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日本の人事部 人的資本経営

人的資本経営の潮流2026/07/30

人的資本経営の推進は離職率を高めるのか

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人的資本経営の推進は離職率を高めるのか

人的資本経営の実践が少しずつ進む一方で、「せっかく人材に投資しても、離職してしまえば投資したお金が無駄になる」と考える企業は少なくありません。転職が珍しくなくなったいま、優秀な人材が流出することへのリスクに、企業はどのように対応しているのでしょうか。人的資本の流出リスクに焦点を当て、キャリア自律と離職率との関係性や企業が取るべきリテンション施策について考えます。

離職率の推移

離職率は高まっていない

厚生労働省の「令和6年雇用動向調査」によると、2024年1年間の常用労働者の離職率は14.2%で、2023年の15.4%を1.2ポイント下回りました。過去の離職率を見ると、5年前の2019年は15.6%、10年前の2014年は15.5%、20年前の2004年は16.0%、30年前の1994年は13.8%でした。長期的に見ても離職率にあまり変化は見られず、近年急激に離職率が高まっているわけではないことがわかります。

雇用形態別に見ると、一般労働者は離職率が11.5%である一方、パートタイム労働者では21.4%と、2倍近い開きがあります。雇用形態によって、人の動きに大きな違いがあることがうかがえます。

若者の3人に1人が3年以内に離職

厚生労働省によると、2022年3月に卒業した就職者のうち、就職後3年以内に離職した割合は、新規高卒就職者で37.9%、新規大卒就職者で33.8%でした。3人に1人以上が、最初に就職した会社を3年以内に離職したことになります。ただしこの割合も、2002年卒の3年以内離職率は高卒48.5%、大卒34.7%となっており、近年上昇したわけではありません。

人的資本経営を進める企業が抱く不安

市場価値が上がれば、他社に移りやすくなるのではないか

離職率が高まっているわけではないにもかかわらず、近年、企業が従業員の離職をより深刻な問題として捉えるようになっている理由は複数あります。まず、人手不足が進み、離職した人材の代わりを採用することが難しくなっていること。次に、事業を支える専門人材やデジタル人材など、育成に時間のかかる人材の重要性が高まっていること。さらに、転職サイトやSNSを通じて、社外の求人に簡単にアクセスできるようになったことなどが挙げられます。

人的資本経営では、人材を「企業価値を生み出す資本」として捉えます。そのため企業は、研修やリスキリング、チャレンジングな仕事への配置など、人材への投資を通じて、一人ひとりの能力や経験を高めていきます。

そこで生じるのが、「社員の市場価値を高めるほど、転職しやすくなるのではないか」という不安です。確かに新たな学びを得て専門知識を身につけ、社外でも評価される実績を積んだ従業員には、他社から声がかかりやすくなることは否定できません。

企業が多額の育成コストをかけた社員が転職してしまったとき、「他社で活躍する人を、自社の費用で育てた」と感じることがあります。そうなると、社外でも通用するようなスキルを高める投資に躊躇してしまう場合があります。

キャリア自律の促進が転職意向を高めるのではないか

人的資本経営を進めるうえで効果的な施策の一つが、従業員のキャリア自律の促進です。個人の持つポテンシャルを引き出し、その価値を高めるキャリア自律は、人的資本経営と強く結びついたものと言えます。

一方で、「キャリア自律を促すと、社員が転職を考え始めるのではないか」という懸念も生まれます。実際、自分の強みや価値観、将来の希望を整理することは、必然的に現在の仕事や会社が自分に合っているかを見直すことにつながります。その結果、転職を選択肢として意識する可能性は高いと言えます。

パーソル総合研究所の調査では、自らの市場価値を高く認識している人材の場合、キャリア自律度が高いほど転職意向も高い傾向が示されています。特に、若手で「市場価値が高い」と考えている層では、その傾向が強く見られます。

人的資本経営は離職を増やすのか

離職は人材育成の失敗ではない

人材を育てるには、少なくない費用を必要とします。そのため、育てた人材が外部へ流出することを、痛手と考える企業は多いでしょう。しかし、投資が外部への流出につながることは、必ずしも投資の失敗を意味するわけではありません。

人的資本経営の目的は、従業員の能力を高め、その能力を事業や価値創造につなげることであり、人材を会社にとどめておくことではありません。市場価値が高まった人材が転職を考える可能性だけに目を向け、学習機会を与えなければ、社員の能力も企業の競争力も伸びません。また、競争力を失った会社に、優秀な人材が長く残り続けるとは考えにくいでしょう。

