サッカー元日本代表選手に学ぶ「プロフェッショナリズムとリーダーシップ」
- 小林 傑氏(株式会社フィールドマネージメント・ヒューマンリソース 代表取締役)
- 福西 崇史氏(サッカー元日本代表)
みんなが同じことをしていればよかった時代は終わり、組織の中では「個」の力が強く求められるようになると言われている。そんな中、選手という「個」の集合体であるチームで戦うプロスポーツ界から、ビジネスパーソンが学ぶべきものとは。フィールドマネージメント・ヒューマンリソースの小林氏が、W杯サッカーの元日本代表選手である福西氏に、チームの中で「個」の力をいかに発揮してきたのかを聞いた。
(こばやし すぐる)慶應義塾大学卒業後、JTBを経てリンクアンドモチベーションに入社。執行役員として大手企業中心に組織人事コンサルティングに従事した後、新機軸の経営コンサルティングファームであるフィールドマネージメントに参画しディレクターを務める。成長戦略支援に従事した後、組織人事領域に特化した同社を設立し代表を兼任。
(ふくにし たかし)愛媛県出身。Jリーグでは10年以上にわたりジュビロ磐田の中盤を担う主軸選手として活躍。また、日本代表として2度のワールドカップ(2002年日韓、2006年ドイツ)に出場しており、選手を引退後は、NHKのサッカー解説や講演会、サッカー教室や各種メディアへの出演など幅広く活動している。
福西氏がプロになるまでのキャリア
フィールドマネージメントグループは、戦略立案から実行支援までをサポートするコンサルティングを行っているが、特徴の一つとしてサッカーや野球などプロスポーツに最もコンサル実績のあるファームでもある。また、フィールドマネージメント・ヒューマンリソースは、同グループの中で、組織人事領域を主に担っており、リーダー育成を主軸に腰を据えた個別的サポートを行っている。そんな経験から、プロスポーツ選手の考え方や姿勢は、ビジネスパーソンにとっても参考になる点が多いと小林氏は語る。
「これからの世の中、他人と同じことができることに価値がなくなっていく中で、一人ひとりが個の力をしっかり磨いていかなければ、ビジネス社会で取り残されてしまいます。そういった意味で、個の力が試されるプロのアスリートから学ぶ点は非常に多い。本日お招きした福西さんは、Jリーグのジュビロ磐田で10年以上にわたってチームの黄金期を支え、ボランチとして活躍されました。ボランチとは、ミッドフィルダーの中で守備的な役割を持つポジションです。日本代表としてもサッカーW杯に2回連続出場、引退後は、サッカー解説、講演会、サッカー教室など幅広く活動をされています」
福西氏のサッカー人生の中には大きなモチベーションの起伏がいくつかあったという。そんなエピソードを小林氏が質問し、福西氏が答えるという形でセッションは進められた。
「僕が最初に始めたスポーツは、5歳から兄の影響もあって始めた体操でした。サッカーに出会ったのは10歳のときで、その後は体操とサッカーの両方に取り組んでいました。中学生になってどちらかを選ばなければいけなくなり、一人でやるより仲間とやることが好きな自分の性格を考えてサッカーを選びました。ポジションは、点を取りにいくフォワード。地元ではある程度有名で、愛媛県選抜にも選ばれました」
この頃、福西氏は最初のモチベーションダウンとなる衝撃を受けた。自信を持って臨んだ愛媛県選抜で自分の力は通用せず、試合に出られずに地元へ帰ってくることになったのである。これをきっかけに「今のままではダメだ」と奮い立ち、壁当てによるキックのコントロールやトラップなど基本練習からやり直すようにしたという。基本の重要さはプロ選手たちが共通して説くところでもある。
「自分の客観的な状態を意識しながら練習をすると、身に付くことも気づくことも大きくなります。愛媛県選抜で少しずつ通用するようになって、さらに四国選抜に選ばれたときも同じ衝撃がありました。また試合に出られなかったのです。全国選抜に選ばれたときも同じ。モチベーションのアップダウンのたびに練習を繰り返す、という苦労の時代でした」
Jリーグが93年に開幕したとき、福西氏は高校1年生。Jリーグに憧れたが、自分の実力ではプロ入りが難しいと考えていたという。ところが、インターハイ予選で対戦チームの視察に来ていたスカウトの目に留まり、95年にジュビロ磐田への入団が決まる。小林氏は、福西氏がプロになるまでのエピソードの中から、その後発揮するリーダーシップに関係する注目点として、「もともと体操選手だったこと」「フォワードのポジションでずっとプレイしていたこと」「自分の力が通じない中でステップアップしてきた経験」を挙げた。その理由はセッション後半に語られる。
福西氏がレギュラーを獲得するために磨いた強み
Jリーグに入る夢が叶い意気揚々としていた福西氏だが、そこは甘い世界ではなかったという。
「当時、ジュビロ磐田には試合に出るトップチームとは別に、野球で言う二軍にあたるサテライトチームがあって、新人はまずそこに入りました。トップチームとは練習場もシャワールームもロッカーも別で、道具や練習着は自己管理しなければならないという、反骨精神が駆り立てられる環境でした。しかも、僕はそのサテライトチームでさえ試合に出られないという状況。当時は3年で芽が出なければ戦力外通告されると言われていましたから、このままでは後がありません。そんなある日、監督からボランチにコンバートする話を持ちかけられました」
当時はまだ、ボランチという言葉が日本に入り始めた時期。福西氏も詳しくなかったが、即答で受け入れた。プロとしてプレイするために「ボランチでレギュラーを獲得するしかない」と覚悟を決めたのである。まずは、ボランチの役割を知り、そのためにどうすればいいかを徹底的に探ることから始めた。
