ジェンダーにかかわらず活躍できる職場の実現に向けて
人事は「FemTech」で女性の働き方をどう支援できるか
FemTech、ダイバーシティ&インクルーション、エクイティ、ジェンダー平等、佐々木成江、基礎、実践
最近よく耳にするようになってきた「FemTech(フェムテック)」。「Female」と「Technology」からなる造語で、月経や妊娠、出産など女性特有の健康課題に対して、テクノロジーを用いて解決する商品やサービスのことをいいます。今、FemTechを活用して女性の働き方を支援する企業が増えています。男性に標準化された従来の職場環境を見直し、誰もが働きやすい職場環境を実現するためには、まずジェンダー平等に関する正しい知識をつけ、適切にテクノロジーを活用する必要があります。科学技術分野におけるジェンダー平等に向けて取り組んでいる名古屋大学大学院 生命理学専攻 准教授の佐々木成江さんに、日本のジェンダー平等の現状やFemTechの活用についてお話をうかがいました。
- 佐々木 成江さん
- 名古屋大学大学院理学研究科 生命理学専攻 准教授 兼 お茶の水女子大学 ヒューマンライフイノベーション研究所 准教授・学長補佐
ささき・なりえ/1993年お茶の水女子大学理学部卒業。1995年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。1998年同大学院博士課程修了。博士(理学)。ポスドク、お茶の水女子大学理学部助手、特任講師を経て、2007年に名古屋大学男女共同参画室特任准教授。2010年より現職。2019年からは、クロスアポイントメントにてお茶の水女子大学准教授および学長補佐も兼務。専門は、分子生物学。2014年から日本学術会議連携会員。2018年、経済産業省 産業構造審議会研究開発・イノベーション小委員会委員。2021年、内閣府 男女共同参画会議計画実行・監視専門調査会委員。
改善スピードが圧倒的に遅い、日本のジェンダー平等の現状
日本におけるジェンダー平等の現状を、どのようにご覧になっていますか。
世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数において、日本は2006年に115ヵ国中79位でしたが、2021年には156ヵ国中120位と順位を落としています。この指数で特に注目したいのは、スコアの伸び幅です。スコアは「1」に近づくほど平等であることを示しますが、2021年の日本の総合スコアは0.656で、2006年から0.011ポイント伸びました。しかし、G7各国と比較すると、この15年の伸び幅は日本が最下位。2006年の調査対象国115ヵ国の中でも後ろから9番目です。
G7で最も伸びたのはフランスで、0.132ポイント。日本の12倍も伸びています。伸び幅が5位のドイツと6位のイギリスは、総合順位がもともと高水準(ドイツは5位→11位、イギリスは9位→23位)であるため、伸び幅が小さくても仕方ありません。
ヨーロッパやアメリカでも、完全平等の「1」になるために60年は必要といわれています。日本の属する東アジア地域は165年といわれており、120位の日本は200年ほどかかると試算されています。
ジェンダーギャップ指数は、さまざま分野で構成されています。そこから見える傾向などはありますか。
やはり「政治」と「経済」がキーになります。「経済」「健康」「教育」「政治」の分野のうち、健康と教育に関して先進国はほとんど「1」に近いところにあります。一方、政治と経済は国によってバラつきがあり、国の本気度が見える分野でもあります。日本はこの政治分野が153ヵ国中149位と圧倒的に弱い。政治が変われば、経済分野にも大きな影響をあたえるので全体の順位も大きく上げられるでしょう。実際、日本より12倍進んでいるフランスでは、政治分野のジェンダーギャップの改善が順位アップに貢献しています。
海外の動向を見ていると、政治分野でのジェンダーギャップ解消には一定の割合を女性に割り当てる「クオータ制」しかないと考えています。人数が増えることで見えてくる課題も多くあります。経済分野の女性の管理職比率に関しても同様ですが、人数を増やして比率を上げて、ようやくスタート地点に立てるのです。
女性教員割合が3%から27%に。名古屋大学 生命理学専攻の取り組み
名古屋大学では、女性研究者の研究活動を支援する取り組みを多数行っているとうかがっています。取り組みを始めるに至ったきっかけは何だったのでしょうか。
私は大学がお茶の水女子大学、大学院が東京大学で、その後にポストドクター(博士研究員)と教員として再びお茶の水女子大学に所属していました。お茶の水女子大学は教員の50%近くが女性だったので、名古屋大学に着任したときには驚きました。私が所属していた生命理学専攻の女性教員比率は、わずか3%。私が赴任するまでは二人だけしか女性がいなかったんです。
当時、ほとんどの大学は名古屋大学と同じような状況だったので、他の教員はきっと違和感を抱くこともなかったのでしょう。しかし、お茶の水大学から来た私は、違和感の塊でした。名古屋大学に「子どもがいられる場所はありますか」と聞いたら、「子どもを連れてくるんですか」と驚かれてしまうほどでした。
