不確実性の高いビジネス環境が常態化する現代において、企業の持続的成長を左右する最大の要因は「経営リーダーの質」にある。経営トップの交代は予期せぬタイミングで訪れることもあり、その準備不足は企業価値を大きく毀損(きそん)するリスクをはらんでいる。
こうした課題に対し、コーポレートガバナンス・コードや人的資本経営の文脈において「サクセッションプラン(後継者育成計画)」の重要性が叫ばれている。
サクセッションプランとは、経営・事業戦略を起点に重要ポジションを特定し、その要件に基づいて後継者を計画的に育成・選抜する経営の仕組みである。しかし、多くの企業が「過去の慣習からの脱却」「要件定義の曖昧さ」「候補者不足」といった壁に直面し、実効性のある運用に苦慮しているのが実情だ。本講演では、数多くの企業で経営人材育成や組織開発の支援を手掛けてきた株式会社グロービスの井上佳氏が登壇。日本企業の現在地をデータを交えてひもときながら、サクセッションプラン推進における「10の難所」とその克服に向けた具体的かつ実践的なアプローチを語った。

- 井上 佳氏
- 株式会社グロービス グロービス・コーポレート・エデュケーション マネジャー
国内コンサルティングファームにて、上場企業から官公庁まで組織開発・人事制度設計等に従事。支社責任者・本社所長、新拠点立ち上げ等を経てグロービス参画。現在は多業界で新規事業、経営体制、人材・組織開発を支援。経営学修士、英イーストロンドン大学応用ポジティブ心理学修士、英ケンブリッジ大学SLP修了、IPPA会員。
激動の時代、経営の「意思決定スピード」が企業の命運を分ける
講演の冒頭、井上氏は世界的な不確実性の高まりと、それに伴う経営環境の激変について言及した。
「世界では、ほぼ10年おきに『100年に一度』と言われるような危機が発生しています。不確実性指数は長期的に上昇傾向にあり、地政学リスクや気候変動、テクノロジーの進化など、企業を取り巻く変数は複雑さを増しています。こうした激動期において企業の命運を握るのは、経営を担うトップマネジメントチームです」
井上氏が示したデータによると、意思決定や改革のタイミングが遅れると、危機を乗り越えられる確率に5倍以上の差が生まれるという。平時であれば多少の遅れも挽回可能だが、有事においては経営陣の判断の遅れが致命傷となりかねないのだ。
さらに、経営陣への圧力も年々強まっている。毎年約10~15%の企業で、財務不振や倫理的不祥事などのさまざまな理由によるCEOの交代が起こっている。アクティビスト(物言う株主)による経営陣の解任要求も加熱している傾向にあり、2024年に米国で解任されたCEOは27人に上った。
また、世界の大手上場企業約2,500社を対象とした調査によると、CEOの後任探しが難航した企業は、平均して18億ドルもの株主価値を失ったという衝撃的な調査結果も紹介された。
「経営陣の交代は任期満了だけでなく、不祥事や病気などで突如発生することがあります。準備不足のまま交代を余儀なくされたら、経営へのインパクトは甚大です。実際に、新たな経営体制の約40%が就任後18ヵ月以内に業績期待を満たせていない、というデータもあります。
だからこそサクセッションプランは、企業のリスク管理と価値向上の双方の観点から、コーポレートガバナンス・コードや人的資本経営の開示項目の中でも極めて重要な柱として位置づけられているのです」
続けて井上氏は、人的資本経営の価値向上に向けた、サクセッションプランの位置付けを整理した。
企業活動は、理念やパーパスに基づき長期ビジョンを策定し、その実現に向けた全社戦略を描くことが起点となる。コア事業、成長事業、新規事業といった各領域で事業戦略を推進するには、それぞれのキーポジションを担う人材を継続的に輩出する仕組みが不可欠だ。そのためには、各ポストの要件定義を行い、それに基づいた採用・配置・評価・能力開発を一貫して行う必要があり、その要になるのがサクセッションプランである。
サクセッションプランを進めるには、中長期の適正な人員配置を見据えた「人材ポートフォリオ」の構築を進めながら、各事業現場のサクセッションと、全社経営を担うリーダー層のサクセッションを接続して、統合的なプランとして描くことが求められる。
これらの取り組みは人的資本のKPIとして可視化し、後継者候補の準備率や重要ポストの充足率、ダイバーシティ比率、定着率、エンゲージメント、自律的なキャリア形成などの指標で管理する。あわせて、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の文化が組織に醸成されているかを評価し、これらを定期的に外部へ開示していくことが、現代の企業経営において不可欠だ。
