「実物」を変えれば、辞退は止まるのか
——昇進辞退論にひそむ、第二の矮小化
本稿のポイント
●昇進辞退の原因を処遇条件ではなく「管理職の実物(働く姿)」に求める近時の議論は、意思決定が打診以前に完了しているという時間構造の指摘において鋭いものです。本稿はその着眼を認めたうえで、そこから導かれる処方を検討します。
●「条件を直しても断られる。ゆえに原因は条件ではない」という推論は、条件が実際に十分改善されたことを確認しないまま条件仮説を棄却しており、実証の順序を欠いています。
●同一の管理職の過負荷が、前半では登用不全がもたらす構造的空白の帰結として、後半では本人の「思考と行動のクセ」として描き直されています。構造が生んだ負荷を個人の内面特性へ読み替えるこの操作は、内面への矮小化の第二の変奏です。
●「実物」とは条件と別個の何かではなく、条件が身体に可視化された姿です。ゆえに実物を変えるとは、実態の条件を変えることでしかありえず、見え方への介入はその代替になりません。
●任せ方の改善は負荷の消滅ではなく再配分であり、その受け皿は「最前列で実物を見ている次の候補者」本人です。
●昇進辞退とは、ポスト設計が個人に課す相反の局面の矛盾——終局責任——の引き受けを、合理的に拒否する行為です。人事が変えるべきは現任者の振る舞いの手前にある、矛盾の帰属先そのものです。
一 打診の前に、答えは出ている——認めるべき観察
先日、管理職のなり手不足を扱った、ある論考を読みました。手当を見直しても、業務を切り出しても、昇進の辞退は止まらない。その原因を、処遇条件ではなく、候補者が毎日目にしている「管理職の実物」——すなわち現任者の働く姿——に求める議論です。
観察として、これは鋭いものです。打診の席で答えが出るのではありません。答えは、はるか以前に、日常の観察と夕食のテーブルで出ています。等級表が机に載るより先に、朝一番のメールの量と金曜の夜の顔色が届いています。
意思決定の完了時点を打診の前へと引き戻したこの時間構造の指摘は、実務の感覚とよく合致します。そのうえで、候補者を「意欲の足りない者」としてではなく「精度の高い読み手」として遇する視線にも、敬意を表したいと思います。
だからこそ本稿は、この議論の弱い部分ではなく、最も強い部分の内側を検討します。
「実物」という着眼が正しければ正しいほど、そこから導かれる処方——現任管理職の「思考と行動のクセ」を可視化し、行動変容を促すことで実物を変える——に含まれる読み替えは、看過できないものになるからです。
結論を先に述べれば、それは拙稿「内なるエンジンを鍛えれば、マネジメントは変わるのか」で指摘した第一の罠、すなわち構造の問題を内面の問題へ矮小化する操作の、第二の変奏です。
二 「条件を直しても断られる」は、証明されたか
件の議論の推論は、およそ次の三段からなります。企業は条件を直してきた。それでも大多数が管理職になりたくないと答える。ゆえに、候補者が見ているのは条件ではない——。
しかし、この三段のうち第一段が確認されていません。
引かれている意識調査は、処遇を改善した企業とそうでない企業を区別していません。「従業員三百名以上であれば処遇を改善する体力がある」という言い換えは、体力があることと実際に改善したこととを混同しています。
そして実態に目を向ければ、管理職手当の改定額が、残業代の消失分と拘束時間の増加とを実質的に補償できていない企業は、依然として少なくありません。
つまり「条件は直された。それでも断られた」のではなく、「条件は直されたことになっている。だから断られている」可能性が、棄却されないまま残っているのです。
条件仮説を退けるなら、条件が本当に十分であったかをまず問うのが実証の順序です。
しかし、この一段が飛ばされているために、後段の「残る切断点は一つ」という絞り込み——候補者側でも条件側でもなく、現任者の働き方だけが介入対象として残るという論理——は、実は成立していません。
三 二度描かれる部長——構造の空白が「クセ」に変わる瞬間
より重要な問題は、議論の内部にあります。件の論考には、二つの課を掛け持ちする部長が登場します。会議から会議へ移るだけで一日が終わる、その姿です。