お茶の水大学には、育児をしながら働けるような環境が整っていたのですか。
私は30代前半で出産をしているのですが、30歳を超えたくらいのときに、後に学長になる上司の女性教授に「そろそろ子どもが欲しいんじゃない? 学校に保育園がないと困るから、つくりましょう」と言われました。
当時は研究で徹夜をすることも少なくなかったので、産んで育てられる自信がありませんでした。そんなとき保育園を作るための委員会でご一緒した児童心理学の女性教授が「生まれてくる子どもは社会の子だ」と話してくれたんです。自分だけで育てようなんて、とんでもないと。「みんなに育ててもらえばいい」という考え方に変わってからは、産めるかもしれないと思えるようになりました。出産後2ヵ月で職場復帰したのですが、託児所に預けるとき、子どもがうれしそうな顔をしたんですね。託児所のお兄さん・お姉さんたちに、自宅では見せないような表情を見せていました。人に頼ることは、私にとっても子どもにとっても、全然悪いことではないんだと気づかされました。
名古屋大学の生命理学専攻は、その後、17名(27%)にまで女性教員が増えていますね。どのような取り組みをされたのですか。
女性限定人事です。他大学でも女性限定人事を行っていましたが、生命理学専攻では「上が変われば下も変わる」という考え方に基づいて、女性かつ教授限定の募集にしました。教授人事となると、専攻全体の将来に関わってくるので、みんな必死に探して応募するように声をかけるんです。
さらに、生物に関連する分野であれば何でも歓迎しようと門戸を広げました。教員を募集するときは分野を特定して募るのが定石なのですが、女性の教員人数はまだまだ少ないので、分野を絞ってしまうと優秀な方に出会える可能性が低くなってしまうからです。
結果的に約50名の応募がありました。今までの教授人事ではありえない応募数です。女性限定にすることで、遠慮がちだった女性が「手を挙げていいんだ」という意識になる。女性はインポスター症候群(自信が持てない、自分自身を過小評価する心理状態)の人が多いので、女性だけにすることで安心して競争の中に飛び込んでいけるようです。
特に小さな子どもを持つ女性は、自分には応募資格がないと思いがちです。私たちは保育園や学童もつくり、育児をしている女性教員も歓迎する姿勢を見せるようにしました。すると、臨月の方や出産直後の方も面接にいらっしゃって、出産や育児がマイナスにならない採用を実現することができました。
この取り組みを進めるにあたっては、文部科学省が行っている女性研究者の支援施策をうまく活用しました。特に2010年の「女性研究者養成システム改革加速」は、とても役立ちました。女性比率の低い理学系・工学系・農学系の研究を行う優れた女性研究者を養成するために、女性研究者の雇用費として助成金が支給されるものです。
「女性が手を挙げやすくなった」「出産や育児がマイナスにならなくなった」という話がありましたが、女性が活躍できる環境を整えることの最大の目的とは何だったのでしょうか。
女性限定人事も育児支援も、人材戦略の一つだと考えています。研究者の育成には、非常にお金がかかります。博士号を取得するまでに、一人あたり数千万円の国費が費やされています。それだけの費用をかけて育てた人材を、出産や育児を機に失ってしまうのか、サポートを充実させて研究力を上げて大学を良くするのか。私たちは、福利厚生としてではなく、大学を良くするための戦略として取り組んでいます。
女性が活躍できる環境を構築することで、組織にどのような影響があったと思われますか。
研究者は、もともと単身赴任率が高い職種です。男性は子連れのケースはほとんどありませんが、女性を採用するとほとんどが子連れの単身赴任でした。これまで多くの女性研究者たちは、子どもを連れて赴任することはできないと、諦めてしまっていたのですが、名古屋大学だったらできるかもしれないと集まってきました。
ただ、いくら名古屋大学でも子連れの単身赴任は本当に大変です。そこで、採用された女性研究者たちは自分達で「名古屋大学子育て単身赴任教員ネットワーク」を立ち上げました。ネットワークをつくり、お互いに近くに住むようにして、子育てをシェアし合う。
職種が同じだと、忙しさの状況があうんの呼吸でわかるんですよね。子どもがインフルエンザになったときも「B型だけど誰かいますか」とグループに投げかけて、B型に感染した何人かの子どもを順番に看るといった共助ができるようになります。独身寮はあっても、こういうコミュニティはあまりありません。サポート機能を充実させた社宅が、世の中にもっとあってもいいと思っています。
まずは可視化から。FemTechが社会の関心を変える
女性が働くうえで、健康に関してはどのような課題があるのでしょうか。
生理、不妊治療、妊娠、出産、育児、更年期障害。それから、乳がんなどの女性特有の病気もあります。学生も、女性が教員だと「生理痛がつらいので休みます」などと伝えやすいようです。しかし、本来は男性教員に伝えてもいいことなんです。そこで、男性教員にも女性の健康について理解してもらうため、会議で生理というワードを積極的に使い、生理やつわり、授乳などに使える女性休養室を作ってもらいました。そこは、子供を連れてきて業務を行える育児支援室も兼ねてます。
