アセスメントで適性を見極め、ビジネスセンスを醸成
住友生命保険が取り組むDX人材育成
人材育成、人材開発、デジタルトランスフォーメーション、HRテクノロジー、住友生命保険
業界を問わず、さまざまな企業に対応が求められている、DX(デジタルトランスフォーメーション)。ビジネスや社内業務のデジタル化を進めていく中で、DXに長けた人材の不足という課題に直面している企業は多いようです。住友生命保険相互会社では、上流工程のシステムエンジニアを対象に、DX人材の発掘と育成に着手。社内の人材を活用し、企業風土や事業課題に見合う形でDX化に取り組んでいます。情報システム部門でDX人材の育成に取り組む、理事でDO(デジタルオフィサー)の岸和良さんと、DXプロジェクトに参画する下田悠平さん、杉山辰彦さんに、社内での育成に至った背景や施策について、お話をうかがいました。
- 岸 和良さん
- 住友生命保険相互会社 理事 DO(デジタルオフィサー)
きし・かずよし/生命保険基幹システムの開発・保守、システム企画、システム統合プロジェクト、生命保険の代理店新規拡大やシステム標準化などのプロジェクトを担当した後、現在はVitalityプロジェクトITリーダー、保険DXプロジェクトITリーダーを務める。
- 下田悠平さん
- 住友生命保険相互会社 情報システム部 上席部長代理
しもだ・ゆうへい/スミセイ情報システムで生命保険基幹システムの開発・保守に16年従事。いくつかの新商品開発プロジェクトをPMとして担当した後、現在は住友生命でVitalityプロジェクトのITチーム、保険DXプロジェクトの推進チームに参画し、プロジェクトの推進を担当。
- 杉山辰彦さん
- スミセイ情報システム株式会社 次期PAL開発推進部 上席システムエンジニア
すぎやま・たつひこ/スミセイ情報システムで保険基幹システムの開発・保守に10数年従事。住友生命のDXプロジェクトの立ち上げから参画し、システム推進のリーダーを担当。住友生命およびスミセイ情報システム向けDX研修の企画・運営も担当。
付加価値型保険商品の開発が人材のDX化を促した
はじめに、貴社が定義しているDX人材像についてお教えください。
岸:本来であれば技術部門だけでなく、ビジネス部門やマネジメント職などにもDXが関わってきますが、今のところは保険システムを開発する情報システム部門を対象に、上流工程のシステムエンジニア職をDX人材と定義しています。ビジネス部門と関わりが深く、企画開発の領域をカバーするような業務を担う存在です。
当社におけるシステム開発は、これまでビジネス部門とシステム部門が完全に切り分けられていました。ビジネス側が商品に合わせてシステム要件を定義し、エンジニアは納期に間に合うように正確にシステムを開発することがミッションでした。
しかし、DX型の開発ではエンジニア自身がビジネス起点で物事を捉え、顧客視点でサービスやシステムの設計を考える役割を担います。プロジェクトの関係者をつなげる、ビジネスアナリストに近い存在です。
DX人材の開発に力を入れるようになったのは、健康増進型保険「Vitality」のサービス開始が転機となったそうですね。
岸:「Vitality」は、南アフリカ共和国のDiscovery社が開発した健康増進型保険です。当社は日本で唯一展開を認められており、2018年にサービスを開始しました。大きな特徴は、加入者の健康活動をポイント化し、年間の累積ポイントによって保険料が変動する点です。
また、加入者は貯めたポイントやステータスによって、さまざまな特典を受けられます。従来の保険商品とは異なり、顧客との接点が格段に増えました。スマートフォン向けのアプリなどを通じて加入者の健康活動データが集積され、当社にとってはサービスの改善や新たな商材開発に向けた貴重な資源となっています。
裏を返せば、顧客に向けて恒常的に高い体験価値を提供する必要が出てきたわけです。システムを創ったら終わりではなく、運用しながら迅速にサービスの改善とアップデートを図っていかなければなりません。「Vitality」は付加価値型の保険商品であり、DXとは切っても切り離せない関係にあります。ビジネスにおけるエンジニアのプレゼンスが相対的に高まり、社内においても価値観を変えるきっかけとなりました。
提供開始にあたって最も大きな壁となったのは、エンジニア側に高度なデジタル技術とビジネス感覚が要求されたことです。たとえば「Vitality」では、加入者が貯めたポイントを、電子マネーギフト券などに交換することができる仕組みがあります。このような仕組みを構築するのは初めてのことだったので、事業の企画サイドもエンジニアサイドもアイデアを持ち合わせていませんでした。そこでコンサルタントを招き、ポイント交換プラットフォームを手がける会社を紹介してもらうことで、実現に至りました。