「箱」が先か、「人」が先か? サクセッションプランの本質
では、そもそもサクセッションプランとは何か。
サクセッションプランとは、「経営・事業戦略を起点に重要なポジション(“箱”)を特定し、その要件に基づいて後継者候補を計画的に選抜・育成・評価・登用する仕組み」である。
井上氏は、この定義において最も重要なポイントは「ポジション(箱)が先、人が後」という考え方にあると強調する。
これに対し、「タレントマネジメント」は、社員一人ひとりの能力(タレント)や適性に注目し、育成や評価などを通じて各人が活躍できる配置を考える「人が先、ポジションが後」のアプローチだ。また「次世代リーダー育成」は、若手や管理職層を選抜して研修(OFF-JT)を行う育成施策が中心であり、サクセッションプラン全体の一部に過ぎない。
「経営戦略を実現するためには、どのようなポジション(“箱”)が必要なのか。その箱には、どのような要件(資質、スキル、経験)が求められるのか。ここを出発点として、そこに合致する人材を探し、育てていく。これがサクセッションプランの本質です」
しかし、日本企業の現状を見ると、この“箱”の設計よりも、現在いる“人”ありきで考えてしまうケースが後を絶たないという。
「日本の上場企業の調査データを見ると、次期社長・CEOのサクセッションプランについては、40〜50%の企業が取り組んでいると回答しています。しかし、CEO以外のCxOに関しては、まだこれからの段階、あるいは着手できていないという企業が大半です。
例えば、COOやCSO(最高戦略責任者)のポジションでサクセッションプランを策定している企業は25%未満にとどまっています。これは、日本企業において『経営チーム』としての機能設計や要件定義がまだ十分になされていないことの表れでもあります」
サクセッションプランの全体像と立ちはだかる難所
サクセッションプランの構築・運用は、大きく7つのステップで構成される。中長期の事業環境を踏まえ、これら全体をマネジメントすることが重要となる。
サクセションプランの全体像(7ステップ)
- サクセッションプラン全体方針検討
- 経営人材の要件定義と需給GAP
- 人材プールの形成
- 育成計画の策定・実行
- 後継者候補のモニタリング
- 最終候補者の評価と後継者指名
- 指名後のサポート
多くの日本企業が直面する、サクセッションプラン推進「10の難所」
井上氏によると、グロービスが多数の日本企業を支援する中で見えてきたのが、サクセッションプラン推進において多くの企業が共通して直面する「10の難所」である。
サクセッションプラン推進「10の難所」
- 過去の後継者人事慣習
- グランドデザインの迷走
- 合意形成
- 過去と未来要件
- 基準の客観性と透明性
- 形式主義化
- タフアサイン機会不足
- レビューの曖昧さ
- 内集団バイアス
- 十分な併走期間
本講演では、サクセッションプランの全体像である7つのステップを進める過程で生じる10の難所のうち、特にプロジェクトの成否を左右しやすい初期〜中期フェーズにおける主要な難所について、具体的な事例を交えながら解説した。
難所(1)・(2):過去の慣習とグランドデザインの欠如
最初の関門は、プロジェクトの立ち上げ段階にある。「全体方針検討」における難所として挙げられたのは、「(1)過去の後継者人事慣習」と「(2)グランドデザインの迷走」だ。
「これまで日本企業の多くでは、重要ポストの選任は現社長や会長の『専権事項』であり、密室で行われるのが当たり前でした。現在は、プライム上場企業の内90%を超える企業が指名委員会を設置していますが、運用の実態は社長が連れてきた後継者案を追認するだけになっているケースも少なくありません。
また、情報の秘匿性が高く、文書化されていない点も問題です。経産省の調査によると、サクセッションプランについて『何らかの文書として存在している』企業の割合は11%にとどまっています。これでは、いくら人事部がサクセッションプランを推進しようとしても、全体を把握できません」
いざサクセッションプランを始めようとしても、策定経験をもつ社内人材がおらず、何から手をつけていいかわからない「グランドデザインの迷走」も頻発する。関係者が取締役会、指名委員会、事務局(人事部など)と多岐にわたるため、誰がどこまで責任を持つのか、役割分担が曖昧になってしまうのだ。
これらを克服するヒントとして、井上氏は経済産業省の「CGコード(コーポレートガバナンス・コード)」を活用し、役割分担を明確化することを推奨する。
