人的資本経営とダイバーシティ&インクルージョン
人的資本経営、ダイバーシティ&インクルージョン、ジェンダー、高齢者、障がい者、LGBT
人的資本経営を進める上で欠かせない要素の一つが、ダイバーシティ&インクルージョンです。多様な個人をかけ合わせるダイバーシティ&インクルージョンの推進は、企業の価値を生み出す源泉といえます。本記事では、人的資本経営の中で求められるダイバーシティ&インクルージョンについて解説します。
1.人的資本経営の中でダイバーシティ&インクルージョンが求められている背景
人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンとは
「多様性」と訳されるダイバーシティと「受容」を意味するインクルージョン。この二つからなる「ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)」は、性別や国籍、価値観にとらわれずに一人ひとりを認め、その個性を生かしていくことを意味します。
ダイバーシティ&インクルージョンが注目を集める背景には、いくつかの要因があります。まず労働人口が減少したことで、人手不足が続く中で労動力の確保が課題となっており、女性や高齢者、外国人といった多様な属性の人材を活用しようする動きが活発化しています。また、グローバル化をはじめとする市場環境の変化による影響は大きく、さまざまな価値観を持つ人材が重要だと考える企業が増えています。
ダイバーシティ&インクルージョンの推進は、優秀な人材の定着や新たなイノベーションの創造にもつながります。人材の価値を最大限に引き出し、中長期的な企業価値の向上を目指す人的資本経営の推進において不可欠なファクターといえます。
ダイバーシティの分類
・属性(デモグラフィックダイバーシティ)
性別や国籍、年齢といった「目に見える」多様性を指します。女性管理職比率や障がい者雇用率など、現状や目標を数値として明確化できるものが多い傾向にあります。根拠を法律に求められるものも多く、企業のダイバーシティ推進の嚆矢(こうし)として設定しやすいものと言えます。
・価値観(コグニティブダイバーシティ)
経験や意見、価値観といった「目には見えない」多様性です。同質性の高い集団は新しいアイデアが生まれにくく、リスクを見落とす可能性が高くなります。イノベーションを起こし、企業の成長につなげていくには、組織がさまざまな価値観を持つ人材で構成されていることが重要です。
・働き方
雇用形態や勤務時間、勤務場所といった柔軟な働き方の設定も、ダイバーシティの一つです。新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、在宅勤務や副業を許可する企業が 増加しました。育児や介護といったさまざまな制約を抱えた個人を活用する上でも欠かせない要素といえます。
ダイバーシティ&インクルージョンを経営に取り入れるメリット
・従業員のエンゲージメント向上
多様性が受け入れられるインクルーシブな職場では、従業員が「自分は尊重されている」と感じるようになります。結果として、従業員エンゲージメントの向上が期待できます。
・イノベーションの創出
多様な人材が集まることで、業務プロセスや製品のイノベーションを生み出すことができます。8ヵ国1700ヵ社以上の従業員を対象としたボストンコンサルティンググループの調査では、特に経営層の多様性とイノベーションの間に強い相関があることが明らかになりました。売上高全体のうち、イノベーションによる売上が占める割合は、多様な経営層がいる企業では45%だったのに対し、多様性がみられない企業では26%という結果が出ています。
・競合優位性につながる
ダイバーシティ&インクルージョンを推進することは、投資先としての魅力を増進することにもつながります。内閣府によるアンケート調査によると、女性活躍に関する情報を活用している機関投資家の7割が、活用している理由を「企業の業績に長期的には影響がある情報と考えるため」と回答しています。
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2.ダイバーシティ&インクルージョンの現状と目標
ダイバーシティ&インクルージョンに関連する法律・制度と実態
ジェンダー
【法律】女性活躍推進法/育児介護休業法
女性労働者を取り巻く問題を解消するため、2015年に公布されたのが「女性活躍推進法」(女性の職業生活における活躍の推進に関する法律)です。従業員101人以上の事業主に対して女性の活躍状況や行動計画を公表するよう求めており、2022年には従業員301人以上の企業に対して男女の賃金差異を開示することが義務付けられました。
育児・介護休業法は、原則1歳未満(最長2歳まで)の子どもを養育するための休暇を認める制度です。2022年からは、男性社員への育児休業取得の意向確認や産後パパ育休制度の創設など、男性の育児参加を促す制度が展開されています。
【現状】
パーソルホールディングスの調査によると、女性活躍推進の取り組み状況について、「十分に取り組めている」「ある程度取り組めている」と答えた企業の合計は全体で6割弱に上ります。一方で世界経済フォーラムが発表した2022年の「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は146ヵ国の中で116位と、ジェンダーに大きな格差があることがわかります。
また女性管理職比率を見ると、2021年時点で部長級7.8%、課長級10.7%にとどまっています。育児休業取得率は、女性が8割台で推移している一方で、男性は2021年度で13.97%と低い水準にあります。
