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トレンドキーパーソンに聞く2026/08/25

数値目標の自己目的化を防ぎ「エビデンスの罠」を抜け出す
あえて立ち止まり真の課題を見極める、新しい人事のあり方

岩手県立大学 総合政策学部 准教授

杉谷 和哉さん

データ活用エビデンスナラティヴネガティヴ・ケイパビリティ

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数値目標の自己目的化を防ぎ、「エビデンスの罠」を抜け出す あえて立ち止まり真の課題を見極める、新しい人事のあり方

近年、人事領域ではデータ活用や科学的マネジメントが急速に普及していますが、数値目標の達成ばかりが目的化する「エビデンスの罠(わな)」に陥るリスクも潜んでいます。データと現場の実態との乖離をどう埋めればよいのでしょうか。岩手県立大学 准教授の杉谷和哉さんは、数値に表れない現場の「ナラティヴ(物語)」を拾い上げ、安易に答えを出さず立ち止まる「ネガティヴ・ケイパビリティ」の重要性を説きます。データと人間のはざまで葛藤する人事担当者が、複雑な課題に向き合い、本質的な価値を創出するための視点について、杉谷さんに伺いました。

Profile
杉谷 和哉さん
杉谷 和哉さん
岩手県立大学 総合政策学部 准教授

すぎたに・かずや/1990年大阪府生まれ。京都府立大学 公共政策学部 公共政策学科 卒業。京都大学大学院 人間・環境学研究科 修士課程 修了。同博士後期課程 研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。京都文教大学 非常勤講師、京都大学大学院 文学研究科 特定研究員などを経て現在、岩手県立大学 総合政策学部 准教授。専門は公共政策学。著書に『政策にエビデンスは必要なのか:EBPMと政治のあいだ』(ミネルヴァ書房)、『日本の政策はなぜ機能しないのか?:EBPMの導入と課題』(光文社)、『エビデンスの罠:数字と物語に囚われない思考法』(PHP研究所)。共著に『増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる:答えを急がず立ち止まる力』(ちくま書房、谷川嘉浩・朱喜哲との共著)など。

科学的マネジメントの潮流と、行政・企業に共通する「データ偏重」のリスク

近年、企業の人事領域でデータ分析やKPIを重視する科学的マネジメントが急速に普及しています。数値やエビデンスを重視する風潮の背景には、何があるとお考えでしょうか。

科学的な数値を使ったマネジメントが重要だという考え方は、古くから存在します。フレデリック・テイラー(アメリカ合衆国の技術者、経営学者)の時代から提唱されてきた「科学的管理法」の延長線上に、テクノロジーの進歩が重なり、現在のデータ活用の潮流が生まれています。

行政の分野でも「EBPM(Evidence-Based Policy Making、証拠に基づく政策立案)」が推進されています。実験を用いて因果関係を明らかにし、政策を進めていく手法です。1990年代のイギリスの行政改革の中で提唱され始め、アメリカに逆輸入される形で、オバマ政権下において本格的に展開されてきました。日本で本格的に推進され始めたのは2016年から2018年頃です。

科学的な根拠に基づいて組織のマネジメントや政策を進める動きは、歴史的な大きな流れとして捉えられます。エビデンスは過去から流行を繰り返していて、近年はデータサイエンスなどの技術が登場したことで、さらにその力を増している状況だと言えます。

近年は企業でもデータ活用が進んでいますが、一方で、上層部が認識するデータと現場の実態との間に乖離が生じるなどの問題が起きています。数字には表れないハラスメントなどの問題が現場に隠れていることもあれば、何らかの意図を持って都合の良い数字だけを目立たせ、実態をごまかしているケースもあるからです。

企業では失敗に対して厳しいペナルティが与えられることがありますが、その処罰が過剰だと事態の隠蔽(いんぺい)を招きます。自身のミスを正当化する言い訳としてデータが使われるなど、うまくいっていないと分かっているのに体面を守るためだけに数字を探す「不毛なエビデンス探し」が行われることも少なくありません。

