ピープル・アナリティクスが実現する「多様性の可視化」と「自律性の促進」
日本企業における現状と課題、活用に向けたポイントとは
一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 理事
北崎 茂さん
HRテクノロジー、ピープル・アナリティクス、ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会
日本企業でHRテクノロジーの導入・活用が進んでいますが、特に従業員の行動データを分析・活用して最適な人材マネジメントを実現する「ピープル・アナリティクス」への関心が高まっています。その一方で、個人情報である人事データの取り扱いに十分な配慮を求める声も聞かれます。これからの人事に欠かせないとされるピープル・アナリティクスに、企業はどう取り組んでいけばいいのでしょうか。産官学の連携でピープル・アナリティクスやHRテクノロジーの普及・推進を支援する、一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会理事の北崎茂さんにお話をうかがいました。
- 北崎 茂さん
- 一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 理事
きたざき・しげる/慶應義塾大学理工学部卒業。外資系IT会社を経て、PwCコンサルティング合同会社に入社。人事コンサルティング領域に関して約20年の経験を持ち、組織設計、中期人事戦略策定、M&A、人事制度設計から人事システム構築まで、組織/人事領域に関して広範なプロジェクト経験を有する。ピープル・アナリティクスの領域においては、国内の第一人者として日系から外資系にいたるまでさまざまなプロジェクト導入・セミナー講演・寄稿を含め、国内でも有数の実績を誇る。現在は、PwCにおいてPeople Transformationのパートナーを務めるほか、人事部門構造改革(HR Transformation)、人事情報分析サービス(People Analytics)におけるPwCアジア地域の日本責任者に従事している。また、2018年より、一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 理事として、HRテクノロジー、ピープル・アナリティクスに関わる講演や執筆活動を通じて、日本国内での普及活動を推進している。
海外での活用が先行するピープル・アナリティクス
貴協会はピープル・アナリティクスとHRテクノロジーの普及・推進を目的に、2018年2月に設立されました。設立の背景についてお聞かせください。
欧米でピープル・アナリティクスが注目されるようになったのは2012年ごろからです。企業での活用にとどまらず、大学などでも学術的な研究の蓄積が進んでいました。一方、そのころの日本はこうした動きには出遅れていて、企業や大学機関での活動もそうなのですが、中立的な立場でピープル・アナリティクスを推進する団体もない状態でして。これからは、日本でもデータを活用し、変化の激しい時代に対応できる人事が求められるようになると考え、その旗振り役となるために発足したのが当協会です。
したがって、当協会はビジネス的な活動を前提にした業界団体ではありません。企業への啓発活動や人事への教育プログラム提供などを通じて、データ活用とデータに基づいた意思決定ができる、データドリブンなHRを実現することを目的にしています。
特に産・官・学の連携には意識的に取り組んでいて、アカデミックなバックグラウンドを持つ人材も多数参画しています。教育・研究機関において、ピープル・アナリティクスやHRテクノロジーを専門的に研究する学部、講座のある大学はまだ少ないのが現状ですが、最終的には教育機関の底上げを実現し、体系的な知識を持つ人材の育成を支援できればと考えています。
設立から現在まで、日本企業におけるピープル・アナリティクスに対する認識や活用に変化はあったのでしょうか。海外の状況と併せてお聞かせください。
PwCが行った調査によれば、日本の大企業では、ピープル・アナリティクスに「興味がある」「具体的な取り組みをはじめている」という割合が、従業員数5000名以上の大企業においては、2019年時点で約80%に到達していました。こうした数字からも人事が今後考えていかなくてはならない重要な軸の一つであるという認識は、間違いなく広がっていると思います。