この経験からサービスとデジタルを掛け合わせるには、エンジニアがビジネスセンスを養い、外部とのパートナーシップの構築も含めてアイデアの具現化に向けて動くことが必要だと痛感しました。そのため、社内エンジニアの育成に着手しました。
事業特性とレガシーシステムの関係から考える内部育成の重要性
DX人材を確保するには、外部登用という選択もあったはずです。なぜ内部育成という方針に至ったのでしょうか。
岸:これも「Vitality」を開発したときの経験によるものです。日本版のサービスを開発するにあたり、Discovery社や「Vitality」のベースとなるシステムを開発したフィリピンの会社とのやり取りが発生しました。もちろん、コミュニケーションは英語を介して進められます。
デジタルに対する知見に加え、保険事業の専門的な理解、さらに語学と異文化コミュニケーションへの適応力が備わっている人材が必要で、かつドメスティックな日本の企業文化にも馴染んでいる人を、社外から登用することはほぼ不可能でした。そのため、当時は半ば勘で社内の人材を登用し、プロジェクトを進めることにしたのです。
下田:私は「Vitality」のプロジェクトが立ち上がって半年ほどしてから参加しましたが、当初は外部企業とのカルチャーギャップに戸惑いました。こちらの状況を伝えても理解してもらえなかったり、システムの品質に対する考え方が違ったりしていたからです。さらに英語でのやり取りで、通訳はいましたが専門的な言葉が多く、一つのことを伝えるにも苦労した覚えがあります。
岸:社内には、数々のレガシーシステムが稼働しています。今後、時代の変化に合うように見直しを図るとき、必要となるのはレガシーを理解しているDX人材です。外部登用ばかりに頼っては、グループで1000人を超えるエンジニアたちは路頭に迷ってしまう。現在のシステム担当役員も「社内のDXと同時に、人もトランスファーするべき」という強い思いを持っています。ですから外部登用よりも、現場からDXに対応できる人材を発掘するほうが先ではないかと考えています。
「Vitality」の開発を経て、「保険DXプロジェクト」を社内に立ち上げたそうですね。
岸:ビジネスを顧客的な視点で見直し、デジタルとデータを用いて競争力を高める全社プロジェクトです。2019年に開始しました。既存事業の見直しと新規事業の開拓の大きく二つに分かれており、プロジェクトにはエンジニアが常駐で30人、兼任も含めると50人が在籍しています。
現在は、「Vitality」の健康増進プログラムの一部分だけを切り出してサービス化することの検討や、当社の新しい経営の柱である“Well-being”の観点による新しいサービスの開拓を、企画段階からエンジニアが入り込んで進めています。
このような進め方をするのには、二つの狙いがあります。一つは、エンジニアの立場からビジネスとデジタルを紐づけ、企画の再現性やアイデアを提案する機能です。もう一つは、システムとデータの汎用性の向上です。複数の企画が並行して動くとき、それぞれのシステムを独立して設計しがちですが、それでは機能の重複や互換性の低下が起こり、非常に効率が悪い。プラットフォーム型のシステムを構築し、企画に合わせて必要な部分を切り出すような形にするのが理想です。
ビジネス側の視点を抽象化し、一見かけ離れた要素の中に共通項を見出してうまく転用できるような提案が、エンジニアには求められています。また、外部のITサービスをコーディネートして企画の実現につなげることも、エンジニアの重要な役割です。
今までとは仕事のやり方がかなり異なるのではないでしょうか。
下田:3年前に現在の所属に来たときは驚きました。エンジニアがビジネス側の担当と対等な関係で話し合っていましたから。それまでは、自分の見える範囲を全うすることに注力していましたので、最初のうちはまったく歯が立ちませんでした。しかし、現在は全体を見て、他のところとの共通点を探ったり、ビジネスとして成立させるための術を考えたりしています。
杉山:私はスミセイ情報システムという、インハウスのシステム会社に所属しています。住友生命から依頼を受けてシステムをつくる立場で、かつては現業のシステムへの影響など、どちらかというと自分自身や所属チーム寄りの目線で考えていました。今はエンドユーザー側の視点を意識して、アプリなどユーザーがどう使えたら喜ぶのか、このビジネスは顧客に歓迎されるのかなど、外の世界に目を向けるようになりましたね。
DX人材に求められる資質と実行力の両輪
DX型開発で活躍できる人には、どのような資質が備わっていると考えられますか。
岸:「新しいものをどれだけ短期間で自分のものにし、再現できるか」というところに集約されます。好奇心が旺盛であると同時に、未知のものに触れたとき瞬時に本質をつかめる力、さらに関心の範囲を広げて事例を聞きに行く行動力なども求められます。
