人材の価値を最大限に引き出し、企業の持続的な成長を実現する

日本の人事部 人的資本経営

人的資本経営の潮流2024/04/26

人的資本経営を実現する「戦略人事」のポイント

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人的資本経営を実現する「戦略人事」のポイント

人的資本経営を推進するには、人事部門がより「戦略人事」としての機能を強化させていくことが求められます。そこで、あらためて人的資本経営の推進に戦略人事が重要である理由と、企業の戦略人事の実態、そして戦略人事を実現するには何が必要なのかについて、『日本の人事部』が発行する「人事白書2023」の結果も引用しながら解説します。

なぜいま戦略人事が必要なのか

そもそも「戦略人事」とは何か

1990年代、米国ミシガン大学教授のデイビッド・ウルリッチは、人事部門が価値を生み出していく「戦略人事」の考え方を提唱しました。ウルリッチは 著書『MBAの人材戦略』の中で、「HRBPモデル」として、人事の役割を「戦略的パートナー」「管理のエキスパート」「従業員のチャンピオン」「変革のエージェント」の四つに分類しました。

戦略的パートナー(HRBP:Human Resource Business Partner):経営戦略・事業戦略に基づき人事戦略を構築する
管理のエキスパート:人事施策を運用する
従業員のチャンピオン:従業員の声を聴き、対応する
変革のエージェント:組織の変革を主導する

人事部門はそれまで労務管理を主体とし、企業を“支える”役割を担っていましたが、ウルリッチは人事が経営者のパートナーとなり、経営戦略を踏まえて人材戦略を構築することの重要性を主張しました。HRBPモデルはその後、「HRBP」に加え、人事制度や人材育成の専門家である「CoE( Center of Excellence )」、型的な管理業務を遂行する 「HRSS( Human Resource Shared Service )」からなる「3ピラーモデル」に変容。欧米を中心とするグローバル企業で普及し、戦略人事の重要性が認められるようになりました。

企業の「戦略人事」の定義はバラバラ

ただし戦略人事については、具体的な定義があるわけではありません。『日本の人事部』の「人事白書2023」においても、「戦略人事をどのように定義しているか」という質問に対して、さまざまな回答が寄せられました。戦略人事とは、その企業が置かれた状況によって定義が異なるものといえます。傾向としては、業績が市況よりも良い企業では「将来的に目標を達成するために求められる人事制度や施策の企画立案」を、業績が市況よりも悪い企業では「経営者の意向を遂行する対応・施策」を、戦略人事として定義するケースが目立ちました。

戦略人事に注目が集まる背景

事業環境の変化

IT技術の発達や消費者ニーズの変化など、現代はビジネス環境の変化が著しい時代です。日本においては経済の低迷や人口減少に伴う国内市場の縮小、グローバル化の進展に日本型雇用慣行の崩壊といった大きな変化が起こり、企業はいや応なしに変革を迫られることになりました。常に戦略の見直しが求められる中で、戦略を遂行する“人”にも注目が集まるように。戦略人事の考え方を導入し、すでに高い付加価値を生み出していた外資系企業の存在もあり、日本企業でも人材を所掌する人事部が価値を出すことが期待されるようになりました。

ESGやサステナビリティなどの重要性の増加

企業活動は地球環境に少なからず負荷を与えるものであり、結果として地球温暖化や海洋汚染、森林破壊といった問題が引き起こされてきました。これらの反省から、世界的に持続可能な活動を追求するサステナビリティや、長期的な成長のため環境・社会・ガバナンスに配慮するESGに注目が集まるようになりました。この動きの中で、“人”に対しても、人権やダイバーシティの尊重が求められる流れが強まりました。人事としても中長期的な視野を持ち、従業員が持続的に働ける環境を整備することが求められるようになってきています。

人的資本経営への関心の高まり

海外では1990年代ごろから少しずつ人的資本に注目が集まるようになり、日本でも2020年に「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会(人材版伊藤レポート)」が公表されたことで、人的資本経営への関心が一気に高まりました。人的資本経営の一丁目一番地は「経営戦略と人材戦略の連動」です。そこで人事は単なる労務管理だけではなく、自社の経営戦略を理解したうえで、経営戦略の達成に資する人材戦略を策定することが求められるようになりました。

