人的資本経営の潮流の中、企業の持続的な成長を実現する最重要項目として「サクセッションプラン(後継者育成計画)」が注目を集めている。しかし多くの企業が、「誰を」「どのような基準で」選抜・育成すべきかという入り口でつまずいているのが実情だ。本講演では、数多くの組織変革に伴走してきたグロービス・コーポレート・エデュケーションのディレクター、尾花宏之氏が登壇。経営人材要件の策定と浸透を阻む「三つの壁」に焦点を当て、それらを乗り越えるためのフレームワークと進め方を解説した。未来を見据えた人材要件の定義から、現場での運用サイクルへの組み込み、そして生成AIの活用まで、経営人材育成を成功に導く鍵を探る。

- 尾花 宏之さん
- 株式会社グロービス グロービス・コーポレート・エデュケーション ディレクター 戦略人事 責任者
大学在学中にコンシューマー向けプラットフォーム事業を運営後、三菱UFJ銀行にて法人向け投資・融資業務および再生コンサルティングに従事。現在はグロービス法人コンサルティング部門ディレクターとして、人・組織能力開発を通じた経営変革を支援。戦略人事責任者を兼任し、講師としても幅広いテーマで登壇。
なぜ、「経営人材要件」は定まらないのか
サクセッションプラン(後継者育成計画)は、企業の持続的な成長を担保する要である。しかし、その実践は容易ではない。尾花氏は冒頭、調査データを基に、日本企業の現在地について問題を提起した。
「『日本の人事部 人事白書2025』によると、CEOを含む次期役員のサクセッションプランを策定し、かつ候補者の育成を始めている企業は全体の1割程度にとどまります。また、これから策定しようとしている、あるいは策定中の企業は3〜4割。多くの企業が取り組もうとしていることが分かりますが、ハードルとなるのが『候補者の人材要件が定まっていないこと』です」
なぜ、多くの企業で人材要件の策定が進まないのか。あるいは、策定しても機能しないのか。尾花氏は、その背景には「誰を候補にするか見極めが難しい」「経営者の好みで決まってしまう」など現場の悩みがあると語った。人材要件が曖昧であれば、評価者の主観や「声の大きい人」の意見に流されやすくなり、結果として納得感のない選抜が行われてしまう。これがサクセッションプランの形骸化を招く根本原因となっている。
サクセッションプランは、長期ビジョンに基づく経営体制の検討から始まり、要件定義、候補者の選抜、育成、モニタリング、そして指名に至るまで、七つのステップで構成される長期間のプロジェクトである。尾花氏は、経営人材育成計画の根幹となる「ステップ2 経営人材要件の定義」に焦点を当て、多くの企業が直面する課題の本質を整理した。
「人材要件の策定プロセス自体は、ある程度確立されたものがあります。外部環境や経営戦略を分析し、未来の重要アジェンダを特定。そこから逆算して要件モデルを作り、社内で合意形成を図る。しかし、プロセスは分かっていても、いざ実行しようとするとうまくいきません。私たちは多くの支援を通じて、『言語化の壁』『変化適応の壁』『活用の壁』という三つの壁が存在することに気づきました」
第1の壁:「言語化」における抽象と具体のジレンマ
経営人材に求められる資質を言葉にする際、多くの人事担当者が「抽象度の調整」に頭を悩ませる。
「『グローバルな視野を持つ』『変革をリードする』『大局観を持つ』といった表現は、経営者が持つべき要件として正しいものです。しかし、これだけでは『誰がそれに該当するのか』という基準が不明瞭です。評価者の主観に左右されてしまったり、『本当にこの人が候補者なのか?』という疑問符がついたり。これでは、ふさわしい人材が漏れてしまうリスクが生じます」
一方で、評価のしやすさを求めて具体性を追求しすぎると、別の問題が発生する。
「『営業利益率を10%改善した』『新規事業を黒字化させた』『海外拠点を2箇所以上経験した』など、成果や事実だけを要件にしてしまうと、過去の経験を問うチェックリストに過ぎなくなります。これでは、将来のポテンシャルを測れません。たまたまその経験をした人だけが選ばれることになります」
