データで管理職のリーダーシップを解き明かす
京セラが挑むピープルアナリティクス
伊藤 研作さん(京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課責任者)
春日 宏紀さん(京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課)
田中 祥平さん(京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課)
DXの波はさまざまな産業に及び、人事においてもピープルアナリティクスやHRテクノロジーの重要性が高まっています。一方で、重要性は理解していても現場での活用には至っていない、という企業も多いのではないでしょうか。京セラ株式会社では、人事制度の改定に役立てるため既存の人事データを分析し、自社における上司の望ましいリーダーシップの解明にチャレンジ。求められるコミュニケーションの質が社員の年代別で異なることや、組織の風通しの重要性などが、あらためて明らかになったといいます。データドリブン人事の実践に向けて、何を行ってきたのか。社内での体制づくりやデータ活用の考え方などを中心に、同社人材開発部 HRイノベーション課の皆さんにお話をうかがいました。
- 伊藤 研作さん
- 京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課責任者
いとう・けんさく/2004年、京セラ株式会社入社。本社人事部門にて京セラ全社の人事考課の管理業務を担当。その後、国内工場の労務部門、海外関連会社・国内関連会社への赴任を経験。2019年にデータドリブン人事を推進するため現部署の立ち上げに携わり、現在に至る。
- 春日 宏紀さん
- 京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課
かすが・ひろき/2011年、京セラ株式会社入社。2018年、グロービス経営大学院修了。研修部門に配属され、経営理念、管理会計の教材・書籍の企画編集を担当。グロービス経営大学院で日本企業のDXについて調査したことをきっかけに、2018年より研修部門内のシステム化を推進、2019年、データドリブン人事を推進する現部署に異動し現在に至る。
- 田中 祥平さん
- 京セラ株式会社 人材開発部 HRイノベーション課
たなか・しょうへい/2019年、京セラ株式会社入社。本社人事のシステム部門にて京セラ全社の給与計算・異動管理業務を担当。人事データの運用管理の実務経験を活かし、更なるデータ活用を推進するため、2021年10月に現部署に異動し現在に至る。
組織と事業の拡大で生じた変革マインドに対する課題
HRイノベーション課では、ピープルアナリティクスによって「部下のチャレンジを後押しする上司像」を解明されたそうですね。
春日:当社では生産現場や技術面でのデジタルトランスフォーメーション(DX)の一環で、AIの活用やデータドリブンによる業務効率化、新事業の創出などに取り組んできました。その流れは、間接部門である人事にも及んでいます。2019年には、HRイノベーション課を新設。従来は主に経験に基づく判断をしていましたが、それだけではなく、人事データの活用を通じてより適切な判断を下せるようにサポートを行うことで、人事の変革を目指すのが私たちの役割です。
HRイノベーション課では、過去から利用していたタレントマネジメントシステムのリニューアルを推進したり、データ分析による人事課題の解決や人事施策の改善に取り組んだりしています。例えば、今も組織サーベイの改定に取り組んでおり、より調査結果を活用しやすい設問や、職場改善につながるフィードバックレポートを設計しているところです。今回の上司像の解明もそうした取り組みの一環です。
「チャレンジの後押し」に着目したのはなぜでしょうか。
伊藤:直接的なきっかけは、人事制度の刷新です。2021年から運用を始めた新しい制度では、新しいことにどんどんチャレンジする会社をつくることを狙いとしています。制度刷新を検討していた頃、ちょうどHRイノベーション課でもデータ分析のアイテムを模索していたこともあり、社員一人ひとりのチャレンジを後押しする要因を明らかにできれば、制度の企画に貢献できるのではと考えました。
春日:また風通しが良く、誰もがチャレンジに前向きな組織風土は、現場の管理職によるところが大きいものです。そこで「部下のチャレンジを後押しする上司像」を、明らかにしようと試みました。
部下を支援する上司像は、近年新しいリーダーシップの形として書籍などでも知ることができます。しかし組織によってあり方は変わるはずで、一般的な理屈がそのまま通用するわけではないはずです。企業の文化や各部門のビジネスモデルによっても変わって来るでしょうから、京セラとして望ましい上司の態度を解明したいと考え、データ分析に着目しました。
組織におけるチャレンジに対する課題感とは、どのようなものだったのでしょうか。