手段が目的化する「エビデンスの罠」と陥りやすい五つの注意点

エビデンスやデータそのものは有用なはずですが、それが「罠」に変わってしまわないようにするには、どうすればいいのでしょうか。

エビデンスを用いる際の注意点として、五つのポイントが挙げられます。

一つ目は、数字やデータを使うこと自体を目的にしないことです。使えそうなデータを探してきて、そのデータから言えそうなこと、関係がありそうなことを探して後付けで主張する。このように目的と手段が完全に逆転した状況がよく見られます。

二つ目は、指標が人の行動を変えてしまうことです。指標をつくることは、エビデンスによるマネジメントを実行する上で重要です。ただ、人はある指標が設定されると、自分たちの都合が良いように解釈し、ルールを逆手に取ろうとすることがあります。例えば、取り締まりの数を増やすよう警察にKPIを課したら、簡単な犯罪ばかりを取り締まるようになった、といった状況です。

三つ目は、アウトカム(成果)思考の限界です。事業や取り組みは、アウトカムを重視して評価すべきですが、簡単には結果が分からないときや、すぐには成果が出ないときもあることを認識する必要があります。

四つ目は、十分なデータがない場合もあることです。常に完璧なデータがそろうわけではありません。今あるデータを用いつつ、どうやって改善していくかという知恵を絞るプロセスが重要です。

五つ目は、それでも数字を使う意義を忘れないことです。データ活用には多くの課題がありますが、だからといって「数字はいらない」と極端に走るべきではありません。適切な距離感で数字と向き合うことが求められます。

企業では、KPIなどの目標設定が自己目的化しているケースも多いようです。

例えば「自社の商品を100社に案内する」という目標が設定されると、何のために案内するのかという目的を忘れ、ただ回数をこなすことだけが先行してしまうことがあります。昔の営業現場では、アポイントの目標を達成するまで受話器をガムテープで手に巻き付けたり、とにかく名刺を何十枚も集めたりするといった極端な事例もあったと聞きます。

数をこなすことで質が伴うという考え方は、武道や論文執筆などでも言われますが、目的を見失ったまま数をこなすだけになると、一つひとつの業務が単なる作業と化してしまいます。顧客と向き合わず、ただ数字を達成するためだけの行動になってしまうのです。

コンサルタントが推奨する「OKR(Objective and Key Results)」や「KPI(Key Performance Indicator)」といった指標は、客観的であることが特徴とされますが、客観的であることは目的ではありません。本来の目的は企業の業績を上げることであり、客観的であることは必要条件であっても、十分条件ではないのです。客観的なデータと適切な解釈、有効な打ち手がそろって初めて意味を持ちます。客観的であることが自己目的化し、見栄えの良い数字を作ることに必死になって本来の課題解決がおろそかになる状況は、多くの組織で発生していると感じます。

データで測れない価値をすくい上げる「ナラティヴ」の視点

数値を絶対視しすぎることで、企業はどのようなことを取りこぼしてしまうリスクがあるのでしょうか。

現場の状況や会社全体の状況を完全に測定できる数字は存在しません。そこで重要になるのが「ナラティヴ(物語)」の視点です。政策学の分野でも、社会に対して新しい動きを作ったり、人々から同意を得たりするための武器として、ナラティヴが大きな役割を果たしています。手元にある数字と現場の実態には、常に埋めがたい乖離(かいり)が存在します。その両者をつなぎとめるため、なぜそのデータを集めているのか、組織としてどのような価値を目指しているのか、というナラティヴを重視する必要があります。

マネジメントの失敗としてよく挙げられるのが、適切なフィードバックの欠如です。上層部が現場を視察する際、責任者から抽象化された情報を受け取ることはできても、実際の作業現場の末端まで足を運ぶことは困難です。これはある程度仕方のないことですが、数字に表れない要素、例えば倫理観や個人の経験といったものを決して軽視してはなりません。そうした数字に表れにくい情報を、経営陣がどう処理し、意思決定に活用していくかが問われます。

