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日本の人事部 人的資本経営

インタビュー2024/07/30

「後継者候補準備率」などユニークな人的資本情報を発信
各国の現場を巻き込んで実践する、三井化学のグローバル人事戦略

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長

小野 真吾さん

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「後継者候補準備率」などユニークな人的資本情報を発信 各国の現場を巻き込んで実践する、三井化学のグローバル人事戦略

多くの企業が重要課題と位置づける人的資本経営。2023年からは一部企業に人的資本情報の開示が義務付けられ、人的資本レポートとして広く社会へ発信するケースが増えています。こうした中、三井化学では長期経営計画「VISION 2030」に基づいた人事戦略を展開。グループ統合型の人材プラットフォームを整備してグローバルレベルでのタレントマネジメントやデータ活用を進め、経営陣や現場を巻き込んだ人的資本経営を進めています。その成果は次世代の経営人材育成の進捗を示す「後継者候補準備率」など、ユニークな情報開示に現れています。同社ではどのように人材戦略を描き、グローバルレベルでの実践につなげているのでしょうか。現在までの取り組みを聞きました。

プロフィール
小野 真吾さん
小野 真吾さん
三井化学株式会社 グローバル人材部 部長

おの・しんご/慶應義塾大学法学部卒業。2000年に三井化学へ新卒入社し、ICT関連事業の海外営業、マーケティング、プロダクトマネジャー(戦略策定・事業管理・投融資など)を経験後、人事に異動。組合対応や制度改定、採用責任者、国内外M&A人事責任者、HRビジネスパートナーを経験後、グローバルでのタレントマネジメントや後継者計画の仕組み導入、グローバル人事システム展開などを推進。2021年4月より現職。

求められているのは、多様な事業ポートフォリオを横断する人材戦略

三井化学は2021年に長期経営計画「VISION 2030」を策定しています。このビジョンではどのような未来を目指しているのでしょうか。

三井化学グループは「地球環境との調和の中で、材料・物質の革新と創出を通して高品質の製品とサービスを顧客に提供し、もって広く社会に貢献する」ことを企業グループ理念として掲げています。

「VISION 2030」はこの理念に基づき、2021年度から10年間の長期経営企画として策定しました。2030年のありたい姿として、変化をリードしサステナブルな未来に貢献するグローバル・ソリューション・パートナーになることを宣言。すべての事業において社会課題解決の視点を大切にし、理念とビジョンの実現に向けて走っているところです。

具体的に注力している事業ポートフォリオは四つ。地球規模で課題解決が求められている「ライフ&ヘルスケア・ソリューション」「モビリティソリューション」「ICTソリューション」に加え、カーボンニュートラルに貢献していくための「ベーシック&グリーン・マテリアルズ」への投資も加速させています。

これだけ多岐にわたる事業領域を推進していくと、必要な人材ポートフォリオは複雑になりませんか。

そうですね。三井化学グループではここ10年あまり、ヘルスケアやモビリティの領域でさまざまな事業を買収してきました。それぞれにまったく異なるケイパビリティ(組織としての強み・優位性)を持つ事業です。

こうした局面で価値を創出していくには、単一の事業ポートフォリオの中で活躍するだけではなく、各事業のケイパビリティをかけ合わせていくリーダーシップも求められます。それもグローバル環境でのリーダーシップです。

その力を有する人材を採用し、育て、人材ポートフォリオを形成しながらエンゲージメントが高い状態を維持していかなければなりません。私たち人事もまた、ハイレベルな課題に向き合っているのです。

どのような人材戦略を描いて対応しているのですか。

まずは必要な人材の確保・育成・リテンションに努めることが最重要です。次にエンゲージメントを高めていくこと。これも国内だけではなくグローバルレベルで取り組まなければなりません。

一つひとつの事業は小さく、アメーバのように有機的に絡み合っています。それぞれが持つ知見をかけ合わせていくために、多様な事業・組織を横断し、三井化学グループとしての意識を高めていく必要があると考えています。

グローバル規模でタレントマネジメントを進め「後継者候補準備率」を可視化

こうした課題に対応するため、貴社では「グループ統合型人材プラットフォーム」を構築してタレントマネジメントに活用しているとうかがいました。

タレントマネジメントの前提は、グループ内のタレントを把握し、選抜して、育成やアサインメントを行うことです。これらをいかに計画的にデザインできるかが鍵だと考えています。適切なアサインメントのためには適切なポジションが必要。戦略遂行のための重要ポジションを定め、タレントを育てて後継者計画を立てるまでが一連のメカニズムです。