人的資本経営コンソーシアム事務局が2024年に公表した調査では、リスキリング・学び直しの機会を提供している企業の中で、「離職率が高くなったと感じる」と回答した割合は1.1%にとどまりました。これは、「離職率が低くなったと感じる」の10.0%を下回ります。

たとえ投資した人材が離職したとしても、その人材が得た知識が業務改善や新規事業、後輩の育成などに活用されているのであれば、企業は「リターンを得た」ということができます。

離職の問題はキャリア自律やスキル向上の「後」に生まれる

パーソル総合研究所の調査では、キャリア自律度が高いからといって、一律に転職意向が高まるわけではないことも示されました。市場価値とキャリア自律度がともに高い人材でも、「社内で昇進できる見通し」や「やりたい仕事ができる見込み」がある場合には、転職意向が下がっていることが、同調査では明らかになっています。

逆に言えば、高いスキルを持ち、キャリア自律を高めた人材が、社内で希望する仕事や成長の道筋が見つからなかった場合に、転職意向が高まると考えられます。

また、同研究所による離職の原因についての調査で、2019年と2025年の離職者が持つ不満を比べたところ、「育成・教育の体制が十分でない」との理由は減った一方で、「求められる成果が重すぎる」「受けている評価に納得できない」といった不満が高まっていることが明らかになりました。

ここからは、人材が成長するほど、任される仕事や期待される成果は大きくなるにもかかわらず、権限や処遇が変わらなかったり、評価の根拠が不明確だったりすることで不満がたまり、離職に踏み切る状況が浮かび上がってきます。

人材投資を控えることが離職リスクにつながる

従業員が会社の外の情報に触れることを可能な限り制限し、社内でしか通用しない知識だけを身につけさせることは、社外への流出を防ぐ効果があるかもしれません。しかし、技術や事業環境の変化スピードが速い昨今、新しい知識を学ぶ機会がない会社に在籍し続けることは、従業員自身のキャリアにとってリスクになります。そのような環境では、意欲のある人材ほど離職リスクが高まります。

従業員が転職できる力を持つことと、実際に会社を辞めることは、決してイコールではありません。人的資本経営におけるリテンションとは、人材を社内でしか力を発揮できないように囲い込むことではなく、社外でも通用する力を身につけさせたうえで、その力を社内で発揮でき、正しく評価される環境をつくることです。そして転職できる力を持った人材から、「それでも自社で働き続けたい」と思われることが、会社の価値向上に大きく寄与します。

また長い目で見れば、たとえ人材が外部へ流出したとしても、「優秀な人材を輩出する会社だ」ということが周知されることで、採用面ではプラスになる可能性も考えられます。

企業が取るべきリテンション施策

離職率の分析

ひとくちに離職といっても、その中身はさまざまで、意味も異なります。例えば、今後の活躍に期待して投資した若手社員の自発的な退職や専門人材の退職と、会社とのミスマッチが続いていた社員の退職では、経営に与える影響は異なります。人材の健全な入れ替わりには、組織の硬直化を防ぐ効果もあります。

そこで、一律で離職率を低下させようとするのではなく、まずは自社の離職率を分析することが重要です。具体的には、離職者を年齢、勤続年数、職種、勤務地、所属部署、上司、評価、退職理由などに分けるとともに、離職されると自社にとって大きな痛手を負う人材を特定しておく必要があります。そのため、離職率の分析には、その前に人材ポートフォリオを策定しておくことが欠かせません。

そのうえで、「誰が、どこから、どのタイミングで辞めているのか」を確認します。分析を進めると、「この部署では業務負荷が大きすぎる」「人間関係に問題がある」といった実態や、さらに一歩進んで「自社が求める人材は、自社で成長実感を得られていない」といった問題が示されるかもしれません。

人的資本経営コンソーシアム事務局によるリスキリング・学び直しと離職率の調査では、リスキリングが離職率に及ぼす影響について「わからない」とした企業が、4割を超えました。これは、人材投資と離職率との関係を測定できていない企業が少なくないことを示しています。リテンション目的の施策を実施する場合は、その施策と離職率との関係を継続的に検証することが効果的です。