春日:京セラでは創業から、「チャレンジ」が重要なキーワードでした。一人ひとりがいきいきと活動し、経営者感覚を持ちながら変化を厭わない組織運営を目指してきました。よく知られている「アメーバ経営」という経営手法も、「社内の各部署が、絶えず形を変えながら動く原生生物のアメーバのように、活き活きと活動してほしい」という考えから、名付けられています。
しかし組織規模の拡大や事業環境の急速な変化は、組織の硬直化をもたらしました。社員個人は変革のスピリットを持ち合わせていながらも、発揮しづらい状況になりつつあったのです。2000年代後半から2010年代前半にかけて業績が伸び悩んだことも含めて、現社長の谷本(秀夫氏)は危機感を募らせていました。そのため、就任を機にDXの推進を打ち出し、「チャレンジする組織風土」を経営方針に盛り込んだのです。
田中:京セラに新卒で入社して3年になるのですが、チャレンジに力を入れていることは、たびたび感じます。谷本はよく、若手が意見しやすい環境づくりを管理職層に呼びかけていますし、私のような若手世代と交流する機会も積極的に設けています。
伊藤:谷本が若手だったころは、30代という若いうちから部責任者、他社で言う次長クラスに就くことは珍しくありませんでした。アメーバの人数も少ないことから一般社員と上司の距離が近く、またビジネス自体も今よりずっとシンプルな構造でした。
しかし今は、事業分野によっては、100人規模のアメーバもあります。高校を出たばかりの新人にとって、直属の上司が自分の父親よりも年上ということもあり、幅広い世代の社員がいます。ビジネスニーズを満たすうえで必要な編成ではあるものの、若手や一般社員が「自分も経営を担う一員だ」という感覚を持ち続けることはどうしても難しい。こうした状況を打開するのに、風通しの良さや心理的安全性の確保に注力しているところです。
社員のチャレンジは、どのように評価しているのでしょうか。
春日:創業者の稲盛(和夫氏)の教えに、いちばん良いのは「チャレンジして成功した人」、次が「チャレンジして失敗した人」、三番目に「チャレンジせずに成功した人」が続き、いちばん良くないのは「何もせず失敗した人」というものがあります。チャレンジを後押しするには、失敗の許容が必要なのです。
ただし「失敗してもいい」といっても、その内容が重要です。新たな方向性を見いだすなど、失敗から学びや気づきを得て次につなげることができれば、組織や個人の成長意欲につながるでしょう。
そこで当社では、社員一人ひとりのチャレンジを後押しするための仕組みとして、「チャレンジシステム」という人事制度を設けています。期初に社員が上司と相談しながら、今の自分の能力や立場から少しストレッチした業務目標を定める、という仕組みです。業務目標を掲げるものの、あえて人事考課と100%は連動させないという点において、一般的なMBO(目標管理)とは異なる側面を持ちます。
伊藤:改定前の2020年までの人事制度では、チャレンジシステムと人事評価を完全に切り離していました。評価と連動させるとリスクが取れない、目標に固執する、といった弊害が起こり、チャレンジを阻害するからです。しかし新しい人事制度では考え方を少し変え、チャレンジシステムで設定した業務目標と人事考課には、ゆるやかな関係性を持たせています。チャレンジを促進するという会社の方針を踏まえ、人事評価にも何らかの仕掛けが必要と考えたためです。
当社では職場の同僚への協力や、周りのモチベーションにつながる働きかけなど、担当業務と必ずしも直結しなくても、職場にポジティブに作用する貢献も大切にしてきました。そのため人事評価においては、チャレンジシステムで設定した業務目標を念頭に置きつつも、その人の状況を総合的に評価する仕組みにしています。
社員の感情も考慮してデータを取り扱うことで信頼を築く
ところでHRイノベーション課のみなさんは、元からデータアナリティクスの知見をお持ちだったのですか。
春日:いいえ。伊藤と私の二人だけで部署が始まったのですが、伊藤は人事部が長いですし、私はシステム導入経験があったので、人事施策や保持している人事データはある程度把握していました。しかし、複雑なデータ活用は初めての経験でした。手元のノウハウが圧倒的に不足している状態だったんです。データ分析の基本スキルの習得と並行しながら、外部の方にも協力していただきました。
具体的には、タレントマネジメントを手がけるコンサルタントに、テーマ設定の考え方や調査と分析の進め方などを、1年近くかけて指南していただきました。そして、タレントマネジメントシステムによる人事データの一元管理を推進しつつ、自分たちで分析を行っています。
伊藤:外部の知見を借りるにあたり、単に手法を教わりその通りにやるのではなく、活動の目的、目標等を要件定義することを徹底しています。相談をする際も「データをこういう形で分析し、こんな考察がしたい。どうすると有効か」というように、私たちが取り組もうとしていることを説明したうえで、助言をいただいています。
ただ活動の目的や目標は、事前にすべてを考え抜くことは難しく、分析をある程度進める中で、明らかになってくる面もあります。自力で分析を進める分析スキルや、仮説を立てる力も大事にしています。