「例えば、社外取締役はあくまで透明性や客観性を持った監督機能を担います。会社によっては、社外取が要件や人選案の作成を主導するケースも見られますが、それは本来の役割を逸脱しています。指名委員会・取締役会・人材開発委員会・事務局が、どのプロセスにどこまで関与するのかを明確化することが重要です。
役割を明確にしたら、次は経営人材のプールから全体像を設計し、ロングリストを作成します。近年は、若手のポテンシャルを早いうちから見極めて登用する重要性が増しており、各階層において、主管はどこなのかを整理して進めていく必要があります」
難所(3)・(4):要件定義の鍵は執行体制
「経営人材の要件定義」では、「(3)合意形成」や「(4)過去と未来要件」が壁となる。
「経営陣の間で『人を見る基準』がバラついており、合意形成に時間がかかるケースはよくあります。また、箱を作ってから人を当てはめるのが原則ですが、そもそも前提となる執行体制や機能設計に課題があり、対象ポジションを定めづらいという声も多く聞かれます。
『過去と未来要件』については、いつまでにどれくらいの人数と質の経営人材が必要になるのかが曖昧なことが課題として挙げられます。目先の経営課題や過去の成功体験にとらわれ、未来に必要な要件がおろそかになってしまうのも陥りがちなポイントです」
特に、要件定義において重要なポイントは執行体制だ。昨今の日本企業の経営体制は、執行と監督が一体化した「マネジメント型」から、監督機能を強化した「モニタリング型」へと移行しつつある。そうした中で、執行側に求められる役割が質的に変化していることに注意が必要だと井上氏は語る。
「CxOのポジションを作っても、過去の慣習にとらわれ、実際には役職の名称を変えているだけに過ぎない企業が多く見られます。今後は監督と執行の役割を明確にし、全社視点で戦略を実行して変革を推進できる『経営執行チーム(C-suite)』をどう構築するかが重要になるでしょう。
CEOだけでなく、CFO、CSO、CHROの各ポジションにどのような専門性と役割を持たせるのか。自社の『価値創造ストーリー』を実現するために必要な体制から逆算して、要件を定義する必要があります」
井上氏は、グローバル基準のCxOに共通して求められるのは「ビジネス・経営感覚」「グローバルの視野」「変革推進力」だと言う。それらに加えて、近年は各ポジション固有の専門性や、自社文脈の理解といった要件を加味して定義していくのが重要であると語った。
難所(5):人材評価の客観性をどのように担保するか
要件が決まれば、次は候補者を選び出し、育成するフェーズだ。ここで直面するのが「(5)基準の客観性と透明性」の担保である。
「経営層による評価は、どうしても『好き嫌い』や『自分と似たタイプを好む』といったバイアスがかかりがちです。また、現在の業務におけるパフォーマンス評価と、経営者としての潜在的なポテンシャル評価が混同されることもよくあります。
実際に、社長・CEO候補者の評価について、特段何も実施していないという企業が多いのが現状です。そこで取るべき対策は、見るべきデータポイントを増やすことです。複数の人間が、複数のデータを基に、複数の手法で分析した結果を突き合わせ、多面的に評価することが推奨されます」
井上氏は、人事考課や360度評価などの「観察しやすい」データだけでなく、アセスメント診断による候補者の資質や、行動探索型インタビューを通じたマインドなど、「観察しにくい」ポテンシャル部分を可視化する手法を組み合わせることで、人物像を立体的に捉えることの重要性を強調した。
難所(6)・(7):形式主義化とタフアサインの不足
育成計画の策定・実行では、「(6)形式主義化」と「(7)タフアサイン機会不足」が挙げられる。必要なスキルセットが効果的に実装されていなければ経営人材は育たない。タフアサイン(修羅場経験)を含めた、実効性のある経験を積ませることが鍵となるのだ。
「これまでの経営人材育成は、事業部のトップになることを想定して行われていました。現在の経営人材育成では、経営トップチームの役割・機能やCxO要件に基づく育成に変化しています。外部からの経営人材調達も積極的に検討されるようになるでしょう。
実際に育成プログラムを設計する際は、候補者個々の能力ギャップを埋める『個別施策』と、共通の視座を高める『集合研修』の両輪が必要です。そして何より重要なのが『タフアサイン』です。候補者がコンフォートゾーンから抜け出せるように、育成プログラムをデザインすることがカギになります」
質疑応答:現場の悩みに答える