しかし、それだけでは不十分です。先に挙げた「Vitality」のポイント制度でいえば、利用者がポイントを貯めるところから、ギフト券などに交換し、最後の伝票処理まで、ひと通りの運用ができるように設計しなければなりません。それにはシステム構築だけでなく、社内外との関係者との調整も必要です。つまり、アイデアを形に変えていくために周囲を巻き込み、実現に向けたプロセスを築いていくプロジェクトマネジメント力が問われます。
革新的な発想の部分と、その発想をどう形にしていくかを考え、行動するという部分の両輪が大事になってくるのです。あとはDXにまつわる知識。実務レベルになると、かなり専門的になるし量も膨大ですが、勉強すれば何とかなる部分だと捉えています。
エンジニアの中には、調整力を苦手とする人もいるのではないでしょうか。
岸:当グループでは、エンジニアにビジネス部門に寄り添うパートナーとしての役割を求めています。「Vitality」以外の業務でも、社内のエンジニアと接していると、プロジェクトマネジメント力が高いと感じる人材は大勢います。ビジネス感覚や知識を身につければ、保険DXプロジェクトでも十分活躍できると想定しています。
杉山:システム構築の過程にも、いろいろな役割があります。ルーティン業務を好む人や職人気質のエンジニアでも、それぞれにふさわしい環境を用意できれば、DX型の業務でも活躍できるし、企業の成長にもつながるのではないでしょうか。
岸:保険DXプロジェクトに関わるエンジニアは、総じて優秀な傾向にあります。新しいことへの適応力が高く、課題を解決して実行につなげられる能力が備わっていますから。やはり後々に、管理職や意思決定者を任せられるような人が多いですね。
プロジェクトの進行には、障害がつきものです。周りの協力を仰いだり、自分で切り開いたりするような場面が必ず出てきます。「私には無理」という人を説得し、「こうすればできる」と筋道を示せるような、リーダーシップも求められると思います。加えてアジャイル型開発が主流になるので、完璧でなくてもアウトプットし、改良していける柔軟性も持ち合わせておきたいところです。
DX人材の適性は、どのように見極めているのですか。
岸:3種のテストを用いて、適正の度合いを指標化しています。新しいものへの関心や好奇心の旺盛さなど、イノベーティブ資質の度合いを「イノベーティブ人財診断」で測っています。特にこの数値が高い人は、新規事業や外部に出向いて新しいパートナーを発掘する仕事など、切り込み隊長のような役割に向いています。
実行力や推進力など、プロジェクトマネジメントの要素は「人間力診断」を用いており、比較的重視しています。そして「DX検定」では、DXに対する関心度などをみています。保険DXプロジェクトの参画には、テストの結果に加えて本人の意思を最大限に尊重し、あとは所属部署の状況などを総合的に判断して、メンバーを決めています。
テストを実施するのは、社内に埋もれているDX人材を発掘できるからです。当グループに所属するSE全員の資質を、対面だけで見極めるのは困難。テストの結果を見て、私も「この人に、こんな力があるんだ!」と何度もビックリしました。杉山さんもその一人です。穏健で実直な仕事ぶりからは意外でしたが、イノベーティブ資質に富んでいました。
診断・検定内容 | |
イノベーティブ人財診断 | 新しいものごとへの関心や好奇心の旺盛さなどのイノベーティブ資質 |
人間力診断 | 実行力や推進力をはじめとしたプロジェクトマネジメント力 |
DX検定 | DX(デジタルトランスフォーメーション)に対する関心度度合いなど |
リサーチとアウトプットを繰り返し頭の使い方を切り替える
育成はどのように行っているのですか。
岸:核となるのは「Vitality DX塾」という、価値創造型人財教育プログラムです。メインは意識変革研修と呼ばれる終日で行われる研修で、2020年度からは1日の集合研修に加えて、オンラインワークショップを半年で合計4〜5回の設計で実施しています。
研修カリキュラムは、すべて内製しています。外部ベンダーの利用も考えましたが、当社の考える方向性と若干外れている印象を受けたのです。当社のエンジニアに強化が必要なのは、ユーザー視点でのビジネス発想でした。DX型ビジネスでは、ビジネス側の人とエンジニアが主従関係になるのではなく、対等な関係でビジネスの根幹を語り合えるようになる必要があります。研修でもこの軸から外れなければ、上手くいくのではないかと考えました。
また知識面に加えて、実務で使えるスキルやコンピテンシーを意識したカリキュラムにしているのが特徴です。具体的には、インターネットでのリサーチと情報の統合、アイデアの創発、アウトプットというフローを体験することです。保険DXプロジェクトではこのフローが基本となりますが、レガシー型のシステム開発ではまずやることはありません。研修を通じて、頭の使い方を切り替えます。
