人的資本経営におけるシニア人材の戦略的活用

人的資本経営の文脈で人材を語るとき、どうしても若手人材にフォーカスが当たりがちではないでしょうか。少子高齢化が進展する日本において、シニア人材の活用は避けて通れないテーマです。経験や知見を備えたシニア人材が人的資本として持つ可能性と、その活用施策について考えます。
シニア人材の現在地
シニア人材の活用機会の増加
日本では、少子高齢化が進んでいます。2024年の総人口は1億2380万2000人で、前年に比べて55万人減少しましたが、65歳以上人口は3624万3000人と、前年より約1万7000人増加。総人口に占める割合は29.3%で、過去最高を記録しています。
労働市場に目を向けると、2024年の60~64歳の就業率は74.3%、65~69歳の就業率は53.6%で、半数を超えています。75歳以上でも1割以上が働いており、シニア人材が働く光景はもはや珍しいものではなくなりました。
政府もシニア人材活用に向けた対応を進めています。高年齢者雇用安定法では企業に対し、65歳までの雇用確保(定年延長・継続雇用制度・定年廃止のいずれか)の義務を課しています。また「70歳までの就業機会確保」が努力義務となっており、シニア人材が働ける土壌が整いつつあります。
シニア人材も「投資」の対象に
企業はこれまで、シニア人材について「投資回収期間が短い」との理由から、人的資本への投資対象として十分に評価しない傾向がありました。しかし少子高齢化の進展や法改正に加え、本人たちの「80歳くらいまで働きたい」「働けるうちは働きたい」という意欲が年々強まってきている中で、シニア人材の人的資本としての価値が再評価されつつあります。
シニアを含む多様な人材がいきいきと働く企業は、自社の社員にも社外の求職者にも魅力的に映ります。企業が人的資本としてすべての既存従業員の価値を最大化することは、まさしく人的資本経営であると言えます。
- 【参考】
- 令和7年度高齢社会白書
シニア人材の価値
人手不足の解消
日本の15~64歳の生産年齢人口は、1995年をピークに減少の一途をたどっています。帝国データバンクの「人手不足に対する企業の動向調査(2025年10月)」によれば、2025年10月時点で51.6%の企業が正社員の人手不足を感じているとの結果が出ています。今後さらに少子高齢化が進む中、シニア人材は貴重な労働力となります。
豊富な経験と知識
シニア人材は、豊富な経験と知識を有しています。長年の現場経験から培われたノウハウや、顧客との長期的な信頼関係はシニアならではの強みです。「判断知」や「暗黙知」といった知恵はマニュアル化が難しく、短期間の研修や業務経験で代替するのは困難です。特に変化の激しいビジネス環境では、若手の機動力とシニアの判断力を組み合わせることで、高い効果が期待できる局面が増えると考えられます。また、さまざまな年代・背景の人材が共に働くことは、職場の多様化にもつながります。
技術・知識の継承
社内にシニア人材がいることは、その人材が長年培ってきた高度な技能や業務知識を蓄積・継承しやすい環境であることを意味します。その結果、ノウハウの断絶を防ぎ、世代交代に伴う生産性低下を抑制することができます。シニア社員が現場の第一線を退いた後も、メンター役や教育担当として若手育成に携わることで、組織力強化が期待できます。
採用・育成コストの削減
人材を採用・育成するには、一人あたりに高額なコストが発生します。すでに職務経験・業界知識・対人スキルを持つシニア人材を活用すれば、新規採用や育成にかかるコストを抑制しやすくなります。
シニア人材活用の課題と対策
パーソル総合研究所の調査「企業の60代社員の活用施策に関する調査」では、人手不足感が20~30代社員に集中していることがわかります。若手層については約7割の企業が「不足」「やや不足」と感じているのに対し、50~60代の正社員に対しては「やや過剰」「過剰」と感じる企業が3割を超えました。企業が抱える具体的な課題を深掘りし、それぞれの対策を検討します。
課題1:スキルの陳腐化
デジタル化の進展や顧客ニーズの変化、制度改正などにより、過去の成功体験がそのまま通用しないケースが増えています。また、長年同じ仕事に従事してきたシニア人材にアップスキリングやリスキリングの機会を提供しても、既存の知識や従来のやり方が障壁となり、若手と比べ学習がスムーズに進まないことがあります。その結果、一部のシニア人材が能力を持て余す「社内失業」状態に陥るケースもあります。
対応:リスキリング、キャリア研修の強化
