるまり本質的な矛盾から目を逸らし続けるとき、意図せずして、言葉にできない矛盾を抱え込む構造に取り込まれていきます。これは個々の担当者の資質の問題ではなく、人事という職能が組織内で置かれた位置づけそのものに起因する構造的な問題です。

 

学問や専門職の言説が、そのような域にまで堕してはなりません。いかに確固不動に見えようとも、合理性を失い、誠実さを欠いた言説は、やがて崩壊するほかありません。私たちは今一度、自らが「どちらの側に立って語っているのか」という問いを、率直に引き受けるべきです。

 

では、具体的にどうすればよいのか。たとえば、退職勧奨面談であれば「これは会社都合による人員調整です。ただし、あなたの今後のキャリアについても真摯に考えたい」と明示すること。キャリア自律施策を導入する際には「この施策は、配置転換の柔軟性を高めるという会社側の必要性から生まれたものでもあります」と前提を開示すること。小さな一歩かもしれませんが、こうした誠実さの積み重ねが、対等な対話の土台を作るのではないでしょうか。

 

「中立」という言葉で思考を止めるのではなく、自らの立ち位置を自覚した上で、その前提を開示しつつ、異なる立場との誠実な合意形成を図ること。立場を明示することは、対立を煽るためではありません。むしろ、利害の異なる当事者同士が、対等な条件で対話を始めるための、唯一の出発点です。

 

この問いかけに、正解はありません。私自身も答えを持っているわけではありません。しかし、現代の人事プロフェッショナルであれば「中立」という言葉で思考を止めず、自らの立ち位置を問い続けること。そして同じ葛藤を抱える仲間と、この構造的矛盾について率直に語り合える場を作ること。そこから始めるしかないと、私は考えています。

 

 

 

 

 

 

 

このコラムを書いたプロフェッショナル

及川 勝洋

及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

得意分野 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO
対応エリア 全国
所在地 志木市
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