この部長は、二度描かれます。
一度目は、辞退の連鎖の帰結として。断られた打診の分だけポストの空白と兼務が生まれ、その過負荷の姿が次の候補者の眼前に置かれ、次の辞退を生む——ここでの部長の疲弊は、登用不全という組織の構造がもたらした空白の産物として、描かれています。
ところが二度目に登場するとき、同じ部長の負荷は、別のものに変わっています。
議事録を自分で直す、部下の資料に朱を入れる、すべてが自分を経由しないと進まない——本人の「思考と行動のクセ」、すなわち抱え込みの問題として、です。そして処方は、このクセの可視化と行動変容へと向かいます。
お気づきでしょうか。
組織が埋めるべき空白を埋めず、その帰結を一人の管理職が身体で引き受けています。これは、埋め手を欠いた矛盾が個人に落ちてくる、空白型と呼ぶべき典型的な状況です。その空白型の負荷が、論の途中で、本人の内面特性の問題へと静かに読み替えられています。
二つの課を掛け持ちすれば、任せる相手が足りないから抱え込むのであって、抱え込むから掛け持ちになったのではありません。因果の向きが、記述の間で反転しているのです。
拙稿で扱った第一の罠は、マネジメントの構造的困難を「内なるエンジン」なる心理的資源の不足へと矮小化する操作でした。
今回の読み替えは、その変奏です。第一の罠が構造を心理的資源に置き換えたとすれば、第二の矮小化は、構造が生んだ負荷を行動特性に置き換えます。いずれも、介入の対象を組織の設計から個人の内面へと移す点で、同じ運動をしています。
四 「実物」とは、条件が可視化された姿である
件の議論は、候補者が読んでいるのは「条件」ではなく「実物」だ、と対置します。しかし、この二項対立そのものを検討する必要があります。
論考自身が引く声を見てみましょう。残業は増えるのに給料は上がらない、と配偶者は言います。これは条件の計算そのものです。
金曜の夜の顔色とは何でしょうか。業務量と報酬と拘束時間——つまり条件——が、身体に刻印されたものです。実物とは、条件と独立に存在する「見え方」ではありません。制度上の条件と実態上の条件が乖離しているとき、候補者は実態のほうを信じる。それだけのことです。
そう捉え直せば、「実物を変える」という標語の中身は一つに定まります。実態の条件——業務量、兼務、権限と支援の配分——を変えることです。見え方への介入は、その代替になりません。
むしろ、実態が変わらないまま見え方だけが改善されるなら、それは候補者の読みの精度に対する、より巧妙な挑戦にしかなりません。聡明な候補者ほど、その差分を見抜くと述べたのは、ほかならぬ件の論考です。
五 任せ方が変われば、負荷はどこへ行くのか
処方の内在的な検討を、もう一歩進めます。
抱え込みが任せ方に変われば、管理職の顔色が変わる——そう論考は言います。しかし、部門の総業務量が変わらないなら、委任された仕事は消滅しません。移動するだけです。どこへか。部下へ、です。
そして、その部下とは誰でしょうか。
論考自身の定義によれば、上司の近くで働き、重い仕事を渡され、最前列で実物を見続けてきた人——すなわち、次の昇進候補者その人です。管理職の顔色が改善する代わりに、候補者自身の負荷が増えます。そのとき候補者の眼前に展示されるのは、「あの人の下で任された結果が、この量か」という、新しい実物です。
論考が描いた円環——辞退が空白を生み、空白の姿が次の辞退を生む——を止めるはずの介入が、円環の別の箇所に負荷を移すだけに終わる可能性を、論考は検討していません。業務量という保存量を無視した処方は、構造の問題を扱ったことにならないのです。
六 辞退とは、終局責任の引き受け拒否である
最も根本的な論点は、ここにあります。管理職というポストは、多くの企業で、業績要請と部下のケア、時間と成果、組織の要請と自らの生活といった、容易に両立しない要請の交点に置かれています。平時にはこれらは両立して見えます。
しかし利害が食い違う相反の局面では、どちらかを犠牲にする決定を誰かが引き受けねばなりません。その最終的な引き受け手——終局責任の帰属先——を、ポストの設計は暗黙のうちに、管理職個人と定めているのです。