離職理由を分析する際は、退職面談に加え、在職者への「なぜこの会社で働き続けているのか」を尋ねるステイインタビューやエンゲージメント調査、1on1なども行うことが重要です。離職率は、実際に「退職」という行動が起きた後に表れる遅行指標です。社員が辞める前の変化を捉える指標を持っておくことが、リテンションにつながります。

キャリア面談の実施

キャリア面談を実施し、現在の業務評価だけでなく、本人が大切にしている価値観や今後身につけたい能力、働き方の希望を中長期的な視点で確認することが重要です。また可能であれば、上司だけでなく、人事担当者や社内キャリアコンサルタントなど、評価権限を直接持たない相手に相談できる仕組みも効果的です。

もちろん、面談で出た希望をすべて実現することはできません。しかし、「その希望は無理だ」と否定するのではなく、いま希望がかなえられない理由、必要な経験・スキル、異動が可能な時期、社内のほかの選択肢などを示すことができれば、本人は社内での将来を描きやすくなります。

リスキリング

昨今はビジネス環境の変化が速いため、従来の職種、スキルだけで長期間活躍し続けることが難しくなってきています。そこで必要になるのが、リスキリングです。会社として今後必要になる職種やスキルを明示し、今後のキャリアの展望まで含めたリスキリングを行うことが重要です。

社内公募、社内FAを含む柔軟なキャリアパス

従業員が現在の仕事に違和感を持ったとき、選択肢が「我慢するか、退職するか」の二つしかなければ、転職につながりやすくなります。せっかく人材に投資しても、学んだ内容を生かせる仕事を与えず、能力や意欲を低下させているようでは、人材投資を十分に回収できているとはいえません。

そこで有効なのが、社内公募や社内FA(フリーエージェント)を含む、柔軟なキャリアパスです。一般的に、社内公募は部署がポストや仕事を公開して社員が応募する仕組み、社内FAは社員が自分の能力や希望を公開して部署側が獲得に動く仕組みです。

社内公募や社内FAでは、募集されている仕事の内容、求められるスキル、処遇、選考方法を明確にし、社員が安心して応募できる仕組みにすることが大切です。異動に至らなかった場合は、何が不足していたのかを本人に伝え、次の挑戦につなげる必要があります。

副業・兼業

副業・兼業を認めると、本業への意欲が下がったり、転職につながったりするのではないかと懸念する企業もあります。しかし、社外で働くことが、直ちに離職につながるとは限りません。

人的資本経営コンソーシアムの調査では、副業・兼業を認めた効果として、7.0%の企業が「離職率の低下」を挙げました。また、同調査では「従業員のスキル向上や能力開発」が62.1%、「モチベーションやエンゲージメントの向上」が57.0%、「社外とのネットワーク構築」が40.2%となっており、リテンションだけではないさまざまな効果も期待できます。

越境学習

他社、NPO、地域、大学など、普段とは異なる環境で学ぶ越境学習も、社員の視野を広げる機会になります。自社の役職や常識が通用しない越境先で、異なる価値観を持つ人と協働し、自分の強みや弱みを見直すことで、新たな視点を得ることができます。

越境学習を実施する場合、企業は「送り出して終わり」ではなく、越境先で何を学んだのか、その経験を現在の仕事や次の配置にどう生かすのかを設計する必要があります。新しい提案を持ち帰った社員に対して、「うちの会社では無理だ」と退け続ければ、本人は会社を変えることを諦め、会社そのものを離れてしまう可能性が高まります。

コミュニケーションの活性化

離職防止というと、研修やキャリア制度といった施策に注目しがちですが、日常の職場環境を改善することも欠かせません。社員が辞めるかどうかは、会社の制度だけでなく、直上司との関係にも大きく左右されるためです。

コミュニケーションの活性化を図るには、日々の雑談や1on1などを通じて従業員の本音を知ることが重要です。「1on1を実施すること」自体を目的にせず、メンバーの声に耳を傾け、本音に寄り添う姿勢が求められます。

働き方・評価制度の改善

働き方改革の重要性が叫ばれて久しい現在も、業務量の多さに悩む人材は後を絶ちません。また、価値観の多様化が進み、長時間労働を是としない考え方も広がっています。そこで、とりわけ長時間労働が常態化しているような会社、部署、チームでは、働き方において改善できるところはないかを考え、実行することが重要です。また、その働きぶりや成果を、公正に評価することも求められます。