杉山:研修では課題を変えながら、先ほど挙げたフローを1日で4回体験します。午前中はDXの概要を理解したり、世界のビジネス事例を調べたりと、比較的取り組みやすい課題です。しかし午後には、グループワークで既存のビジネス事例を参考にして新しいモデルを編み出したり、自社の事業領域でのDXビジネスを考えたりといった、難しい課題に取り組みます。リサーチに加えて柔軟な発想が要求されるので、かなり個人差が出てきますね。
人によっては、なかなかチームになじめず、苦労している様子が見られます。一方で「こんなことができそう」「これとこれを組み合わせたら、こんなふうになるのでは」と、どんどんアイデアを出し、うまくメンバーの意見を組み合わせて発展させる人もいます。年齢は関係なく、ベテランのエンジニアが活躍することも多いですね。
岸:ユーザーの立場で悩みの種を見極めて不便や不快を解消するアイデアや、楽しいと思えるしかけを編み出すには、インサイトを掘り当てる嗅覚が必要だと思います。私たちの扱う保険事業は身近なものであり、社員自身もユーザーになり得ます。「自分の仕事とは違うから」と、思っていたことを言わなかったり、改善策を考えることから放棄したりすれば、企業にとってマイナスです。気づきの感度を上げていくことが、DXでは肝要だといえます。
OJTではどの部分に力を入れていますか。
岸:考えや行動のリミットを外すところを意識しています。この仕事は一人で思い悩んでいても、あまり進展しません。レガシーシステムの開発を通じて、じっくり慎重に考える癖がついているので、時間をかけずにアクションを増やすことをアドバイスすることが多いですね。
プレゼンテーションの仕方も指導しています。数字など客観的な根拠を用いて、論理的かつ簡潔に言い切る形で説明することが大事だと考えています。前例のないビジネスを動かすには、周囲への説得が欠かせないからです。要領を得ない説明をしているようでは、たとえ素晴らしいビジネスシーズでも、その可能性が台無しになってしまうかもしれません。大きな損失につながりかねないので、一際注意を払います。
DX人材を育成するには、育てる人材も必要になってきます。指導者やメンターはどのように確保しているのでしょうか。
岸:まさに今、検討しているところです。私たちがDX人材の育成を開始して、3年目になります。1期生のエンジニアたちは研修と実務を経て、ビジネス感覚が備わってきました。今後は彼らに後進を育ててほしいと考えており、最近は研修の運営を任せています。また研修のパッケージは社外でも展開していて、指導側の経験値が高まりつつあります。
杉山:私も研修を運営する立場として、カリキュラムの設計などに携わっています。講師を務めることで得られる気づきは多く、私自身の学びにもつながっていますね。教えられる人材が増えればDX的な考えが組織に浸透しますし、社外に出向けばまた違った観点が得られます。新たなビジネスアイデアの創発にもつながるのではと期待しているところです。
事業が先にあってDX人材は育てられる
DX人材を活かすために、人事が気をつけるべきこととは何でしょうか。
岸:成果を正当に評価することではないでしょうか。人事制度に評価できる軸がないようでは、本人のモチベーションは大きく下がってしまいます。当社の場合は、幸いトップの高田(幸徳氏)が、企業のDX化とデジタル人材の強化が今後の企業戦略の要となると打ち出しており、やる気につながっている側面があります。
一方でDX人材を優遇し、レガシー人材をないがしろにするのは問題です。同じエンジニアでも、DXに向く人と向かない人がいます。DXに対する適性が低い人がだめなのかというと、そんなことはありません。これまで築き上げたシステムを守るうえで、貴重な存在です。
杉山:DXは必ずしも新しいことばかりではなく、既存のシステムとの融合も必要になる場面が必ず出てきます。そのときにシステムを守れる人材がいないと、既存のビジネスは成り立たなくなってしまうでしょう。DX“だけ”がいいのではなく、DXを”含める”ことで企業の成長につながるはずです。
最後に、DX人材育成におけるポイントがあれば、お聞かせください。
岸:DX人材を育てたいという会社は多いと思いますが、目的もなしに育成するのは違うと思います。まず先にDXビジネスがあって、求める人材像が定まり、育成の方針や施策が決まるはずです。
下田:当社も「Vitality」の導入という「やらなければならないこと」が先にあって、実務を通じて当社としてのDXの感覚を培うことができました。事業もない状態で先に「DX人材とはこうあるべきだ」「こういうキャリアパスをたどる」などと設計しても、現実とかけ離れたものになるのではないでしょうか。
岸:DX人材がそろっていれば、DXが進むわけではありません。経済産業省と東京証券取引所が選定する「DX銘柄」のグランプリ企業を見ると、経営方針と事業、人材育成の方向性が一貫していて、美しく落とし込まれています。ぜひ経営と事業と照らし合わせながら、必要とする人材像を描き、DXに臨んでほしいと思います。
(取材:2021年4月19日)