その実行のため、当社は2022年にグローバル共通の人事管理システムを導入し、グローバルの統合プラットフォームとして運用を開始しました。コア人事システムと呼ばれる、あらゆるポジションや人事に関する情報を整理する機能と、タレントマネジメント機能を包含したシステムを、全世界120の子会社と本体で統合したのです。

かなり大規模な統合プロジェクトだったのですね。

ここまでやったのは、グローバルに人材交流を進め、人的資本がどのような状態にあるのかを可視化すべきだと考えたからです。以前はグローバル人事の情報をタイムリーに見ることができず、職種別にタレントが何人いるのかも把握できていませんでした。経営側から「DXに資する人材はどこにいるのか」と問いかけられても、すぐに回答できない状態だったのです。人材戦略を遂行していく上で、タレント情報をグローバル規模で可視化する必要性を痛感していました。

数百人規模のハイポテンシャル人材を抽出するだけなら、アナログの力業でも何とか対応できるかもしれません。しかし国境を越えたグループ2万人の人材ポートフォリオを可視化することは、人事の目だけでは絶対に足りず、テクノロジーの活用が必要不可欠でした。

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長 小野真吾さん インタビューの様子

グローバルでのタレントマネジメントは、どのように進めているのですか。

CXOクラスを選抜する場合を例に取れば、全社レベルで経営陣が集まって議論する場と、もう少し分解して部門内で議論する場の二本柱で進めています。

まずは部門内においてグローバルで活躍する「キータレント」をピックアップし、個別育成計画を議論。この「キータレント」の中から、さらに上のCXOクラスの候補者である「経営者候補」を選抜して経営層のレイヤーで議論しています。これらはそれぞれ年1回行い、タレントプールの見直しも毎年実施。前年の育成計画通りに進んでいるかについてもフォローアップし、PDCAが回るようにしています。

こうした議論の結果は取締役会の報告事項としており、取締役監督者からの指摘や助言を得られる仕組みにしました。当社ではCXOクラスの候補者をつくるタレントマネジメントのKPIとして「後継者候補準備率」を設け、100前後ある戦略ポジションに対して後継者候補準備率250%を目標に置いており、現状では230%前後で推移しています。

足を運んで会話する「泥臭い取り組み」でグローバル人材を引き上げ

グローバルレベルでタレントを把握するには、各国支社・拠点の現場関係者の協力が欠かせません。どのような体制で現場を巻き込んでいるのでしょうか。

日本本社の場合は各事業本部にHRBPを置いています。海外のグループ会社は事業部が縦ラインでマネジメントしており、各会社にHRが在籍。さらに私たちグローバル人材部と一緒に動く「地域人事」を配置し、地域ごとのリーダーシッププログラムなどグローバルな人事の仕組みを企画・展開しながら、各地のHRと連携しています。

組織がある限り壁はできるもので、当社もまったく壁がないわけではありません。ただ私たちの場合は、HRBPを単体で組織化していないことがユニークな点ではないかと思います。当社の人事組織としては人事部とグローバル人材部があり、HRBPはこのどちらかに所属して事業本部に張り付いているのです。

彼らが孤立しないよう、私や人事部長がシニアHRBPを兼任。役員や本部長クラスと事業戦略やサクセッション・プランなどに戦略的な事柄について対話し、HRBPと連携を強化する役割を担っています。こうした仕組みによって各現場の状況を適切に把握し、スピーディーに人事施策と連携できるようになりました。その意味では私たちは人事のプロフェッショナルでありつつ、事業にも深く入り込んでいる立場でもあります。

人事部やグローバル人材部には、事業部門出身者も多いのですか。

そうですね。私自身も事業部門出身で、人事になってからも事業に関するプロジェクトに携わってきました。買収した会社と一緒にグローバル人事ポリシーを作った経験が、現在のグローバル人材部設立につながっています。

他のメンバーも事業部門出身だったり、人事から事業部門へ出た経験を持っていたりして、複数の強みを組み合わせた組織が実現していますね。人事の専門性を育てることは間違いなく必要ですが、その上で事業に興味を持ち、理解することも大切だと考えています。

