全社員4000人をDX人財化!
サッポログループの「DX・IT人財育成プログラム」
サッポロビール株式会社 改革推進部 DX推進グループリーダー 兼 サッポロホールディングス株式会社 経営企画部 グループリーダー
安西 政晴さん
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事業環境の変化や働き方の見直しによって、業界・業種を問わずDX戦略の推進に伴う人材育成の重要性が高まっています。こうした中、サッポログループは2022年に「全社員DX人財化」の方針を掲げ、約4000人の従業員すべてを対象としたDX・IT人財育成プログラムをスタートさせました。取り組みを主導するサッポロビール株式会社 改革推進部 DX推進グループリーダーの安西政晴さんは「現実の案件としてDXと向き合い、現実の価値を生むための人財育成と体制構築を進めている」と話します。同社では過去に例がないという大規模な育成プログラムはどのようにして立ち上がったのか。取り組みを通じてどんな変化が生まれているのか。現在までの歩みと手応えを聞きました。
- 安西 政晴さん
- サッポロビール株式会社 改革推進部 DX推進グループリーダー 兼 サッポロホールディングス株式会社 経営企画部 グループリーダー
あんざい・まさはる/1989年にサッポロビール株式会社入社。新規事業開発部門を経てビールマーケティング部門で商品開発、宣伝を担当。その後飲料水関連会社で勤務したのち、サッポロビール社でマーケティング部門マネージャーを経験。2018年より改革推進部でサッポロビール社のDX推進に携わりながら、現在はサッポロホールディングス社経営企画部を兼務しグループ全体のDX推進にも携わる。
トレンド理解だけでなく、「現実の案件」としてDXと向き合う
サッポログループが描くDX方針の概要をお聞かせください。
サッポログループでは、2022年3月にDX推進戦略を対外的に発表しました。サッポログループに関わるあらゆるステークホルダーとともに成長し続け、お客さまに提供する価値を最大化していくために、「お客さま接点を拡大」「既存・新規ビジネスを拡大」「働き方の変革」からなる三つのDX方針を示しています。
この三つのDX方針を具現化していくために、現在は四つの環境整備を進めています。「DX・IT人財育成プログラム」に基づいて個の成長を支援し、組織体制を強化。さらにITテクノロジー環境整備を推進し、業務プロセス改革へとつなげていく計画です。
DX推進戦略の一丁目一番地となるのが「人財育成・確保」なのですね。なぜ今、サッポログループでDX人財が必要なのでしょうか。
数年前から、世の中でDX人財の重要性が叫ばれるようになっているのは認識していましたし、当社を支援してくださる外部のコンサルタントなどからもそうしたトレンドを聞いていました。ただ、その時はなんとなく「DX人財が必要になっていくのだろう」と頭で理解している状態だったのです。
潮目が変わったのは2020年から2021年にかけて。業務においてDXスキルが求められるシーンが爆発的に増え、一気に自分ごととなっていきました。トレンドとして聞くだけではなく、現実の案件として向き合う必要が出てきたということです。
私たちの業界はずっと「比較的安価な商品をたくさん作って運ぶ」というサプライチェーンを土台に成長してきました。しかし昨今は人手不足や原材料費高騰などの影響を受け、たとえば物流も倉庫も常に課題を抱えています。最適な体制を作り、運用するためには、AIを使ったモデルやデータをもとにした多岐にわたる予測が必要不可欠です。そこで私は社内の経営会議で「このままではまずい」と問題提起し、DX関連の予算確保を急速に進めていきました。
事業会社ごとに取り組むのではなく、サッポロホールディングスの全体戦略として打ち出している点も印象的です。
ホールディングス制のもとでは、どうしても各事業会社の戦略が優先されがちです。事業を超えて連携していく必要がある場合にも、互いの予算上の都合などで動きが遅滞してしまうことも考えられます。しかし私たちは、事業を問わずDXの重要性を認識して取り組まなければならない現状に直面しているのです。
そのためグループを横断する「DX・IT委員会」を組成し、グループ全体の予算でダイナミックに進めていく事を可能にする方向へ舵を切りました。私自身、事業会社であるサッポロビールの改革推進部とサッポロホールディングスの経営企画部を兼務し、事業と全体戦略の両方の視点を持ってDXを推進しています。
「全社員DX人財化」を進め、DXを共通言語にする
人財確保・育成においては一部の従業員だけを対象とするのではなく、「全社員DX人財化」を掲げ、外部からの人財獲得よりも社内人財の育成を優先する方針を明確にしています。このねらいをお聞かせください。
人財確保・育成については外部採用も行いつつ、まずは内部の従業員の教育を徹底したいと考えています。
その理由はシンプルです。従来の「IT(=大規模なシステム開発)」は外部のベンダーさんに要件定義をしてすべてお任せしてしまうこともできましたが、私たちが目指す「DX」を使った業務改革は、内部の業務に関する知見をもった人財がベンダーさんと連携しながら進めて行く業務スタイルが求められるためです。サッポログループのビジネスと商流を深く理解していなければ、現実の業務改革を推進するのは難しいでしょう。
