テクノロジーは、人間の仕事を奪う脅威ではなく
タスクを高度化し、生産性を高めてくれる武器である
慶應義塾大学 商学部 教授
山本 勲さん
70年ぶりに大規模な改正が行われた労働基準法に代表されるように、日本の労働環境は大きな転換期を迎えています。男性中心の画一的な組織による長時間労働のモデルから脱却。より多様な人材が活躍し、新しい価値を創造できる、生産性の高い働き方へのシフトが求められているのです。このような時代に注目されるのがAIやVR、クラウド、アプリケーションなどのテクノロジー活用です。労働経済学を専門とし、雇用やワーク・ライフ・バランス、ダイバーシティなどのデータについて研究している慶應義塾大学 商学部教授の山本勲先生に、人事部門におけるテクノロジー活用の現状や人事データ活用の極意についてうかがいました。
- 山本 勲さん
- 慶應義塾大学 商学部 教授
やまもと・いさむ/1970年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業、慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程修了。1995年に日本銀行入行、2003年にブラウン大学経済学部大学院博士課程を修了(経済学博士)。2007年、慶應義塾大学商学部准教授を経て、2014年より現職。専門領域は応用ミクロ・マクロ経済学、労働経済学、計量経済学。労働市場を分析対象として、労働時間や賃金、雇用形態、ワーク・ライフ・バランス、ダイバーシティ、メンタルヘルス、人材マネジメント、技術革新などのテーマについて、企業や労働者の多様なデータを用いた定量的な検証を行っている。主な著書に『人工知能と経済』(編著、勁草書房)、『労働時間の経済分析』(共著、日本経済新聞出版社)など。
日本企業の人事部門では、テクノロジー活用が進んでいない
日本企業の人事部門におけるテクノロジー活用の現状について、どのような印象をお持ちですか。
企業や労働者のデータを用いた定量的な検証を行う際に、企業の人事担当者と話をする機会があるのですが、日本の人事部門は経営戦略やマーケティング関連の部署などと比較すると、テクノロジーの活用があまり進んでいない印象です。
積極的にテクノロジーを取り入れている先進的な企業もありますが、テクノロジー活用以前に、そもそも主体的にデータを収集していなかったり、データがあったとしてもそれを貴重なデータだと認識していなかったりするケースが少なくありません。人事部門では、従業員の査定評価や出退勤時間、職務経歴などさまざまなデータを保有しているわけですが、なにかを分析する際にそれらのデータを組み合わせて傾向を検証したり、新しくデータを収集して意思決定に役立てようとしたりする発想に乏しい傾向があります。
なぜ、人事部門ではテクノロジーの活用が進んでいないのでしょうか。
一つは、「人に対する評価や判断をコンピューターやAIに任せるわけにはいかない」という考えが根強いことが挙げられます。採用も教育も評価も、「人にかかわることなのだから、人が行うべきだ」という考えが根底にあり、テクノロジーの活用に目が向けられていないようです。また、人事特有の組織事情が影響しているケースもあります。日本では固定化された時期に一括で新卒採用を行いますから、人事部門は新卒採用に大きな労力を割きます。採用活動の対応に精一杯で、データを収集して分析したり、新しいテクノロジーを取り入れたりといった変化を生み出していく余裕がありません。加えて、人事部門はローテーションで異動することが多く、中長期的な視点で抜本的に人事手法を改革しようとするマインドを持ちにくい側面もあります。
人事部門がAIなどのテクノロジー活用に消極的だった場合、企業にはどのようなリスクがありますか。
テクノロジー導入の大きな目的の一つは「生産性を高める」ことですから、テクノロジー活用に消極的であった場合、「組織の生産性が下がる」といえます。こういう話をすると、「AIを導入しなければ、人事の仕事が奪われるリスクもない。自分の仕事を守れるのだから、それでいいじゃないか」と考える方もいます。ただ、競合他社がどんどんテクノロジーを取り入れて業務を合理化していく一方、自社だけがいつまでも手作業で属人的なやり方を続けていたら、どうなるでしょうか。当然、企業としての競争力は落ちていきます。短期的に自身の仕事を守ったとしても、倒産してしまえば元も子もありません。
