「経営戦略と連動した人事戦略」を実現するためのステップ
戦略人事、CHRO、HRBP、サクセッション・プラン、人的資本経営
人材戦略の重要性が高まっています。かつては長期雇用の前提のもとで画一的な人材管理が行われてきましたが、現在は経営戦略と連動した柔軟な人材の活用が強く求められるようになってきています。従業員の自律的な成長を促し、経営環境の変化に対応できる人材を育成することは、持続的な企業価値向上の実現につながります。
経済産業省が設置した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書「人材版伊藤レポート2.0」では、人的資本経営を推進する上で「最も重要な視点が『経営戦略と人材戦略の連動』である」としており、多くの企業がその重要性を認識しています。
一方で、経営戦略を実現するために「戦略人事」が実際に機能している企業は少数にとどまっています。本記事では、戦略人事に関する企業の実情を明らかにした上で、経営戦略と人材戦略を結びつけるために必要な視点と具体的なアクションについて解説します。
「人事白書」から見る企業の実状
経営戦略を実現するために求められる人事制度・施策の企画立案を指すことの多い「戦略人事」。『日本の人事部』が発表した「人事白書2022」では、「戦略人事は重要である」と答えた企業は56.2%、「どちらかといえば当てはまる」と答えた企業は30.5%と、計86.7%の企業がその重要性を認識しています。
また市況よりも業績が良い企業は、市況と同程度、もしくは悪い企業よりも「戦略人事が機能している」と答えた割合が高くなっており、戦略人事が実際に企業業績につながっている可能性を示唆しています。
しかし全体を見ると、人事部門が戦略人事として機能しているかどうかを聞いた質問に対して「当てはまる」(6.1%)、「どちらかといえば当てはまる」(23.8%)と答えた割合は合わせて29.9%という結果に。7割弱の企業で戦略人事が機能していないことがわかりました。
人事部門が各事業部門のビジネスパートナー(部門戦略を人事として実現する役割)として機能しているかを聞いた質問でも、「当てはまる」(5.1%)、「どちらかといえば当てはまる」(27.5%)と回答した企業は合わせて3割超にとどまりました。
興味深いのは、「人事部門が管理業務に追われている」と回答した企業が8割近くに上ること。戦略人事が機能していない原因として「人事部門のリソースの問題」(51.1%)がトップに上がるなど、理想と現実がかみ合っていない状況が浮き彫りになっています。
この結果を受けて、神戸大学大学院 経営学研究科 教授の鈴木竜太氏は、「戦略的に人事部が活動する必要性を持ちながらも、日々の管理業務を行うことに追われ、人事機能のリソースが不足しているため、長期的な新しい課題に対して積極的に関与することが時間的に難しいことから戦略人事として機能がなされていないことがわかる」と解説しています。
加えて鈴木氏は、役職レベルの問題点も指摘。「人事白書2022」では、戦略人事が機能していない原因としてリソースの問題に次いで「経営陣の問題」(48.1%)、「人事部門の位置づけの問題」(45.9%)が上位に挙がっています。
「戦略人事の考え方や視点を持って取り組んでいる」と答えた回答を役職別に見てみても、「執行役員・事業部長クラス」(63.5%)が最も多く、「一般クラス」(20.0%)が最も少ないとの結果になりました。
これらの結果から、鈴木氏は「より現場に近いレベルでは戦略人事の重要性を認識しながらも、時間的に難しい、日々の管理業務で忙しく手が回らない、というのが現状であると見ることができる」と分析しています。
戦略人事の実現に向けて:CHROの設置
CHROの役割
CHRO (Chief Human Resources Officer) とは経営幹部の一員であり、人事部門を統括する責任者を指します。従来型の「人事部長」は経営陣の指示を受けて管理業務が円滑に機能しているかどうかを把握する立場を指すものでしたが、CHROはより経営者に近い目線で、自らが必要だと判断した施策を力強く推進していく役割を果たします。
戦略人事の実現が難しい背景として、法政大学大学院 政策創造研究科 教授の石山恒貴氏は「個別企業の独自性をつくりあげることの難しさ」「『人が競争優位につながる』ということを信じる会社が少ない」の二つを挙げています。
また「人事白書2022」では、「戦略人事に取り組みたいができていない」と回答した企業の取り組めていない理由として、「戦略人事を実践するための知識や経験が不足している」(33.4%)がトップとの結果になりました。