企業の施策としては、約8割の事業所が育児休業制度の規定を制定。労働時間の短縮措置制度も約7割の企業が規定しています。また、子どもを持ちたい社員向けに、3社に1社の割合で不妊治療と仕事の両立支援制度を導入しています。
高齢者
【法律】高年齢者雇用安定法
働く意欲がある高齢者が活躍するための環境整備を図るのが「高年齢者雇用安定法」(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)です。1971年に制定されて以降、改正を繰り返し、現在は65歳までの雇用の義務および70歳までの就業機会確保義務(努力義務)が定められています。
【現状】
2022年版の高齢社会白書によると、2021年時点の65歳以上の労働力人口は926万人で、労働力人口総数に占める割合は13.4%と年々上昇し続けています。性別で見ると、男性では60~64歳で82.7%、65~69歳で60.4%。女性では60~64歳で60.6%、65~69歳で40.9%。特に男性の労働参加率が目立ちます。
現在収入のある仕事をしている60歳以上の約4割が「働けるうちはいつまでも働きたい」と回答。「70歳くらいまで」~「80歳くらいまで」の回答と合わせると約9割となり、高齢期にも高い就業意欲を持っている人が多いことがわかります。
企業側も多くの企業が65歳までの高年齢者雇用確保措置を実施しており、そのうち7割が継続雇用制度を導入しています。70歳以上まで働ける制度のある企業は4割ほどに上りますが、定年制を廃止している企業は約4%にとどまります。
障がい者
【法律】障害者雇用促進法
障がい者の職業の安定を図るため、1960年に「障害者雇用促進法」(障害者の雇用の促進等に関する法律)が制定されました。障害者手帳を所持している障がい者を対象に、企業が雇用すべき障がい者の割合を定めており、2026年度の2.7%に向けて段階的に引き上げていくことが決まっています。違反した場合は、不足一人当たり月5万円を納付することが定められています。
【現状】
2022年時点で雇用されている障がい者数は61万人、実雇用率は2.25%と、いずれも過去最高を達成しています。一方で、未達成企業は48.3%と前年より悪化。未達成企業のうち6割弱が障がい者を一人も雇用していない状況です。企業別に見ると、法定雇用率を上回っているのは1000人以上の規模の企業のみです。
外国人
【法律】出入国管理法/労働施策総合推進法
外国人の就労を認める法律が「出入国管理法」(出入国管理及び難民認定法)です。永住者や日本人の配偶者の就労活動には制限がありませんが、それ以外の場合は「技術」「人文知識・国際業務」など、18種類の領域での就労が認められています。2018年には、介護や農業など国内で人材を確保することが困難な産業分野で外国人を受け入れるための「特定技能制度」が創設されました。
そのほか労働施策総合推進法において、雇入れ・離職の際の届出や、事業主が対処すべき指針について定めています。
【現状】
パーソルホールディングスの調査では、外国人採用について、「十分に取り組めている」「ある程度取り組めている」の合計は全体で50.2%との結果になりました。とくに超大手企業では64.9%と、グローバル化が進展していることがわかります。
2022年時点では、外国人労働者数は182万人、外国人を雇用する事業所数は28万ヵ所と、いずれも過去最高を更新。在留資格別では、「専門的・技術的分野の在留資格」が 48万人で最多です。国籍別に見るとベトナム(46万人)、中国(38万人)、フィリピン(20万人)の順となっています。
LGBT
【制度】パートナーシップ制度
現在、LGBTのカップルを対象とする法律はありませんが、自治体が独自にカップルを「結婚に相当する関係」として認めるのが「パートナーシップ制度」です。自治体にもよりますが、パートナーシップ制度を利用することで、公営住宅の入居や生命保険の受取など、さまざまなサービスや社会的配慮が受けやすくなります。
【現状】
2015年に東京都渋谷区と世田谷区が導入して以降、パートナーシップ制度を制定する自治体は年々増加しています。公益社団法人MarriageForAllJapan によると、2023年3月時点で250以上の自治体がパートナーシップ制度を施行しており、人口カバー率は6割を超えています。
一方、企業では対応が進んでいない現状が明らかになっています。「人事白書2022」の調査では、LGBTの従業員を支援する施策について「特に実施している施策はない」と答えた企業が8割近くに上りました。職場がカミングアウトしやすい環境かどうかを聞いた質問に対する回答は「そう思う」が4.2%、「どちらかというとそう思う」が16.4%にとどまっています。
3.人的資本経営で求められるダイバーシティ&インクルージョン
2010年代に入ってから、世界中のさまざまな国や団体が非財務情報の開示に関するガイドラインを策定。その中には、ダイバーシティ&インクルージョンに関する項目が数多く盛り込まれています。また今後、法的にも開示が義務付けられることが決まっています。
ISO30414
人的資本経営を推進するためのガイドラインとして、現在世界的に活用されているのがISO30414です。ISO30414では人的資本を11領域49項目にわけてそれぞれの項目について定量化を求めており、ダイバーシティもその中に含まれています。
- ダイバーシティ(年齢/性別/障害/その他)
- リーダー層のダイバーシティ
人材版伊藤レポート