働き方改革や女性活躍の推進がテクノロジーを導入する好機に
現代の労働市場をふまえて、今後、日本の人事部門は、どのようにテクノロジーを活用していくべきでしょうか。
さまざまな見方があると思いますが、大切なのは「テクノロジーはあくまでツールに過ぎない」ということです。いくら画期的なテクノロジーがあっても、使われなければ、その価値や効果を実感できません。世界的にITが普及したときも、日本では欧米に比べてIT化が進まなかったといわれています。今もなお、ITが代替できるルーティン業務の多くを人が担っているのが実状です。ITも、最先端のテクノロジーも、そこにあるだけでは機能しません。どれだけビジネスのなかに取り込んでいけるかが重要なのです。
労働市場の変化が大きい現代は、組織や事業にテクノロジーを取り入れやすいタイミングでもあります。労働人口の減少という課題を前に、生産性向上を目的とした働き方改革や、女性・高齢者・外国人の登用を積極的に行うダイバーシティの取り組みが活況だからです。「残業時間を減らすために、新しいテクノロジーを導入してみよう」「女性の採用数が増えない原因はどこにあるのか、データを見て分析しよう」と行動に移しやすい。漠然と「テクノロジーを活用しよう」といわれても何から着手していいのか迷ってしまいますが、あらゆる企業でさまざまな改革が行われている今なら、ビジネスの課題とテクノロジーの活用を結びつけやすいのではないでしょうか。
また、テクノロジーなどの新しいツールを導入する際は、仕事の進め方を見直す必要があります。「この作業はAIにやってもらおう」「この業務は、人が判断したほうがいいだろう」というように分担していくことで業務フローが「見える化」されていきます。これはテクノロジー導入による一つの利点です。社内の業務整備とテクノロジーの掛け合わせで生産性はさらに高まり、効果をより実感できるはずです。
テクノロジーを積極的に活用する先進的な企業では、どのようなシーンで活用しているのでしょうか。
例えば、「新卒採用のエントリーシートの読み込みと評価」にAIを活用している企業があります。前年度までのエントリーシートの合否結果をAIが学習し、そのデータと照らし合わせて、書かれている内容の一次評価をAIが行う、というものです。これにより人事担当者は、膨大なデータの読み込みを行う手間が軽減され、学生との対面でのコミュニケーションにより多くの時間を割くことが可能になります。
「AIにエントリーシートを評価することができるのだろうか」と思われる方がいるかもしれませんが、データ量が豊富にあり、繰り返しの作業が多いタスクなので、むしろAIの得意分野です。エントリーシートにどのような内容が書いてあれば合格になりやすいかを解析する指示を出せば、AI がエントリーシートを読み込み、優先順位をつけてくれます。
ルーティン化できる仕事をテクノロジーに任せることで、人事担当者は「人にしかできない業務」に注力することができますね。
その通りです。そこにこそ、テクノロジー活用の真髄があると考えています。私はよく「タスクの高度化」という言葉を使うのですが、定型業務はAIに任せ、難易度の高い業務を人が担うことで、生産性を飛躍的に高めることができます。これによって人事部門に余裕が生まれ、これまで着手できていなかった仕事に挑戦できたり、本質的な改革を推進できたり、新しいアイデアが生まれやすくなったりするかもしれません。テクノロジーの活用は、本来、「人の仕事を奪われる脅威」ではなく、「人のタスクをどんどん高度化してくれる武器」なのです。
お話をうかがい、テクノロジーの活用が、企業の生産性や競争力を高める有効なツールであることがわかりました。一方、従業員個人にとっては、どのようなメリットがあるのでしょうか。
テクノロジーやデータを活用することは、暗黙知で進められている業務を「見える化」することでもあります。属人的な仕事の進め方から脱却でき、客観性や公平性が高まります。これまでの日本企業で行われていたような人の感性や勘に頼った仕事の仕方ではなく、ある一定の基準やデータに基づいた判断がなされるわけです。客観性・公平性が高まることは、従業員にとっても働きやすさやモチベーションの向上につながるのではないでしょうか。