いま人事パーソンに求められる「データアナリティクス」
何を学び、どのように取り組んでいけばいいのか
情報化が進み、さまざまな分野でデータ活用が一般的になりつつあります。人事領域においてもそれは同様で、データアナリティクス導入が注目を集めています。データの集め方や分析の仕方などの手法に目が行きがちですが、立教大学 経営学部 教授の山口和範さんは「人事パーソンに必要なのは、“サイエンス”ではなく“アート”としてのデータリテラシー」と語ります。人事パーソンにデータアナリティクスを指導している山口さんに、人事にデータアナリティクスを取り入れることの利点やデータを扱ううえで注意すべきポイント、押さえておきたい学びの観点などをうかがいました。
- 山口和範さん
- 立教大学 経営学部長 経営学部経営学科 教授
(やまぐち・かずのり)九州大学理学部数学科卒、同大学院総合理工学研究科博士課程単位取得後退学。理学博士。立教大学社会学部産業関係学科教授を経て、2006年から経営学部教授。経営学部長、副総長(国際化推進担当)を歴任した。18年から2度目の経営学部長。専門は多変量解析、統計計算、統計教育。
共感と納得を呼び次元を進化させる“第三の手”
現在の企業におけるデータ活用の状況を、どのようにご覧になっていますか。
業界や企業規模を問わず、データ活用に対する関心が高まりを見せています。その理由の一つは、データ取得コストが大幅に低下していること。公私を問わず生活にデジタルが浸透し、以前よりも簡単にデータを集められるようになりました。
ひと昔前まで、データ収集には大きな手間と時間がかかりました。何かを調査する場合、紙で回答してもらってその内容をOCRで読み取ったり、手打ちで表計算ソフトに入力したりすることが珍しくありませんでした。オンラインの場合も、回答フォームをつくるにはプログラマーの手を借りなければなりませんでした。
それが今では、グループウェアなどのオンラインサービス上で、誰でも簡単に回答フォームをつくることができます。また、回答もスマホで手軽にできるようになっています。集計は自動で行われるので、調査のハードルは格段に下がったといえるでしょう。
調査に限らず、あらゆるものの電子化も進んでいます。たとえば経理でも電子帳簿保存法が施行されるなど、デジタルがスタンダードになりつつあります。採用活動では求職者が手書きの履歴書や職歴書を送るケースが減り、所定のフォーマットに情報を入力するケースが増えました。このように業務を通じて自然と情報が蓄積されていくことで、手軽に情報を得られる環境が整ったわけです。
学生にもよく話すのですが、統計を用いないからといって、企業活動が止まることはありません。ただ、うまく取り入れることで、今までできなかったことができるようになったり、より効果的な手立てを打てるようになったりします。海外では統計活用を “第三の手”と表現します。両手がふさがって動けなかったところに、データが入ることで可動域が広がり、次元が変わるわけですね。
以前よりもコストをかけずにデータを手に入れやすくなっている中で、“第三の手”を使わない手はない、というのが昨今の流れです。たとえばプロ野球では、今や多くのチームにもデータアナリストやデータサイエンティストが在籍しています。チームの状態や選手のパフォーマンスの把握、対戦相手の攻略にデータが有用だと認識しているからです。
特に情報系企業を親会社に持つ球団は、データドリブンが進んでいる印象を受けます。福岡ソフトバンクホークスでは2022年に、東京大学でデータ解析を担当していた野球部OBと契約を結びました。現代社会において、データの重要度が増していることをあらためて認識しました。
人事にデータアナリティクスを取り入れるメリットは何でしょうか。
ひとつは、共感と納得感の醸成です。チームを動かす力として、データは大きな役割を果たします。価値観の多様化やグローバル化が進む中、コンセンサスをとることは難しさを増しています。リーダーには言語や文化の違いを埋めるコミュニケーションが問われていますが、客観性の高いデータは共感を得られやすいでしょう。
次に、チェック機能です。例えば効果的な採用が行えているか、研修が社員のキャリアアップや業務の生産性向上につながっているかなど、データによって施策の効果を探ることができます。研修を受講した社員のうち数名が受講直後に会社ヘの愛着やモチベーションが下がっていたとしたら、その研修には何か問題があると考えられます。