数字やデータが重視される現代において、あえて「ナラティヴ」の視点が重要性を増しているのはなぜでしょうか。

テクノロジーが発展し、あらゆるものがデータで表される時代だからこそ、データで表されないものが軽視され、「なかったこと」にされてしまう危険性があるからです。政策研究の分野でも、ナラティヴ・ポリシー・アナリシスという手法が海外で注目を集めています。政策の課題を、ナラティヴの比較や構造分析を通じて評価・検討する手法です。データ重視の風潮に対する、ある種の裏返しと言えます。

組織の都合によってエビデンスが隠蔽されるケースは少なくありません。自分たちの利益や理念に反するような不都合なエビデンスは無視され、都合のいい数字だけが表に出てくるという構造があります。これもまた、データ活用が形骸化する要因の一つです。

人事部門の方々が相手にするのは、一人ひとり異なる人間です。例えば採用活動において、データ上は何パーセントの人が特定の傾向にあると出たとしても、それに当てはまらない例外的な人材が必ず存在します。一人ひとりが異なる価値観を持っている以上、数字だけで全てを判断することはできません。AIが普及する中で、そうした個人の経験やナラティヴをどのように意思決定に組み込んでいくかが、今後の大きな課題といえます。

専門性に閉じず、多角的に判断する「賢慮」

変化が激しく正解のない現代の企業組織において、現場のマネジャーや人事担当者は、どのように適切な判断を下していけばよいのでしょうか。

ヒントになるのが「賢慮(フロネシス)」という考え方です。アリストテレスが提唱した概念で、状況に応じて何が「善」であるかを判断するための能力のことです。他者への配慮を伴う、実践的な知恵を指します。他人がどのような状況で困っているのかを捉え、自分ではなく相手の状況に応じて即座に考え、適切な判断を下していくことが賢慮の条件となります。個別の事象をしっかりと観察することが第一歩です。

もう一つ重要なのは、情報を偏りなく幅広く取得することです。思想史家のアイザイア・バーリンは、知識人を「キツネ型」と「ハリネズミ型」の二つに分類しました。キツネ型はたくさんの物事を広く浅く知る人物で、ハリネズミ型は一つの物事を深く知る専門家です。専門家による政治的な予測は「チンパンジーがダーツを投げるよりも当たらない」と揶揄(やゆ)されることがありますが、その中でも比較的予測を当てやすいのは、一つの物事に固執せず、幅広い事象に関心を持つ「キツネ型」の人たちであるという研究結果があります。賢慮を発揮するためには、自分の専門分野だけに閉じこもらず、幅広く物事を見る姿勢が求められます。

現場のマネジャーは、一人ひとり異なる部下の価値観に対応することに難しさを感じています。どのように対処すればいいのでしょうか。

マネジャーが直面する個別案件は極めて複雑であり、一般理論をそのまま当てはめることは困難です。ケースバイケースの対応に追われる中で、それらを無理に統合しようとすると、結果的にOKRなどの客観性を目的化したツールに頼りがちになります。

すべての仕事は多かれ少なかれ、人間に依存しています。特定の担当者に依存していること自体は、直ちに問題というわけではありません。完全にマニュアル化できない属人的な仕事が存在することを受け入れる姿勢も必要です。

若手社員が現在のマネジャーの姿を見て「ああはなりたくない」と感じているのであれば、これまでのマネジメント手法が間違っているか、あるいは時代に合わなくなっている証拠です。組織の規模や特性に合わせて、マネジメントのあり方自体を変化させていくことが求められます。

答えを出さずに立ち止まる「ネガティヴ・ケイパビリティ」を組織に育む

人事の仕事には、採用や配置転換など、すぐに結果がわからない不確実な課題が多数あります。そうした状況下で、焦らずに本質を見極めるためには、どのような姿勢が必要になるのでしょうか。

