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日本の人事部 人的資本経営

人的資本経営の潮流2023/12/25

人的資本経営を推進する企業に必要な「自社だけのストーリー」とは

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人的資本経営を推進する企業に必要な「自社だけのストーリー」とは|人的資本経営の潮流

人的資本経営を実践するうえでは、中長期的な価値向上につながる企業独自のストーリーを策定することが不可欠です。では、企業はどのようにストーリーを策定し、そのストーリーをどうやって活用していくべきなのでしょうか。企業の具体例を盛り込みながら解説します。

人的資本経営の推進に「ストーリー」が必要な理由

2022年8月、内閣官房は人的資本の開示の指針となる「人的資本可視化指針」を公表しました。同指針では、人的資本を可視化するにあたり、「まずは自社の経営戦略と人的資本への投資や人材戦略の関係性(統合的なストーリー)を構築する」ことが求められるとしており、ストーリーの重要性を強調しています。

また企業側も、人的資本経営を実践するうえで「ストーリー」を強く意識しています。富士通やパナソニック、丸紅といった日本を代表する企業5社のCHROらは2022年3月から2023年1月にかけて、「人的資本経営の実践」をテーマとしたラウンドテーブルを開催。全6回のラウンドテーブルのうち、実に4回で「ストーリー」が主題として語られており、パーパスや施策をストーリーの中に位置付ける「人的資本価値向上モデル」を公表しました。

人的資本経営を推進するうえでは、まずパーパスや企業理念を起点に経営戦略や人材戦略を策定する。そして具体的な取り組みが従業員のスキルやモチベーションを向上させ、事業の成果を生み出す。そしてその成果が、パーパスや企業理念の実現につながっていく。企業はその一連のストーリーを描くことが不可欠であり、パーパスや理念企業が社ごとに異なる以上、描くストーリーも唯一無二のものであることが求められます。

自社の目指すべき方向性の明確化

多くの企業がパーパスやミッション、企業理念といった形で「自社の目指す姿・ありたい姿」を掲げています。しかし、そのための手段が不明確な状態では、従業員は何をしていいかがわからず、どんな素晴らしい理想も絵に描いた餅になりかねません。自社が行う人への投資が、どのように企業価値向上につながっていくのかを一連のストーリーとして描くことで、自社の目指すべき方向性が明確になります。また従業員が事業の方向性や自身の取るべき行動に悩んだときも、ストーリーに照らし合わせて適正かどうかを考えることが、大きな判断基準となります。

取り組むべき施策の明確化

人材への投資はコストがかかるため、スキルやエンゲージメントの向上につながるすべての施策を実施できるわけではありません。また投資は、短期的には利益を毀損(きそん)するものでもあるため、自社にとって優先度の高い施策から効率的に行いたいと考える企業も少なくないでしょう。ストーリーをもとに考えることで、いま自社が取り組むべき施策を明確化することができます。

従業員の納得感・エンゲージメントの向上

企業のパーパスから導き出された経営戦略並びに人材戦略を従業員に開示し、その戦略に沿った施策や人事制度、評価を行うことで、従業員は会社の取り組みに納得感を持ちやすくなります。たとえ従業員にとって好ましくない変更であったとしても、なぜその変更が必要なのかをストーリーに落とし込んで伝えることで、反発を低減させられる効果もあるでしょう。また、企業理念の実現に向けた道筋が示されることで、従業員のモチベーションが高まり、エンゲージメント向上につながっていくことが期待されます。

ステークホルダーからの求め

投資家が投資先として選ぶのは、「中長期的に成長していく」と考えられる企業です。そのため経営戦略や人材戦略は、投資先を選定する際の大きな要素の一つとなります。投資家と対話する際、数字で示すことはもちろん重要ですが、「なぜその数字になったのか」「自社の戦略の中で、現在はどのような位置付けか」「今後はどうなっていくのか」を一貫したストーリーの中で語ることで、中長期的な価値向上の実現に説得力を持たせることができます。そのほか、採用や企業との取引の場面においても、ストーリーをしっかりと開示することは、その企業の魅力をアップさせ、選ばれることにつながります。