一方で、当時のジュビロ磐田には、名波選手や藤田選手など日本代表クラスの選手が数多く在籍し、さらにはブラジル代表キャプテンとして94年W杯優勝したドゥンガ選手もいて、トップの選手たちと同じ練習をしていても追いつけないのは明らかだった。そこで福西氏は、自分ならではの強みを徹底的に考えたという。その強みの一つは、ボールに体が届く範囲であるプレイサークルの広さである。
「実は、最初から自覚していたわけではありませんでした。ある日、練習中に一流選手が『こんな位置のボールにまで届くのか』という反応をしたことがあり、その瞬間に、自分の強みに気づいたのです。僕は小さい頃に体操をしていたので、体が柔らかく体幹が強い。体操のジャンプでの体の使い方や、バランスを崩した後の戻す力は、ヘディングや胸のコントロールなどに応用できます。体操の経験がサッカーの強みになったのです」
もう一つ、長年のフォワード経験も強みとなった。相手チームのフォワードの気持ちが分かり動きも読めることは、ボランチとしての守備に活かせる。また、相手からボールを奪った瞬間に、フォワードの動きも取れる。この二つの強みを磨くために、福西氏はスペシャリストたちに自ら積極的にアドバイスを求めにいった。
「どんなプレイを意識すればいいのか、どう動くといいのか、どんなボールの奪い方をすればいいのか。コーチや監督、いろいろな選手にそれぞれの最も得意な部分を質問に行き、さまざまなプレイを見ては盗みました。二つの強みを自分の中でどう生かせばいいのか、常に頭に入れながら取り入れていきました」
このとき、福西氏が一人に限定せず、複数の人のところに行った点に注目したい、と小林氏は語る。ビジネスの世界では無意識に自分の上司だけを頼ってアドバイスをもらう傾向があるが、聞く内容によって、それぞれ最も強みを持つ人に教えてもらった方が効果的かつ効率的に吸収ができる。さらに、それを継続することも重要だ。
「ドゥンガにいつも叱られながら、フィードバックをもらって修正することを続けました。言い換えるなら、向こうは超一流のビジネスパーソン、僕は新入社員。叱られても仕方がないけれど、素晴らしいお手本であることは確か。しかもドゥンガは自分と同じく体力に自信があるタイプではなかったので、特にポジショニングはすごく勉強になりました。工夫次第でスピードが補えるし、より良いパフォーマンスも出せます。もちろん、基本技術のレベルアップにも忘れず取り組んでいました。強みを生かすためには欠かせませんから」
福西氏の行動に見るリーダーシップ
リーダーシップの定義とは「ゴールと道筋を描き、周囲を巻き込み、実現まで導き続けること」であり、福西氏のサッカー人生にはそれが見られると、小林氏はその理由について解説した。
「福西さんの行動を定義に当てはめてみると、『ゴール』は、ボランチでレギュラーを獲得し、チームとして勝ち続けること。『道筋』は、プレイサークルの広さとフォワードの経験を活かすという歩み。『周囲の巻き込み』は、一流選手たちに自ら聞きに行くこと。『実現まで導き続ける』は、怒られながらもフィードバックとアクションを繰り返し続けたことです。周囲の一流選手たちに技術ではまだ叶わなかったかもしれませんが、それでも福西さんはリーダーシップを発揮していたのだと思います」
続いて、2006年W杯での経験についても福西氏は振り返る。
「2002年のW杯で僕は5分間しか出場できず、何もできなくて悔しかった。だから、次の2006年のW杯では絶対に活躍したいと強く思ったのです。そこから4年間のJリーグの試合は海外選手と対戦しているつもりでハードに臨みましたね。W杯の最終予選では、ミッドフィルダーで選抜された選手のほとんどが攻撃型の選手でしたので、チームとして勝つために自分がボランチパートナーを活かす役割を考えて守備中心にプレイしました。当時、チーム内で戦術に対する意見がわれていたのですが、チームメイトにも積極的に自分の意見を伝えましたし、食事や移動の時間もみんなで話し合い、キャプテンや監督とも何度も話しました。結局結論は出ないままだったのですが、意見や議論をし続けたことによって、それぞれの考えが分かっていたので、お互いに『この選手には試合中にこう伝えよう』『こういう考えを持っている選手だからこう対応しよう』と動くことができました。お互いの理解が深まって臨機応変なプレイが生まれ、勝利に繋がったのだと思います」
2回目のW杯に向けた福西氏の行動も、定義に当てはまると小林氏は言う。『ゴール』は、日本がW杯出場を決めてスターティングメンバーとして出場すること、『道筋』は、ボランチパートナーの特性に合わせた役割を担う歩み。他のミッドフィルダーには攻撃重視タイプが多く、彼らを補完する守備に徹することは戦略的にも適っている。『周囲の巻き込み』は、チームメイトや監督を巻き込んで話し合ったこと。『実現まで導き続ける』は、結論が出ずとも議論を続けたこと。
いずれのケースでも、福西氏がゴールを達成するために「強みを活かす」道筋を選択したことが特徴的だと小林氏は解説する。
「ボランチにコンバートされたときも、2回目のW杯のときもそうです。自分の強みを探り出し、それを伸ばす方向でゴールを目指しています。他者に負けない強みを武器に道筋を描くことはリーダーシップを発揮する上でとても重要です。絶対的な一つの強みはそう簡単に見つかるものではありませんが、複数の強みがあれば、それらを組み合わせることで独自の強みを生み出すことができるのです」
リーダーシップを発揮するための個人別トレーニングやワークショップをフィールドマネージメント・ヒューマンリソースでは提供している。より実感できるプログラムとして、福西氏をはじめとするプロアスリートたちの貴重な経験談を組み込んだトレーニングも今後増やしていくと語り、小林氏はセッションを締めくくった。
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