生理について報道されることも増えていますが、理解が進んでいるのはFemTechの功績だと思います。2021年は、生理の貧困もメディアにかなり取り上げられました。女性も女性で、生理は我慢しなければいけないものと思っていた節があると思います。
毎月身体が変化して体調が悪くなるのは、大変なことなんです。それに対して周囲がサポートできることがあることを、男性を含めて多くの人に知ってもらう。最近は女性の健康に関する管理職研修なども進んでいると聞きます。FemTechを取り入れて、会社をより良く変えていこうという流れが加速することを期待しています。
FemTechが注目されるようになったことで、どのような変化があったと感じていらっしゃいますか。
女性特有の悩みが可視化されたことは大きいと思います。男性にとってよくわからなかった事柄が、目に見えるようになることで、対話しやすい空気も醸成されます。
テクノロジーによって、女性の課題を解決できるようになったのはいいことですが、今はブームの渦中にあるので、良いものからそうでないものまで、玉石混合になりやすい。倫理面や医療面で信頼性の低いものが出てきたときに、安易に広がらないようになってほしいですね。特に、医学的に明らかにされていない領域に踏み込んだサービスもあるので、企業や消費者は慎重に選んでほしいですね。
科学的なリテラシーをつけるためには、どうしたらよいでしょうか。
論文を読むといいのですが、それは難易度が高いですよね。それに、論文から引用されていても、都合のいいところだけが部分的に使われていることもあるので、事業やサービスの正当性を監視して評価するような機関はあってもいいと思います。今であれば、経済産業省がFemTech事業を支援しています。国費で支援するときには、国も専門家を交えてしっかり審査していると思うので、そういった第三者機関の判断も参考にするといいでしょう。
FemTechの発展で実現できることとは
FemTech領域で現在注目されていることはありますか。
私が今取り組んでいるジェンダード・イノベーションズは、今まで見過ごされてきた性差に着目して、イノベーション創出につなげる試みです。例えば、生物・医学分野では実験にオスを使います。メスには生理などの性周期があるので、ホルモンバランスの変化によってデータがぶれやすい。だから、解析しやすいオスを使うよう、大学でも教えられます。また、薬の臨床試験の被験者も女性は妊娠出産の影響をどうしても危惧してしまうので、ほとんどが男性。その結果、男性のデータが「人間のデータ」とみなされ、製品化した後で女性の健康に被害をもたらす事例が少なくありません。
米国では、ある睡眠導入剤について、服用から8時間後に居眠り運転をした経験があるかどうかを調べたところ、男性が3%だったのに対して女性は15%と、女性のほうが使われている成分が排出されにくいことがわかりました。また大腸がんに関しても、女性のほうが重症化しやすく死亡率が高い。それは、男女で腫瘍ができやすい場所と形が違うからです。男性は肛門に近いところに丸く膨らんだ腫瘍ができやすく、それが標準化されていたために女性の平べったい腫瘍は見つかりづらかったというわけです。
FemTechでは、すでに可視化されている課題を解決に導くことも大切です。同時に上記のような今は隠れている課題を明らかにしていくことにも注目しています。
企業や人事がテクノロジーを活用するときに気をつける点はありますか。
使用するテクノロジーにバイアスが含まれていないか、常に注意を払うことが重要です。例えばディープラーニングでは、もともとあるデータを使って学習させるので、すでにあるバイアスを踏襲してしまいます。
先ほどは医療分野の話をしましたが、テクノロジーを使った開発現場でも同様のことが起きています。例えば、音声認識サービスでは、男性の音声データを多く利用して開発しているため女性の声が認識されにくくなっています。また、快適なオフィス空間のためにテクノロジーを使うにしても「男性にとって」快適な環境になってしまっていることもあります。さまざまな分野で、男性を中心とした設計が無意識になされているのです。
リーダーシップもそうです。女子学生のリーダー育成合宿を開くと、最初はみんなリーダーになりたがりません。男性的なリーダーシップを連想するからでしょう。しかし、これまでのリーダー像ではなく、新しいリーダー像をつくる必要があるという話をすると「やってみたい」という反応に変わります。これまでの方法ではなく、自分らしいやり方を見つければいいと、社会全体に伝えていきたいですね。
また、数値化もとても重要です。管理職比率のようなわかりやすいものだけでなく、会議における男女の発言割合など、実務に潜むジェンダーギャップもテクノロジーで可視化できるといいと思います。可視化すれば、誰もが見えるようにオープンになる。そうすることで、変化への意識が高くなると思います。まずはFemTechなどのテクノロジーを使って、すでに見えている課題を解決する。そして将来的には、表面化されていない課題に切り込む。そこにはイノベーションの種が眠っていて、社会を変える発見になるかもしれません。
(取材日:2021年11月22日)