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日本の職場は『おみこし』である

――目標管理制度(Management By Objectives:MBO)が見落とす"見えない貢献"の価値

 

【本稿の要点】

1.目標管理制度が機能しない原因は現場ではなく、相互補完を前提とする日本の職場構造を捨象した制度運用にある

2.日本の職場は、互いの重心や負荷を感じ取りながら担ぐ「おみこし」型構造を持ち、数値化できない貢献が組織の持続性を支えている

3.目標管理制度は本来、経営戦略を現場で検算する装置であり、人事評価には法的・思想的に踏み越えてはならない「限界線」が存在する

 

本稿は、目標管理制度(MBO)そのものを否定するものではありません。
問題は、日本の職場文化や法的限界を十分に踏まえないまま、この制度が運用されている点にあります。数値で測れない貢献と、評価してはならない個人の内心――その境界線を、本稿では問い直します。

 

目標管理制度は本来、経営の意図や戦略的優先順位を現場と共有するための仕組みです。にもかかわらず、目標設定の段階で無理や違和感が生じるとき、それは現場の理解不足ではなく、経営の前提条件や方向性が十分に共有・検算されていない兆候である場合も少なくありません。

 

法政大学の小池和男名誉教授が「知的熟練」と呼んだこうした価値は、目標管理制度のもとでは成果として定義されにくく、むしろ評価の射程外に押し出されがちです。とりわけ日本の職場は、互いの重心や負荷を感じ取りながら担ぐ「おみこし」のような構造を持ち、突出した個人成果よりも、自律的な補完関係によって支えられてきました。

 

しかし、欧米由来の個人成果モデルを機械的に当てはめた結果、こうした「見えない貢献」が切り捨てられ、現場の疲弊や人材の固定化を招いているケースも散見されます。日本的経営の色合いを残す中小企業や、部門横断的な協働が求められる現場では、この問題はなお顕著です。

 

本稿では、労働法と組織論の視点から、目標管理制度の効果と限界を整理し、日本の職場文化に即した人事評価のあり方を改めて検討します。

 

あなたの職場は、個人成果を数値で切り出せる組織でしょうか。
それとも、互いに支え合うことで成り立つ組織でしょうか。

 

1.はじめに――「目標管理制度」は、いま誰のための制度なのか

労働法の研究・実務と組織開発の現場を行き来する中で、私のもとには日々、制度の運用に悩む人事担当者の切実な声が届きます。先日も、次のような問いを受けました。

 

「目標管理制度は、すでに導入企業の検証も出揃い、専門家の評価も固まっている。制度としての“旬”は過ぎ、効用にも限界が見えているのではないか」たしかに、制度論として俯瞰すれば、目標管理制度は成熟期に入ったと言えるでしょう。しかし問題は、その評価がどのような組織像を前提としているのかという点です。

 

とくに、日本的経営の要素を残す中小企業、あるいは大企業であっても現場では柔軟な役割分担が常態化している職場において、この制度は本当に適合しているのでしょうか。

 

本稿で扱う「目標管理制度」とは、理念的な自己目標設定論ではありません。企業目標を個人目標へと分解し、その達成度を人事評価・処遇に結び付ける制度運用を指します。本稿の問題意識は、制度の存在そのものではなく、日本の職場構造や法的限界を顧みない形で運用されている点にあります。

 

2.目標管理制度とは何か――その基本構造と法的責務

目標管理制度は、資本主義社会において使用者が編み出してきた管理手法の一つです。使用者が企業戦略を策定し、その達成のための企業目標を定め、さらに部門目標・個人目標へと細分化する。そして、一定期間内にその目標をどの程度達成できたかを評価し、処遇に反映させる――これが制度の基本構造です。

 

理論上は、組織の方向性と個人の行動を整合させ、効率的に成果を上げる合理的な仕組みとされています。しかし同時に、この制度は「誰が、何を、いつ評価するのか」という問題を不可避的に伴います。評価指標の設定、評価主体の裁量、評価時点の妥当性――これらはいずれも、制度の成否を大きく左右します。

 

そして忘れてならないのは、人事評価という行為そのものが、使用者に一定の法的責務を課すものだということです。人事評価は使用者の裁量に委ねられますが、無制限ではありません。客観性・説明責任・不服対応を欠く運用は、「裁量権の逸脱・濫用」として法的責任を問われる虞があります。

 

