マッチングアルゴリズムがキャリア自律を支援する
シスメックスの「従業員と部門を対等につなげる」配属プロセス改革
本庄大介さん(シスメックス株式会社 人事本部 グローバル人事企画部 課長)
奥山健雄さん(シスメックス株式会社 人事本部 人事部 人事課 課長)
松井有沙さん(シスメックス株式会社 人事本部 グローバル人事企画部 シニアプランナー)
配属、異動・配置、新卒採用、キャリア自律、マッチング、職種別採用
昨今、就職活動を進める学生や入社後の若手従業員の間で「配属ガチャ」という言葉がささやかれるようになりました。やりたい仕事に就けない、希望する上司のもとで働けないといった不満が生まれる原因として、人事部門主導で従業員の配属を決めていること、そしてそのプロセスが不透明であることが考えられます。こうした配属は、結果として従業員本人のキャリアに対する自律性を奪うことになるかもしれません。この問題を解決するべく、シスメックス株式会社では東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)と共同でマッチングアルゴリズムを構築し、配属プロセスを全面的に刷新。ジョブ型人事制度の中で「自分のキャリアを自律的に選べる」組織を実現しつつあります。従業員の職務適性やキャリア志向と、各部署の人材要望の双方が合致する配属を実現するためには何が必要なのか。同社の取り組みと実践知を聞きました。
- 本庄大介さん
- シスメックス株式会社 人事本部 グローバル人事企画部 課長
ほんじょう・だいすけ/2001年に新卒採用にてシスメックスに入社。入社後にはIT関連製品の開発に従事。その後2010年よりシスメックスユニオン(労働組合)の執行委員長として労働組合に従事し2012年に人事部門へ。人事部門では人材開発・採用・人事異動・評価・人事システムの導入等を担当している。
- 奥山健雄さん
- シスメックス株式会社 人事本部 人事部 人事課 課長
おくやま・たけお/2006年に新卒としてシスメックス入社。入社後はライフサイエンス関連の装置開発に従事。2014年に人事へ異動となり、給与・福利厚生・勤怠管理・労務費管理・採用・評価など幅広い人事業務の実務を担当。現在は職務型人事制度の浸透およびポジション管理等の業務に従事している。
- 松井有沙さん
- シスメックス株式会社 人事本部 グローバル人事企画部 シニアプランナー
まつい・ありさ/人材エージェント、人事コンサルタント等の経験を経て、2021年にシスメックス入社。非管理職の人事制度の見直しでは、制度企画に携わり、社員への説明会を主導。現在はグローバルタレントのサクセッションマネジメントや育成施策の企画・実施、人事ガバナンスの運用に従事している。
新入社員面談や部門調整に奔走しても、100点満点の配属は実現できなかった
従来の配属プロセスに感じていた課題についてお聞かせください。
本庄:当社は臨床検査機器や検査用試薬、またそれに関連するソフトウェアなどの研究開発・製造・販売を手がけており、現在では190以上の国や地域へ製品をお届けしています。連結の海外売上高比率は現在約85%に達しており、連結での従業員の割合も海外が国内を大きく上回る多様性のある組織となっています。
ただそのような状況でも、日本地域における採用と配属については、多くの日本企業と共通する方法で進めていました。新卒採用では「総合職」と「業務職」の大きなくくりだけで募集し、人事部門がすべての選考を進め、部門側と交渉して配属先を調整していたのです。
しかし配属された新入社員からは、「やりたい仕事を担当できていない」というモヤモヤした思いも聞こえていました。たとえば一口に研究開発といっても、基礎研究を担うのか、それとも製品開発に携わるのかでは業務内容がまったく異なります。そのため入社2年目を迎えるタイミングでの異動希望が多く、中には退職を選ぶ人もいました。
人事部門がよかれと思って配属しても、本人の希望とは合致しないこともあり、結果的に「配属ガチャ」だと言われてしまう状態だったのです。
人事パーソンとしても苦労が多かったのではないでしょうか。
奥山:従来は約1ヵ月の新入社員研修期間に、人事部門が複数回の面談を行い、一人ひとりから「どんな仕事がしたいか」などを細かくヒアリングしていました。この面談にはかなりの労力と時間がかかっていました。また、社内の各部門に新入社員を紹介して受け入れてもらう段階でも、調整に苦慮することが多々ありました。