アルムナイの活用

どれほどリテンション施策を充実させても、すべての従業員に定年まで在籍してもらうことは現実的ではありません。そこで、退職を「関係の終わり」と考えないことが、これからの企業と人材の関係性として注目されています。

アルムナイネットワークを整備し、退職者との交流を続ければ、再入社、業務委託、協業、新規事業、採用候補者の紹介など、さまざまな関係を築くことができます。社外で新しい経験を積んだ人が戻ってくる「ブーメラン採用」は、外部の知識と社内への理解を併せ持つ人材を獲得する方法にもなります。

退職者を裏切り者のように扱ってしまうと、残った社員は「この会社は辞める人を大切にしない」と考えるようになります。社員が円満に卒業できる会社であることも、在職者から信頼される条件となります。

関連指標を開示する

リテンション施策の効果を把握するには、離職率や関連指標を継続的に測定し、施策の実施状況との関係を検証する必要があります。また、人的資本情報として社外に開示する場合は、全体の離職率だけでなく、自社の人材戦略上重視する指標や、その指標を選んだ理由を説明することが重要です。

自社が重視する関連指標は、具体的には自己都合退職率、若手社員の定着率、重要職種の離職率、社内異動率、社内公募の応募者数と成立数、キャリア面談の実施率、研修後の配置転換率、アルムナイからの再雇用者数などが挙げられます。どの指標を重視するかは、企業によって異なります。

数値目標を絶対視するあまり、無理に人材を引き留める必要はありません。本人と会社の方向性が一致しない場合は、納得できる形で次のキャリアに進める状態のほうが、企業にとっては健全です。開示する指標についても、「低ければ低いほどよい」と考えるのではなく、どのような人材戦略を実現するために、その指標を追っているのかを説明する必要があります。

企業例

ソニー:自分のキャリアは自分で築く

「多様な個」を軸とする人事戦略を展開するソニー。社員と会社がお互いに選び合うことを伝統的に実践し続けており、創業時から「人材の多様性」と「事業の多様性」を競争力の源泉と置き、その流れの中で人的資本経営を実践しています。人材に対しては、「挑戦の選択肢を豊富に与えることが、リテンションにもつながる」と考えています。

たとえば、社員が自ら社内の求人やポストに応募できる「社内募集制度」は、1966年に開始。現在は所属部署に2年以上在籍していれば、上司の許可を得ずに自由に応募できると定められており、制度を利用して異動した人材は、累計8000人を超えています。

社内FA制度は、仕事を通じて高評価を獲得した社員に対して、FA権が与えられる仕組みで、制度開始以来、FA権を付与された人数は5000人以上に及びます。そのほか、本来の担当業務を続けながら、業務時間の20%~30%を別の仕事に充てることができる「キャリアプラス制度」、ソニーグループ内で新たな業務へのチャレンジを希望する社員と、⼈材を求めている部署をマッチングする「Sony CAREER LINK」など、さまざまな制度を設け、従業員のチャレンジを後押ししています。

サントリー:全社員型タレントマネジメント

サントリーは、個人のキャリアビジョンに基づき、一人ひとりの成長と事業・組織の成長を結びつける「全社員型タレントマネジメント」を実践しています。中長期的な育成計画にもとづいた個人の成長と、事業や組織の成長を加速させる適材適所の配置を目指し、人事部門は、年間500人以上の社員と1対1で面談。主に春季・秋季に行われる人事異動によって、年間約700人の社員が新しい仕事に挑戦し、その多くが事業、地域、職種をまたぐ異動となっています。

同社は企業の成長の源泉は「人」であると考え、2015年4月には企業内大学「サントリー大学」を開校しました。これは、すべての社員を対象にした人材育成プログラムの総称であり、学習プラットフォーム「MySU (My Suntory University)」では、1万8000以上の社内外のオンライン講座や動画・資料などから、いつでも自分に合ったものを選んで学ぶことが可能となっています。

同社は従業員がキャリアビジョンを描くことを重視しており、年に1度「キャリアビジョン面談」を実施。中長期視点を持った「キャリアビジョン」をつくり上げるだけでなく、その従業員に合った配置につなげていくことも重視しています。自身のキャリアを考えるにあたっては、各社・各部署の業務内容や求める人材などの参考情報を集約したWebサイト、「キャリアサイト」を設け、さまざまな情報を発信しています。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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