統計の特徴は、現象を一定規模で把握できることです。例えば研修を受けた人が「仕事にあまり役立つ内容ではなかった」と言ったとしても、それは一人の意見に過ぎません。「サンプル数=1」では、改善の糸口は見えないからです。研修の成果を知りたいのであれば、受講者の声をできるだけ多く集め、統計を用いるほうがよいでしょう。
マスと個の違いを理解したうえで活用することが大事なのですね。
個の考えが埋もれてしまうのは、統計のデメリットともいえます。個々の意見が抽象化されてしまう、とも言い換えられます。ダイバーシティ&インクルージョンの観点からも、少数の声を聞き逃さず、切り捨てないように、人事は努力すべきです。ただし、個ばかりに目が行きすぎてはいけません。個の意見にきちんと耳を傾けるためには、マスの声を効率よく受け止める工夫が求められます。
また統計のもうひとつのポイントは、単体の数字を読んでも仕方がない、ということです。統計の基本は比較であり、ひとつの数字が絶対的な意味を持つわけではありません。例えば同じデータを属性別に見る、経時変化をさぐるなど、数字の“動き”にこそ統計の価値があります。
特に人事で扱うデータは、サーベイスコアのように相対的な数値が多いので、調査条件によっては、あるスコアが良くも悪くも受け取れてしまいます。また0.1ポイントの違いを気にしなくていいのか、見過ごしてはならない変化なのかといったことも、データによって異なります。そのため、数字を見極める目が問われるのです。重要な指標を日ごろからウォッチし続け、動きに注目することで、組織のわずかな変化に気づくことができます。
理系よりも難解? 基準化しにくい人事データの性質
「数字を見極める目」と聞くと、かなり人間的な要素のように感じます。
私は学生に向けて、「統計は“サイエンス”ではない」と話しています。確かに分析手法や弾き出された結果は科学的根拠に基づくものですが、それをどう使うかはアートの領域です。
人事のデータアナリティクスなどは、まさにアートですよね。数字を出すことがゴールではなく、組織をより良い未来へと導くことが目的なのですから。統計が有用なツールであることは、間違いないでしょう。しかし、データは「答え」を出してくれるわけではありません。データが果たす役割は、あくまでも判断材料を提示することです。データを使って何をするのか、施策や制度にどうやって落とし込むのかを考えるのは、人間の仕事です。
このとき、データが示す数字にどのような印象を持つか、どのような気づきを得られるかは、個人の数的感覚に左右されるでしょう。一連のプロセスは、アートだと言っても過言ではありません。
人事データを扱う際は、どのようなことに気をつけるべきでしょうか。
人事が扱うデータは、人の内面と切っても切り離せないため、他の分野と比べても難しいんです。「血圧が〇〇以上だと高血圧」というような、明確な基準があるわけではないからです。
統計と言っても、工学や理学、医学領域と、心理学、社会学領域では扱い方がまるで違います。極端な比較ですが、工学や理学、医学領域は数字の意味づけにブレがないので、集計して有意差の有無を確認できたら、ある程度役割を果たしたことになります。サンプルをたくさん集めて何度も集計を繰り返す必要はありますが、考え方はシンプルです。
しかし、人事データはそうはいきません。データは回答者の状態、社会情勢、周囲の環境や状況などに左右され、複雑な統計モデルになりがちだからです。本学でも、どうすれば組織や組織で働く人の状態を測ることができるか、日々研究を進めています。
“良い組織”の定義は、世にある会社の数だけあると言ってもいいでしょう。組織が抱える課題も千差万別です。健康診断で用いられる検査法のように、そのままの形で大半の人に当てはめられる測定ツールはまだ実在しません。会社ごと組織ごとにカスタマイズが必要です。
統計に関するリテラシーも必要なのでしょうか。
人事のデータアナリティクスでよく取り入れられる「因子分析」などの統計手法は、心理学や社会学研究の中で人の意識や考え方を探るために開発されたものです。これらを理解しようとすると、ある程度の勉強が必要です。