ここから、知識や経験を持ったCHROが経営陣の一員として大きなビジョンを掲げながら人材の可能性を信じ、自ら旗を振って施策を立案・実行していくことが人材戦略と経営戦略を連動させるために重要な役割を果たすことがわかります。CHROが責任を負う範囲は人材配置・育成だけではなく、企業文化の醸成や浸透、ステークホルダーとの対話など、人的資本に関するあらゆる施策にのぼります。
CHROの設置状況
「人事白書2022」によると、「自社内にCHROが存在する」と答えた企業は全企業の35.1%にとどまり、「現在おらず今後も設ける予定はない」との回答が51.9%に上っています。少しずつ増えてきているものの、現時点ではCHROを設置している企業は少数派と言えます。
規模別に見ると、会社の規模が大きくなるほどCHROを置く企業が増加しています。5001人以上の企業では70.6%で設置していますが、5000人以下では半数を切り、100人以下では18.5%となっています。日本ではまだ歴史が浅い役職で自社内に適任者がいないため、社外から招へいするケースも多く見られます。
CHROに必要な経験と能力
CHROに求められる経験と能力について、アメリカのコンサルティングファーム・マーサー社は五つの特性を挙げています。
- Listener(よい聴き手)であること 従業員や組織の声を聴き、多様なニーズを理解する
- Cultivator(カルチャーを植え付け、育むこと)であること DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)やウェルビーイングを推進するべく、統合的な取り組みを進める
- Storyteller(物語の語り手)であること データを分析した上で、そのデータに意味付けして社員を動かすだけの説得力のある物語を紡ぐ
- Activator(人事機能を活性化する)であること 人事がより本質的な課題解決に時間を使えるよう、環境やスキル、プロセスを整理する
- Transformer(変革者)であること 従来の常識にとらわれず、多様な人材に有意義な経験を提供できる仕組みを構築する
これら五つの特性を得るためには、人事領域の専門性を深めるだけでなく、財務や事業部など人事部門以外での深い知識やマネジメント経験、戦略の立案・推進力などを鍛えていくことが不可欠です。ただし、これらの特性を構成する項目は各社で異なります。知識やスキル、経験や志向といったさまざまな観点から、自社にとって必要な能力を分析して言語化することが重要です。
- 【参考図書】
- 有沢正人、石山恒貴著『カゴメの人事改革 戦略人事とサステナブル人事』(中央経済グループパブリッシング社)
戦略人事の実現に向けて:全社的経営課題の抽出
人材戦略の立案に取り組む際、はじめに行わなければならないのが自社の経営課題の特定です。事業部から意見を聴き、経営陣と対話しながら進めていくことが求められます。
経営課題の抽出方法
課題を整理する際には、既存のフレームワークを使うと効果的です。たとえば「人材版伊藤レポート2.0」では、経済産業省の「価値協創ガイダンス」の活用を推奨。自社固有の価値観を明らかにした上で、独自の尺度を用いて課題を洗い出し、課題にかかるリスクと機会の分析や有識者へのヒアリングを行うことなどを勧めています。
そのほかにも、下記のようなフレームワークを活用することもできます。
フレームワーク | 内容 |
---|---|
バリューチェーン分析 | 顧客にValue(価値)が届くまでの企業活動のプロセスを分解して分析する手法 |
SWOT分析 | 現在の状況をStrength(強み)、Weakness(弱み)、Opportunity(機会)、Threat(脅威)の観点から分析する手法 |
TOWS分析 | SWOT分析でまとめた項目を掛け合わせての具体的な戦略を決定する手法 |
VRIO分析 | Value(経済価値)、Rareness(希少性)、 Imitability(模倣可能性)、Organization(組織体制)の四つの観点から経営資源を評価する手法 |
5フォース分析 | 「競合業者」「新規参入者」「代替品」、「売り手(供給側)」「買い手(購入)」の各視点で分析する手法 |
PEST分析 | Politics(政治)、Economy(経済)とSociety(社会)、Technology(技術)の4つの視点で分析する方法 |
アンゾフの成長マトリクス | 「市場」と「製品」の2軸からなるセグメントにわけて分析する手法それぞれの成長戦略を考える手法 |
PPM分析 | 「市場成長率」と「市場占有率」の2軸からなるセグメントにわけて分析する手法 |
優先順位と対応方針の設定