この視点から見れば、昇進辞退とは意欲の欠如でも読み違えでもありません。ポストに埋め込まれた矛盾の引き受けを、その総量を正確に読んだうえで拒否する、合理的な行為です。
夕食のテーブルで終わっていた検討とは、まさにこの計算でした。配偶者が読んでいたのは手当の額面ではなく、矛盾を家庭に持ち帰る人の、引き受けの総量です。
すると、現任者のクセに働きかける処方の意味も、正確に述べることができます。
それは、ポストの設計——矛盾の帰属先——には触れずに、現任者がその矛盾をより滑らかに、より疲れた顔を見せずに担うための技法を訓練するものです。相反の局面を、あたかも本人の工夫次第で調和させうる局面であるかのように扱う操作、と言ってもよいでしょう。
研修が成功すればするほど矛盾は不可視化され、組織はポストの設計を見直す契機を失います。「実物を変える」は、実物の改善ではなく、実物の展示方法の改善に帰着しかねないのです。
七 最強の反論に答える——順序と主従の問題として
公平のために、この処方を擁護する最も強い議論を挙げておきます。ポストの再設計や兼務の解消といった構造的な打ち手は、時間がかかる。その間にも打診は行われ、辞退は積み上がる。現任者の行動変容は、人事が今日着手できる、数少ない現実的な打ち手ではないか——。
この擁護には、一定の理があります。本人のクセが負荷を増幅している場面は現に存在しますし、外からの手がかりなしに自らの働く姿を変えられないという指摘も、それ自体は正しいものです。私の批判は、クセへの介入が無意味だ、というものではありません。
批判が向かうべきは、クセへの介入を「残る唯一の切断点」と断定し、構造への問いを選択肢の表から消去した論理操作です。
兼務の解消、管理範囲の適正化、残業代消失分の実質補償、そしてポストが引き受けさせる矛盾の総量の見直し——これら最有力の対抗仮説を一度も俎上に載せずに切断点を一つに絞る構成は、たとえ紙幅の制約があったとしても、論証としては瑕疵です。
行動変容への支援は、構造の再設計を主としたときの従として位置づけられて、はじめて意味を持ちます。順序と主従を転倒させたとき、それは処方ではなく、構造の免責になるのです。
むすび——「候補者が見ているものを変える」の、本当の意味
次世代リーダーの育成は、候補者を探すことではなく、候補者が見ているものを変えることから始まる——件の論考のこの結語に、私は同意します。ただし、その意味を最後まで詰めるならば、です。
候補者が見ているのは、現任者の振る舞いの巧拙ではありません。
そのポストが、一人の人間に何を引き受けさせる設計になっているか、です。候補者の読みの精度を認めるなら、変えるべきものも、その精度に耐えるものでなければなりません。疲れた顔の見せ方ではなく、疲れの生まれる場所を。矛盾の担い方ではなく、矛盾の帰属先を。
打診の席の、あの迷いのない辞退は、候補者から人事への、最も正確な報告です。条件表と実物の差分はここにあります、と。その報告を、本人のクセの問題として現場に返送してしまうのか、ポスト設計への問いとして受領するのか。人事が変えるべきものは、そこで分かれます。
管理職を変えることが目的ではありません。管理職が一人で引き受けなくても済む組織へ変えること――そこに人事の本来の役割があります。
(了)
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このコラムを書いたプロフェッショナル
及川 勝洋
労働思想家・キャリア法学研究者・キャリアコンサルタント/一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
及川 勝洋
労働思想家・キャリア法学研究者・キャリアコンサルタント/一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
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制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
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