人材要件の定義は適切な粒度での言語化が求められるが、難易度が高いため、外部のコンサルタントや専門家に策定を依頼するケースも多い。しかし、そこにはリスクも潜んでいる。
「外部の知見やフレームワークを活用すること自体は非常に有効です。しかし、策定プロセスを丸投げしてしまうと、三つのリスクが生じます。一つ目は、『依存体質』。人材要件は環境変化に合わせてマイナーチェンジしていく必要がありますが、外部に頼りきりだと社内に知見が蓄積されません。自力での修正ができなくなり、その都度コストと時間がかかってしまいます。
二つ目は、『自社戦略の不在』。一般的なフレームワークに当てはめるだけでは、自社固有の経営課題や独自戦略に直結した要件が抜け落ちてしまいます。
三つ目は、『文化・価値観の不在』。『その会社らしいリーダー像』というDNAが反映されていない要件は、社員から見て『どこの会社にもある借り物の言葉』に映り、納得感が生まれません。『現実味がない』と捉えられてしまいます」
重要なのは共創のスタンスで、自社のDNAや独自戦略といったコアな部分は、社内の人間が丁寧に言葉をつむぎ出す必要がある。その上で、客観的な視点や最新トレンドの反映、言語化のサポートとして外部の力を借りる。この役割分担こそが、血の通った人材要件を作る鍵となる。
では、具体的にどのように言語化すればよいのか。尾花氏は、単なる要件の列挙ではなく、それぞれの要件に対して「レベル定義」を行うことを推奨する。
「例えば『全社視点』という要件があったとします。これを言葉で終わらせず、レベル1からレベル5まで、具体的な行動特性として定義します。レベル1では、『他部門に関心を持ち、摩擦を避ける』。レベル3では、『自部門の戦略を全社戦略の一部として位置づけ、他部門を巻き込む』。レベル5では『全社の成長だけでなく、業界のルールや市場そのものを形作る』など。段階を定義することで、候補者が今どこにいて、役員になるためにはどうレベルアップしなければならないのか、そのギャップが明確になります。これが育成計画の土台となるのです」
レベルの定義があることで、評価者は候補者が「今どの段階にいるか」を客観的に判断でき、次のステップに必要な経験やスキルセット(育成課題)が明確になる。単なる合否判定ではなく、成長の道筋を示すための言語化と言えるだろう。
第2の壁:「変化適応」と未来視点の導入
次の壁は「変化適応」である。現在の経営陣をモデルに人材要件を作ると、「過去・現在」に最適化された人材像になりがちだ。しかし、サクセッションプランが対象とするのは「未来の経営者」である。
「かつては『計画立案・管理』や『リスク察知・回避』が重視されましたが、現在は『ビジョン構想』や『挑戦・小さな実験』、そして『DX・AI活用』が不可欠です。未来を見据えれば、さらに変化するでしょう。重要なのは、今の延長線上で考えるのではなく、未来のシナリオから逆算して要件を導き出すことです」
例えば、従来の「ティーチング(知識重視)」や「ウォーターフォール型(計画重視)」のリーダーシップから、「コーチング(対話重視)」や「アジャイル型(OODA重視)」へのシフトが求められているように、時代が変われば求められる能力も非連続に変化する。未来の要件を定義するために、尾花氏は「未来シナリオの策定」「ありたい姿の設定」「事業・組織ポートフォリオの検討」「経営人材要件の策定」の四つのステップで検討することを提案した。
「重要なのは、一つの固定的な未来だけを信じるのではなく、複数のシナリオを想定しておくことです。そうすることで、環境変化に応じて人材要件を柔軟に見直せるようになります」
変化の激しい時代において、企業には「ダイナミック・ケイパビリティ(企業変革力)」が求められる。これは、感知(Sensing)、捕捉(Seizing)、変容(Transforming)の三つの能力からなる。
「人事は、特に『感知』と『捕捉』のアンテナを高くしておくことが重要です。市場環境や技術トレンドの変化を感知し、それを自社のビジネスモデルにどう取り込むかを捕捉する。そして、組織や人材要件を『変容』させる。マイクロソフトが『Know-it-all(全てを知っている)』から『Learn-it-all(全てを学ぶ)』へ文化を転換し、AI時代に適応したように、ビジョンと戦略、人材要件を一気通貫で変革し続ける姿勢が求められます」