シニア人材に対するリスキリングやアップスキリングの推進は重要です。ただし、全シニア人材に対して一律のDX研修を行うのではなく、まずは企業がシニア人材にどう活躍してほしいのかを規定したうえで、シニア人材にキャリア研修やキャリア面談を実施し、自身のキャリアプランを再考してもらう取り組みを行います。ここでは、シニア人材自身が「定年後も戦力となる」という意気込みを持てるようになることが不可欠です。
また、シニア人材が活躍できる職務に関するイメージを、シニア本人と企業側の双方ですり合わせたうえで、リスキリングやアップスキリングに取り組む必要があります。場合によっては、既に持っている知識やスキル、価値観を意図的に手放し、新しい知識を取り込むアンラーニングを取り入れることも有効です。
課題2:モチベーションの低下
定年が近づくと「これ以上頑張っても、定年まで長くない」という心理から、新たな挑戦への意欲が減退してしまうケースがあります。
パーソル総合研究所の調査では、60歳または65歳で処遇を見直す企業について、処遇見直し時の年収変化を見ると、年収が下がる企業が8~9割を占めます。また、「30%程度下がる」企業は3割弱となっています。「本人の能力・経験の最大発揮」を60代前半の社員に期待する企業は約5割、65歳以上の社員では約4割にとどまるとの結果も報告されています。
シニア人材にとってみれば、年齢を重ね知識や経験は増えているのに、処遇は下がり、会社からも期待されていない状態では、モチベーションの低下は避けられません。実際、パーソル総合研究所の「正社員として20年以上勤務した60代」の就労実態調査によれば、60代前半で会社において「自分の役割が重要だ」と感じている人は、正社員でも半数に満たないことが分かりました。一方で、モチベーション維持のため年功序列の給与体系を続ければ、人件費が高止まりしてしまうという課題も発生します。
対応:適材適所の配置・公正な評価と処遇
シニア人材の処遇を一律に引き下げる、あるいは年功序列の給与体系を維持するのではなく、その人の強みとなる専門性や期待される成果を明確にするなど、シニア人材の役割をきちんと規定する必要があります。求める役割・成果水準が高い場合は、年齢に関係なく適切な報酬を支払う必要があるでしょう。また、定期的に1on1面談を実施し、働き方や役割に対する期待を継続的にすり合わせ、シニア人材が納得感の高い状態をつくりあげることが求められます。
課題3:マネジメントの難しさ
多くの企業で役職定年制度が設けられていますが、シニア人材が役職定年を迎えた後は、年下の上司がマネジメントするケースが増えます。そうした状況では、上司がコミュニケーションや処遇・評価の説明責任、モチベーション管理などに難しさを感じることが少なくありません。
対応:役割の再設計・双方への研修、柔軟なポジション配置
マネジメントを上司個人の責任にするのではなく、まず組織としてシニア人材の役割を明確化することが求められます。そのうえでシニア人材本人に対しては、役割転換への適応や学び直し、経験の言語化を支援する研修を実施します。一方、マネジメント層に対しても、シニア人材の活用方法や対話スキル、適切な評価コミュニケーションを学ぶ機会を提供する必要があります。
課題4:体力・健康上の問題
年齢を重ねるにつれ、体力・健康面の課題が出てくる可能性が高まります。厚生労働省のデータでは、60歳以上の男女別労働災害発生率は30代と比較して、男性で約2倍、女性で約5倍に上るというデータもあります。パーソル総合研究所の調査では、就業者の85%前後が「就労にあたって配慮が必要な病気やケガはない」と回答する一方、約半数が自身の健康に不安を感じていることも報告されました。
対応:労働環境の改善・柔軟な配置転換
長時間労働や頻繁な移動、夜勤、重労働などはシニア人材のパフォーマンスや健康を損なうリスクが高くなります。まずは勤務環境の安全性を見直すとともに、体力負荷の大きい工程を切り出し、負担の少ない工程のみを担ってもらうといった選択肢を検討します。また働き方としても、勤務日数や時間を短縮したり、ジョブ型雇用やプロジェクトベースなど、スペシャリストとしての知見を発揮してもらったりするなどの工夫が有効です。
課題5:企業に活用計画がない
そもそも企業側に「シニア人材をどう活かすか」という明確な計画がない場合、現場は個別対応に追われ、シニア人材本人も将来像をなかなか描くことができません。結果として「シニア活用は難しい」という結論だけが先行し、組織内でその思い込みが自己強化されてしまう場合もあるでしょう。
対応:経営陣と連携した活用計画の策定・モニタリングと改善