「人事白書2023」にみる企業における戦略人事の実態

戦略人事の実態

9割が重要性を認識も、実践できているのは約3割

『日本の人事部』が毎年発行している「人事白書」では、企業の戦略人事の実態について調査しています。「人事白書2023」では、「戦略人事は重要である」と回答した企業は「当てはまる」(58.6%)、「どちらかといえば当てはまる」(30.0%)を合わせ、88.6%でした。この結果からも、多くの企業が戦略人事を重視していることがわかります。

一方で、人事部門が戦略人事として機能しているかどうかを聞いたところ、「当てはまる」(6.1%)、「どちらかといえば当てはまる」(23.2%)を合わせた割合は29.3%と、3割に満たない結果となりました。業績別にみると、市況よりも良い企業では34.7%が「戦略人事が機能している」と回答したのに対して、市況よりも悪い企業では21.7%となりました。

戦略人事が機能していない原因として、最も割合の高かった回答は「人事部門のリソースの問題」(51.3%)。そのあとは「人事部門の位置づけの問題」(48.4%)、「経営陣の問題」(46.3%)、「人事部門のメンバーの能力の問題」(37.6%)と続きます。業績別にみると、業績の良い企業は「人事部門のリソースの問題」(51.7%)の割合が高く、業績の悪い企業では「経営陣の問題」(50.4%)の割合が高くなっています。

これらの結果から、企業は戦略人事の重要性を認識しながらも、実態としては十分に機能していないことや、市況よりも業績が良い企業のほうが悪い企業よりも戦略人事に注力している現状が浮かび上がってきます。また、業績が悪い企業では、そもそも経営陣が人的資本経営や戦略人事に対する解像度が低く、その重要性を認識できていない状況にあることが推察されます。

CHRO、HRBPの設置はまだ少数

人的資本経営を推進する旗振り役となるのが、CHRO(Chief Human Resource Officer)やHRBPの存在です。「人事白書2023」では、CHROが「いる」と回答した企業の割合は21.1%、HRBPが「いる」と回答した企業の割合は14.0%にとどまりました。CHRO、HRBPのどちらも、「いないがこれから設ける予定」は10%弱、「現在おらず、今後も設ける予定はない」は60%を超えています。従業員規模別では、5001人以上の企業でCHROやHRBPを設置している割合が高いことが目立ちます。CHROやHRBPの割合が少ないことは、人事部門が労務管理を主体とする従来型の役割から脱却できておらず、戦略人事が機能しない要因の一つになっている可能性があるといえます。

「何をやっていいかわからない」が約4割

人事業務を遂行する際、「戦略人事の考え方や視点を持って取り組んでいない」と回答した人事担当者自身に、その理由を聞きました。「取り組みたいができていない」人事担当者では、「業務に追われていて、戦略人事に取り組む余裕がない」(31.3%)がトップの理由となりましたが、単に「取り組んでいない」とした人事担当者では、「何をすればいいのかがわからない」(43.4%)がトップに。また、「経営が戦略人事を求めていない」(32.9%)との回答も目立ちました。

戦略人事と人的資本経営

戦略人事と人的資本経営を連動させているのは1割

「人事白書2023」では、戦略人事を人的資本経営と連動させる取り組みを行っているかどうかについても質問しました。その結果、「行っている」と回答したのは10.2%で、「行いたいができていない」は44.6%、「行っていない」が38.3%との結果になりました。従業員規模が大きい企業ほど戦略人事と人的資本経営を連動できており、5001人以上の企業では25.9%となっているものの、まだ戦略人事と人的資本経営を連動できている企業は少数派です。

多様な課題がある

戦略人事を人的資本経営と連動させる取り組みを行っている企業に対して、戦略人事と人的資本経営の連動のどこに難しさを感じているのかを自由記述形式で聞きました。その結果、共通した課題があるわけではなく、企業は「定量化」「整合性」「運用」「資金」「人材・組織」など、多岐にわたる領域で難しさを感じていることが明らかになりました。