また当然ではありますが、社員情報の取り扱いは、社内のデータ取り扱いポリシーを順守しています。データドリブン人事といったことが盛んにうたわれる昨今ですが、個人情報保護の機運も高まりつつありますし、ルール面、感情面の両方で取り扱いには最大限の注意・配慮が必要です。データの取り扱いに対する配慮は、社員と人事の信頼関係を築く上でとても重要だと考えています。
データ分析で重視していることは何でしょうか。
伊藤:課を立ち上げた当初は、予測分析をどんどん行い、今まで経験を主なベースとして判断していたような人事業務をデータ分析で置き換えたいと考えていました。しかしやり始めると、現実的ではないと思うようになりました。データ分析が持つさまざまな限界がわかってきたというのもありますし、何より、人事担当者の問題意識にそぐわない分析結果は活用されないからです。
今は、真の課題が何なのかを洗い出すこと、またその解決に貢献することを一番重視しています。具体的には、人事施策の担当者とよく話したうえですばやくデータを可視化し、担当者から問題の所在や原因の仮説を引き出せるようなファシリテーションに注力しています。また現場マネジャーに有用な人材情報を提供するため、タレントマネジメントシステムの活用も引き続き推進しています。
データアナリティクスもしてはいますが、それよりも現場の課題を定義することと、データの可視化や一元管理の推進によって、現場目線でクイックに課題解決しているというほうがしっくりくるように思います。
春日:データ分析や加工を行えるように、R言語やVBAといったプログラミング言語や便利なITツールの使い方は勉強しました。とはいえ私たちが目指す場所は、データ分析やITスキルを極めることではない、というのが一つの結論です。
私たちに求められているのは、人事課題の解決に直結する課題設定と、人事データを分析に活用しやすい形で整備していくことであり、今後も課として注力していきたいと考えています。
世代によるチャレンジ意欲に影響する要素の違いが明らかに
「部下のチャレンジを後押しする上司像」を解明するにあたって、どのように分析を進めたのでしょうか。
春日:注目した観点は二つあります。一つは、社員のチャレンジ意欲に対し、事業部長のリーダーシップスタイルや職場の状況がどう影響しているのか。もう一つは、社員の属性によって、その影響度がどう変わるかです。社員一人ひとりのチャレンジ意欲を表すデータ項目を目的変数に、上長のマネジメントや職場の状況を表すデータ項目を説明変数に、ランダムフォレスト回帰分析とSHAP(Shapley Addictive exPlanations)という手法で解析しました。
使用したデータは、全社員を対象とした組織サーベイと、幹部社員に昇格する際のアセスメントおよび人事考課です。組織サーベイの「私は新しいことにチャレンジしている」という項目を目的変数としたうえで、そこに影響を与える可能性があるデータ項目100近くを説明変数としてピックアップしました。
人事データは分析に向かない性質がいくつかありますが、ランダムフォレスト回帰分析とSHAPを組み合わせると、そうした問題点をある程度回避しつつ、説明変数の影響度を数値化することができます。
分析に使用するデータや項目は、すんなりと決められたのでしょうか。
春日:サーベイやアセスメントを分析データに用いることはすぐに決まったのですが、チャレンジの指標としてどのデータ項目を選定するかは悩みました。人事評価や部署の業績なども検討したのですが、最終的には先ほど申し上げた組織サーベイの設問に落ち着きました。人事評価や部署業績だと、成果に着目することになり、チャレンジしたけれど失敗したというケースを拾うことができません。失敗して成果につながらなくとも、皆のためにストレッチした取り組みをする限りはチャレンジですので、新しく難しいことに取り組みたいという気持ち、つまり「チャレンジ意欲」を目的変数として採用することにしました。
分析の結果、どのようなことが判明しましたか。
春日:まず、全ての世代に共通して、チャレンジ意欲は事業部長のビジョン構築力が低いと低下し、職場が異なった発言を受け入れる雰囲気にあると高くなることが明らかになりました。少し解釈を加えるなら、職場の風通しの良さに加え、事業の方向性や目的を具体的に示され、共有された雰囲気をつくり上げることが大事だということです。
また属性別にみると、20代社員と30~40代社員に、それぞれ特徴的な傾向が見られました。まず20代社員では、チャレンジ意欲が職場の状況や目の前の実務に影響されやすいことがわかりました。他者と協力したいという意識や採算意識の強さは、チャレンジ意欲の向上と逆の関係にある場合があることもわかりました。事業部長の態度や行動による影響は、低いものでした。
一方30~40代社員は、職場の状況よりも事業部長の影響力が総じて高いことがわかりました。チャレンジ意欲は事業部長のビジョン構築力が高いと向上し、事業部長のストレス耐性が高いと低下する傾向にあります。また、「全社的な経営数値への理解」など全社単位の視点や意識は、チャレンジを後押しする要素の上位にはなりませんでした。