まずは、事業戦略と結び付いた形でシニア人材を活かせる領域や、自社で活躍できるシニア人材のコンピテンシーを特定します。そのうえで既存のポートフォリオとあるべきポートフォリオのギャップから、自社にとって必要なシニア活用戦略を策定していきます。必要に応じて、自社以外からシニア人材を採用することを検討してもいいでしょう。その際、シニア社員の役割定義率・学習時間・配置満足度・エンゲージメントといった指標をKPIとして設定することも有効です。
策定した活用計画は全社に周知し、若手のうちから「シニアになっても活躍できる環境であること」をアピールすることで、全社的にシニア活躍を推進する体制を構築。また、シニア活躍の状況を人的資本の開示項目に含めることで、「自社の魅力」として打ち出し、投資効果の最大化に努めていきます。活用計画については、PDCAサイクルを回し、継続的に検証・改善していくことが求められます。
シニア人材を活用している企業例
大和ハウス工業:役職定年制の廃止
大和ハウス工業では2022年、それまで60歳で一律だった役職定年制を廃止し、60歳以降も役職任用や昇格のチャンスがある制度へ改定しました。同時に、60歳以降に年収水準が大幅に下がる処遇体系も廃止しています。同社は2013年、定年を65歳へ引き上げましたが、処遇が平均で3~4割ほどダウンすることでシニア人材のモチベーションが低下することが課題となり、制度改訂に踏み切りました。
2023年には、65歳定年後の再雇用制度を改定し、現役社員と同等の勤務形態・処遇で働き続けられる「現役同等コース」を新設。2025年にはシニア人材本人が定年年齢を65歳か67歳から選択できる「選択定年制」も導入しました。同社が重視したのは単に制度を整備することではなく、「どんな場所・仕事でならシニア人材が活躍できるのか」を追求する姿勢でした。
この制度の導入後、60歳を過ぎてから初めて管理職に就任し、意欲的に活躍する社員も出ています。また、他社で役職定年を迎えた優秀な人材が「大和ハウス工業であれば生涯現役で働けるかもしれない」と転職してくるケースも増えています。同社に転職してきた50歳以上の社員は、2021年度には13人でしたが、2024年度には43人となっています。
日本ガイシ:等級の複線化
日本ガイシでは2021年、「シニア活躍プロジェクト」を立ち上げて「どうすればシニア層が活躍できるか」をテーマに社内議論を開始し、2025年に新人事制度を導入しました。プロジェクトの中では、従業員アンケートの結果、年齢を理由に処遇を下げる制度設計がシニア人材の活躍を阻害しモチベーションを低下させていると判明し、その仕組みを変えることが求められました。
そこで新人事制度では、役職定年制を廃止し、年齢にかかわらず一つの役職は最長6年で交代するルールを設けました。また、従来は単線型だった等級体系を見直し、三つの等級(組織長としてマネジメントする「マネジメント等級」、専門性を発揮する「エキスパート等級」、その中間の「シニアプロフェッショナル等級」)に複線化しました。等級ごとに、処遇が決定される仕組みとなっています。
等級を決定するにあたっては、現場から「職種ごとに異なる判定軸を設けるべき」との意見も出ました。しかし人事部は、社内の人材流動性を高める狙いから、全社共通の判定が必要だと考え、「業務課題の重要度」「業務遂行上の裁量度」など五つの評価軸で職務を点数化し、等級を決定する方式を採用しました。何度も修正を重ねて納得度の高い制度に仕上げたことが、新人事制度成功のポイントになっています。
ノジマ:80歳までの再雇用契約を就業規則で規定
家電量販店のノジマは2021年、65歳定年後の再雇用契約について、「上限年齢80歳」とする制度を就業規則に明記しました。65歳の定年時における健康状態や職務遂行能力を確認しつつ、1年ごとの契約を結ぶ方式です。同社では当時、65歳以上の従業員はすでに在籍していましたが、従業員の健康維持と士気向上のため、あらためて制度として明文化しました。
さらに同年、「80歳を超えても働き続けたい」という要望が従業員から寄せられたことを受け、80歳超の雇用継続も認めることを決めました。再雇用後の雇用区分は主に「嘱託社員」と「アルバイト」で、定年前と同じ職場で引き続き勤務し、嘱託社員がフルタイムで働く場合は定年前の年収が維持される仕組みとなっています。
65歳以上のシニア人材であっても、最新の商品知識を得るために社内外の研修に参加できるように仕組みを整え、ラジオ体操の実施など、健康維持の取り組みも行っています。さらに社内報でシニア人材の活躍を紹介するなど、若手社員に対しても「シニアでも活躍できる風土」であることを訴えています。