「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書(通称:人材版伊藤レポート)」では、人材戦略を策定する際に「五つの共通要素」を意識することが重要だと述べています。その要素の一つが「知・経験のダイバーシティ&イノベーション」であり、同レポートでは「企業は従業員の持つ経験や感性、価値観、専門性を積極的に取り込み、具現化していくことが必要」としています。
ダイバーシティ&インクルージョンを推進するうえでは「キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング」と「課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有」に着目すべきとし、推進のためのポイントを述べています。
キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング
- 目標とする比率とその理由の明確化、取締役会での議論
- 多様性を発揮するための属性ごとの課題の特定と克服
- 定着・能力発揮についての目標化、特に重要ポジションにおける定 着状況の社外工夫
- 経営陣に関するダイバーシティ&インクルージョンの目標の設定
- 定着・能力発揮の状況に関する、対象となる人材と所属部門双方に 対するフォローアップ
課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有
- 一時的な状況でマネージャーを評価せず、マネジメントの改善を高く評価する運用
- ダイバーシティマネジメント上の工夫の共有・勉強会を奨励
- 特に苦労している課長・マネージャーには人事部門と所属部門が協働で支援
人的資本可視化指針
人的資本に関する既存の基準やガイドラインの活用方法について整理した手引書として作成されたのが「人的資本可視化指針」です。開示が望ましい項目としてダイバーシティを挙げ、具体的な項目を列挙しています。
- 属性別の従業員・経営層の比率
- 男女間の給与の差
- 正社員・非正規社員等の福利厚生の差
- 最高報酬額支給者が受け取る年間報酬額のシェア等
- 育児休業等の後の復職率・定着率
- 男女別家族関連休業取得従業員比率
- 男女別育児休業取得従業員数
- 男女間賃金格差を是正するために事業者が講じた措置
有価証券報告書
ダイバーシティに関する情報の一部は、2023年内にも上場企業に対する有価証券報告書への記載が義務付けられることが決まっています。
- 女性管理職比率
- 男性の育児休業取得率
- 男女間賃金差異
4.企業の実践例
ジョンソン・エンド・ジョンソン
ジョンソン・エンド・ジョンソンでは、1943年に起草された「我が信条(Our Credo)」を事業運営の中核と位置付けています。その中で「全社員に対する責任」を果たすものとして、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)の推進を掲げています。
クレドの理念のもと、経営層からのコミットメントや人事面でのサポート、各部署での取り組みなど、さまざまな面からDE&Iを育む文化を醸成。社員が自発的にERG(Employee Resource Group)というグループをつくり、さまざまなテーマに沿って勉強会やイベントを実施しています。
ERGは、グローバルでは約20団体、日本法人グループでは「ジェンダー」「LGBTQ+」「障がい」「世代」の四つのテーマで活動。ジェンダーグループには4割の男性メンバーが所属するなど、チームの構成にも多様性を発揮しています。このような風土がヘルスソリューションを展開する同社の原動力となっています。
味の素
味の素は2008年、経営戦略に「ワークライフバランス向上」を掲げ、「味の素グループ WLBビジョン」を策定。2017年には「ダイバーシティ推進タスクフォース(現D&I推進チーム )」を設置するなど、働き方の変革とダイバーシティ&インクルージョンの推進に努めてきました。
D&Iに関するeラーニングやアンコンシャスバイアス研修の実施のほか、2020年からは在宅勤務導入の機会を生かしてLGBTQに関するパネルディスカッションや介護についての情報を発信するオンラインセミナーも実施。家事と育児の両立支援セミナーでは、社外のパートナーとの参加も認めています。
また、個人の中に多様な価値観があることに着目し、社員一人ひとりが複数の経験やスキルを合わせ持つ「ひとり多様性」を推奨。働き方改革で創出した時間を自分磨きに充てることで、従業員と企業がともに成長していくことを目指しています。
日本マクドナルド
年間のべ約14億人が訪れ、19万人のクルーが働くマクドナルド。女性役員比率が3割を超えており、個性を尊重してオープンな組織づくりをサポートする「オープンドア!チーム」をつくるなど、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョンを力強く推進しています。
同社の特徴の一つが、店舗における人材の多様性です。店舗では60歳以上のクルー(プレミアムエイジクルー)や障がいがあるクルー(チャレンジクルー)、約100ヵ国以上の外国人クルーが勤務。中でもプレミアムエイジクルーの比率は年々増加しており、全クルーの3割ほどに達しています。
同社のプレミアムエイジクルー活用の秘訣は、「特別扱いしない」こと。接客や調理、清掃に至るまで、属性に関係なく平等に働いてもらうことが基本です。ただしプレミアムエイジクルーが体力的に難しい作業などは他のクルーが自発的に助けるなど協力関係が生まれており、インクルーシブな環境が構築されています。