自社だけのストーリーをどうやってつくるのか

ストーリーを作成する際、起点となるのはパーパスやミッション、企業理念といった「企業の実現したい価値」です。この価値にすべての従業員が共感している状態をつくりあげることが、人的資本経営を成功に導く土台となります。

次に企業の実現したい価値や存在意義をもとに、経営戦略並びに人材戦略を策定します。人材戦略の中では、経営戦略の達成のためにどのような人材が必要なのかを可視化した人材ポートフォリオの作成が不可欠です。このポートフォリオから、現状と理想のギャップを埋めるための自社の課題を洗い出し、常に「Why(なぜ取り組むのか)」を意識しながら個別の施策を考えていきます。

そして実施する施策に対するKPIを定め、進捗状況のモニタリングと必要に応じたテコ入れを実施。その結果を社内外に開示するかを検討したうえで必要事項を開示し、ステークホルダーとの対話を進めていきます。また、そこから得た反応を、さらなるストーリーの補強材料として活用します。

芯を貫くストーリーには一貫性が求められますが、変化の激しいビジネス環境の中で「すべての計画を綿密に立ててから取り組もう」とすると、現実のビジネス環境の変化に後れを取るおそれもあります。そのため、個別の施策や目標については、優先順位の高いものから実施していくこと、状況に応じて柔軟に修正を加えていくことが重要です。

取り組むべき施策は企業によって異なりますが、人的資本に関するいくつかのガイドラインを参考にすることで、どのような項目の実践が求められているかを把握することができます。

ISO30414

国際化標準機構(ISO)が2018年に発表したガイドラインであり、世界中で用いられている人的資本に関する情報開示のフレームワークです。この中では、人的資本報告に含むべき内容を「コンプライアンスと倫理」「コスト」「ダイバーシティ」「リーダーシップ」「組織文化」「組織の健康・安全・福祉」「生産性」「採用・異動・離職」「スキルと能力」「後継者育成計画」「労働力の確保」の11領域49項目にまとめています。

TCFD/従業員に関する企業報告についての報告書

気候関連財務情報の開示フレームワークであるTFCDでは、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の四つの要素で、人的資本情報を開示することを推奨しています。さらに英国財務報告評議会(FRC)が2020年に発表したガイドラインでは、それらの項目に沿って、人的資本の情報開示に対するニーズおよび企業が説明すべき事項を解説しています。

人的資本可視化指針

内閣官房が策定した人的資本可視化指針では、具体的な開示事項を検討していくうえで、「独自性」と「比較可能性」、「価値向上」と「リスク」の観点が必要であると述べています。そのうえで人的資本経営を推進する基盤をつくり、可視化戦略を構築。「統合的なストーリー」を基礎としながら開示を戦略的に活用していくことを推奨しています。

人的資本経営の実現に向けた検討会報告書(人材版伊藤レポート)

経済産業省が2020年ならびに2022年に発表した報告書です。同報告書では、人的資本経営を促進するための「3つの視点」と「5つの共通要素」を紹介。自社の進める人的資本経営に抜け漏れはないかを考えるための土台として活用することができます。

人的資本価値向上モデル

富士通ら日経企業5社のラウンドテーブルの中で生み出されたモデルです。同モデルについては「企業のビジョンから成長戦略を説得力のあるストーリーで語るために、企業価値向上の指標となりうる人事データなどとのつながりについても根拠をもって説明可能とするフレームワーク」と定義。施策を「持続的効果を生むための取り組み」と「成果を生むための取り組み」に分類し、戦略などとの関係性を可視化します。

ストーリーの活用場面

施策の取捨選択

ストーリーに沿うことで、施策の取捨選択を進めやすくなります。この際、いま自社に足りない要素を補うための施策の検討に資するだけでなく、すでに実施している施策をストーリーの中に当てはめてみることで、実は優先度の高くない施策の存在が浮かび上がってくる可能性もあります。一部の従業員にとってネガティブに受け止められる可能性のある施策も、確固とした根拠を持って計画的に進めることができます。

トップからのメッセージ発信

トップが自社のパーパスや企業理念の実現への意識を高く持ち、発信することは非常に重要です。しかし従業員にとってその実現のための道筋が具体的に見えなければ、行動に移すことは困難です。企業価値向上に向けた一連のストーリーを語ることで、従業員がモチベーション高く業務に取り組むようになることが期待できます。