重要なのは、「ネガティヴ・ケイパビリティ」という概念です。これは、答えを出さずに立ち止まる力、宙ぶらりんな状態の不安に耐える力を指します。現代社会はショート動画のようにすぐに答えが出るものを好む傾向があり、あらゆる物事に対して「誰よりも早く解決策を出す」という問題解決志向が強まっています。社会のスピードが上がるほど、そもそも問題とは何かを立ち止まって考える時間が重要です。分かりやすい数字にだまされないためにも、ネガティヴ・ケイパビリティを発揮することが求められます。

企業では早く正解を出して効率化したいという考えが働きます。人事担当者がネガティヴ・ケイパビリティを発揮するためには、どのような環境が必要でしょうか。

ネガティヴ・ケイパビリティを一人で発揮することは困難です。すぐに答えを目指すのではなく、モヤモヤした状態のまま、誰かと議論を深め合う対話の場が必要です。互いに多様な知見をぶつけ合い、問題をどんどん複雑にしてみんなで楽しむ、という経験です。「あの人が言っていたことはよく分からなかったな」とモヤモヤしたまま持ち帰っても構いません。

企業の中でも、解決を目指さずに意見を出し合う時間が重要です。公式な研修の場のように「テーマを決めて議論し、最後に発表する」という形式ではなく、小さなバーの一角で語り合うような、答えを急がない関係性を築くことが、ネガティヴ・ケイパビリティを養う一助となります。

データ至上主義を問い直し、人事の真の成果に向き合う

経営陣からデータによる裏付けや投資対効果を求められ、板挟みになる人事担当者も多いと思われます。こうした経営陣に対して、どのように対話していくべきでしょうか。

客観的であることが目的化している現状を、一度見直すように働きかけることが重要です。そのためには、客観的なデータに基づいて最終的に何を成し遂げたいのか、という目的を問い直す必要があります。データに表れない要素に基づいて組織が良い方向へ向かっているのであれば、データは不要と言える状況さえあります。

医療分野におけるEBM(Evidence-Based Medicine、証拠に基づく医療)の成り立ちには、純粋な科学的探求だけでなく、医師間の権力闘争や製薬会社の利権といった政治的な要素が強く絡んでいました。エビデンスと言いながらも、実際には自分たちの都合のいい主張を通すために使われる側面が往々にして存在します。政策や企業の人事施策のように、大きなお金が動く分野でデータを使うとなれば、必ずそこに数字を都合よく操作しようとする力が働きます。データが常に絶対的でクリーンなものであるという思い込みを捨てることも必要です。

人事の成果を見極めたいという要望に対しては、そもそも自社における人事の真の成果とは何かを、経営陣とともに議論することが求められます。都合の良い数字だけを集めて納得するのではなく、本質的な目的に立ち返ることが重要です。

最後に、データと人間のはざまで葛藤する全国の人事担当者に向けて、メッセージをお願いします。

データの世界と、複雑な人間の現実世界との間には、埋めがたい距離があることを認識する必要があります。人間の世界では何が起きるか分からず、さまざまな感情や事象が混ざり合っています。データは現実の多様な要素を削ぎ落として抽出されたものであり、ありのままの現実を完全に反映しているわけではありません。

マネジメントツールを用いたデータ活用は一定の成果を上げてきましたが、客観的であることが目的化し、何のために情報を使っているのかが分からなくなっているケースがよく見受けられます。データにせよナラティヴにせよ、何を知りたくてその情報を重視するのかという根本的な問いをしっかりと考える。その上で、すぐには答えを出さずに立ち止まるネガティヴ・ケイパビリティを持つことが、人事における複雑な課題を解決するための確実な一歩につながると考えています。

近年、人事担当者が集まるイベントでは、自社の取り組みを包み隠さず共有し合い、議論する文化が育ってきているそうですね。仕事においてすぐにマニュアルやルールといった分かりやすい回答を求める傾向もありますが、正解のない人事の仕事だからこそ、社内外の仲間とモヤモヤした状態を共有し、共に対話を続けていく姿勢が大切です。

(取材:2026年7月27日)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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