グローバルでのリーダー人材育成はどのように進めていますか。

率直に言って、私たちも苦しんでいるところです。グローバルな経営者候補といっても、結局のところ選ばれるのは日本人が多数という現状があるからです。グローバルにビジネスを展開していて、日本の事業本部のリーダーなどが各地を回って、グループ従業員と充分にコミュニケーションできていればいいのですが、日本人駐在員中心で回している国や地域からは、なかなか候補者が挙がってきません。

そのため私たちグローバル人材部では、補完的に各国の拠点を頻繁に訪問するようにしています。私も毎月のようにさまざまな拠点を訪れます。拠点に所属する人事と会話したり、現地の従業員と1on1を行ったり、タウンミーティングを開いたりして、光る人材を探しているのです。とにかく足を運んで、人と会って会話する。こうした泥臭い取り組みを続けていなかければならないと考えています。

そうした中で、少しずつ成功事例が出てきています。米州総代表兼Mitsui Chemicals America, Inc. President & CEO)のグループ社員は、もともとは2008年に買収した米国企業のイギリス拠点で働いていました。本人とキャリアプランを話しながら経営層へ登用し、米州総代表として、当社グループの執行役員にも就任してもらっています。

最近ではこうしたケースが増えており、ひとたび事例が可視化されれば、各社・各拠点のトップも動きやすくなるようです。拠点トップを務める日本人駐在員から「優秀な若手部下を日本に派遣したい」というリクエストが届くようになってきました。

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長 小野真吾さん インタビューの様子

従業員が自律的にキャリアを考え、自律的に仲間を集めるようになっていく

グループ統合型人材プラットフォームで管理するデータは現在、どのような形で人事施策に活用しているのでしょうか。

まずは、先ほどお話ししたキータレントや後継者のタレントマネジメントに活用しています。また、VISION 2030の実現を目指し、社会課題解決を本気で展開していくには、リーダーのみならず各地域の全ての従業員の自主性と協働が求められます。そのため「どんなスキルを持った人材がどこにいて、どのように活用できるか」が分かる社内版ビジネスSNSのような仕組みを作り、自分たちで仲間を探せるようにしたいと考え、準備を進めているところです。この仕組みを実現できればVISION 2030へ着実に近づき、海外での人材獲得競争でも優位に立てるはずです。

直近では、ある部門から提起された課題やプロジェクトに対して、グループ内のどの会社にいるどんな従業員でも手挙げ式で応募できる「Gigs」という仕組みを立ち上げました。「アフリカ市場の開拓に向けてアフリカに詳しい人を募集!」といった形で各地・各グループから人材を集め、プロジェクトを動かす実証実験も始まっています。

突き詰めて考えると、従来の配置に深く関わっていた人事の役割も今後は大きく変わっていくはず。グローバル規模での人材とポジションのマッチングはAIが支えてくれますし、従業員もより自律的にキャリアを選択できるようになっていくでしょう。そうなれば、既存の人事が担っていた配置の機能は不要になるのかもしれません。

人事が自らの役割を再定義するのは簡単ではないと思いますが、小野さんはなぜこうした思考になれるのですか。

私たち人事は今、経営や事業とかなり近いところで仕事をしています。会社が進む方向性や事業成功に向けた課題を、手触り感を持って理解できる状態です。そのため、実現のために何をすべきかについても人の顔が見える状態で考え、手触り感のある施策を打ち出すことができるのだと思います。

経営と人事の対話によって目指すべき姿の相互理解を深め、経営課題の変化が起こる時にはCSO(最高戦略責任者)などとも1on1をして軌道修正についてオープンに対話できる文化もあります。その意味で、常にあるべき将来像からバックキャストした人事を考えられているのかもしれません。とはいえ私たちも10年ほど前までは、こうした手触り感を持てず、人事が孤立している感覚もありました。

人事のあり方の転換点はどこにあったのでしょうか。

管理型人事で、制度を回してオペレーションを進め、問い合わせがあったら対応する。そんな人事部から変わるにはマーケットインの思考が必要でした。人事にとっての顧客は従業員。顧客のことを知るためには事業の現場へ行くしかないと考え、とにかく足を運ぶようにしたのです。

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長 小野真吾さん インタビューの様子

現場で何を話せばいいのかに悩むこともありました。「最初はとにかく雑談から」と、事業部内の休憩スペースに座って、やってくる従業員と何気ない会話をすることからスタート。そのうちに事業で困っていることや人事に対する要望を話してもらえるようになり、そうした情報は私たちの財産となりました。