だからこそ、事業会社に限定しない、また営業や物流、宣伝などの職種にも限定しない「全社員DX人財化」を目指しています。サッポログループは約4000人の従業員を抱えています。そのすべてがDXの中心的業務に従事するわけではありませんが、たとえば英語を社内の公用語にする企業があるように、一定の共通言語として全従業員がDXへの基本理解を持つことが大切だと考えています。現在は代表取締役社長の尾賀真城をはじめとした役員陣も含め、全員が同じ教育プログラムを受けています。
当社ではこれまでにもグローバル人財やマーケティング人財の育成を目指して体系的な研修を行ってきましたが、グループ全社を巻き込んでここまでの規模で進める取り組みは前例がありません。
尾賀社長は2021年夏にグループ全体でDX人財の育成を進める方針を決定し、およそ半年後には具体的なプログラムが動き出しています。このスピード感にも驚かされます。
DX人財の育成を始めて、成果が出るまでには何年もかかると思っています。だからこそ1日でも早く取り組みを始めなければならないと考えていました。それは経営トップも同じ認識だったはず。当社ではグループ長期経営ビジョンとして「SPEED150」を掲げ、世の中の変化に合わせ、スピード感を大切にしてさまざまな取り組みを進めているところです。その実現にはDXが不可欠であり、財務目標の達成や組織の活性化に向けてもDXは必ずプラスになると考えています。
社長の尾賀自身はもともとデジタルの専門家だったわけではありませんが、デジタルの可能性には大いに期待を寄せていました。当社グループの基幹事業である酒類事業は、国内だけを見ると縮小傾向にあります。海外への進出も重要ではありますが、新たな取り組みによる国内需要喚起も必要だと考えていたのです。
経営トップが先頭に立って決断し、従業員へメッセージを発信していることは、人財育成プログラムの大きな後押しとなっています。たとえば当社で恒例となっている「社長の年頭あいさつ」においても、2022年は全体の半分ほどの時間を割いてDX人財育成の重要性を語っていました。従業員にもトップの本気度がしっかり伝わっていると思います。
三つのステップでDX人財化を進め、150人のリーダーを選抜
育成プログラムの具体的な内容についてもお聞かせください。
プログラムは大きく三つのステップに分かれています。まずは全員を対象とした「全社員ステップ」で、6時間のeラーニング講座を実施。DXやITの基礎を理解してもらいます。これは2022年2~3月に取り組みました。
下記図は2022~23年の2年計画で、次の「サポーターステップ」では650人を公募し、より専門的な内容のeラーニング講座を30時間にわたって展開してDX・IT案件を推進できる人財を育成していきます。
そこから150人を選抜する最終ステップが「リーダーステップ」。本来業務と並行しながら約20日間の研修を行うヘビーな内容です。ここでは自社の戦略に沿ってデジタルビジネスの企画・立案・推進を担う「DXビジネスデザイナー」、データ解析やデジタルツールの実装を担う「DXテクニカルプランナー」、システム基盤の運用やセキュリティ・ガバナンスを理解した上で外部協力会社と協働できる「ITテクニカルプランナー」の三つのポジションの人財を輩出していきたいと考えています。
現段階ではこのうちのサポーターステップまで進んでいます。2022年は手挙げ式で300人程度の応募を想定していましたが、蓋を開けてみると想定の倍である約600人の応募が集まりました。全国の事業拠点から満遍なく、年齢層も20代の若手から定年に近い人まで幅広く手を挙げています。これはうれしい誤算であり、驚きました。
なぜ従業員の方々はここまで意欲的なのでしょうか。
一つは先ほど申し上げたように、トップ自らがDXの重要性を発信していることで、会社としての本気感が伝わったからだと思います。現状ではサポーターステップやリーダーステップに進んだ場合の明確なキャリアメリットを示しているわけではありません。それでも多くの人が手を挙げたのは、DXが会社の未来に欠かせないのだという理解が浸透しているからでしょう。
事務局としての社内発信にも力を入れています。社内イントラネットでは、DXの重要性を伝えるために「デジタルを使って何ができるようになるか」を分かりやすく伝えてきました。従業員の視点で考えれば、DXで新しいビジネスを作り出すといった遠くの目標よりも、目の前の業務をいかに楽にできるかが重要だと考えたのです。「書類に物理的な押印が必要なので出社せざるを得ない」などの現場での困りごとを、DXによって解決していけるのだと説明しています。私の部署のメンバーはコロナ禍に突入する前から各部署に出向き、現場の困りごとをヒアリングし続けてきました。そうした積み重ねも生かされていますね。
DXによる成果は、ある意味では地味なものが多いです。目の前で画期的に何かが変わるわけでもない。しかし業務レベルで見れば、従来の無駄を一気に省くこともできます。そうした分かりやすい変化を実感すれば、DXを学ぶことの意欲が高まっていくのではないでしょうか。