課題例
定量化
  • 事業に貢献した成果を定量的に示しにくい
  • 人的資本経営の指標化が難しい
整合性
  • 経営戦略を深いレベルで理解した上で、それにマッチした自社独自の人事戦略を策定し、それを人財マネジメント全体と整合させながら人事施策へ落とし込んでいくこと
  • 自社のやるべき人事戦略の項目と人的資本経営の開示項目のギャップ
運用
  • オープンにしすぎないところと、市場に受け入れられるために公開すべき部分の線引き
  • 実りあるリターンが本当に得られるかどうかが不透明
資金
  • 人材開発のための潤沢な資金が不足している
  • 人材を資本あるいはコストとみるバランスを自社の中でどう定義するか
人材・組織
  • 人事部門の組織としての意識変化は無理なので、それと分離するべきだが、抵抗が著しい。また、経営が主導しなければ進まないので、経営層の高い意識がなければ進まない

人事が「戦略人事」になるには

「企業に貢献する人事」への意識の転換

「人事白書2023」の結果が浮き彫りにした、戦略人事が機能している企業ほど業績が良い傾向にあることは、戦略人事の有効性を示唆する結果といえます。そこでまずは、人事部門自身や経営者が「自社の抱える経営課題に対して、人事部門は人的資本の側面から解決を図ることができる」といった思いを持つことが重要です。

このような意識の変革がなければ、目の前に置かれた労務管理の処理を中心とした業務から脱却できず、「何をすればいいのかがわからない」ために戦略人事が推進されない状況が続くことになります。また意識の転換に当たっては、人への深い理解のみならず、自社を取り巻くビジネス環境および自社の経営戦略、事業部ごとの事業戦略を理解することが求められます。

CHRO、HRBPの登用

「人事白書2023」では、「管理業務に追われている」と回答した人事は「当てはまる」(40.2%)、「どちらかといえば当てはまる」(39.5%)を合わせて79.7%に上りました。「戦略人事に取り組みたいが取り組めていない」と回答した人事担当者が、その一番の理由として「業務に追われていて、戦略人事に取り組む余裕がない」を挙げたことからも、戦略人事の重要性は認識しながら、日常業務に追われて取り組めていない人事の実態が浮かび上がります。

そこで重要なのが、CHROつまり経営陣の一員として経営資源たる“人”に関する戦略を立案するポジションを設けることです。そしてHRBPなど、ビジネスの現場を理解したうえで企業や事業の成長をサポートする人事を置き、戦略的な施策の立案・遂行できる体制を整えることが必要です。

経営戦略と連動する人事戦略の策定

戦略人事に求められる大きな役割が、「経営戦略と連動した人事戦略の策定」です。人事は組織の現状を正しく理解して経営陣・現場双方の声を聴いたうえで理想とのギャップを特定し、そのギャップを埋めるための施策を展開していくことが求められます。このとき、会社全体としての目標を設定することはもちろん、人事部門に求められる目標を定義しておくことも重要です。「人事白書2023」では、市況よりも業績が良い企業では52.6%が人事部門に求められるゴール(目標)を定義している一方、市況よりも悪い企業では31.8%にとどまるとの結果が得られています。

タレントマネジメントの推進

ビジネス環境が急速に変化していく中で、人事戦略もその変化に合わせて柔軟に見直しを行っていくことが必要です。そこで注目を集めるのが、人材の能力を最大限に引き出し、企業経営に生かす「タレントマネジメント」です。タレントマネジメントは、組織横断的な人材配置や人材育成、サクセッションプランの実施などを含み、戦略人事の推進には欠かせないものだといえます。人材配置や育成はあくまで人材戦略、ひいては経営戦略の達成にあるとの視点を持ちつつ、人事部門は意識的にタレントマネジメントを行っていくことが求められています。

アウトソーシングの活用

人事部門が管理業務に追われている状態から脱するためには、業務の一部をアウトソーシングすることも有効な選択肢です。株式会社矢野経済研究所が発表している「人事・総務関連業務アウトソーシング市場に関する調査」によると、人事業務のアウトソーシング市場規模は拡大傾向にあり、2022年度は前年度7.0%増、2023年度は予測値で同6.7% 増となっています。給与計算や勤怠管理といった定型業務だけでなく、採用や研修業務の一部をアウトソーシングするケースのほか、複数企業で合同の説明会や研修を行うなどして自社の負担を軽減するケースもあります。

HRデータ、HRテクノロジーの活用

HRデータおよびHRテクノロジーを活用することで、より効率的・効果的に人事に関する施策を推進することができます。HRデータやHRテクノロジーは日々のオペレーションの効率化にとどまらず、コンピテンシーの抽出や各種データの相関関係からの発見など、新しい付加価値を生み出してくれることもあります。人事側にも一定のデータを扱う知識やリテラシーが求められますが、会社として従業員のデータを収集し、活用する仕組みを構築することが重要です。