3.目標管理制度の「真の機能」――経営の暴走を止める検算装置

ここで視点を転じてみましょう。多くの組織では上意下達の道具とされる本制度ですが、実は「下から上への経営チェック機能」という極めて重要な側面を持っています。

 

経営目標を個人レベルに分解するプロセスは、いわば経営戦略の「検算」です。もし現場で目標設定が論理的に破綻するなら、それは現場の能力不足ではなく、経営判断そのものがリソースや市場の現実を無視している(=戦略の失敗)ことを示唆しています。

 

人事の皆さま方は、本制度を単なる「査定ツール」ではなく、経営の暴走を食い止める「ガバナンス装置」として再定義すべきです。この視点があれば、現場の疲弊を「個人の資質の問題」に矮小化せず、戦略の妥当性を問い直す「経営へのフィードバック」として正当に扱うことが可能になります。

 

そのうえで、もし現場で目標設定がうまく噛み合わないのであれば、それは従業員の理解不足ではありません。経営の方向性や戦略的優先順位が、まだ十分に共有・翻訳されていないという可能性を、まず経営者ご自身が引き受ける必要があります。

 

4.評価の本質――「現時点の努力」ではなく「さらなる努力」を求める制度

目標管理制度の本質は、単なる現状評価ではありません。むしろ、その核心は、達成された成果を前提に、次はさらに高い目標を課す点にあります。目標が達成されれば、次の期にはより高い水準が求められる。この繰り返しによって、組織全体の生産性を引き上げていく――それが制度設計上の前提です。

 

しかし、この構造を十分に理解しないまま導入すると、従業員側には「どれだけ努力しても評価は相対的に固定される」という感覚が生じかねません。制度が動機づけではなく、疲弊を生む装置へと転化する危険がここにあります。数値化しやすい「顕在的な貢献」だけに特化し、「自ら設定した目標の結果は、自らが引き受ける」という自己責任原則を過度に強調することの危うさがここにあります。

 

5.日本的経営の長所とは何か――「見えない貢献」の価値

日本的経営の特徴の一つは、業務範囲を超えた協力や配慮といった、「見えにくい貢献」を評価してきた点にあります。職場の円滑な運営、後輩の育成、突発的なトラブルへの対応――これらは数値化が難しいものの、組織の持続性にとって不可欠です。

 

とりわけ日本の職場では、経験を積んだ人材が、作業スピードではなく「失敗コストの低減」を担ってきました。業務の前提条件を確認し、将来の手戻りや対立、判断ミスによるロスを未然に防ぐこと。若手の判断を支え、上司・部署間の認識のズレを調整すること。こうした「問題が起きなかったこと」こそが、日本企業の現場を下支えしてきた実務的価値であり、単純な数値評価では捉えきれない貢献です。

 

先人たちは、そのことを経験的に理解していました。「思いやり」や「おもてなし」に通じる価値観は、情緒論ではなく、組織を安定させる実務的機能を果たしてきたのです。これらを一律の数値管理で切り捨てるとすれば、目標管理制度は、日本的経営の長所と緊張関係に立つことになります。

 

また、日本の職場には、数値では測れない別の重要な役割を担う人材が存在します。それは、組織の「安全装置」や「倫理的緩衝材」として機能する人物です。 現場が過度な効率化や短期的成果に傾こうとする時、立ち止まって「本当にこれでいいのか」と問いかける人。法的リスクや倫理的問題を事前に察知し、暴走を未然に防ぐ人。意思決定の場で、数値に表れない違和感を言語化し、判断の質を高める人――こうした存在は、組織の持続可能性にとって不可欠です。

 

しかし、こうした貢献は目標達成度では測れません。むしろ、「ブレーキをかける人」として、短期的な数値目標の達成を遅らせる要因と見なされる危険すらあります。目標管理制度が、こうした組織の免疫機能を担う人材を正当に評価できない――あるいは排除してしまう――とすれば、それは制度の欠陥というべきでしょう。

 

6.なぜ目標管理制度は、日本の中小企業になじみにくいのか

目標管理制度は、「個人成果が明確な組織」向けの制度です。欧米型組織や大企業は、職務範囲と権限が定義されたゲゼルシャフト(利益社会/職務明確型組織)的構造を持ち、本制度との親和性が高いといえます。

 

対して日本の中小企業の多くは、職務を超えて補完し合うゲマインシャフト(共同社会/相互補完型組織)的性格を有しています。持ち場を超えた「助っ人」的行動が組織を支えている現場では、個人の貢献を数値だけで切り出すこと自体に構造的な無理があるのです。