気をつけたいのは、「何を明らかにしたいのか」が不明瞭で、どんなデータをそろえればいいのかもわかっていないケースです。「今あるデータで何とかできないか」と考えがちなんですね。従業員データにしろ、採用活動を経て得られたデータにしろ、もともと「明らかにしたいこと」があって集めたものではありません。
“分析すること”が目的化し、組織の改善や課題解決といった本質が後になっては意味がありません。今あるデータだけで本当に十分なのか、本来の目的を達成できるのかを検討するには、統計に対するリテラシーを高めておく必要があるでしょう。
統計に正解なし。養うべきは数字が語るメッセージを読み解く力
山口先生が研究科長を務めている、大学院経営学専攻リーダーシップ開発コースでは、「データアナリティクス演習」を必修科目にしています。
リーダーシップ開発コースの受講生は、人事や経営など、組織をけん引する役割を担う人たちです。先ほど申し上げた“第三の手”としてデータ活用の意義を理解すること、また統計を第三の手とすべくアナリストとコミュニケーションできるようになることを、講座のねらいとしています。
受講生たちはグループに分かれ、実際の人事データを使って課題設定や分析と検証、分析結果から見えてきた傾向を踏まえた改善策までを考えます。ある講座では、クライアントとなる企業にヒアリングを実施し、調査票の作成なども行います。私の受け持つ講座では、大手人材サービス会社が公開するデータを使って、母数の大きな統計をさまざまな観点で検証しています。
受講生20人のうち仕事で統計を扱っているのは一人か二人ぐらいで、大半は初心者です。受講生の中には、統計と聞いただけでアレルギー反応を示す人もいます。おそらく若い頃に染みついた、数学に対する苦手意識をぬぐえずにいるのでしょう。そうした人たちは、理論を覚えることで乗り切ろうとしてしまいがちです。「どうやって答えに導くのかを教えてほしい」といったように。
しかし、私たちが講座を通じて培ってほしいと願っているのは、統計上の数字が語るメッセージを読み解く力です。データ分析そのものに正解はありません。どんな分析をするのか、どの設問や関係性、数字に着目するかはデータを扱う人にかかっています。
細かな理論を取り上げたらきりがないので、講座で扱う統計手法は1年でせいぜい三つや四つ程度です。統計を語るうえで最低限知っておきたいものに絞り込み、あとは実習時に設定したテーマに合わせて対応するようにしています。統計分析が得意な人からすると、拍子抜けしてしまうかもしれません。
模索や議論のプロセス自体に、意味があるのですね。
はい。受講生は、データ分析の専門家をめざしているわけではないので、高度な分析ができるようになる必要はありません。しかし、データを動かす道具のことを知らなければ、専門家に相談することは難しい。
日本はデータ分析や統計利用について、ほかの先進国に比べると残念ながら遅れをとっています。理由のひとつに、学問としてなかなか発展してこなかったことがあります。諸外国の大学では、統計学部や統計学科といった統計を専門とする学問が古くからありました。一方、日本では、2017年に滋賀大学が国内初のデータサイエンス学部を開設。データ分析や統計について、教えられる人材が圧倒的に不足しています。
学問と実務や実生活との結びつきが弱いのも課題です。例えば統計先進国であるアメリカの統計協会が定める資格要件は、統計にまつわる専門知識に加えて、ビジネスコミュニケーションも問われます。ビジネスシーンで扱うデータは往々にして生々しく、きれいな関係性を導けるものとは限りません。アカデミック領域で語られるようには、うまくいかないこともあるわけです。
国内で統計を学術的に研究し続けてきた人たちは、リアルなデータに触れる機会が案外少ないものです。ましてや日本の統計の専門家は、数学や心理学系統の出身者が多い。統計理論は完璧でも、“生身の人間のデータ”は分析したことがない人が意外と多いんです。そうした現状を踏まえると、理論と実態の乖離をどう埋めるかは、実務側の働きかけ次第と言えます。
データアナリティクスを習得する以前に人事のプロであれ
現場とデータアナリストを仲立ちできるリテラシーが、問われているのでしょうか。
そのとおりです。データ分析を通じてどのような課題を解決したいのかを言語化し、アナリストと対等に語れるようになる必要があります。「当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、これがなかなか難しい。なぜなら、現場で見られる現象や状況を、統計というフィールドに落とし込む必要があるからです。