新入社員はそれぞれどのような強みがある人材なのか。どのような可能性を持つ人材なのか。これらは履歴書などのエントリー資料を見るだけではなかなか理解してもらえません。配属前に各部門と新入社員が面談できれば理解の助けになるかもしれませんが、新入社員に配属先について確定したかのような誤解を与える可能性があるので、実現できませんでした。
人事部門が新入社員の希望を理解しようと努め、本人と各部門との中継ぎ役として奔走しても、100点満点の配属は実現できないことを、配属発表のたびに痛感していました。
人事部門の恣意的な介入を排除し、アルゴリズムによる配属マッチングを尊重
その状況を変えるため、どのように配属プロセスを刷新したのでしょうか。
松井:まず配属の前段階である、採用の方法から変えました。総合職と業務職で大きく分けていたところを職種別採用とし、選考には人事部門だけでなく部門担当者にも加わってもらうようにしたのです。
その上で、新入社員の配属にUTMDと共同開発したマッチングアルゴリズムを導入しました。これによって人事部門は、面談や部門調整に割いていた時間を、採用においてより注力すべきことに当てられるようになっています。例えば、学生に職種別採用の最初のプロセスで職種をきちんと理解してもらったり、選考段階で志望する職種への思いを深めてもらったりすることに力を注げるようになりました。
マッチングアルゴリズムを活用した配属の流れについて詳しく教えてください。
松井:新入社員と各部門の理解を深めるため、まずプレゼンテーションの場を設けています。新入社員は自身をアピールし、各部門は目指す姿や業務内容などを説明。それぞれが「どの部門で働きたいか」「どの人材に来てもらいたいか」を考えます。そのうえで、新入社員は希望する部門とポジションを希望順に記載して提出し、部門側も候補者を希望順に記載して提出します。
こうして各職種グループの中で集約した希望をマッチングしていくのですが、人事部門の意図が入ることは一切ありません。アルゴリズムによって、新入社員と部門の要望が最大限かなえられる組み合わせが提案されます。
新入社員の希望が特定の部門に集中したり、逆にほとんど希望が集まらない部門が出てきたりすることはないのでしょうか。
奥山:希望が集中した場合もなるべく実現できるように、定員に柔軟性がある部門では、予定より多めのポジション数を設定しています。また、求める人材要件に大きな差異がない部門間でも、ポジション数を多く設定することで柔軟性を持たせています。
希望が集まらない部門は発生してしまいますが、マッチングで希望していない部署へ新入社員を配属することはありません。無理に配属してしまっては元も子もありませんし、本質的な対応ではないと考えているからです。定員に達しなかった部門は、キャリア採用などによる補充を検討します。
そのため、マッチングは部門間での競争力を高めていく取り組みでもあると考えています。ミッションのやりがいや経験できる業務、将来的に身につけられるスキルなどを魅力的に新入社員に伝え、理解してもらわなければなりません。各部門は、社内の人材市場で選ばれる存在になる必要があるのです。
選び、選ばれる関係になったことで、新入社員も部門も緊張感を持ってプレゼンに挑む
配属の具体的なプロセスについてもお聞きします。新入社員と部門によるプレゼンテーションの場はどのように設けていますか。
本庄:プレゼンテーションは、職種別に実施しています。2022年度はTeamsを活用し、オンラインで行いました。新入社員はそれぞれの部門のプレゼンテーションを見て希望配属先を考えます。質疑応答もTeamsでリアルタイムに受け付けます。チャット機能を使って後から質問することもできますが、個別ではなくオープンな場でやり取りをして、すべての新入社員と部門がその内容を参照できるようにしています。このプレゼンテーションを経て、1週間後には希望を出してもらい、おおむね2週間程度で配属を決めています。
プレゼンテーションでは、どんなことを話しているのでしょうか。
奥山:新入社員のプレゼンテーションでは、学生時代にどんなことをしてきたのかを中心に、研究内容やボランティア活動、アルバイト経験など、面接で話すようなアピールポイントを伝えてもらいます。しかし、これだけでは部門側が選びきれません。そこで、将来シスメックスにどのように貢献したいのか、どんな役割を果たしたいのかといった思いも話してもらいます。