データ分析、検証

従業員の数が増えるほど、人的資本にまつわるデータは膨大なものになります。そのデータを活用して組織の状態を分析したり、仮説を検証したりしていくことは、人的資本経営を推進する人事に求められる業務の一つです。しかし、データが豊富にあるがゆえに、何のためにデータを活用していくかを定めておかなければ、データ分析そのものが目的化してしまうかもしれません。ストーリーから、「データを使って何を知るべきか」「データを分析した結果、どういう状態であることが好ましいのか」といったデータ分析の目的を設定しておくことが求められます。

情報開示、対話

人的資本経営を中長期的な企業価値の向上につなげていくためには、その取り組み内容をあらゆるステークホルダーに開示していくことが重要です。その際、単にデータを開示するのではなく、ストーリーに沿って企業が目指すところやその数字の位置づけ、今後の目指すところを語っていくことで、よりその数字に対する納得感を高め、企業が将来実現する価値を信じてもらうことができるでしょう。どのデータを開示していくのかについても、ストーリーに沿って開示項目や開示のタイミングを計ることが求められます。

施策の修正・追加

ビジネスの変化や施策の進捗状況などに合わせて、取り組みの修正・新規施策の追加が必要となる場面が生じる場合があります。その際も、ストーリーを念頭に置くことで、「ストーリーにどのような影響があるのか」といった判断基準を設けることができます。また社内外のステークホルダーに対しても、 「あくまでストーリーを実現させるための修正・変更である」と周知することが可能になります。

企業の実践例

富士通

富士通は、DXカンパニーへのシフトに向け、「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく」とのパーパスを掲げました。そのうえで「社内外の多彩な俊敏に集い、社会のいたるところでイノベーションを創出する企業へ」とするHRビジョンを策定。年功序列型から脱却し、グローバル基準の適材適所から適所適材へのジョブ型の人材マネジメントに移行しました。

同社では他企業とのラウンドテーブルの中で策定した「人的資本価値向上モデル」に基づき、企業理念と人材ポートフォリオ、個別の施策の関係性を明示。人材ポートフォリオの実現に向けては、社内だけでなく社外を含めた人材の流動化を重視しており、ポスティングを大幅に強化しました。また同社では、個人のパーパスを掘りだす「パーパスカービング」を全従業員に向け実施しており、個人のパーパスと自社のパーパスをすり合わせることで、さらなる変革の原動力を獲得しています。

従業員一人ひとりのキャリア自律を大切にしている同社では、従業員エンゲージメントを自社の進める改革の達成度合いを測る指標として設定しています。データについても、各種人的資本データと業績との相関関係を分析。その結果、「ポスティング・キャリア採用率」といった富士通が重視している社内外の流動性が会社全体の業績と相関があることが明らかになっており、その結果がさらに同社の取り組みを後押ししています。

キリンホールディングス

キリンホールディングスは、2027年までに「食から医にわたる領域で価値を創造し、世界のCSV先進企業となる」ことを実現するとの長期経営構想を掲げています。人事の基本理念には「人間性の尊重」を置き、人間の持つ無限の可能性を重視する姿勢を明示。目指す姿を従業員に浸透させるべく、役員メッセージの発信や役員が語り合う「キリングループトップリーダーズトーク」を開催しています。

同社では、経営戦略が人財戦略の方向性を規定すると同時に、人材のケイパビリティこそが経営戦略を策定する上での重要な要素となるとしています。そこで人材戦略実行の鍵として挙げたのが「専門性」と「多様性」です。専門性ではマーケティングや研究開発(R&D)、ICTといったスキルの向上を、多様性では食領域からヘルスサイエンス領域といったような事業を越えた出向や難しい課題への挑戦などを重視しています。

また組織の多様性だけでなく、従業員の自律的なキャリア形成にもつながる越境学習に注力しており、NGOやスタートアップに参加できる「留職プログラム」や副業の解禁、外部からの人材の受け入れを開始。人的資本データの開示に当たっても、開示指標についてもその取り組みに基づいた「独自性項目」を策定しており、「専門性と多様性の人財育成」や「越境学習者数」「理念・パーパスの体現指数」など自社のストーリーに沿った項目を開示しています。