講演の後半に行われた質疑応答では、参加者から具体的な悩みや質問が寄せられ、井上氏が回答した。
Q:「タフアサイン」とは具体的にどのような経験を指すのでしょうか。
井上氏:大きく分けて三つのパターンがあると考えています。
一つ目は「グローバルでの異文化環境でのマネジメント経験」です。言葉も文化も違う海外拠点の立て直しやマネジメントを行うことは、非常に大きな成長機会になります。
二つ目は「事業創出の経験」です。0から1を生み出す新規事業の立ち上げは、既存事業を回すのとは全く異なる筋肉を使います。
そして三つ目は「改革・再生の経験」です。業績が厳しい事業の立て直しや、全社的なサプライチェーンの改革など、既存の枠組みや利害関係を調整しながら変革を推進するプロジェクトの責任者を務めることです。こうした「修羅場」を経験することで、経営人材に不可欠な意思決定力が磨かれます。
Q:「指名委員会」が手続きや監督だけでなく、執行の役割を担うケースが増えているのですが、問題はないでしょうか。
井上氏:積極的に執行側の役割を担う必要はないと考えます。なぜなら、執行側のモチベーションをそぐことにもつながるからです。CEOも含めて、指名委員会がどこまで関与するのかを話し合い、役割を整理するのが現実的だと思います。
Q:人材の選抜において、該当部署の理解が得られない場合はどうすればいいでしょうか。
井上:部署によっては、優秀な人材を抱えておきたいと思う場面は少なくないでしょう。重要なのは、トップから社内の人材流動を積極的に行うことを発信することです。また、部門長のMBOの中に、経営人材の輩出を組み込むという例もあります。
Q「人材要件」は具体的にどのように作成するのでしょうか。
井上:まず、経営陣の方々にインタビューを行います。単に「どんな人がいいですか?」と聞くだけでは、抽象的な言葉や、過去の成功体験に基づく偏った要件になりがちです。
おすすめなのは、中長期の経営戦略や「価値創造ストーリー」をベースに、「未来の自社にはどのような意思決定が必要になるか」「どのような課題を解決しなければならないか」という視点から問いかけることです。
また、経営陣や関係者を集めたワークショップ形式で議論し、「Aさんは要件を満たしているか」といった具体的な人物評価のシミュレーションを通じて、要件の認識をすり合わせる企業もあります。こうしたプロセスを経ることで、生きた要件定義が可能になります。
サクセッションプランは「企業価値向上」への投資
講演の最後に井上氏は、サクセッションプランが単なる人事施策ではなく、企業の持続的な成長と価値向上に直結する経営アジェンダであることを強調した。
「サクセッションプランは、単年度で終わるものではなく、5年から10年を見据えた長期的な取り組みです。最初から完璧な仕組みを目指す必要はありません。毎年の運用を通じて候補者の進捗を見極め、経営環境の変化に合わせてプラン自体をアップデートし続けることが重要です。この営みこそが、中長期的な企業価値向上と競争優位性を生み出す源泉となるのです」
井上氏は人事パーソンに向けてエールを送り、講演を締めくくった。
「暗中模索の中で大変なことも多いと思いますが、取り組みの裏には必ず、組織を良くしようと奮闘する『ヒーロー』が存在しています。ぜひ自信を持って推進してください」
サクセッションプランが形式化してしまう背景には、「タフアサインの設計が難しい」「経営視点での意思決定経験を積ませにくい」といった現場の制約もある。
こうした課題を補完する一助として、部長・役員候補層を対象としたケース討議中心のプログラム『グロービス・エグゼクティブ・スクール(GES)』を選択する企業は多い。社内では得がたい「意思決定の疑似体験」をいかに仕組みに組み込み、実効性を高めていくか。自社の戦略に即した育成の在り方を、今一度見つめ直す機会となるはずだ。
これまで約6,700社、年間約3,400社、延べ約42万人への研修・人材育成・組織開発サービスを通じて、企業の経営戦略と人・組織の成長を一貫して支援しています。経営戦略の実現に直結する人材育成を重視し、サクセッションプランニングや管理職・次世代リーダー育成など、多様な企業課題に応じたソリューションを提供。経営者やコンサルタントとしての実務経験を持つ「実務家講師」が登壇し、理論と実践を融合した学びを実現します。さらに専任コンサルタントが、サクセッションプランの策定・運用支援をはじめ、顧客の課題やテーマに応じて最適な育成プログラムを設計・提供し、成果の最大化を目指します。
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