学生の多くは就職活動で自己分析などに取り組んでいますが、入社後、具体的に部門の仕事内容やビジョンなどを知った上で考えるアピールポイントは、就職活動時とは異なる内容になるはずです。中には「自分には何ができるのか」「自分は何をしたいのか」と悩む人もいます。そこで新入社員研修では、人材開発部門のメンバーに相談できる機会や、ロジカルプレゼンテーションの方法論を学ぶ機会を設けています。部門へのプレゼンテーションは、そうした学びの成果を発揮する機会でもあります。
松井:話し上手ではなくても、人柄や仕事への思いが伝わるプレゼンテーションを届けようと、工夫して頑張る新入社員が多いですね。新入社員には、「このプレゼンテーションで選ばれなければ、自分の望むキャリアを歩めないかもしれない」という緊張感もあります。部門側へ具体的な質問をたくさん投げかけるなど、能動的な動きが目立つようになりました。
本庄:部門側もプレゼンテーションでは緊張感を持ち、工夫してメッセージを伝えていますね。部門で取り組んでいる業務や、新入社員が配属されるポジションの仕事内容はもちろん、若手がどのように活躍できるのか、どのようなスキルが身につくのかなども紹介しています。プレゼンテーションの方法もさまざまで、本部長が一人で熱く語る部門もあれば、若手メンバーと一緒にフランクに魅力を伝える部門もあります。
奥山:部門側のプレゼンテーションについて人事部門から注文を付けることは基本的にありませんが、良いところやキラキラした内容ばかりではなく「今抱えている課題もしっかり語ってください」と伝えています。加えて、全社的なエンゲージメントサーベイの結果などを踏まえ、日頃からどのように職場改善に取り組んでいくべきかも部門へアドバイスしています。
主体的に「ほしい人材」を選ぶようになったことで、部門側や管理職側に意識の変化は見られますか。
奥山:プレゼンテーション以外にも、新入社員の強みや特性を理解するための機会がほしいと考える管理職が増えています。「プレゼンテーションの時期をもっと早くしてほしい」「もっと早い段階で履歴書などの資料を共有してほしい」といったリクエストが寄せられています。こうした要望には積極的に応えていきたいですね。
キャリア自律の第一歩は「従業員と部門の意見を対等につなげる」こと
近年では従業員にキャリア自律を求める企業が増えています。貴社の新しい配属プロセスはまさに、従業員が自らキャリアを考え、選択する動きを支援していると感じます。
本庄:シスメックスには、以前から「自分のキャリアを自分で描いて勝ち取っていくことが大切である」という考え方があります。ただ、その考え方を配属や人事異動に反映できていたかというと、十分ではありませんでした。従業員からは「自分でキャリアを描いても実現できない」という耳の痛い声も上がっていました。
私たちは、一人ひとりの従業員にキャリアについて考えてもらった上で、それを実際に反映する仕組みを作ることにしました。組織の都合で決定していたこれまでの配属の方法を改め、マッチングアルゴリズムによって、従業員と部門の意見を対等につなげる。これがキャリア自律の第一歩になると考えています。
新しい配属プロセスに切り替えたことで、どのような効果がありましたか。また、新入社員の初期配属の受け止め方やキャリア自律への意識に変化はありましたか。
奥山:当社では新入社員の入社1年後、年度末の異動を考える前のタイミングに、仕事への興味や能力の発揮度、異動希望などをキャリア申告と称してヒアリングしています。配属プロセス刷新の前後にあたる2020年4月入社と2021年4月入社の新入社員を比較したところ、「異動希望なし」と回答した人の割合が64.4%から85.7%へと伸びており、初期配属に満足している人が増えたと考えています。
また、私が特に興味深いと感じているのは、能力の発揮度についての回答です。「現在の部門で自分の能力を発揮できていると思うか」という設問では、配属プロセス刷新後のほうが、「普通」や「発揮できていない」と回答した人の割合が増えているのです。
詳しくフリーコメントを見ていくと、以前は「指示されたことはできている、発揮できていると思う」という回答が多かったのですが、2021年は「部門に求められているレベルまで達していない」「自分の中での目標に届いていない」という記載が多くなっていました。つまり、マッチングにおいて部門が自分たちに求めている事を具体的に理解できるようになり、より自身の成長に対してアグレッシブになっていると考えられます。