世代によってチャレンジ意欲に関わる要素が異なるのですね。
春日:先ほど話した分析結果を少し解釈してみると、20代社員にとってのチャレンジは「与えられた役割の中で、目の前の仕事に、自分一人の力で取り組むこと」ということです。若手のうちはとても大事な業務姿勢ではありますが、周囲への配慮や人を巻き込むことも徐々に覚えていく必要があります。
ではそうした働きかけや指導は誰がするのが良いか。またこの年代は、職場の状況が影響されやすいという特徴もあります。そのため、職場の状況の中心にいると考えられる、課長や先輩が適任であるといえるでしょう。
30~40代社員にとってのチャレンジは「事業部長級の管理職とコミュニケーションし、自部門での非定形業務でリーダーシップを発揮すること」と考えることができます。この年代は、リーダーとして部署やプロジェクトを率いるといった裁量の大きな非定型業務が増えてくると推測されますが、こうした業務は目的が明確に定義されていることがとても大事です。そうした業務は事業部長との接点をもちながら進めることも多いでしょう。事業部長のリーダーシップにチャレンジ意欲が強く影響されるのは、そのためではないでしょうか。
分析結果を通じて言えることは、ビジョンを明確に示し心理的安全性を大事にするようなリーダーシップが当社でも有効であり、今後求められるであろうということです。以前から一般的に言われていたことではありますが、当社でも実践する価値があるということを、データで証明できました。
ファクトによりビジョンを打ち出すことの重要性を伝える
分析結果は人事制度にうまく活用できたのでしょうか。
春日:実は分析が制度策定のタイミングに間に合わず、制度の内容に直接反映させることは残念ながらできませんでした。これは大きな反省点です。しかし分析で得た考察は、会社にとって大きな財産です。管理職を対象とした研修で、活用を始めています。
課長職の新任研修では、職場の風通しについて取り上げています。心理的安全性の確保に向けて若手を中心に意見に耳を傾けること、役割や職務を全うできるような支援と同時に、若手の視野を広げ、視座を高める働きかけの必要性を解説しています。
事業部長向けの研修では、部署を運営するにあたり、ビジョン、つまり「ありたい姿」を提示する重要性を取り上げています。このことは、「事業の目的、意義を明確にする」という当社のフィロソフィでも従来から言ってきたことです。しかし実際の業務では、採算数字の追求をどうしても優先しがちですので、分析結果をファクトとして示すことにより、ビジョンの重要性を実感してもらうことを狙いました。
今後は人事データを、どのように活用しようとお考えですか。
伊藤:当社の人事のこれまでを振り返ると、企画を立てて施策に移すところを主としている部分が少なからずありました。また企画についても、ファクトの検討に甘さが残っていましたし、効果測定も十分に行えているとはいえません。今後は企画段階での課題設定や施策の効果検証にデータ分析を用いることで、そういう企画立案のやり方を改善したいと考えています。
春日:そういったデータに基づいた企画立案を、多く人事担当者が行えるようにするために、BIツールの導入も始めています。欲しい情報を迅速に集計して可視化することと、よりロジカルに仮説立案をできるようになることで、より濃い議論ができるようになりたいですね。
分析や集計と並行しながら環境を整えていくことが、近々のミッションなのですね。
春日:BIツールをより使いこなすために、データの一元管理をさらに強化する必要があり、データレイクにも注目しています。BIに限らず、データの利活用をスピーディに行う上では、データ収集と前処理の負担を減らすことが肝です。しかし、ここが意外と難しい。先ほどタレントマネジメントシステムでデータの一元管理を進めたと申し上げたと思いますが、そこには登録できないような人事データがあることもわかってきました。データレイクを導入しあらゆる人事データを集約させることで、この問題を解決できるはずと期待しています。
田中:私は、2021年9月まで人事システム全般を運用管理する部門にいましたが、HRイノベーション課に合流してからの3ヵ月間を振り返ると、データ整備にまつわる業務の割合が多くを占めていた印象です。社員2万人分のデータは膨大ですし、今後も蓄積し続けるので、人事システム部門との連携も強化していきたいですね。
伊藤:データ分析の環境づくりだけでなく、将来必要になるであろう、ホットな分析テーマにも取り組んでいきたいですね。たとえば幸福経営や健康経営の企画検討に、データ分析を生かせるのではないかと考えています。
社員のエンゲージメントや働くことの幸福感は、人事制度以上に、日々共に働く同僚や上司との関係性や、職場の雰囲気などが大きく影響すると、よく言われます。そうしたことをピープルアナリティクスで具体的に解明し、アメーバのようにいきいきと動く組織づくりに寄与できたらうれしいですね。
(取材日:2021年12月22日)