組織のありたい状態や課題から、分析を通じて何を知りたいのかを明確にする。必要な調査や収集すべきデータを定め、どういう結果が得られたら望ましいのかを定義する。調査方法や設問を設計し、結果を検証する。このような過程においては、現場の社員やマネジャー、データアナリストとの対話を行き来することになるでしょう。統計ならではの言葉づかいや、分析のしくみと算出される数値の意味などを理解していなければ、たちまち行き違いが生じてしまいます。
最近はAIの発達が著しいため、以前はデータアナリストの力を借りなければいけなかったことを肩代わりしてくれるかもしれません。そのときもやはり大事になるのが、言葉で説明する能力です。たとえばChat GTPでは、具体で簡潔、明確な表現が求められます。AIが理解できるプロンプト(指示文)を書く力が、求められるでしょう。
そもそもデータアナリティクスを行う必要があるのか、AIを活用して自力で分析するのか、あるいはデータアナリストを人事部門専任のメンバーとして迎え入れるのか、その判断もリテラシーがなければできないことです。先に述べた、福岡ソフトバンクホークスがデータアナリストを採用したのも、日常的にチーム編成や戦略、選手の育成にデータを活用していて、球団経営上有用だとわかっているからです。
どうしても必要となってくるのは、データアナリティクスについての基本理解と経験でしょう。サーベイのスコアがなぜこのような推移を見せるのか、どういう因子の影響を受けているのかといった関係性をつかむには、データを動かしたことがある経験が重要です。
データを生かすも殺すも、使い手が「数字に敏感になれるか」次第なんですね。昔の経営者がどうして勘にすぐれていたかといえば、現場、現物を自分の目で確かめると同時に、帳簿や報告書を通じて数字も追い続けていたから。現象と数字がどう連動するか、肌感覚でがっちりとつかんでいたのです。
何も高度な分析手法をマスターしたり、難しい数式を解けるようになったりする必要はありません。数字に振り回されることなく、理解を助ける情報のひとつとしてデータを扱えるようになることが大事です。
ゼロからデータアナリティクスを学ぶ場合、何から始めればいいのでしょうか。
知識や理論に関しては、現在はコンテンツも充実しています。社内で動画学習やe-ラーニングなどのオンデマンド教材を取り入れているところもあります。また、総務省統計局でも「社会人のためのデータサイエンス入門」などの動画教材を提供しています。学び初めの間口は比較的広いので、自分に合った学びを探すといいでしょう。
何よりも大事なのは経験です。統計分析は自分で分析し、意思決定と検証を繰り返すことでセンスが磨かれていきます。調査やデータの目のつけどころ、判断に至る思考の質を高めるのは一朝一夕ではかないません。自身にとって身近なデータを使い、小さくてもいいので、まずは手を動かすことが重要です。未知の領域ではなく、ご自身の知っている環境や分野のものを用いるのが、理解を深めるコツです。
私が学部生に統計を指導する際は、スポーツのデータを使うことが多いですね。プロ野球はデータが充実していますし、サッカーや競馬などもさまざまなデータが公開されています。興味のある分野のデータを使って、ぜひ分析してみてください。
最後に、データアナリティクスに取り組む人事の方々に向けて、メッセージをお願いします。
データドリブンを目指すためには、人事領域の専門性を高めることが重要です。採用マーケティングにしろ、エンゲージメントサーベイにしろ、研修効果の検証にしろ、扱う分野の知見と考察ができなければ、どのようなデータを集めればいいのか、どう数値を扱えばいいのか、判断がつかないからです。
現在は自社のデータさえそろえば、比較的容易に分析ができる時代です。ただし、そのアプローチが会社にとって有益なものなのか、弾き出された結果が本当に特定の事象と因果関係を持つのかは、人事のプロの目で見極めなければなりません。
読者の皆さんは人事のプロとして、人事という仕事が働く人の幸せにつながるという自覚と責任をお持ちのことと思います。そうした熱い想いが、データアナリティクスにおいても大変重要です。