活用分野としては、日本の中では特に新卒採用における内定者予測などが挙げられます。新卒の採用データは比較的標準化されていて分析しやすい分野であり、2016年くらいから急速に利用が伸びてきました。また、最近は「配置」や「働き方」にも活用範囲が広がりつつあります。特にここ数ヵ月ではコロナ禍におけるリモートワークを行う従業員の生産性やコミュニケーション状況などを、データで可視化しようとする動きもあります。
一方で、海外ではすでにデータサイエンティストを人事内に配置するケースが当たり前といえるほど、ピープル・アナリティクスが普及しています。特にアメリカでは、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)に「ピープル・アナリティクスにおけるデータサイエンティスト」と表記されている職種が常時1万以上あるといわれています。
データに対する考え方も、日本とは大きく異なります。日本でピープル・アナリティクスにおけるデータ分析というと、自動的に答えが出てくるAIのようなものをイメージされることがまだあるのですが、海外ではピープル・アナリティクスはあくまでも「意思決定のための補助材料」と捉えるのが一般的です。データ分析で見えた課題に対して、人事としての経験と勘を融合させながら意思決定をしていくという考え方です。
海外での活用が大きく先行した理由は何だとお考えでしょうか。
持っている「データ量」の差ではないでしょうか。欧米ではジョブ・ディスクリプションが職務ごとに詳細に定義され、さらには個人のスキルデータもきちんと管理している企業が多く存在します。LinkedInなどを見るとわかりますが、海外では、スキルやキャリアを詳しく書いてデータとして残すという文化が個人にも企業にも根付いています。
また、必要なデータがなければ、新たに集めるという考え方も進んでいるかと思います。ます。つまり、人事における何らかの意思決定をする際にデータに基づいて意思決定をするということが強く意識されているのです。
日本にはそういう文化がまだ根づいていません。使えるデータが少ないのに、「今あるデータで何とかする」という発想になりがちです。そのため、応募者全員が同じテストを受ける新卒採用のように、標準化されたデータをそろえやすい分野からピープル・アナリティクスの活用がはじまったと考えています。
しかし、将来的には日本でも海外のような「意思決定の補助材料」としてのピープル・アナリティクスに向かっていくはずです。実際、先進的な企業ではすでに、その方向へと動いています。
ピープル・アナリティクス成功のポイントは
専任体制を整備し、中長期的に取り組むこと
ピープル・アナリティクスを導入し、成果をあげている企業にはどのような特長や傾向があるとお考えですか。
一つは「中長期的な取り組み」です。データ分析は百発百中ではありません。課題解決につながるような良い結果が得られるのは、おそらく3~4割。重要なのは、分析結果と仮説を突き合わせていく作業を常に継続していくことです。
性急に結果を求めると、「やっぱりピープル・アナリティクスは使えないのではないか」となって、取り組み自体が頓挫してしまいかねません。実際、日本でも活用が進んでいる企業は、中長期的なスパンで取り組んでいます。良い結果が得られなかったとしても、データに基づいて意思決定をしていくという方向性が明確な企業、継続的に取り組むべきだという認識が全社で共有できている企業は、成果へとつなげています。
加えて重要なのは「体制を整える」こと。一時的ではなく、人事領域における一つの機能としてデータ分析をしっかりと組み込んでいくには、専任スタッフを置く、専門部署を設ける、といった組織の整備が欠かせません。
そこで大事になるのが、人事や経営のトップがピープル・アナリティクスの重要性を十分認識しているかどうか。この認識が成否を大きく分けると思います。日本企業の場合、短期的な結果を求める傾向が強く、経営層の認識も十分ではないため、体制の整備や人材確保のための予算がつかないという話もよく聞きます。そのため、うまく進んでいる企業とそうでない企業が二極化している状況です。
日本企業はデータの量が少ないとのことでしたが、海外並に増やしていくにはどうすればいいのでしょうか。
現在、自社の中にあるデータだけでは分析には不十分であるかもしれない、と認識を持つことではないでしょうか。例えば、異動履歴は多くの企業が保存しているはずです。一見するとデータの蓄積があるように見えますが、「人事第一グループから第二グループへ異動」というデータあっても、当事者にはその意味合いがわかったとしても、データ分析という観点においては、それが何を意味するのかという有意性のある情報は読み取れません。