人事が経営企画や戦略部門と連携して、未来の兆候をいち早く捉え、それを組織・人材戦略に落とし込む。この動きこそが、変化に適応し続ける組織を作る鍵となる。
第3の壁:「活用」なき策定からの脱却
最後の壁は「活用」である。人材要件を定義できても、それが人事評価の時期にしか参照されないようでは意味がない。尾花氏は「策定段階から、どう活用するかを設計しておくべきだ」と言う。
「人材要件を作ってから『さて、どう使おうか』と考えるのでは遅すぎます。人材把握、評価、選抜、配置、育成という一連のサイクルの中に、人材要件がどう組み込まれるかをあらかじめデザインしておく必要があります。そうでないと、策定の当事者以外が重要性を感じず、現場で使われなくなります」
活用における具体的なアプローチとして、尾花氏は候補者を「パフォーマンス」「ポテンシャル」「経験値」「キャリア意向」の四つの軸で可視化する手法を紹介した。
「これらのデータをタレントマネジメントシステムなどで一元管理し、可視化します。その上で重要になるのが『配置戦略』です。育成プランに基づき、その候補者に不足している経験を補うための『タフ・アサインメント(修羅場の経験)』を意図的に作り出します。
例えば、国内事業しか経験のない候補者に、あえて海外拠点の再建を任せるなど。このとき、単に異動させるだけでなく、上長が『なぜこの配置なのか』『何を獲得してほしいのか』という育成意図を明確に言語化し、本人と握ることが不可欠です」
配置決定プロセスでは、現場の部門長任せにせず、全社視点での意思決定を行う会議体(人材開発会議など)を機能させることが重要である。また、OJT(配置)だけでなく、Off-JT(研修など)の活用も重要だ。例えば、財務のバックグラウンドがない候補者にファイナンスの知識をインプットするなど、配置だけでは補いきれない知見を計画的に提供する仕組みもセットで考える必要がある。
実践事例:1年がかりで挑むサクセッションプラン再構築
ここで二つの企業事例が紹介された。
事例1:事業ポートフォリオ転換に伴う再構築
A社では、事業環境の変化に伴いポートフォリオを大きく転換することになった。それに合わせ、既存のサクセッションプランを刷新するプロジェクトが立ち上がった。
「このプロジェクトでは、CHROと人事部門に加え、経営企画部門も巻き込みました。経営戦略と人材要件の整合性を取るためです。約1年をかけ、前半の6ヵ月で新たなビジョンに基づく人材要件を策定し、後半でそれを評価するためのデータ整備やシステム導入、そして『人材開発会議』の立ち上げを行いました。ポイントは、単に要件を決めるだけでなく、候補者を継続的にモニタリングし、プールへの残留や退出(入れ替え)を議論する会議体を設置したことです。これにより、運用が形骸化するのを防いでいます」
事例2:新ポジション設置に伴う個別要件の策定
B社では、新規事業部の設立に伴い、そのトップとなる経営ポジションの要件を新たに定義する必要が生じた。
「新部門を管掌する役員と共に、未来のシナリオプランニングから実施しました。未来の市場環境を分析し、そこで勝てる戦略を描き、そこから逆算してリーダー像を言語化しました。また、既存の経営人材全体の『共通要件』も見直しました。時代に合わなくなった古い要件をアップデートし、全社的なレベル定義の整合性を取ることで、より納得感のある要件定義へと進化させました」
いずれの事例も、人事部門だけで完結せず、経営陣や事業部門を巻き込みながら「未来」と「要件」の整合性を取るプロセスを経ている点が共通している。
生成AIが加速する「人材要件」のアップデート
最後に紹介されたのが、生成AIの活用である。変化の激しい時代において、人材要件を頻繁に見直すことは人事にとって大きな負担となる。そこで尾花氏は、AIを「たたき台作成」のパートナーとして活用することを提案する。
「例えば『育成力』というコンピテンシーについて、レベル1から5までの具体的な行動定義を作成させるプロンプトを実行します。AIは一般的な定義を高速で出力してくれます。もちろん、そのままでは使えません。しかし、ゼロから人間が文章を考えるよりも、AIが出したたたき台をベースに『自社らしさ』を加えて修正する方が、圧倒的にスピードは速くなります」