 

7.法的リスクと「企業名が残る」という現実

そこで目標管理制度を導入するのであれば、前述の法的責務の備えは必須です。目標設定の不備や説明不足が、解雇や降格の無効判断に直結した裁判例も少なくありません。(※)

 

しかも、これを怠り、紛争が裁判に発展すれば、企業名が実名のまま裁判例として残る可能性があります。労働法の世界では、裁判例であっても企業名を特定して引用するのが通例です。人事制度は、経営の道具である以前に、働く人の尊厳を守る最後の砦でもあります。「効率」の名のもとに、その一線を越えてはなりません。

────────────────────

(※)代表的な裁判例として以下のようなものがあります。

・日本ヒューレット・パッカード事件(東京高判平成24年9月12日)→一方的な高目標設定と評価手続きの不備を理由に降格処分を無効と判断

・ブルームバーグ・エル・ピー事件(東京地判平成23年10月18日)→著しく高い目標設定による解雇を無効判断

・日本IBM事件(東京地判平成23年12月28日)→業績不良を理由とする退職勧奨・解雇プロセスに問題があるとして無効

 

こうした制度運用を突き詰めていくと、私たちは一つの避けがたい問いに直面します。それは、人事評価は本来「どこまで」を測ることが許されるのか、という限界線の問題です。そして近年、その境界線は議論されることもないまま、静かに、しかし確実に踏み越えられつつあるのではないでしょうか。問題です。

 

8.目標管理制度のもう一つのリスク——「数値による人材の固定化」

目標管理制度には、看過できないリスクがあります。評価数値が人事システムに蓄積され、過去の数値が本人の多面的な資質よりも優先的に参照される構造が生まれることです。たとえば、昇進候補者の抽出で「直近3年間の評価平均値3.5以上」という数値要件によるスクリーニングが常態化すると、適性や成長可能性は後回しにされます。

 

一度低評価がついた人材は、その後どれほど成長しても「過去の数値」として記録され続け、挽回の機会を得にくくなる。逆に高評価を維持するため、測定されない地道な貢献——後輩育成、部門間調整——を避け、数値化しやすい短期成果に特化する行動が合理化されます。

 

これは「数値による人材の固定化」とでも呼ぶべき現象であり、人材の多様性が見えなくなり、組織の持続性を支える「見えない貢献」が駆逐されるという二重の損失をもたらします。

 

ただし、これは制度の必然ではなく、運用の偏りが生む帰結です。後述する「ハイブリッド評価」や「評価と育成の分離」によって、数値の有用性を保ちつつ人材を多面的に捉える余地を残すことは可能です。問題は数値を用いることではなく、数値だけに依存することにあるのです。

 

9.目標管理制度の「聖域」――私的領域と憲法的視点

昨今の人事現場では、部下の「人生の価値観」にまで踏み込むマネジメントが推奨される傾向にあります。企業目標と個人の「働く意味」を統合させる動きは一見理想的ですが、これらを評価項目に組み込んだ瞬間、制度の性質は変質します。

 

「会社のパーパスに共鳴して働かなければ評価されない」という空気は、労働者への無言の圧力となります。これらは個人の内心や価値観に深く関わる領域であり、自己決定権(憲法13条)や内心の自由(同19条)という、基本的人権として法的に保護された私的領域に属します。企業が私的な想いを無理に言語化させ、それを組織目標に紐付けようとすることは、一歩間違えれば「価値観の強制」や「心理的侵襲」となりかねません。

人事は、働く一人ひとりの「魂」まで管理しようとしてはなりません。「パーパスに共感できないなら去れ」という空気は、かつての「踏み絵」に似た構造と何が違うのでしょうか。企業も、思想・良心の自由が保障された自由社会の一員である以上、この問いから逃げることはできないのです。

 

10.では、どうすればいいのか――現実的な改善の道筋

そして、もしあなたが人事担当者として、制度と現場の板挟みで苦しんでいるなら、それは「あなたの運用が下手だから」ではないとお伝えしたい。制度設計の前提そのものに構造的な問題があるからです。

ただし、直ちに制度を全廃せよと言っているのではありません。日本の職場構造に即した調整によって、目標管理制度は有効な対話ツールに転換しうるのです。以下、三つの方向性を提示します。

 