松井:新入社員はマッチングアルゴリズムの仕組みを通じて、入社直後から部門や職務について熱心に勉強するようになりました。その上で配属されるからこそ、「まだまだ勉強が足りない」と気づくのではないでしょうか。また、自分で希望を出して決めたことだからこそ「上司や人事部門のせいにするのではなく、自分で責任を持って成長しなければいけない」という意識が高まるのかもしれません。
奥山:定性面でも、人事部門が毎年行っている新入社員との面談で「思い描いていた仕事ができている」と話す人が増えたと感じています。また、「こんなふうに成長したいと考えているが、次の一歩が踏み出せない」といった、キャリアに関する具体的な相談も増えています。
新たな配属プロセスを全社規模へ拡大するための組織風土改革
今回の配属プロセス刷新は、どのようなメンバー構成で進めたのですか。プロジェクトに参加した方々は、もともとマッチングアルゴリズムやデータ活用の知見をお持ちだったのでしょうか。
本庄:社内では人事部門を中心に進めてきたので、アルゴリズムやデータ活用の知見が豊富にあったわけではありません。共同開発のパートナーであり、マッチングアルゴリズムのプロフェッショナル集団であるUTMDとディスカッションを重ねて、配属や人事異動にマッチングアルゴリズムを応用する方法を考えていきました。
これまでの一連の取り組みを振り返って思うのは、アルゴリズムの知識以上に、人事部門としての意志が重要だったということです。何を目指して配属プロセスを変えるのか。私たちは従業員と部門それぞれの本音を引き出し、本当の希望をマッチングさせることで、キャリア自律の組織風土を醸成していきたいと強く考えていました。経営陣のコミットメントを含めて、この意志を貫徹できたことが配属プロセス刷新を実現できた要因だと思います。
これまで、新入社員面談や部門間調整に心を砕いてきた人事として、配属決定の大きな役割をシステムに委ねることに抵抗感はありませんでしたか。
松井:前述の通り、人事部門としては組織風土を変えることに強い意志を持っていました。この数十年で事業や組織が急激に大きくなり、当社には外国籍社員だけでなくミレニアルやZ世代といった新しい価値観を持つ人材が増えていく中で、「組織風土を変えなければいけない」という危機意識があったのです。目的が明確なので、手段を変えていくことに抵抗はありませんでした。
マッチングアルゴリズムを導入したからといって、私たち人事部門が人と向きあうことをやめるわけではありません。私たちが本来やるべきこと、もっと深く人と向きあうことに集中できています。
現段階での課題感や、今後の展望についてもお聞かせください。
松井:マッチングアルゴリズムを活用した配属プロセスを運用する大前提は、社内に情報がきちんと流通していることです。その意味で、今後は管理職の役割がますます重要になると考えています。管理職からのメッセージ発信やコミュニケーション力が不足していると部門の目指す姿が組織に伝わらないだけでなく、従業員からすれば上司との対話自体がストレスになってしまうかもしれません。かつては、似た価値観を持つ社員間で成立していたコミュニケーションのスタイルを改め、率直で透明性あるコミュニケーションを通じて、全社的な組織文化変革をさらに進めていきたいと思っています。
奥山:現在では、新入社員以外の従業員にも新しい配属プロセスを適用し始めています。ジョブ型人事制度への移行に伴い、チーム単位でミッションや役割、必要な体制などを定義した「ミッション定義書」を作成し、マッチングアルゴリズムによって配属を決定する取り組みがスタートしました。これにより、従業員は従来のように評価を積み上げて一定レベルで昇格するだけでなく、マッチングシステムによって一気に上のポジションを目指すこともできるようになりました。
本庄:今後はチームや部門をまたいだマッチングも検討したいと考えていますが、全社向けに進化させていくには課題も山積しています。チームや部門ごとに描いている将来像が明確でなければこの仕組みを当てはめにくいし、全社一斉の異動をマッチングアルゴリズムで決めると、到底運営できないチームができてしまう可能性もあります。また、個々人のキャリア志向だけで異動をすべて決められるわけではないという現実もあります。これらの複雑な要素を整理し、課題を乗り越えていくためには、アルゴリズムだけにこだわらない戦略が必要になるでしょう。大切なのはあくまでも、個人のキャリア自律をサポートしていくこと。オープンポジションへの公募など、さまざまな手法を活用していきたいと考えています。