尾花氏は具体的なプロンプト例も提示した。「あなたは人材開発の専門コンサルタントです」という役割定義を行い、レベルごとの階層イメージ(例:レベル1=若手選抜リーダー、レベル6=業界を代表する経営者)を指定することで、精度の高いアウトプットが得られるのだ。
「テクノロジーを活用して土台作りを効率化し、人間は『自社のDNAの注入』や『意思決定』といったコア業務に集中する。これが、これからの人事の戦い方になるでしょう」
質疑応答
参加者からの質問に答えるセッションでは、現場のリアルな悩みに対し、尾花氏が実践的なアドバイスを送った。
Q:創業者の影響力が強く、現経営層が過去の成功体験に固執しています。未来志向の要件定義を進めるにはどうすればよいでしょうか。
尾花氏:非常に難しく、かつ多くの企業で共通する悩みですね。正論をぶつけても響かない場合、アプローチを変える必要があります。一つは、社内で創業者に対して意見できる影響力のあるキーマンを巻き込むこと。もう一つは、あえて「外部の専門家」を活用することです。
経営者は、身内の社員の意見よりも、外部の第三者からの客観的なフィードバックの方を聞き入れる傾向があります。外部の人間と事前に握っておき、会議の場で「この会社の未来を考えると、今の要件ではリスクがあります」と指摘してもらう。外圧をうまく利用して議論のテーブルを変えるのも一つの手です。
Q:中小企業など、人材プールが小さい場合でもサクセッションプランは有効でしょうか。
尾花氏:有効ですし、むしろ重要です。小さな組織だと「お互いのことはよく分かっている」という前提で進みがちですが、「人となりを知っていること」と「経営者としての資質を見極めていること」は別物です。誰が候補で、その人に何が足りないのかを明確にしておかないと、いざ交代というときに適切な人材がいない事態になりかねません。規模に関わらず、要件を言語化し、意図的に育てるプロセスは不可欠です。
Q:タフ・アサインメント(修羅場経験)をさせたいが、現場は目先の成果を優先し、理解が得られません。
尾花氏:現場の部門長に判断を任せると、どうしても優秀な人材を囲い込みたくなります。対策としては、サクセッションに関する配置決定の「権限」を切り出すことです。経営候補者の配置は、現場の意向だけで決めず、全社の指名委員会や人材開発会議で決定するルールにする。一時的に現場のパフォーマンスが落ちるリスクがあったとしても、全社視点で未来の経営者を育てるための投資であるという合意形成と、意思決定プロセスの設計が必要です。
サクセッションプランの難所は、制度設計そのものよりも、「経営戦略と接続した要件定義が描けない」「評価や育成が断片化し、経営チームとしての視座が醸成されにくい」といった実行フェーズにこそ潜んでいる。
こうした課題に対し、CxO要件に基づいた経営視点の獲得や変革推進力の強化を目的に、経営幹部・次期経営層候補を対象とした実践型プログラムを導入する企業も増えている。グロービスが提供する『グロービス・エグゼクティブ・スクール(GES)』もその1つだ。 戦略起点で「箱」を設計し、その要件を体現できる人材をいかに計画的に育てるか。自社の価値創造ストーリーと接続したサクセッションの在り方を、改めて問い直す契機となるだろう。
これまで約6,700社、年間約3,400社、延べ約42万人への研修・人材育成・組織開発サービスを通じて、企業の経営戦略と人・組織の成長を一貫して支援しています。経営戦略の実現に直結する人材育成を重視し、サクセッションプランニングや管理職・次世代リーダー育成など、多様な企業課題に応じたソリューションを提供。経営者やコンサルタントとしての実務経験を持つ「実務家講師」が登壇し、理論と実践を融合した学びを実現します。さらに専任コンサルタントが、サクセッションプランの策定・運用支援をはじめ、顧客の課題やテーマに応じて最適な育成プログラムを設計・提供し、成果の最大化を目指します。
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