ハイブリッド評価の導入
数値目標を50〜60%程度に抑え、残りを「協働・支援行動」などの行動評価で補完する。ただし、行動評価は評価者の恣意を招く危険があります。

 

たとえば、数値目標を達成した従業員が、一部の同僚からの否定的な意見を理由に「チームワーク不足」と評価され、客観的成果が主観によって一方的に無効化される――こうした事例はけっして珍しくありません。この新たなリスクを防ぐには、評価基準の事前明示と、評価理由の文書化が最低限必要です。数値偏重も、主観偏重も、いずれも評価の歪みを生みます。

 

評価と育成の分離
目標設定を報酬決定から切り離し、「成長のための対話ツール」として再定義する。

 

目標は挑戦的に設定し、報酬は多面的な基準(数値・行動・組織貢献)で別途決定する。これにより「目標未達=低評価」という恐怖を緩和し、挑戦を促します。

 

段階的な改善
制度の大幅変更が困難なら、運用の質向上から着手できます。まずは評価面談で「数値に表れない貢献」を必ず言語化して伝える。四半期ごとの中間面談で進捗確認と軌道修正を支援する――こうした工夫だけでも、現場の納得感は大きく変わります。

 

なお、これらの具体的な実践手法、導入時の注意点、他社事例については、続編で詳述する予定です。

 

貴社の目標管理制度は、人を動機づけていますか。
それとも、静かに疲弊させてはいませんか。

 

11.おわりに――日本の職場は「おみこし」である

そもそも、日本とは文化や歴史的背景、働き方の前提が異なる海外の制度を、十分な検証もないまま漫然と導入すること自体、慎重であるべきでしょう。ましてや、その判断が「専門家」や「コンサルタント」を自称する人々の助言に過度に委ねられているとすれば、なおさらです。形式的な数値管理によって、現場の知恵や関係性を切り捨て、「角を矯めて牛を殺す」結果を招いてはなりません。

 

日本の職場は、互いの重心を感じ取りながら担ぐ「おみこし」のような構造を持っています。誰か一人の突出した数値だけで前進するのではなく、全員が状況を読み、足並みを調整し、目に見えない役割分担を自律的に担うことで、組織は壊れずに進んできました。この前提を欠いたまま数値化・個人化を徹底すれば、制度は合理化ではなく「分断の装置」へと変質します。

 

人事制度は、組織を動かすための道具であると同時に、働く人の尊厳を守る最後の防波堤です。人を評価する制度が、人を測り尽くそうとした瞬間、越えてはならない一線が踏み越えられます。

 

数値で測れるものだけを「成果」と呼ぶ組織に、人は果たして留まり続けるのか――その問いに正面から向き合い、人事評価がどこまで踏み込んでよいのかという限界線を引き直すことこそ、いま日本の人事に突き付けられた責務ではないでしょうか。

────────────────────

【実践】自社の目標管理制度 健全性チェックリスト

  1. 「数値化できない貢献」を認める余白があるか
  2. 目標設定のプロセスが、経営戦略の「検算(経営チェック機能)」として働いているか
  3. 個人の「内心の自由」に踏み込みすぎていないか
  4. 評価結果に対する「説明責任」と「不服申立てルート」が整備されているか
  5. 制度が「疲弊の装置」になっていないか

────────────────────

参考【30秒版】社長・役員向け

目標管理制度「地雷回避」最重要チェック

次の3点のうち、1つでも該当する場合、目標管理制度は運用以前に「導入前提」から再検討が必要です。

1.パーパスや価値観を評価項目に含めていないか
理念への共感や価値観の一致を処遇と結び付けると、評価は成果ではなく内心を測る行為となり、人事評価の法的・思想的な限界線を踏み越えかねません。

2.制度を「査定ツール」としてのみ使っていないか
目標管理制度は本来、経営戦略を現場で検算する装置でもあります。現場で目標設定が噛み合わないなら、それは従業員ではなく経営前提の問題かもしれません。

3.相互補完型の職場に、個人成果モデルを当てはめていないか
日本の職場は、互いの重心や負荷を感じ取りながら担ぐ「おみこし」型構造を持っています。この前提を無視すれば、制度は動機づけではなく疲弊を生む装置へと変質します。

 

判定の目安
一つでも当てはまる場合、問題は制度の出来不出来ではなく、
「誰のために、どの前提で使っているのか」です。

このコラムを書いたプロフェッショナル

及川 勝洋

及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

得意分野 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO
対応エリア 全国
所在地 志木市
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