つまり、意味づけを持った情報でないため、アナリティクスの観点からは何も情報がないのとほぼ同じになってしまうのです。これではデータ分析はできません。正しく分析しようと考えるなら、自分たちの仮説を証明するためのデータを新たに集める、もしくは今あるデータに意味を持たせるところから始める必要があります。
多くの海外企業や日本の先進企業が行っていることは、まさにそれです。「今あるデータで何とかする」のではなく、意思決定のために必要なデータの収集から分析までを一連のプロセスとして整備できれば、ピープル・アナリティクスのステージをひとつ上げることができます。
その際、重要になるのが「現場の巻き込み」です。例えば、日々変動する従業員のモチベーションを把握しようと思えば、パルスサーベイのように頻繁にデータを収集する必要があります。
しかし、アンケートに回答する時間は従業員にとって負荷になるため、導入に抵抗感を持つ企業も少なくありません。実はここが大きな分岐点なのです。結果的にこの手間を避けて「今あるデータで何とかしよう」と考えると、そもそも使えるデータが少ないので、多くの場合うまくいきません。
また、人事データは人事部内だけにあるとは限りません。営業のハイパフォーマー分析であれば、営業部が持つ個人売上や行動履歴などのデータが重要になり、営業部門の協力が必要になります。さらに社員間のコミュニケーションをメールやチャット、ミーティングの記録から分析しようとする場合、情報システム部が持つデータを利用する必要があります。
このように新たなデータの採取には他部署や現場マネジメントの協力が必要になる場合が多くあり、ピープル・アナリティクスの重要性が全社的に共有されていることが欠かせません。だからこそ、経営トップの理解やスポンサーシップが重要なのです。
データ分析による意思決定は人間関与が原則
これからピープル・アナリティクスを導入しようと考えている企業は、どのような点に留意して進めていけばいいのでしょうか。
従業員のデータを新たに収集して分析し、意思決定をすることは、従業員のアセット(資産)である個人情報を使用することでもあります。そのため、「従業員にメリットを提供する」という考え方のもと、ピープル・アナリティクスの活用を進めた方がやりやすいのは間違いありません。
「個人のキャリア成長を支援する」「労働環境が改善されて働きやすくなる」「従業員のモチベーションアップにつながる」など、従業員にとっての課題解決を目的に据えるということです。従業員に不利益をもたらすようなデータを集めようとしても協力は得られません。「管理」ではなく「支援」という発想で進めることが従業員からの協力を得るという観点では重要です。
もう一つは「人間関与原則」。これは当協会が2020年3月に公表した「人事データ利活用原則」で特に強調している考え方です。
例えば、異動や退職という決定は、従業員本人の人生を左右する重みのあるものです。それを人がかかわらずに、データ分析の結果から自動的に意思決定してしまうことは絶対に避けるべきです。データ分析に基づいて何らかの決定をした場合は、どういうデータを使って、どのようなロジックで結果に至ったのか、意思決定にはどのようなプロセスで使われたのかなど、企業は従業員に対して必要な説明責任を果たさなくてはなりません。
そのため、人事も分析手法やツールの特性を理解するなど、データ分析に対する一定のリテラシーを持つことが求められるようになると思います。人事部門だけで対応できなければ、研究開発やマーケティング部門にいるデータサイエンティストに協力を求めるなど、全社としての活動として、より自由な発想で取り組むといいでしょう。当協会でも、データリテラシーを持つ人材育成のための講座を提供するなど、社会的な底上げを目指す支援に力を入れています。
分析結果の数値データだけにとらわれないために、企業や人事はどのような注意を払うべきでしょうか。
「数値の読み方」に対するリテラシーを上げていくことが大事です。同じデータを見ても、いろいろな解釈の仕方があります。例えば、従業員間のコミュニケーション量のデータから、組織内で孤立している人が見つかったとしても、「この人はコミュニケーションが取れない人だ」というバイアスが入った見方をしていては、個人のサポートにつながりません。自分なりにどれだけ仮説を立てて数字を読み解けるかがポイントです。