そうした中でも一番の転換点は、企業買収などの大きな変革を伴うプロジェクトに参加したことだと思います。変革の現場ではリアルな困りごとが見えてきますし、現場の従業員とも芯を食った会話を交わす仲間になれます。そして、変革が起きている場所には大きな人材ニーズがあるのです。

これらの現場を経験して気づいたのは、人事に求められる本質的な専門性でした。私たちが真にやるべきなのは戦略実現に資することと、従業員を元気にすること。その専門家として社内をサポートするのだと決めてからは、取り組むべきことが自然と明確になっていきましたね。

自社の強み・弱みを分析し「戦略に基づいたユニークな人的資本情報」を見いだす

現在、三井化学では人的資本情報開示の一環として、先ほどお聞きした「後継者候補準備率」などを非財務KPIとして公開しています。情報公開の戦略はどのように立てましたか。

ESG投資の文脈で考えれば、世の中の関心が環境(Environment)から社会(Social)へ、そして企業統治( Governance)へと発展していくことが予想できました。その関心に自分たちがどう応えていくべきかを理解しなければ、情報開示の戦略は立てられません。第一歩として自社の身体検査をすることが重要だと考えました。

そこで2018年、ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)に準拠して自分たちを検査し、グローバルレベルで見た強みや弱み、データが明確でない部分などを明らかにしました。そうして要素を集めてみると、他者との比較が可能な分野や、今後情報開示がマストになる分野が見えてきました。

一方、自社の戦略に基づいたユニークな部分も同時に見えてきたのです。それがタレントマネジメントや後継者計画を通じて導き出される後継者候補準備施策でした。当社では2016年から回してきた仕組みによってデータが蓄積されており、それらはグローバルに比較可能で、かつ日本では公開している企業がほとんどありません。

また、当社ではエンゲージメント向上を重視し、全組織で改善活動を行うとともに、役員報酬決定にもエンゲージメントに関する項目をひも付けています。こうした人材戦略と照らし合わせて取れるデータ、自分たちの方針の肝となるデータを開示しています。

まだまだ人的資本情報開示は道半ば。VISION 2030の実現に向けて必要なことに取り組み、結果をシンプルに伝えるとともに、データの裏側にある「人のストーリー」も発信していきたいと考えています。

投資家などステークホルダーからの反応はいかがですか。

当社では、ステークホルダーに向けて経営概況説明会や事業戦略説明会、ESG説明会などの機会を設けています。その中で人的資本に関する項目は特に注目されていると感じます。私自身がステークホルダーと直接対話する機会も増えてきました。

「三井化学のエンゲージメントは他社と比べて低いのではないか」といった指摘を受けることもあります。エンゲージメントスコアは、企業によって調査方法や調査期間が異なるため、そもそも比較可能なデータではありません。自社は何をエンゲージメントスコアとして捉えているのか、そしてそれはどのような意味合いがあるのかについて、対話を通じて正しく見ていただけるように補足説明しながら、誠実に回答しているところです。

自分たちが取り組んでいることを戦略に基づいて語れるか。これは人事としての大きなチャレンジであることは間違いありません。新たな宿題が課されることを恐れずに、経営層としっかり議論を重ね、優先順位を明確にして対応していきたいと考えています。

人的資本情報開示について、今後の展望をどのように描いていますか。

ステークホルダーからは「人的資本の非財務価値をどのように財務価値へつなげていくのか」と質問されることも増えてきました。

こうした問いに正確に答えるためには、人材ポートフォリオごとにどんな特性があり、外部要因を除いたときにどのような結論が出せるのか、経営企画や財務とも連動しながら、しっかり自分たちの相関関係や因果関係を示していく必要があります。

たとえば、従業員のエンゲージメントとパフォーマンスには一定の相関関係がありそうだと考えられますよね。ただしパフォーマンスにはさまざまな要因があり、人事施策が結果になるまでには時差があります。データを積み重ねながら、自分たちにとっての最適モデルを模索していかなければなりません。

私たちはITやテクノロジーなどの無形資産が大部分を占める業種とは異なり、有形資産の影響が大きい製造業です。その中で人的資本がどんな意味を持つのかを発信していくことも、社会的に意義のあることだと思います。たとえば新規事業をグローバルで展開する際には「強いベンチャー魂を持つ人的資本」の意味合いが増すでしょう。そうした事業ごとの人的資本の意味を追求しながら、ステークホルダーはもちろん、社会全体とも対話を重ねていきたいと考えています。

三井化学株式会社 グローバル人材部 部長 小野真吾さん

(取材:2024年6月14日)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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