課題を抽出・共有したら、その課題に対する優先順位と対応方針を決定します。このとき重要なのは、自社の強みを生かしてさらなる競争優位の創出につなげていくこと。それぞれの施策に整合性を持たせることで最大限の効果を発揮することを念頭に置き、一つひとつの施策のつながりを意識しながら進めていきます。
KPIの設定、背景・理由の説明
優先順位の高い施策から、いつまでにどこまで進めていくかといったKPIを設定していきます。KPIの項目としては、人材数や研究開発費などの定量的なものと、エンゲージメントやウェルビーイングといった定性的なものがあります。近年はエンゲージメントを指標に置く企業が増えていますが、定性的な指標をKPIとする際は可能な範囲で定量化することが求められます。
必要なデータを整備することがKPI設定の出発点です。設定したKPIは、従業員をはじめとする社内外のステークホルダーに周知し、理解を促す必要があります。ただし設定項目に個人が特定されかねないようなセンシティブな内容を含む場合、どのレベルまで公開するかを事前に設定しておかなければなりません。また、進捗状況については定期的に確認することが重要です。
企業のKPI例
- 労働生産性
- 従業員の能力開発にあてた時間・費用
- 中国語有資格者数
- 時間外勤務時間
- 精勤休暇取得率
- 就職活動における学生の評価
- 女性総合職海外・国内外出向経験者
- デジタル基礎研修修了者
- 海外グループCxO
- チャレンジ指数(設定したチャレンジ目標に対する上司の評価)
- 二次健診受診率
- 育児休暇取得率
戦略人事の実現に向けて:人事と事業の両部門の役割分担の検証
人材戦略は全社で進めていくものですが、人事が主導すべき施策と事業部門が主導すべき施策はわけて考えなければなりません。人事部門が主導するのは、全社横断的な人材にかかわる施策です。このとき人事は従来型の労務管理中心の業務の殻を打ち破り、経営に価値を提供するHRビジネスパートナー(HRBP)となることが求められます。
また、各事業部の役割も重要です。経営戦略に直結する事業戦略を実現するためには、これまでの“人事任せ”の人材戦略から脱却し、それぞれの現場の観点から事業価値を高める人材について捉え直し、積極的にかかわっていく必要があります。
ただし、役割分担は簡単ではありません。人事はこれまでの業務からの転換を迫られ、事業部にはそれまで人事部に任せていた人材マネジメントの負担がのしかかることになります。そのため、役割分担の必要性を広報することはもちろん、異動を含め人事部と事業部の交流を活発化させ、相互の部門のあり方や目標について全員に納得してもらうことが欠かせません。
サクセッション・プランの具体的プログラム化
企業内における経営にかかわる人材の影響力は甚大です。そのため経営に直結するポストが空席となったときに備えて人材を育成し、プールしておく施策を指すサクセッション・プランの策定が重要です。サクセッション・プランでは、一般的な人材育成よりも長期視点を持ち、経営にかかわる人材に欠かせない能力を開発し、磨いていくことが求められます。
2018年に国際標準化機構(ISO)が発表した人的資本に関する情報開示のガイドラインであるISO30414では、サクセッション・プランに関連する開示項目として「後継者有効率」「後継者カバー率」「後継者準備率」を列挙。東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コード」でも、サクセッション・プランの重要性を記載しています。
サクセッション・プランの作成方法
まずは経営戦略を実現するために必要なポジション・ポストの洗い出しを行い、人材要件を明確化します。後継者の育成には、ある程度の時間に加え現場の理解・協力が不可欠です。人材要件を定義する際も人事による理想像の押しつけとならないよう、現場に裁量を持たせ、実態に即した要件を定義することが重要です。
次にポテンシャルを加味しながら、要件に合う人材を選抜。候補者の個性や志向も踏まえた上で候補者ごとに育成計画を立案・実行していきます。社内に適当な候補者がいない場合は、自社外にいる要件を備えた人材を候補者に含むことも選択肢の一つです。
経営陣に求められるのは財務知識やプロジェクトの実務経験、マネジメントスキルなど多岐にわたるため、複数の配置を経験させる育成計画を立てる必要があります。自社内の異動以外にも子会社での経営ポジションやジョイントベンチャーなどへの配置により、経営者視点の獲得を促進させるケースもあります。また計画の実行後は、進捗状況の確認やギャップを埋めるための施策を実施していくことが求められます。