「データ=回答」ではなく、自分が考えるためのヒントくらいに捉えるのがいいのではないでしょうか。海外ではピープル・アナリティクスを「意思決定の補助材料」とする考え方が主流だという話をしましたが、まさにそこだと思います。
また、データと現場で実際に起こっていることを照らし合わせて意思決定していくことも大切です。そこで重要になるのが、部門ごとのHRビジネスパートナー(HRBP)になります。中央の人事部では把握できない各部門の状況を加味した上で、データをどう読み解くか判断するのはHRBPの役割です。その上で、HRBPが所属部門の従業員モチベーションを上げるために、必要なデータを独自に集めていこうという動きになれば、ピープル・アナリティクスの活用が進んでいるといっていいでしょう。
ただし、部門ごとのHRBPに対して、中央の人事部(CoE : Center of Excellence)と同じデータリテラシーを求めるのは厳しいものがあります。CoEとしては、個人情報保護に抵触するような運用をしていないか見守り、テクニカルな面では支援をしていくことが主たる役割となっていくでしょう。一定以上の規模の企業では、そういう役割の棲み分けが今後の流れになっていくと思います。
ピープル・アナリティクスが実現する「多様性の可視化」と「自律性の促進」
ピープル・アナリティクスの普及・活用が進むことで、今後の日本企業や働く人々にどのような変化が起こることを期待されていますか。
データを使うことでより精緻な人材マネジメントが浸透していくのは当然ですが、一番大きいのは「多様性の可視化」と「自律性の促進」が進むことです。まず、多様性ですが、自社に多様な人材がいることは意外にわかりません。多様性は国籍や性別など属性的な情報から見えるものだけでなく、働き方や価値観など内面的な違いも重要な要素になってくるからです。
しかし、多様性は今後のビジネスにおける重要な要素であり、とりわけイノベーションには不可欠です。そのためにも、自社内にどのような多様性があるのかを正しく認識する必要があります。志向性や価値観といったようなデータは一つの大きな材料となり、それを可視化するピープル・アナリティクスは、企業における多様性の活用という観点において大きな影響を与えるものになっていくでしょう。
次に自律性ですが、AIの浸透などの時代の変化により、これまでやってきた仕事が突然失われたり、求められるスキルが大きく変化をしたりする可能性が高まってきています。こうしたなか、従業員が自らのスキルを変化に応じて自律的に変化・向上させていくことが求められてきるようになりました。これからは、上司に言われるのを待つのではなく、従業員が自分自身を客観視し、今後身につけるべきスキルは何かを考え、行動する必要があります。
その際、そのきっかけを与えるのがピープル・アナリティクスに基づくデータ分析と思っています。従業員にとって自身に不足するスキルが何であり、それを伸ばすことによってどんなキャリアを描くことができるのかを可視化することができれば、自律的な学びへの後押しができるようになるからです。日本でも今後はジョブ型雇用が拡大していくといわれています。仕事やキャリアに関するデータも今よりずっと集まりやすくなれば、データ分析でも有意な結果が得られる可能性は増していくはずです。働く人にとっても、ピープル・アナリティクスは自律的にさまざまなことを学び、考えるきっかけになっていくでしょう。
貴協会が今後、力を入れて取り組んでいこうとしていることがあれば、お聞かせください。
データ分析によって意思決定していく流れは、企業単体でつくれるものではなく、学術的な研究や行政の支援なども重要です。それがなければ、社会の中で定着していきません。
そのためにも、早い段階で大学にピープル・アナリティクスを研究する学部・講座が増え、研究環境が整備され、政府内にもピープル・アナリティクス関連の活動が組み込まれていってほしいと考えています。
欧米の大学では、数千万人単位で人事データを収集・分析して、人の行動特性や企業活動に与える影響の研究を行っている事例もあります。日本でもこうした活動は進みつつありますが、規模的にもまだまだこれからです。学術の一分野としてピープル・アナリティクスを位置づけていくことは、ビジネスの世界での普及にも大切な要素になります。当協会も、すそ野を広げるための活動に力を入れていきたいですね。
(取材:2020年9月16日)