企業の具体例

株式会社三井住友銀行

三井住友銀行は2020年に、10年ぶりとなる大規模な人事制度の改定を行いました。人事部門はまず従業員との対話の機会を積極的に設け、現場の実態を把握。経営陣の考えも聞いたうえで、目指すべき将来像を決め、そこから現在取り組むべき施策を逆算する「バックキャスト」の視点を取り入れました。制度については「人事制度改定ガイド」を制作して従業員に配布し、人事部による従業員向けの説明会を100回以上開催。さらに頭取・社長からのメッセージ配信など、制度の普及に向けたさまざまな取り組みを実施しました。

新しい人事制度では、専門性の高い人材を評価する「エキスパート制」を導入。同行ではこれまで人事部が強い決定権を持っていたところ、「人事がすべてを掌握するのは困難」との思いから、誰がエキスパートであるかの判定・認定については「部門人事」に近い形で分野オーナーに委ねることになりました。この取り組みを始め事業部門と人事部が連携し、人材ポートフォリオの高度化を進めています。

人的資本経営については、2023年にグループ全体で「SMBCグループ人材ポリシー」を制定。人材力の最大化に向けて「戦略を支える人材ポートフォリオの構築」「従業員の成長とウェルビーイング支援」「チームのパフォーマンス最大化」に資する施策を推進していくと表明しました。三井住友銀行としては、2023年度の人的資本投資額を前年比7%増加させると発表しています。

三菱重工業株式会社

三菱重工業では、「HR戦略を実現するためにはまずHR部門自体の変革が必要」との思いから、HR部門の意識改革と基盤強化を目的とした「HRトランスフォーメーション・プロジェクト(HRX-PJ)」を立ち上げました。2022年4月には、人事の制度設計や通常のオペレーション業務を行う部署から切り離す形で、 HR全体の戦略を推進するための企画立案や組織開発を専任で行う「HR改革推進室」を新設。「HRから変わってHRが変えていく」というHR改革推進室独自のミッションなども策定しました。

同社のHR部門は、「HR部門が自ら動いてさまざまなことを試したうえで、学びや手法を全社的に広め、好影響を与えていく存在になる」と決意。具体的な取り組みとして、「マインド分科会」「HRイノベーションサイクル分科会」「コミュニケーション&DX分科会」の分科会をつくりました。そしてそれぞれの分科会ごとに2~5チームをつくり、手挙げ式でプロジェクトメンバーを募るなどして活動を開始しています。

このような取り組みの結果、2023年3月に実施した社員向けのエンゲージメント調査では、ほとんどの項目でHR部門のエンゲージメントスコアが前回よりもアップしました。「戦略・方向性」や「リーダーシップ」についても上昇しており、同社は「管理主体から戦略主体の人事への転換が図れる兆しが見えてきている」と捉えています。また同社では、HR戦略を実行できる体制を構築したうえでの重点項目として、「次世代経営人材育成」「人材獲得・育成」「組織力強化」「従業員エンゲージメント」を設定しています。

中外製薬株式会社

2021年、新たな成長戦略である「TOP I2030」を策定した中外製薬。変革を進め、成長戦略を実現するために人事は最重要ポジションであると考え、人事を「ビジネス部門に対して中外製薬の価値を最大化するためのソリューションを提供する存在」と改めて定義しました。同社の人事部門はこれまで主に後方支援の役割を担ってきたところ、人事が前面に立ち、全社戦略を実現するための人材戦略を描くことを決意したのです。

そこで人事部門として、人事部門に属する一人ひとりが自らキャリアと本気で向き合うほか、従業員に対しても「キャリア自律」を推し進める仕組みづくりに注力。新たにIラーニングシステムを導入するとともに、社内サイトでは目指すキャリアゴールから逆算して必要な学びを探せるコンテンツを掲載しています。

同社では、2012年からタレントマネジメントシステムを導入し、タレントマネジメントについても推進してきました。三つのゴールとして「人材育成プランの策定と実践」「タレントプールシステムの構築と運用」「サクセッションプランの策定と実行」を設定。明確な目標を掲げ、人材の早期発掘と育成のスピードアップを図るとしています。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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