最終的に「リーダーステップ」へ進む対象者を選抜する際には、どのような基準を設けていますか。
サポーターステップのeラーニングシステムの特徴は、アセスメント機能も実装されていること。これによって個々の従業員のDX人財としての素養を指標化するとともに、eラーニング受講率などのスタンス面も加味して選抜しました。
興味深いのは、こうしてデジタルな指標を重視して選抜された受講生は年齢も部署も偏りなく均等に分かれていることです。DX人財というと「若手やIT系部門から選抜しなければならないのでは」と考える人も多いと思いますが、当社の取り組みでは年齢や部署は関係なく、デジタル的な感性はあくまでも個人差であることが分かりました。50代であれ、営業部門であれ、先入観なくDX人財を見極めていくことが重要だと感じています。
「現実の価値」を重視し、グループを横断できる人財を増やす
今回の育成プログラムを導入したことで、従業員の方々からはどのような反応がありましたか。
現在、全員を対象としたeラーニングが完了し、今まさにアンケート結果を集計している段階です。回答内容を見ている限りは、かなりの割合で高い満足度を示してくれていますね。一方では「想像していた以上に難しかった」という声も上がっています。
eラーニングでは「DXとは」を理解する基本的な内容に始まり、AIの構造を理解する講座も設けています。一定レベルの数学の理解が求められるので、ハードルが高いと感じた人もいたようです。
また、サポーターステップでは本来の業務と並行して30時間のeラーニングを2ヵ月で実施しました。受講者が短い隙間時間でも効率よく学べるように1時間単位の講座を10分ずつ、細かく分かれたカリキュラムにしました。受講者からのアンケートでは約半数が「ちょうど良かった」と回答をもらっています。
全社員DX人財化を進めていく中で、組織体制はどのように進化させていく計画でしょうか。
一つの目標として2022年内に「DXイノベーション・ラボ」を社内に作りたいと考えています。
どれだけDXについて勉強し、実践に向けた手応えをつかめたとしても、現在所属している部署での組織的な後押しがなければ、事業として実際に進めていくのは難しいと思うのです。そんなときに駆け込める場所がDXイノベーション・ラボです。
DXイノベーション・ラボの役割は、ホールディングスに置かれた組織としてグループ全体のプロジェクトマッチングを担うこと。事業会社や部署ごとに、あるいは個々のDX人財ごとに生まれたアイデアを集約し、適切な組み合わせになるようアシストして、グループとしての新たな価値を生み出していくことがねらいです。最終的には一人ひとりが自走していけるようになることが理想ですが、いきなりその状態になるのは難しいでしょう。だからこそグループ全体を見ながらプロジェクトマッチングのお膳立てをする役割が必要だと考えています。
その文脈で言えば、私のように事業会社に籍を置きながらホールディングス業務も兼務する人財をさらに増やしていきたいですね。ホールディングスが上から言うだけでは説得力がないし、事業を深く理解していても全体の動きが見えていなければ発信力が生まれない。グループ全体を横断して価値を生み出せる人財を増やすことも、DX推進の意義だと思います。
勉強そのものは、個人がやる気になればいくらでもできます。これからの真の課題は「いかに現実の価値を生み出していけるか」でしょう。DX人財としての知見を深めた従業員が、実際にどんな成果を生み出していけるのか。私自身もこのテーマに深くコミットしていくつもりです。
DXの真の意義は「会社の風土を変えていけること」にある
現在までのDX人財育成の取り組みを振り返って、安西さんはどのような手応えを感じていますか。
私は今回の取り組みを通じて、DXの真の意義は会社の風土を変えていけることにあるのではないかと感じています。
会社組織はどうしても縦のヒエラルキーに支配されがちです。その中で横串のプロジェクトを当たり前のように生み出していくためには何が必要なのかをずっと考えていました。大切なのは社内の空気や意思決定のプロセス、そして従業員の仕事への意識をアップデートしていくことです。DXを語る際には“D”、つまりデジタルの側面ばかりが注目されがちですが、本質的な成果につなげるには“X”のトランスフォーメーションこそが重要なのです。
私自身はIT出身ではなく、商品開発やマーケティングを主戦場としてきた人間です。こうした分野がとても大切な役割を担っていることは間違いありませんが、商品開発やマーケティングを突き詰めても、会社の風土まで変えることはできないでしょう。しかしDXには可能性があります。
当社のように長い歴史を持ち、変化への柔軟性が乏しいと見られがちな企業でも、DX人財育成に向けたヘビーな研修プログラムに対してたくさんの従業員が手を挙げてくれました。この大きな手応えをもとに、DXをグループ全体の風土改革へつなげていきたいと考えています。さらに、DX施策を実現させるには、失敗してもまた挑戦できる風土が必要です。そうした風土改革まで成し遂げてこそ、DXに成功した企業だと言えるのではないでしょうか。