ソニー

「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」というパーパスを掲げるソニー。世の中に新しい価値を提供し続けることを目指す同社では、人材を「最も重要な経営資源」と位置付けています。グループ共通の人材理念を「Special You, Diverse Sony」と設定し、その理念に基づいた人事戦略のフレームワークとして「個を求む」「個を伸ばす」「個を活かす」を挙げました。

同社は約11万人の従業員のうち、外国籍の人材が半数ほどを占めます。そこでパーパスの実現のためには多様性の尊重やエクイティ(公平性)の重視が不可欠だと考え、グローバル共通のポリシーやガイドライン、社内インフラの整備を推進。外国籍の従業員に対してアンケートを実施し、そこから浮かび上がってきた課題の解決を図っています。タイバーシティでは、2025年末に女性管理職20%以上、育児休暇取得率100%を掲げて取り組みを進めるほか、中長期的な視点で女性リーダーを支援すべく、大学との産学連携も実施しています。

スキルアップの場面では、役割に応じて求められる能力を体系化し、目的に沿った形で就業研修やeラーニングを実施。学習プラットフォームを導入し、一人ひとりに最適化された学習を推進しています。キャリアでは社内公募制度に加え現在の仕事を継続したままほかのプロジェクトに参加する「キャリアプラス制度」、優秀な社員に対してFA制度や職場から声がかかる「Sony CAREER LINK」などを導入しており、これらの制度を活用した個人のクリエイティビティを高めることに注力しています。

オリンパス

オリンパスは「世界の人々の健康と安心、心の豊かさの実現」をパーパスに掲げ、グローバル・メドテックカンパニーとしての地位を強化することでパーパスの実現を目指す経営戦略を策定。また2021年にESG担当役員を設置し、中長期事業計画の中でESG関連のKPIを設置するなど、経営とサステナビリティの結びつきを強化しています。

同社では、経営戦略の実現を後押しするのが「健やかな組織文化」およびそれを支えるリーダーだと規定しています。健やかな組織文化の実現に向け、会社の「Purpose-driven」、従業員の「People-centric」を両輪として六つの要素を策定。前者では「影響力を与えるリーダーシップ」「コラボレーション」「外部・顧客志向」を、後者では「権限委譲」「チャレンジできる風土」「ワーク・ライフバランス」を挙げ、会社と従業員双方の視点での取り組みを進めています。

具体的な施策として、制度面ではテレワークの拡大やフレックスタイムの導入、年休の時間単位利用などを導入。従業員の本音を把握するために従業員調査(コアバリューサーベイ)を実施し、その結果を経営陣や各地域のマネジメント層に共有し、さまざまな組織単位で多様な人事施策を展開しています。

北國フィナンシャルホールディングス

「課題解決を通じて地域・お客さまとともに持続的成長を実現する」との長期ビジョンを掲げる北國フィナンシャルホールディングス。同理念に基づき、「地域・取引先をつなぎ 価値創造の原動力となるひとづくり」との人的資本経営取組方針を制定しています。 その中では「経営戦略を体現する自律的人財の継続的創出」「イノベーションを生み出す多様な人材の活躍」「挑戦と成長を促し、能力を最大限引き出す環境の整備」を三つの柱(To be)として整理しています。

そのうえで、自社の現状を把握し、課題を整理(As is)。To beからのバックキャスティング思考も取り入れながら、具体的なアクションとして「必要人材の明確化」や「人材育成」、「採用の強化」といった六つの領域を挙げています。「必要人材の明確化」では、中期経営計画の重訂戦略である「DXの推進」「総合的なコンサル対応力の向上」「環境分野への取組み」とリンクした人材が必要だと考え、従業員を個々人の保有資格や業務資格から「コア・ミドル・ベース」の3段階のランクに分類しました。

人材育成では、「研修体系が不十分」といった課題から、既存の研修の強化や公募による外部派遣研修を実施。とくに中期経営計画の重点戦略とも連動したDXやコンサル人材の育成に注力しています。「採用の強化」では、外部変化の環境の変化に対応すべく採用担当者を増員。DX分野をはじめとする専門人材の採用の強化を進めており、2024年4月入行の新卒採用から、現行の総合職に加え「デジタル/システム」コースと「マーケット/リスク」コースを新設するとしています。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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